第16話 ドラゴンがいて、カーがいる
『ヒラヒラビキニ』が『あの子』と呼んだ制服の生徒は、守衛小屋の前で何か悩んでいるようだった。
校門が見えたあたりで『ヒラヒラビキニ』は制服少女との距離を保つかのように立ち止まった。
「なんだ? 今行けば間に合うんじゃないのか? あのぬいぐるみお前のなんだろ」
トミカが何気なく尋ねると『ヒラヒラビキニ』はこわばった顔のまま頷いた。しかし足を踏み出そうとはしなかった。
「危ないんだよ、あの子は。どういう感情でかは分からないけど、マックスはマツリに執着する」
結局、彼女はマツリの姿が見えなくなるまで待って、守衛からぬいぐるみを受け取った。
トラブルもなく昼になった。
生徒たちの雰囲気は、想像したほど排他的でもなかった。
ただ攻撃してこない代わり、近づいてもこない。
遠慮がちに、しかし入れ替わりで、トミカが何者なのかを執拗に探った。例えば、親の仕事がなんなのか。前はどこに済んでいたのか。この街に身内はいるのか。いるとしたら何というヤツなのか。
要するに、みなマックスを恐れているのだ。
うかつに転校生に噛みついて、それが市長の身内でした、となれば、この街では取り返しがつかない。
「ハーイ転校生」
比較的、気安く話しかけてくるのは『新市街』の女生徒たちだ。なぜか女生徒の方が多い。マックスは女に甘いのかもしれないなと、トミカは考えた。
「聞いてる? ランチでもどうかと思ったんだけど」
呼び止めてきたのは、三人のビキニ女で典型的な『新市街』の人間だった。身振りからして自信満々で、栄養豊富。ビキニもパリッとしたブランド物だ。トミカは女の肉の圧力から目を背けた。
三人はそれを照れ、あるいは性的興味の裏返しだと解釈して、クスクス笑った。
「ね? ランチ食べながら外のお話聞かせて?」
外から来た『着ぶくれ』をコレクションに加えたいだけなのだ。
「ねえ、そのまま。目を見せて。みんな見て、凄く綺麗な瞳をしてる。エメラルドみたいな――」
女の一人が手を伸ばしてきた。トミカはその手を払いのけた。
「悪いが別のチンポ探してくんねえかな」
「は⁉」
「チ――はあ⁉」
「えっ? はあ⁉」
退散していく『新市街』の生徒たちへ、近くに居た『旧市街』生徒たちが、なんともいえない目で見送っていた。
『旧市街』のほうも格好を見ればすぐにそうと分かる。
常に『新市街』の様子を伏し目でうかがっている。ビキニもダルダルだ。鬱憤のはけ口を待ち望んでいるような目つきでもあった。
『旧市街』の連中は、うまくすれば計画の仲間に引き込めるかもしれないなとトミカは考えた。市長に対する恨みは相当なものだろう。
しかし、とりあえずはその必要もなさそうだ。
人の手を借りなくても、市長を暗殺する手段を見つければそれでいいのだ。海のようなエメラルドグリーンの瞳が怒りに燃えた。
トミカ・アルゴン。
彼はジミー・パーンを殺すために転校してきた。
息子のマックスから市長へ近づけはしないか、と考えていた。市長には常に警護がついている。だが、息子の知り合いになら警戒を解くかもしれない。
学生用のカフェへ来てみたが、マックスらしき姿は見当たらない。もちろん彼の顔は調査済みだ。
カフェにはピチピチビキニの『新市街』ばかりだった。そこで何人かの女の子に声をかけられたが、追い払った。去って行く尻を一瞥すると、彼は地面へつばを吐いた。
マックスを見つけたときすぐに立てるよう、アイスコーヒーだけを注文した。座って飲んでいると声をかけられた。
「はあい」
憮然として振り返ると立っていたのは『フリフリビキニ』だった。ナンパされているところを見ていたのだろう、彼女は『新市街』の女生徒たちのマネをして腰をくねくねさせながら歩いてきて、椅子を引くと、くるりと一回転してから、トミカの隣に腰掛けた。ハンドバッグの口から例のぬいぐるみが覗いている。
「安心してナンパしに来たわけじゃないから」
「別にそんな心配してねえよ」
「声かけてきた女の子たち片っ端から切って捨ててるって噂だよ」
「田舎者は噂話好きだよな」
「でも大丈夫、私は分かってるから。私マンガ集めが趣味なんだ。そういうの日本のマンガで勉強して知ってるから」
「なんだよ『そういうの』ってのはよ」
「し」
「し?」
「少年愛」
「はあ⁉ し――はあ⁉」
「同性の男の子にしか反応しないんでしょ。分かってる、ピンときたんだな、私」
「えっ? はあ⁉」
「違うの?」
「ぜんぜん違えよ! まじかよ……そう見られてんのか、俺」
「私は確信していた」
「勝手に確信するんじゃねえよ……俺はゲイじゃねえよ」
「ゲイじゃない、少年愛だから。二度と間違えないで」
「……なんで、俺キレられてんだよ。行けよもう。聞くこと聞いただろ」
しかし彼女は立ち去らなかった。
「まだなんかあんのか」
「朝のこと怒ってるんだ? マツリのこと」
さりげない口調だったが、目は真剣だった。トミカも真面目に応えた。
「この半日、街のヤツらを観察して分かったよ。どいつもこいつもマクスにビビってる。市長の息子だからな」
「親がミートバーグで働いてるんだよ。迷惑かけられない。転校生の私が信頼を得るために、どれだけ努力したか分かる?」
「それで助けてもらって礼も言えねえわけだ、この街じゃあよ」
「……しょうがないじゃない。あなたはどうなの? 家族を犠牲にしてもマックスに立ち向かえる?」
「家族……別に。俺、ここに長く居るつもりねえから」
「よそ者だから関係ないってこと? 安全なところから私たちのこと責めてるだけじゃない」
「……かもな」
それは認めなくてはならない。彼に守るべき家族などいない。部外者が、しかもわざわざ彼女だけを選んで説教するようなことではなかった。
トミカは車の鍵を取り出して、手の中でミニカーをもて遊びはじめた。
気まずい雰囲気になりかけた時、彼女がトミカのミニカーを褒めた。
「それ。それ何て車? その色って好きだな」
ミニカーの話に移ると、トミカはやや饒舌になった。
「これは……俺が最初に修理した車だ。最初はセロハンテープでこいつを直して、そのうち本物の車で遊ぶようになった。他にやることもなかったしな」
以前、母と住んでいた家の近所には、町工場があった。仕事を眺めて時間を過ごすうち、修理工の一人と仲良くなって、彼から車の修理を習った。
計画のための金は、安く仕入れたガラクタをレストアして売り払うなどして稼いだ。すべて、修理工の男のおかげだった。
トミカには生まれたときから父親がいなかったが、この修理工の男が父親ならよかったのに、とよく考えた。もちろん実際は赤の他人で、トミカを仕込んだ男は他にいた。
「朝乗ってたフェアレディもな、俺が修理したんだ。もともとは二十年以上昔の車なんだぜ。ああフェアレディっていうのは――」
トミカがマニアックな話をし始めたので『ヒラヒラビキニ』は、相づちを打ちながら手遊びを始めた。修理工に見立てたぬいぐるみのドラゴンを、ミニカーのほうのフェアレディへバックからぐいぐい押しつけたりした。
トミカは、オタク話を中断して、バックからガウガウされているミニカーを注視した。もう釘付けである。そして奇妙なことを言いだした。
「あっあぁ~お、俺のフェアレディがドラゴンに……あ~」
「えっなに?」
「いやなにも?」
トミカは神妙な顔をつくった。
車談義が途切れたので『フリフリビキニ』は素早く自分の主張を割りこませた。
「えっとね、あっそうだ。この町で暮らしていくんなら覚えておいた方がいいことがいくつかあって、それを教えようと思って探してたんだった」
そう言って彼女は生徒たちの派閥や新旧勢力の微妙な関係性や地域について教えてくれたのだが、それをわかりやすく伝えるため、転覆させたミニカーを旧勢力に、覆い被さってガブガブするドラゴンを新勢力に例えて、芝居仕立てで説明してくれるものだから、トミカの目はドラゴン&カーに釘付けになってしまった。そして彼のこの発言である。
「あっあ~……俺のフェアレディが邪悪なドラゴンに……あ~」
「えっ」
「いやなんでも」
ドラゴンカーセックスという言葉を御存知だろうか。
DCS《ドラゴンカーセックス》である。
ドラゴンが居て、車がある。それらはセックスする。
その情景を見て興奮する人間が存在するのである。
無論ドラゴンは実在しないから、人はそうしたイラストやCGを鑑賞して、心遊ばせることになる。
トミカ・アルゴンは重度の『ドラゴンカーセックスニスト』だった。
『DCSN』である。彼の蛇口はドラゴンカーセックスでしか開かない。
偶然、DCSの画像を見つけて、そうなったのだが。きっかけが偶然であるだけに、治療法は想像もつかなかった。他に、母に関わるトラウマもあって、彼はDCSでしか反応できない身体になっていた。
恋愛経験はあるが、どの恋人ともうまくいった試しはなかった。もちろん、DCSのことは誰にも明かしたことがない。
「まあ、確かに新旧勢力の人間関係ってのは知っておく必要があるかもな。上っ面だけじゃ見えねえ関係性ってのは存在するからな……」
こんなことを言って神妙な顔をしているが、この男DCS《ドラゴンカーセックス》である。今現在DCSのことを考えている。
「ねえ」
「なにかね?」
「ちょっと話しすぎた」
市長のことを話しすぎた、という意味である。いつの間にか『新市街』たちの注目を浴びてしまっていた。彼らに妙な疑いをかけられるのは、計画のためにも得策ではない。
「行こう」
二人はカフェを離れた。
裏庭の方へ出たところで、マックスを見つけた。打って変わって、トミカの目に怒りが灯った。
最初に気づいたのは犬の唸り声だった。
見ると、複数のビキニが制服の女子生徒を取り囲んでいる。『フリフリビキニ』が小声で注意を促してきた。
「マックスだ……目を合わせないようにして。キミ目立つから」
「あれがマックスか――ツラは知ってたが、ひねくれた顔つきしてやがる」
離れたところからでも『着ぶくれ』がなぶりものにされているのが分かる。『着ぶくれ』はもちろんマツリである。『フリフリビキニ』もそれに気づいていた。泣きそうな顔でうつむいていたが、止めに入る勇気も、ここから逃げ出す勇気もないようだった。
「だめだよ……この街で暮らすならマックスに手を出したらダメ」
彼女の言う通り、マックスと事を荒立てるべきではない。市長を倒すため、トミカは彼へ取り入る必要があるのだ。
しかし、マツリへのハラスメントはエスカレートしていった。
ビキニを下ろした男子がマツリへにじり寄る。
怯える女。いきり立った男。
その情景が、トミカの哀しい記憶を刺激した。
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