第7話 カニくんリゾートをすくう


 なだらかなカーブをぬけると、青空が開けて、輝く砂浜が見えた。舗装がきれいになってカニくんも大よろこびだ。

 それまでは寂れた漁師町ふうだったのに、壁紙を貼り替えたみたいに、突然、西海岸風の景観へ切り替わっていた。

 リゾート地に入ったのだ。

 妙な掲示物を見つけてハンサムは立ち止まった。


『パクパクカウンター』

本日のごはん_12人


 標識や何かと一緒に道路の上からぶら下がってる。

 内容は謎である。普通は気温だとか交通情報が表示されるのではないだろうか。


「ごはん? どういう意味なんだろうね、カニくん」


 ハンサムは足下のカニくんに話しかけた。


「カニくんはどこへ行くのかな? 俺はどこへ行けばいいんだろうね?」


 カニくんは大きな爪をかかげて、まっすぐひたむきに歩いて行く。

 偶然かもしれないが、カニくんとはずっと道路選んで歩いている。自然環境的にいって、やっぱり不自然なことなんだろうと、ハンサムは考えた。もしかしたらカニくんも、ここの生態系から居場所をなくしているのかもしれない。


「でもだからって生きていかなきゃならないものな……あ。カニくん危ないよ? 車だよ?」


 スピード違反のオープンカーが近づいてきたので、ハンサムはしゃがんでカニくんを道路脇へ誘導してやった。


「それにしても水着姿の人が多いなぁ。リゾート地だからかな?」


 リゾート地に入ってからいっきに人通りが増えた。

 大抵は、観光客やホテルの従業員やサーファー、他には異様に屈強なビーチ監視員などとすれ違ったのだが、全員ビキニ姿だった。

 カニくんをどけてやってから顔を上げる。

 前から来た子供と目が合った。

 子供はハンサムをきょとんと見つめたあと、ぺこりとお辞儀をしてから引き返していった。

 そして近くにいた姉らしき女の子に何か報告した。姉の方もハンサムを見た。そしてクスクス笑ってどこかへ行ってしまった。


「カニくん。やっぱり、この格好ヘンなのかな?」


 ハンサムが身につけているのは、こけしおばさんが着ていたアラビア風の衣装である。

 顔に特有のマスクを着用していたため、外からは目元だけしか確認できない。子供たちも、彼がハンサムだとは気づかなかったようだ。

 彼はこれを借り物だと思いこんでいた。

 こけしおばさんは、衣装を残して消えた。

 それまでいろんな要求をされていたものだから、てっきり次はアラビア衣装を差し出されたものだとばかり思ったのだ。

 そのままおばさんは戻ってこなかった。

 仕方なく書き置きをして、この格好で外へ出たのだ。


「なんだか恥ずかしくなってきちゃったな。マスクだけでも外そうかな。それでもうホテルで電話を借りようか」


 左手にビーチがあり、右手はリゾートホテル『ルネサンスリゾート・ミバ』があった。

 綺麗で立派な建物で、たくさんの人間が出入りしている。

 不意にハンサムは感傷的な気分になってきた。

 ここには親切な人もいるだろう。意地悪な人もいるだろう。いずれにしろ、その人たちは家も戸籍も持っていて、帰れば家族に名前を呼んでもらえる。でも自分は違う。

 そしてさらに想像した。


「この施設に俺の知り合いが泊まっていたりしないだろうか。俺はこの近くの浜に流れ着いたんだ。ここの宿泊客だって可能性はある。だとしたら誰か、誰か……あの建物の中に俺を知っている人か……もしかしたら家族がいるのかも……そうだ……このマスクを外して行ってみれば、誰か俺の顔を見て声を掛けてくれるかもしれない。俺のことを知っている誰かなら……」


 ハンサムはほとんど無意識で、マスクへ手を掛けようとした。

 同時にホテル目指して足を踏み出しかけて、地面の同行者のことを思い出した。カニくんの姿がなかった。


「あッカニくん! どこだ? 知らないうちに踏んづけちゃったのか? い、いやだ……ッ」


 カニくんは道路のずいぶん先にいた。ハンサムが悩んでいるあいだもずっと歩いていたらしい。マスクを付け直すと、ハンサムは慌てて追いかけた。


「もう~びっくりさせないでよカニくん~。置いて行かれるくらいならカニくんのこと食べちゃうぞ? なんてねウソウソ、俺の方がカニくんを置いてこうとしたんだ……ごめんよ。カニくんを一人にはしないからね」


 カニくんについていきながらハンサムは一度だけ、ホテルの方を振り返った。


「――あそこに知り合いがいるとは限らない。自分で警察へ行って事情を話せばいいだけだ。俺が声をかけるとなぜか皆逃げていってしまうみたいだし……まあでも、カニくんがいるから平気だけどね。そうだ、自分の家が分かったらキミを招待しようかな。カニくんも居場所がないんだろう? 俺たち似てるよな、カニくん。カニくん?」


 カニくんは大通りから裏道の方へ曲がっていくところだった。

 後を追うと、商店街かなにかの入り口が見えた。


『ミートバーグ中央市場』


 奥から新鮮な魚介類の匂いが漂って来る。


「カニくん……なんだかすごく……良いニオイがする――カニくん?」


 カニくんの行く手に他のカニくんたちが待っていた。

 カニくんたちは触覚でお互いふれあいながら、カニくんたちだけが通れる狭い隙間へ消えていった。

 市場で出る廃棄品を食べて彼らは生きているのだ。

 ハンサムの方は振り返りもしなかった。


「カニくん……君は一人じゃなかったんだね……いいさ。仲間と助け合って、たくましく生きているんだね。いいことじゃないか。それでいいさ」


 こうしてハンサムはリゾート地を出て、市場の前に立った。ホテルはカニくんによって救われたのだ。

 次にハンサムが向かうのは市場である。

 外から眺めると、市場はリゾートホテルに比べて薄暗く、ヌルヌルしていた。

 しかし活気のある人の気配が行き来して、良い匂いがする。


「――市場か。俺は警察へ行かないとな……でも、急ぐ理由もないし、ちょっとだけの寄り道ならいいかな……よく見たらここもすごく……綺麗だ。人間の世界だ。俺も誰かとふれあいたいな」


 ハンサムは、市場の雑踏の中へ踏みこんでいった。

 行き交う人々がアラビア風ファッションの奇妙な男を振り返った。そのうちの幾人かは、このスタイルの良い若者の顔を確認しようと、マスクの奥へ目を凝らしさえした。そこに何を見るとも知らずに。




 なお、カニくんは実は蟹くんではなく、ヤシガニくんである。

 貨物船に紛れこんだ沖縄出身のヤシガニくん一家が、ミートバーグで残飯をあさり、時に人を襲ったりしながら、逞しく繁殖していることは、ハンサムには思いもよらないし、この物語にも何ら関係はない。


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