第5話 ~アラビア風ダンシング雌カマキリ~
空からサメが一匹降ってきた。
「うわビックリした。え? 鳥ィ? でかい鳥が落としていったのかな? カニくん近づかない方がいいよ。どこかから鳥が狙ってるかもしれない」
サメの死骸から離れて、ハンサムは目の前の建物に向き直った。峠を下って初めに見つけた民家だった。
「しかし……なんの店だろう、ここ?」
それは生活感あふれる二階建ての家屋で、なんだかくすんだ色合いをしていた。
建物の雰囲気に反するケバケバしいネオン看板がかかっている。
『みんなのハラショーハウス』
どうやら住居を改装した個人商店のようだった。しかし何の店か分からない。
「よそ者が入って良いのか? でもパンツもはいてないんだ、緊急事態って事で納得してもらうしかないな。ここで電話を借りて……警察でいいのかな? 警察に助けてもらおう……よし。驚かせないようにしないと……すいませぇん」
深呼吸しながら待ったが、返事はない。
ガラス戸へ顔を寄せたが、暗くて店内はよく見通せなかった。
「本? みたいなのが並んでる。それに何かのボトル。服みたいなのも……ここは雑貨屋か何かか? まだ営業前で寝てるのかな? ネオン看板だし夜開いてる店なのかもな……」
さらに呼んでみてから、営業前なら裏口へ回った方が良いのではないかと気づいた。行きかけたところでドアが開いた。
出てきたのはビキニ姿のおじさん。いや、よく見るとおばさんだった。
ビキニの上のを脱いで、それを手ぬぐいのように使いはじめた。
ああ~みたいな声を上げながら、脇を拭いたり、口の中を日光殺菌している。どうやら起きたばかりらしい。
やがて、だらっと唾を吐いたところで、ハンサムに気づいた。
「あ……あの、すいません――」
「ハン――ハンッ」
「えッ?」
「――ンンンッ!」
おばさんは、力士のように腰を落として、何か
おばさんは素早く動いてハンサムを捕らえた。
「ええッ?!」
「とにかく入って、入って!」
「え? あの要件なんですが――」
「早く。早くッ!」
「えぇ……はい……あ、カニくん!」
ハンサムは慌ててカニくんを抱え上げる。
おばさんはハンサムの腕をぐいぐい引っ張って彼を店内へ連れこんでしまった。
大麻の臭いと、何か石油みたいな薬品臭がした。
おばさんはハンサムを連れて店舗内を通り抜けていく。
こけし似た何か。
ちくわに似た何か。
薄っぺらい本。
ビデオテープ。
ブロマイド。
穴の開いた下着。
医療器具めいた何か。
ぺぺローション。
ほこりをかぶった商品はハンサムには謎な物ばかりだった。
商品をなぎ倒しながら、ごちゃごちゃついた店舗部分を抜けて、奥の住居スペースまで引きずられていった。
そこでおばさんは急に恥じらいを見せ、乳房を隠しつつねっとりとこう言った。
「Wait here (ここで待て)」
「はい? あの、俺はですね――」
ハンサムは説明を加えようとするのだが、そのたびおばさんは詰め寄ってきて「大丈夫、大丈夫」と繰り返すのだった。
「え? なにが? あのですね――」
「Please do not open ...never (開けないでください。決して)」
ウインクをしてから、おばさんは隣室へ下がっていった。
「ネバー……? 何なんだ? 言っていることが全部意味不明だったな……」
ハンサムはまったく状況がのみこめていない。
初対面の人の生活空間に取り残されてしまった。彼はカニくんをぎゅっと抱きしめて、周囲を見渡した。
「ハラショーハウス」の住居部分は「アラビア風を目指して手作りしてみました」といった感じの狭い部屋だった。
複雑な模様の絨毯を敷き、ランプのような小物を飾り、天井から薄布を垂らしている。
隣室との境は、何枚も重ねた薄布で仕切られている。もしかしたら布ではなく
薄いピンクや水色をした布の向こうで、おばさんの影が行ったり来たりしている。
声を掛けて警察への電話を頼もうと何度も思ったが、そのたびタイミング悪く、おばさんが顔だけ出して、あれこれ指示してくるのだった。
それも意味の分からないことばかり。
指示1
【Apply cream all over your body (体中にクリームを塗りたくりなさい)】
クリームは指示された引き出しに、なぜか荒縄と一緒に入っていた。
「なぜこれを? なんのクリーム?」
「お肌をまもるためだから! 早く。早く!」
指示2
【Change clothes (服を着替えなさい)】
ガウンと紙製の下着が差し出された。
「なんで紙?」
「破いても平気だから……! 早く! 早く!」
おばさんは常に切羽詰まったような、高ぶった声で要求してくるのだった。
指示は続く。
【Cut your nails (爪を切りなさい)】
【Gargle with Isodine (イソジンでうがいしなさい)】
【Have you ever been to a dermatologist? (皮膚科にかかったことはありますか?)】
すべての指示に従い、万全のハンサムが完成した。
「あのぉ……できましたけど。一体何が完成したのか分からないけど」
隣室からの返事はない。
一瞬だが、仕切りの布が揺れた気がした。ちょうどカーテンの隙間から誰かが覗いていたように。
「風か? いや――」
着替えやクリームを塗っているあいだ、おばさんはずっと覗いていたのだろうか?
疑いが首をもたげたが、ハンサムはそれを打ち消した。あの親切なおばさんが覗きなんてするはずがない。
「そうだよね? カニくん」
悩んでいたそのとき、まさに隣の部屋から、うめき声が聞こえた。
「カニくん今何か聞こえなかった?」
カニくんは口から泡を吹いている。それで思い当たった。
「もしかして発作かか何かが? すみません、失礼します――」
仕切り布をかき分けると寝室だった。中央に天蓋付きのベッドが据えてある。NEDOKOである。
それも戦闘態勢の
遮る物がなくなると、一気にお香の匂いが溢れた。
「臭ッ……いや、すごいニオイだ」
内装も凄かった。
照明は薄暗く、回転していた。
桃色や紫といった卑猥な感じの薄布が、あちこちから垂れ下がっている。肉食昆虫の繭のなかみたいだ。
お香の煙で、すべてが霞んで見えた。
おばさんは天蓋付きベッドの上に立って待ち構えていた。
しかもダンシング。
アラビア風の衣装を身につけ、両手にこけし、口に蝋燭を咥えてクネクネ踊っている。
「えっ大丈夫ですか?」
とっさにハンサムが漏らしたのが、この言葉である。
思っていた発作と違う。しかし深刻な発作意に違いない、と彼は思った。
別途の横の棚にラジカセがある。
くねくね踊りながら、おばさんは足でスイッチを入れた。
ねっとりとしたトランペットの演奏がはじまった。
おばさんは衣装の奥をちらつかせ、ますます激しく踊りだした。
一方ハンサムは隣の部屋へ引き返していた。
「落ち着こう。何か事情があるのかもしれない。あの親切なおばさんが両手にこけしを持って踊ったりするはずがない。俺は幻を見ていたんだ。そうだろカニくん。よし、もう一度確かめてみよう。大丈夫ですか! うん。ダメだ」
やはりおばさんは踊っていた。踊っていなければ良かったのに。
目を閉じて、宗教的な境地に
やがて目を見開くと、おばさんは言った。
「早く! 早く! 大丈夫だから、大丈夫だからッ!」
「えっ大丈夫なんですか?」
「大丈夫!」
「えっなにが大丈夫?」
「大丈夫だから! 早く!」
「だから何が! えっ大丈夫なんですか? 本当に大丈夫ですか?」
「早く!」
早く、何をしようというのか? ハンサムには分からない。
しかしもう少し良識のある人間が見ていれば、おばさんの目的は明らかだろう。カニくんにも分かっているかもしれない。
SEXである。
おばさんはハンサムと事に及ぼうと、秘技の限りを尽くしているのだ。
二刀流のこけしを操って、おばさんは交通整理のようにベッドへと促してくる。
バックオーライ、といったところである。発車オーライ、といった構えである。
若い頃、彼女はこの手口でミートバーグじゅうの青少年を食い荒らしたのだった。
だが、この百戦錬磨のダンシング
香を焚き、踊り、自分自身の期待値を高めすぎたことで、おばさんはたいそう敏感になっていたのだ。その脳波は人生最大級の興奮を記録していた。
そんな彼女に絶世のハンサムが近づいていく。
「ええと? そっちへ行けば……いいんですね? なんだか分からないけど……」
ハンサムは首をかしげつつベッドを登った。
その首の白さ。
ガウンの胸元がはだけて、たっぷり塗っておいたクリームが匂った。
このおばさんには好きな物が二つある。
「ハンッハンッハンッ――」
おばさんの興奮がクライマックスを迎えた。
偶然ではあるが、それはステレオの音楽がアップテンポなナンバーに切り替わったのと同時だった。
ゆったりとしたストリップの踊りがサンバになった。
「アババババ――は、ハンサムッ!!」
ハンサムの胸に切れ目がはしる。それが大きな顎に変わって、おばさんを捉えた。
薄布に踊る影はまさにサメ。
一瞬の後、ベッドの上に残ったのはアラビア衣装と、うねうね動く二本のこけしのみだった。こけしに対抗してカニくんがうねうね踊っている。
『ハンサムからの置き手紙』
前略
なんだか、いろいろお世話になりました。
どうやら僕はまた失礼を働いてしまったようですね。今日はずっとこうなのです。シャークに触ったら申し訳ありません。フカくお詫び申し上げます。
ご挨拶しようと何度か声を掛けさせて頂いたのですが、お返事がありませんでしたので、誠に失礼ですが、このままおいとまさせて頂きます。
実は電話を借りようと考えていたのですが、やはり自分で街へ行って警察署を訪ねようと思います。
今抱えている問題が解決したら、改めてお詫びにうかがわせて頂こうと思います。
本当なら、今すぐ何らかのお礼とお詫びをするべきなのですが、フカくにも、手持ちはおろか自分の住所すら分からない状況なのです。
あなたのしてくれた親切に、心から感謝しています。
<(._.)> フカブカ
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