第3話 泥棒猫と悪ガキのマッシュ ~ゲイのサディストを添えて~
「おっオレンジが落ちてる。謎だな。どこから転がってきたんだろうね、カニくん」
ミートバーグまで続く「アルバ・スカイライン」を、ただただハンサムな若者が歩いて行く。彼の前を這うのはカニくんだ。
「行く道が一緒で嬉しいよ。俺たち、コンビ結成って感じだよね。キミは……なにガニくんかな? ちょっと観察させてもらっても良いかな……ウソウソ逃げないで。一緒に行こう。俺たちのコンビ名つける? 『ウイアー』……何にしよう? 思いつかないや……」
ハンサムな男がため息をついた。
カニくんは規則正しい動きで歩きながら、爪を振っている。
一緒に歩く、というよりは、あてもなくカニに付き従っている、というのが実情だった。
このハンサムには記憶がない。名前も行く先も分からないから、拾ったカニの後をついて歩いているのだった。
ハンサムな男の呟きは、つねに自問するような色調をおびている。
「キミはカニくん。海に住む甲殻類で、陸上でも結構活動できる。そういうことはおぼえてるんだ。こうやって英語も話せる。でも自分の事が何も思い出せない。何があって、あの岸辺に流れ着いたのか。その前はどこにいたのか。昨日は? 一週間前は? どこで生まれた? そもそも俺は誰なんだ? 何も分からない」
カニくんは歩きながら触覚で渦模様を描いている。
「俺は何者なんだ? 街へ行けば俺を知っている人がいるだろうか。家族がいて、学校か、仕事か一緒にやってる仲間がいるんだろうか? 何も思い出せない。そんなものがあったとすら思えない。もしかしたら俺は本当に
そこまで言って、彼は目を拭った。
「おっと。これは……これは多分ヤバイ感情だ。こんなところでへばったらダメだよな、カニくん。カニくんのポーズで元気になろう。おっ見ろ、なんか落ちてるぞ。グミかな? 味を見てみよう……虫だこれ。『フロリダウェイウェイ蠅』だなこれは」
フロリダだけに住むフロリダウェイウェイ蠅である。
ハンサムはフロリダウェイウェイ蠅を吐き出すと、陽に透かしてしばらく観察したりした。
「深刻になったってしょうがないよな、カニくん。別に殺し屋に狙われてるわけじゃない。楽しまなきゃ。ピクニックみたいに。海が見えて景色も綺麗だよね。でもパンツもないのには弱った。靴の片っぽさえもない」
現在彼は腰布一枚の格好である。岸辺の
「勝手に借りてきたけど、大丈夫だったかな? でも、あの人たちどこを探しても見つからないし……くらっと目眩がしたと思ったら消えていた。もしかして、俺が一瞬と思ってるだけで長い間気を失ってたのかな? そのあいだに彼らはどこかへ行ってしまった? 何か奇妙なことが起こってる気がする……」
峠へ上がってからも同じことが二度あった。
最初は、岩陰にたむろしていたマウンテンバイクの少年少女たちで、彼らは絡み合ったり、タバコに似た何かをふかしているところだった。
異様に陽気な連中で、通りすがりのハンサムを見つけるやいなや、謎の錠剤や注射を売ってくれようとする親切さだった。
ハンサムが断ると、アアン? みたいなことを言いながら取り囲んできた。
だが、ハンサムの顔を覗きこむと、急にビクンビクンしだした。
ハンサムはその時も目眩を感じた。気づくと彼らは消えていた。
彼らのいたところには、ビキニだけが残っていた。
二度目は車に乗った男同士の
なぜか後部座席にスコップとビニールシートを乗せた彼らは、ハンサムのそばで停まって、乗っていくよう誘って来た。
ジョーク好きな連中で、彼らはハンサムにモデルガンを突きつけると「自分たちはゲイのサディストだ」とか「これまで一三人の男子をファックして埋めた」みたいなジョークを飛ばした。
笑いながら、どうやら逆光になっていたらしいハンサムの顔を改めて確認すると、ハンハンビクンビクンしだし、運転中にもかかわらず
後は座席にベトベトしたビキニが残っただけである。
そして、今、新たにもう一件。
カニくんと話しているハンサムのところへ、エンジン音が追いかけてきた。
改造バイクにまたがったビキニ女性だった。
ビキニライダーは運転しながらウイスキーを飲み干すと、瓶を投げ捨て、さらにフォーみたいなことを叫びながら立ち乗りになって脱いだビキニを振り回すなどした。
酔っているようだった。
ハンサムは両手を振って気づいてもらおうとした。
「人だ! すいませーん!」
酔っ払いは、ロデオのようになってバイクを止めた。乳も揺れた。
日焼けした肌に「泥棒猫」とタトゥーを入れている。
「泥棒猫」は酒焼けした声で笑った。
「ハーイ」
「すみません、こんな姿で怪しいかも知れないけれど困ってて、街の……そうだな……交番まで乗せていってもらえませんか」
「交番って……あんた私の状態見て――」
彼女は酔いの回った目つきでハンサムの顔を覗きこんだ。そして騎乗のまま「ハン――ッ」と腰をくねらせた。ブロンドの髪も踊った。「――サムッ!」
それが最後の言葉。
ハンサムが気づくと、目の前でバイクが倒れていくところだった。
「泥棒猫」は消えていた。
バイクをどけてその下まで探したが、むろん見つからない。
岩場の影に隠れているわけでもなかった。路上にはバイクとビキニだけが残った。
「まただ。いったい何なんだ……」
カニくんが触覚で彼の足を撫でた。
「
カニくんとサメ人間は再び歩きだした。
街へ行けば、警察もある。そこで自分の素性を調べてもらえるだろう。
ハンサムはそう考えることにした。
それより何より、誰か人間と話がしたい。できれば友達のように親密に。
「街へ行けば、そういう人にも出会えるかな?」
峠の途中で、街への案内板を見た。
それはイラスト描かれた大看板で、何のつもりか、ポーズを取るビキニ美女の背後にサメが忍び寄っている、というサメ映画のような構図だった。次のようなセリフが書き込んである。
『ようこそ! サメの街ミートバーグへ!』
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