第一節 変化

EP1:訪れない【平穏】

 僕は目を覚ました。

 広がるのは、見慣れていない白い天井。


 どういう訳か、と体を起こそうとすると、激痛が走った。


「──ッ!?」

「あ、起きたんですね、楠葉さん……」


 すると、ベッド脇に立っていた、ナース服を着ている若い女性が弱々しくそう言った。


 目の前の女性、少し見渡せば認識する病室。よって、僕はここが病院だと認識する。


「……どうして僕はここに?」

「交通事故にあったんですよ。大怪我をおって、意識を失っていました」


 ……最後の記憶は、クリスマスで両親と車の中で話をしていた光景。

 そこでふと疑問に思って、口を開く。


「お父さんとお母さんは、どこに?」

「……大変申しにくいのですが……交通事故で生き残ったのは、楠葉氏優さんだけでした……」


 『生き残ったのは、楠葉氏優』……つまり、僕だけ。

 僕は脳内でそう反芻させて、あまり理解したくない事実を理解した。


 その事実を理解した瞬間、僕の脳内で何かが切れた音がした。


「……そう、ですか……」


 そしてそんな僕……いや、は、悲しさを感じるとともに、この世界を恨んだ。

 涙を流しながら、 歯ぎしりをした。


「……くそっ……!」


<コンコン>


 そんな時、入口のスライドドアの方からノックされた音がした。

 それに気がついた看護師の女性が、俺に一礼して入口に向かう。


 ……こんな時に、一体誰なんだろうか……


 そんなことを考えながら、体を再び倒して天を仰いでいると、足音が近づいてきた。

 <コツ、コツ>と硬い足音は、さっき聞いたナースの足音とは異なる。恐らく客のだろう。


 客を視認しようと、俺は顔を上げる。


 視界に入るのは、茶のセミロングを靡かせる少し小柄で可愛らしい雰囲気の女性。

 コートの中に制服が見えるということは、恐らく高校生だろうか?


 すぐ近くまでその女性が来て、少し見えずらかった顔がよく見えるようになる。


 隅までシミの見当たらない乳白色の肌。寒いのか、ほんのりと赤い柔らかそうな頬。

 そして、茶色の瞳が入っているクリっとしたアーモンドアイに小さい鼻、ぷるんとした薄い唇やなだらかな眉は配置が絶妙だ。


 まあ、一言でいうのなら[美少女]。

 その雰囲気はどこか、感じたことがあるような気がする。


 そんな人が、こんな時に俺になんの用だろうか。何もかもを失った、俺みたいな奴に。

 この女性の雰囲気は感じたことはあるけど、見覚えは全くない。


「あなたが、楠葉氏優……だよね?」


 例えるなら小型犬の鳴き声か?そんな可愛らしい声で、俺の名前を呼んできた。


 なぜ名前を知っているのか、なぜ本人なのかを確認してきたのか分からない。

 だけど、確かに俺が楠葉氏優だ。


 涙の含んだ弱々しい声を聞かれたくがないために、俺は黙って頷いた。


変わったな〜……とりあえず、用件?報告?を単刀直入に言わせてもらいます。

 ……こほん、どこにも行くあてのないあなたを、私が引き取りますっ」

「……は?」


 そう微笑んでくる美少女。

 最初は少し聞き取れなかったが……は?


「……いや、だからね。どこにも行くあてのないあなたを私が引き取りますっ」

「……いや……聞こえてなかったわけじゃ……ないんだが……」


 涙を拭いながら、俺はそう答える。

 両親を亡くして今は一人にしてもらいたい所だけど……そんな場合じゃないらしい。


 は涙を止め、微笑んでから口を開く。


「そもそも、貴方は誰ですか?」


 至極真っ当な質問だと思う。とりあえず、この人が誰なのか知りたいな。

 まあ、初対面でいきなり『引き取る』なんて言っているし、普通の人ではなさそうだけどね。


 そう考えながら僕は訊くと、彼女は微笑んだ表情のまま胸に手を当てた。


藤堂琉依とうどうるい

「──ッ……!?」

「……聞いたことないかな?」


 本来ならば、人間交流など両親以外に全くなかった僕は、「ない」と答えるだろう。

 だが、彼女の名前は昔に聞いたことがあったし……そもそも……


「琉依……なのかい……?」


 その名前は、昔別れた''幼馴染''の名前だ。

 幼稚園になる前の春、彼女の父親の都合で別れたはずの……''幼馴染''。


 すると彼女は、にへらと笑った。


「お久しぶり〜!11年半ぶり……かな?」


 琉依だ。その笑顔は、昔になんども見たことがあった。

 何故琉依がいるんだろう。僕は衝撃で、目を見開いたままフリーズしてしまった。


「……えっと、本題に戻らせてもらうけど……」

「あ、うん……でも、まず聞きたいんだけど、琉依が『僕を引き取る』って、一体どういうこと?」


 一回落ち着いて、僕はそう言った。

 正直、聞きたいことは沢山あるのだけれど、まずここが気になった。


「今から説明するね。えーっと……氏優しゆうくんのお父さんと、私のお父さんは事故までもかなり仲が良かったんだよ」


 なるほど。それで、今回の事故のことを知ったと。

 僕は慌てずに、状況を一生懸命理解する。


「それで氏優くんが生き残って、どうするのかって言われたら引き取れる親戚がいないって言われてね」


 ……まあ、たしかに。


 お父さんとお母さん、そして爺ちゃん婆ちゃんは兄弟姉妹がいない。

 曾祖母の次元になってくると違ってくるし、結論で言うと、僕を引き取れる親戚はもう居ないわけだね。


「それなら、と仲がいい私のお父さんが引き取るって申し出て、成立したわけなのだよ」


 ……それが、なぜ琉依が僕の目の前にいる理由、ね。その報告だと予想できる。

 『なのだよ』って口調は正直よく分からないけど。


「……うん、何となくわかった。ありがとう。

 でも待って、それなら『琉依が引き取る』だと少しおかしくないかな?」


 琉依の家、なら間違ってはいないけど…琉依が受け取るなら少し違ってくる。

 まあ、言葉の綾なのかもしれないけど……一応確認はしておきたかった。


 すると琉依は、何故か不敵な笑みを浮かべた。その笑顔も、美少女の琉依がすると様になっている。


「お、鋭いね〜……」


 ……どうやら、本当に言葉の綾ではなかったらしいね。

 じゃあ一体、どういう事なんだろう。


 琉依は不敵な笑みを浮かべたまま、再び自分の胸に手を当てた。


「氏優くんが退院したら、私とをしてもらうから、実質私が引き取るんだよ」

「………はい?」


 待って、今二人暮しって言った……!?


 意味もわからず僕は寝転んだまま首を傾げると、琉依は「あはは」と笑う。その頬は、先程よりも赤い。


「お父さんの都合で引っ越せないから、本当なら札幌にきて貰うつもりだったんだけどね?」

「う、うん……?」


 頭をフル回転させて、琉依の刻む言葉を必死に理解していく。

 ……よし、なんとか追いついてる。


「それだと氏優くんが、こんなことになった後で転校試験やら環境変化やらで負担がすごすぎるし」

「……いや、引き取ってもらう身だし、それくらい自分でなんとかするけど……」


 赤の他人である僕を引き取ってくれるだけで、かなり幸運な事だと思う。

 僕としては、引き取ってくれるのなら全て琉依側の都合のいいように働いてもらっても良かった。


「それと、私が氏優くんと二人暮ししてみたかったんだよ」

「……待って」


 また追いつかなくなってきた。

 え?琉依が?僕と?『二人暮ししてみたかった』だって?なんで!?


 とりあえず意味は理解出来たけど、理由が全くよく分からない。


「まあ、そういう訳でして」

「いや、どういうわけでして?」

「お父さんが中古住宅になる予定の氏優くんの家を買い取って、そこで私と二人暮しをする事になりました!」


 もうヤケクソになっているのか、琉依はもう僕と視線を合わせていなかった。

 ただただ顔を赤くして、笑っている。


「とりあえず、氏優くん!あなたに拒否権は用意してないから!よろしくね!」


 僕が追いつかないのもお構い無しに、琉依は颯爽と病室を出ていった。

 荒々しく揺れる茶髪の間から見える耳は、かなり赤くなっていた。


 僕はその背中を見届けて、天を仰いだ。

 久しぶりに幼馴染、琉依と会ったと思ったら、その琉依と二人暮し……ね。


「ははっ……もう、どうにでもなれ……!」


 楠葉氏優くずはしゆうのこの人生、[平穏]が訪れることはないのだろうか。

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