第三章 愛は光(Negicco)

 東京側から丸子橋にむかうと、橋をわたるまえに見えるのは、多摩川の向こうにある武蔵小杉の高層マンション群だ。


 とくにいちばん背の高い高層マンションのてっぺんには、天使の輪のような光の青白いラインがイルミネーションされていて印象的だ。なつかしいSF映画の未来都市はこんな感じだったかもしれない。


 ケイは青い車で橋をわたってから、すこし大回りをして、土手の下の道路に車をとめた。


 中森めぐみと伊藤ゆいと藤村れいかもいっしょに来ていた。四人で多摩川の土手にあがり、河川敷を眺めた。丸子橋の街灯からもれてくる光しかないので、暗くてよく見えないけれど、グラウンドがきちんと整地されていて、とくに囲いもなく、十分な広さがあることはわかる。


 めぐみはなにも言わず、先頭に立って、橋のたもとから河川敷へとつながる階段を下りていく。ゆい、れいか、ケイとあとについて階段を下りる。


 河川敷は土手からふたつの段差があり、それぞれが人の通るあぜ道のようになっている。舗装はされていない。段差がなくなると、広いグラウンドになっていて、そのさきに多摩川の水の流れがある。


「ちゃんと段差もあるわね。ここをステージにすればかたちになりそう」藤村れいかが言った。

「足もとが土でもだいじょうぶですか」ケイが訊いた。

「泥や砂じゃなければ、だいじょうぶよ」れいかが言った。「そういえば、真夏の海で、ステージが用意されていなくて、砂浜でそのまま歌ったこともあるわね」と、ゆいを見て笑った。

「あったねー、おぼえてるよ。砂に足がとられてダンスどころじゃなかった」と、ゆいも笑う。

 ゆいはじぶんの足で、こんこんと地面を蹴ってみる。

「うん、このくらい硬ければだいじょうぶ。踊れる」 

「ねえ」れいかがケイを見て言った。「やっぱり踊らなきゃ、だめ?」

「ええ、せっかくですから」

「そうねえ。じゃあ、練習しなきゃ、しょうがないわね」

「そうだね。練習しなきゃいけないね。ねえ、ミーちゃん」

 ゆいがめぐみに呼びかけたとき、めぐみは暗いグラウンドまで降りていって、ひとり頭上の橋を見上げていた。


 ゆいがあわててめぐみのところまで駆けていく。

 れいかとケイもあとについていく。


「ミーちゃん、だいじょうぶ?」

 ゆいがめぐみの横に立ち、声をかけると、

「え、なに?」とめぐみがふりむいた。

 ゆいはあえて明るく。

「いまね、練習どうしようって話してたの。練習したほうがいいよね」

「そうだね。人まえに立つならやらなきゃ」

「練習場所とかどうしよう」

「いちおうね、ゴローさんにはひとこと言っとこうかと思うんだ。音響とかのこともあるし、そんとき相談してみるよ」

 れいかが言う。「そうね、ゴローさんには言っといたほうがいいかもね」

 めぐみが言う。「練習、あしたはムリかもしれない。あさってだったらリハ室おさえてたと思う。ファイブの子たちにはゴメンナサイだけど」

「セットリストはあなたにまかせる」れいかは言う。「ただ、わたしはわたしの時代のものしか踊れないから。いちおう、そのぶんは確認して自主練しとく。どうしてもムリなものは拒否権発動するけど、いいでしょ」と微笑む。

「ええ、四人でやったことあるものに限定しましょ」とめぐみ。

「うわー、なんかすごい、わくわくしてきた」ゆいがニコニコしている。「楽しみ、ちょー楽しみになってきた」

 れいかとめぐみが顔を見合わせる。ゆいののん気さに、れいかは苦笑する。めぐみは、まいったなといった感じで頭をかく。そして真顔になって言う。

「スーちゃんが参加してくれればいいけど」

「そうね」とれいか。

「だいじょうぶ!」ゆいが言う。「スーちゃんが怒って帰っちゃうなんて、いままでも、なんどかあったじゃない。だいじょうぶだよ。ほんとはやさしいんだから」

「そうね」れいかはめぐみを見る。「あした、わたしから電話してみるよ。それから、夜、お店が終わったころに、みんなで謝りにいきましょ」

「うん」めぐみはうなずく。

「ライブの件はどうする? 電話で話したほうがいい? それとも会って話す?」

「レイちゃんにまかせる」

「わかった」


 遠くから、風の鳴る音が聞こえ、金属がきしむような音が近づいてくる。


 ケイがふりかえると、下流のすこし離れた鉄橋を列車がわたっていくのが見えた。


「あれは何線?」れいかが訊いた。

「横須賀線だと思う」ゆいが言った。

「最終かしら?」れいかが時計を見ると、午前0時をすぎたところだった。

「あれ、ミーちゃん?」


 めぐみの姿が見えなくて、あたりを見まわすと、彼女はすでに土手にむかって歩きはじめていた。ゆい、れいか、ケイが、あとにつづく。土手への段差をのぼり、階段を上がって、堤防の上の道に出ると、めぐみが待っていた。


 れいかがめぐみに言う。

「きょうもゆいのところに泊まるの?」

「川口まで帰りたい。ケイさんにはもうしわけないけど」

「いえ、ぜんせん」ケイが言った。

「えー、うちに泊まればいいのに」ゆいが言った。

「この三日、着たきりスズメなのよ。これ以上、ゆいに下着をかりるわけにもいかない」

「うーん、そっかー」

「ちゃんと買ってかえすから」

「いいよ、気にしないで」

「でも、高いでしょ、これ」

「んー、そうでもないよ」

「でも、洗ってわたすのも──」

「ねえ、お嬢さんたち」れいかが言った。「殿方のまえで下着のお話しは遠慮して」

 ゆいとめぐみがケイを見る。

「失礼」とめぐみ。

「ごめん」とゆい。

 ケイは苦笑いして、

「めぐみさん、送りますよ。レイさんも、新宿、通りますから。ゆいさんも乗ってください、家まで送ります」


 西新宿でれいかを降ろしたあと、川口のめぐみのアパートに着いたのは、午前1時半をすぎていた。


 ケイがアパートのまえで、めぐみを降ろそうとすると、すぐ近くにタイムパーキングがあるからそこに車をとめよう、と彼女は言った。


「いいですよ。僕また車のなかで寝ますから」

「うちに泊まって、お布団もあるから」めぐみは言った。「ケイさんにはもうしばらく頑張ってもらわないといけないから、風邪でもひかれると困るの」


 そのアパートは、めぐみの祖母の介護施設から歩いて五分ほどのところにあり、木造モルタルのすいぶん年季の入ったものだった。ただペンキなどはきちんと塗り直されており、古いながらもよく手入れはされている感じがした。


 めぐみの部屋は二階の角の1DKだった。ドアを開けるとダイニング・キッチンで、奥に六畳間があり、こたつが置かれている。ベッドはない。六畳の居間はは壁の二面に窓があり、窓のない壁に押し入れがあり、その横にずいぶん古いタンスがひとつ置かれている。


「そのタンス、おばあちゃんの時代から使ってるの」

 めぐみは荷物をおいて、モッズコートをハンガーにかけて、押し入れの上の桟に引っ掛けた。そして、ケイにもハンガーをわたし、

「上着をかけて、そのへんに引っ掛けといて。お風呂はシャワーだけでいい? ユニットバスだけど」

 そう言って、キッチンのガス湯沸かし器の種火をつけて、居間にもどり引き戸をしめた。


 ダイニングにとり残されたケイは、バスルームの手前にある洗濯機のうえに着がえのはいった鞄をおいた。


「洗い物は洗濯機のなかに入れといて。遠慮しないでいいから」居間からめぐみの声がした。


 たしかにもう、いちいち遠慮するのもめんどくさいし、彼女もそういうことを好まない人だというのがよくわかってきたので、ケイは、わかりました、とこたえた。


 ケイはシャワーを浴びて着がえ、居間にいるめぐみに声をかけた。


「どうぞ、入って」


 めぐみの声が聞こえ、ケイが引き戸をあけて居間に入ると、布団がひとつ敷かれていた。


「眠かったら、もう寝ちゃっていいから。こたつでは寝ないでね。風邪ひくといけないから」

「めぐみさんはどこで寝るんですか?」

「お風呂あがったら、ダイニングに布団敷きます。わたしはそっちで」

「なら、僕がダイニングで寝ます」

「いいのよ、お客さんなんだから、きょうは疲れたでしょ。さきに寝てて」


 そう言って、めぐみはダイニングに行き、引き戸をしめた。


「僕がダイニングで寝ますから」

「遠慮しないで」


 めぐみがバスルームに入って、シャワーを浴びる音がした。


 居間にひとり残ったケイは、古いタンスに目をやった。はじめてこの部屋に入った時から、そのタンスの上に置かれているものが気になっていた。


 白い絹の布に包まれた箱。サッカーボールがひとつ入るかどうかというくらいの、ほぼ正方形の四角い箱だ。


 近づいてみると、その箱のまわりに置かれているのは、数枚の音楽CDとギターのピックだけ。重ねられたCDのいちばん上には松田聖子のベストアルバムがのっていた。部屋のなかを見まわすと、窓の横に本棚があり、そこに立てかけるようにギターケースが置いてある。めぐみがギターを弾くなんて話しは聞いたことがなかった。ただ、姉の中森あいはギターで自ら曲をつくり披露したこともあったという。


 ケイはもういちど白い布に包まれた箱に目をやる。それがケイの想像どおりのものだとすると、あまりにも素っ気なくそこに置かれている。写真もキャンドルもない。いやでも、彼女の好きだったであろう音楽CDがそえられているのは、じゅうぶんな愛情かもしれない。


 いまだに失ってしまった人の写真を見るのがつらいのだろうか。


 ケイが突っ立ったまま白い布に包まれた箱をぼんやりと見ていると、引き戸があいて、バスタオルで髪を拭きながらめぐみが入ってきた。


 ケイは慌てるが身のやり場もなく、めぐみと目が合う。彼女はケイが箱を見ていたことに気づく。


「やっぱり気になる? その箱」めぐみが言った。

「ええ、いや、いいえ……」ケイはこたえに困る。

「うち、お墓がないから、ずっと、どうしようかと思ってて。ただ、おばあちゃんも、あんな感じだから」あっさりとめぐみは言った。「おばあちゃんはね、子どものときに、たったひとりで樺太から引き揚げてきたんだって。そのあと親戚のお宅にはお世話になったみたいだけど、そんな感じだから、こっちにちゃんとした家がないのよ」

「樺太って、中国ですか?」

「ちがう、北海道のもっと上、いまはロシアになってる、サハリンてところ。細長いお魚みたいな大っきな島があるでしょ。あそこも戦争前は日本だったんだって。日本人がたくさんいたんだけど、戦争に負けたときに、ソ連軍がいっぱい攻めてきて、みんな、からだひとつで本土まで逃げてきたって。だから、すごく苦労した人。すごく苦労して、勉強して、働いて、それで、わたしたちを育ててくれた。なんにも恩返しができてないけど」


 中森姉妹は祖母に育てられた。めぐみからそう聞いた。彼女の口からはいっさい両親の話がでてこない。彼女の暮らしぶりや話しから受ける感じでは、おそらく父親とも、母親とも縁が切れていて、連絡もとりあっていないのだろう。連絡がとれる状況にあるのかどうかもわからない。


「おばあちゃんが亡くなったら、どうしたらいいんだろう。やっぱりお墓って必要なのかなあ、もう、ぜんぜんわかんないや」


 めぐみは独り言のようにつぶやきながら、雑巾をもってきて、ダイニングのリノリュームの床をから拭きしはじめた。


「あ、僕やりますよ」


 ケイがあわてて手伝おうとしたが、だいじょうぶ、もう終わったから、とめぐみは雑巾を水洗いして、キッチンのすみに置く。小さなダイニングテーブルをはしによせ、押し入れから布団をだして、ダイニングの床に敷いた。


「僕がダイニングで寝ます。そうさせてください。お願いします」

 ケイが強く言うと、めぐみはちょっと考えて、

「そうね。すいません。そうしましょう」と言った。


 あした起きたら、まずは洗濯をして、おばあちゃんの施設に顔をだして、それから、秋葉原にむかいましょう、と約束をした。


 秋葉原で「運営のゴローさん」に相談するのは、めぐみに任せて、ケイは『ストとれ』の古参ヲタである大滝さんに会いにいくつもりだと話した。大滝さんのことはめぐみも知っていた。よろしくお願いします、と彼女は言った。


 ケイがダイニングの布団に入ると、めぐみは、おやすみなさい、と言って引き戸をしめた。


 きょうはとても長い一日だった。よく考えてみると、計画はうまくいっているのに、まだ、なにも終わった感じがしない。でも、思わぬ展開で、もういちど『ストとれ4』のライブが観れるかもしれない。それは単純にうれしい。なんとか成功させたいと思う。成功させれば、きっとみんな、うまくいく。


 ケイはふと思う。めぐみがあっさりとケイがダイニングで寝ることを受け入れたのは、彼が白い布で包まれた箱を気にしていたからかもしれない。


 ああ、そうか、でも、違うんだよ、とケイは言いたかった。僕は彼女の「骨」が気になったわけじゃない。めぐみが大切にしているものを怖がったりなんかしない。ただ、僕は『ストロベリーとれいん』の歌姫を、僕の目のまえでダイニングになんか寝かしちゃいけない、そう思ったんだ。そんなの全僕が許さない。ジェイだって許してくれないよ。ほんとにそれだけのことなんだ。


 なあ、ジェイ、これでいいんだよな。ここまではなんとか、おれにできることはやったよ。あと、もうすこしだけ、がんばるよ、だから、おれたちにあらん限りの力を送ってくれ。


       ☆


 朝食は、コーンフレークと牛乳とバナナとリンゴとヨーグルトだった。


 少なくない? とめぐみは訊いた。

 だいじょうぶ、朝は僕もそんなに食べないし、とケイはこたえた。


 おばあちゃんのいるソフィア園にいって、小泉園長にあいさつし、おばあちゃんに会った。


 三日まえとあまりようすは変わらなかった。良くなってもいないし、悪くなってもいない。微熱はつづいていて、ごくたまにアイスクリームを口にしたという。でもいまは、めぐみがベッドサイドで声をかけても、反応はしなかった。すこし荒い寝息をたてていた。


 あの国境なき哲学する熊はいなかった。都内での資金集めの会合やら、仲間との打ち合わせやら、たまの休みで帰ってきても、いつも忙しそうなのだと小泉園長は言っていた。


「あの子も、めぐみちゃんのこといつも気にしてるのよ。こんど時間をとっていっしょに食事でもしましょう」


 めぐみとケイは小泉園長にあいさつをして、青い車に乗り、秋葉原にむかった。


 秋葉原の『Myステージ劇場』のまえでめぐみを降ろし、ケイはひとり都内を離れて、東京西部の福生に車をすすめる。そこに『ストとれ』古参ヲタの大滝さんの勤める建設会社があった。


 広い駐車場には何台ものトラックや重機がならび、その奥にプレハブ二階建ての事務所がある。ケイは今朝、電話で教えられたように、プレハブの外階段をあがって、「株式会社 大滝建設」と書かれた看板のドアをひらいた。


 なかでは事務服を着た女性と作業服を着た男性数人が掃除をしていた。女性がケイに気づいて、こんにちわ、と近づいてきた。ケイが、大滝さんはいらっしゃいますか? とたずねると、社長でしょうか? 常務でしょうか? と聞き返された。


 ケイが、たぶん社長じゃないよなあ、と考えていると、事務所の奥から大男が近づいてきて、よう、と声をかけた。『ストとれ』古参ヲタの大滝さんだった。


 25日、クリスマスの劇場公演いらいの再会だ。たった三日前なのに、ケイにはずいぶん昔のことのように感じる。


「悪いな、ほこりっぽくて。きょう御用納めだろ。大掃除の日なんだよ」

 そう言いながら、大滝さんはケイを事務所の応接コーナーに案内した。


「お忙しいところすいません」ケイはソファーに座った。


「いいんだ。年内の日常業務はかたづいた。掃除してるだけだ」


 大滝さんは50歳には見えない。姿勢がよく堂々としているので、それよりはずいぶん若く見える。背が高くがっちりとした体格で、一見、強面だが、けっして声を荒げることはない。ぶっきらぼうな感じはあるけれど、低い声でおだやかに話す。


 『ストとれ』の現場でも、その体格からよく目立ち、ファン同士のトラブルがあっても、彼があいだに立つと収まったりする。派閥をつくったり、自らリーダーシップをとることはなく、まったく出しゃばらない。でも、相談事をもちかけると、かならず応えてくれる。知識をひけらかすことはないが、アイドルについても過去から現在、メジャーからマイナーまでよく知っている。最近はメジャーよりも、インディーズの現場によく足を運んでいるようだ。いつだったか、ケイやジェイといっしょにお酒を飲んだことがあって、そのとき大滝さんは、おれ、つんく♂とおんなじ歳なんだよな、とつぶやいた。それでなんとなく彼の年齢とヲタ遍歴を感じることができた。


 作業服を着た若い男性が、応接コーナーにコーヒーを持ってきてくれた。「ほこりっぽくてもうしわけないね」と言いながら、ケイのまえにコーヒーを置く。トシさんだった。


「ケイくん、まだ東京にいたんだね。どっか行くって言ってなかった?」

「ちょっと、事情があって」ケイは言った。

「おい、トシ、おまえも話し聞いとけ」と大滝さんがトシさんをよこに座らせた。「電話の話し、もう一度、くわしく聞かせてくれ」


 ケイは説明する。『ストロベリーとれいん』を卒業した四人、田中あすか、藤村れいか、伊藤ゆい、中森めぐみがライブを計画している。急に決まったことなので、野外で、無許可でやることになる。日時は12月30日の夜、場所は丸子橋の河川敷。


「30日の丸子橋!」トシさんが驚いた。「それ、マジ!? 四人とも出てくるの?」

「いまは正直、あすかさんだけ、どうなるかわからないです。でも、あとの三人はやる気です。舞台さえちゃんと整えることができれば彼女たちはパフォーマンスします」

「マジかー、スゲー、これ、ほんとうに実現すれば、ちょっとした事件になりますよ」


 トシさんは大滝さんを見た。

 大滝さんは腕ぐみをして考えている。そして訊いた。


「それ、主催者はだれなんだ?」

「主催者?」ケイは言った。

「運営のゴローは絡んでるのか?」

「えっと、めぐみさんが話しをするって言ってましたけど、主催ってわけではないと思います」

「だけど、言いだしっぺはいるんだろう。だれなんだ?」


 ケイは昨夜のことを考える。ライブを言いだしたのはじぶんかもしれない。でも、それでは大滝さんたちは納得しないだろう。最終的に決めたのはめぐみだ。彼女を主催というわけにはいかないが、言いだしっぺは彼女にしてもいいだろうか。


 大滝さんは言う。

「そもそも、なんで今ごろになって、30日の丸子橋なんだ。三周忌でもない、四年目だ。急に決まったって言ったな。なんで急にそんなことになる?」

「えっと、いろいろタイミングがあって」

「そりゃそうだろう。そのタイミングで、なにがあったかが知りたいんだ。その話しを、なんであんたが持ってくるのかも、いまいちわからない」


 そりゃそうだろう。じぶんだって冷静に考えれば、なんでこんなことになっているのかわからない、とケイは思う。いや、わかっているんだけど、それを伝えるためには、この三日間でなにがあったのか、つぶさに話さなければならない。だけど、そんなことできるわけがない。しかし、大滝さんはぜったいに味方につけなければいけない。綱渡りにはなるけれども、彼には話せることは話そう。


「このタイミングになったのは、たぶん、ふたつ、理由があります。ひとつはずっと中森あいさんの追悼のために、なにかやりたいとそれぞれのメンバーは思っていたのに、でも、そこには触れたくないとも思っていて、これまでみんなでその話しすらできなくて、そもそもメンバーがバラバラになってしまって、集まることもなかった。そして、もうひとつは──」


 ここからは博打だな。でも、ここが重要なんだ。カッコつけたってしょうがない。ヤバいところは避けて、目的地まで話してみよう。


「お金のことです」


 ケイがそう言うと、大滝さんとトシさんが顔を見合わせる。


「言えることと、言えないことがあって、ちょっと難しいんですけど、話してみます。正直、いま、お金に苦労していないのは、れいかさんぐらいです。あすかさんのお店は順調ですけど、銀行や身内にローンをかかえています。めぐみさんはお姉さんを亡くす以前からご家族が病気で、いまでも苦労されています。ゆいさんは……、ここだけの話しにしてくださいね──」


 ケイが身をのりだして声をひそめると、大滝さんとトシさんも身をのりだして耳をかたむける。


「大滝さんだから、話すんですけど、ゆいさんは身内の方が借金をこしらえて、それが三百万くらいあったらしくて、どうやらそれを、ゆいさんが肩代わりしないといけない状況で、それで、彼女がほかの三人にSOSを出したんです」


 なるほど、となっとく顔のトシさん。

 大滝さんが言う。「あの弟か?」

「ちがいます」ケイはちょっとあわてる。「お母さんのようです」


 ふむ、と大滝さんは腕ぐみをする。

「まあな、わかる。おれたちだって金には苦労してる」


 ケイは、ひとつ息をつく、なんとか綱渡りは成功したようだ。


「で、あんたはなんでそんなこと知ってるんだ」大滝さんがケイを見る。

「あ、その、ゆいさんが、みんなに相談したのが三日まえで、ちょうどそのとき、劇場のまえで、めぐみさんに会って、なんか、運転手みたいなこと頼まれたんです。終電のあとも、れいかさんのとことか、あすかさんのとことか、ゆいさんも一緒に、いろいろまわらなくちゃいけなくて、いま、めぐみさん、川口に住んでて、おばあちゃんの施設もそこにあって、そんないろんなとこ、タクシーでまわると大変じゃないですか。時間もなかったんで、僕が車を持ってたんで、運転手をかってでたんです」


 ふむ、とまた大滝さんが腕ぐみをする。なにか厳しいことを言われるだろうか。もし、めぐみが現役のアイドルなら、いわゆるファンとのつながりに見えなくもない。そして、中森めぐみは大滝さんの推しだった。


 大滝さんは言った。

「さすが、めぐみん、合理的だな」


 ケイはほっとする。


 ちなみに、「めぐみん」という愛称は、めぐみが『ストとれ』に加入した当初つかわれていたもので、姉が亡くなって以降、彼女はずっとコールでは「めぐみ」、ふだんはヲタからも「めぐみさん」と「さん」づけで呼ばれていた。


 ヲタのなかでも、めぐみの十五歳での加入から二十一歳での卒業までを並走した、大滝さんのような古参ヲタだけが、彼女のことを「めぐみん」と呼ぶ。


「話しはわかった。だからカンパで金を集めるってことなんだな」

「そうです」

「うむ、趣旨には賛同する。協力をしてもいい。ただ、お金が動くとなると、いろいろ気をつけないといけなくなる。あんたを疑うわけじゃないが、ほんとうにこのイベントが動いて、集まったお金は彼女たちのところにいくのか。企画書をだせとはいわないが、ネットでも、なんでも、ちゃんとした彼女たちの意志を確認したい」

「そうですよね。それもふくめて、大滝さんに相談できればと思っていたんです」


 ケイはポケットからじぶんのスマホをとりだして、撮影映像を再生できる状態にした。


「ほんとは、めぐみさんもいっしょに来たいって言ってたんですけど」


 とスマホを大滝さんに手わたす。トシさんもスマホの画面をのぞきこむ。

 スマホにはめぐみが映っている。再生ボタンにタッチする。

 めぐみの映像が話しはじめる。


「大滝さん。お久しぶりです。中森めぐみです。このたびは急なお願いで驚いたと思いますけれど、なんとか、ご協力をよろしくお願いいたします。お姉ちゃんが亡くなって、四年が経ちました。ほんとうは、もっと早くみなさんといっしょに、なにかできるとよかったのかもしれませんけれど、でも、やっぱり、時間も必要だったんだと思います。わたしたちも、みなさんもいろいろ状況が変わって、いま、ようやく、みんなでいっしょに、もうちど、彼女のことを思いだして、歌ったり、踊ったりしても大丈夫かなって、そんな気持ちになっています。やるのなら、いましかないような気がしています。ですから、とても急なお願いになってしまいました。でも、やるからには、みなさんに喜んでもらえるものにしたいと思っています。いまの、わたしたちにはなんの力もありません。できるのは、ただ、歌って、踊ることだけです。まったく、ぶしつけなお願いで、もうしわけないのですけれど、なにとぞ、みなさんが愛してくれた、中森あいの追悼のためのステージづくりに協力してください。よろしく、お願いいたします」


 画面のなかで、めぐみが丁寧に頭を下げた。


 トシさんが目をうるませて、よこの大滝さんを見た。大滝さんのほほを大粒の涙がとめどもなく流れていた。トシさんはそれを見てちょっと驚いた。ケイも大滝さんが泣いているところなんてはじめて見た。でも、その気持ちはよくわかる。じぶんも、ゆいに再会したとき、しらずしらずのうちに涙があふれた。もう、二度と会えないと思っていた人の声と姿だ。画面のむこうとはいえ、ちょくせつじぶんの名を呼んで語りかけてくれた。彼女の思いに応えないわけにはいかない。


 大滝さんは作業服の袖で、ぐいっと涙を拭いて、ケイを見た。


「もういちど、めぐみんの歌を、聴けるんだな」


「はい」ケイはしっかりとこたえた。


 大滝さんはうなずいた。


「全面的に協力する。全力で支える。なんでも言ってくれ、うちでできることはなんでもする。できないことは、できるやつを見つけてやる。おれたちでステージをつくって、守る」


 具体的な内容をつめていくと、やはり時間がかかった。


 音響やITのシステムについては、サイレントの方向で、めぐみさんが運営のゴローさんに相談している。ほかに現場で必要なのは、照明と観客整理のスタッフだ。それは大滝さんの関係で手配してもらうことにした。工事用の夜間照明で、ゼネレーターのうるさくないもの、あるいはバッテリーも用意する。


 観客や野次馬の整理には、イベントスタッフの知り合いがいるのでノウハウを教えてもらう。誘導用の赤色灯くらいは会社にもあるし、かきあつめればモノも人もなんとでもなる。設備や人へのお金のことは考えなくてもいい。ことがことだけに、へたにバイトをやとったりせずに、気持ちで動いてくれるスタッフを集めたい。


 おそらく当日は、苦情やら、人の集まりに不信感を持って、警察が現れるだろう。そういうときに、なんとかふんばって、一時間でも、二時間でも、うまく現場を守れる体制にしないといけない。事情を話せば、『ストとれ』のためにならと、身を捧げて働いてくれる人間を何人も知っている。おれも矢面に立つ覚悟でいるが、そういう人間で守りを固めたい。


 警察は、主催者はだれだ、責任者を出せ、と言うだろう。そういうときは、主催者などいないのだ、自然発生的にはじまったのだと言えばいい。なぜなら、その日、その場所は、われわれの愛した人が喪われた日であり、場所であるからだ。まるでアイドルイベントのように見えるかもしれないが、これは喪われた歌姫への追悼の集会なのだ。


 サイレントライブで声援のコールなしなら、騒音という話しにはならないだろう、あとは大人数をトラブルなく出し入れすることだ。それにはステージのまわりに人の流れる動線をうまくつくる。橋の上から見ようをする観客には、歩道で立ちどまらず、下に降りるよう誘導する。騒音と交通に支障がなければ、しばらくは警察もがまんしてくれるだろう。


 あと、問題は、告知のタイミングとカンパの理由だ。


 あまり早く告知しすぎると、どこから横やりが入るかわからない。ただ、準備をするスタッフにはいますぐにでも連絡したほうがいい。


 SNSでもツイッターでも、とにかくネット上で公式に発表するのは明日でいい。いちどオープンにしてしまえば、この件なら届くべき人には届く。下手をするとネットニュースで取り上げられる。興味本位の野次馬が大量に集まれば、めんどくさいことになる。


 だから、もしかしたら、ぎりぎりまでオープンにはぜずに、場所については最後まで公式に発表する必要はないのかもしれない。「12月三30日の夜、中森あいの追悼ライブを現地で行う」とだけ告知する。そうすれば、ストとれヲタなら、まず丸子橋しかないとわかる。集客が不安なら、追悼ライブの告知だけ前日にして、場所は当日、タイミングを見てツイッターやラインで拡散する。それでじゅうぶん人は集まる。


 むしろ心配なのは、準備のあいだにどれだけ情報が漏れるかだけれど、これは心配してもしかたがない。むしろ、しかるべき人には、正確な情報を伝えておいたほうがいい。そうすれば、当日のファンたちへの情報提供や協力要請もうまくいくかもしれない。カンパの金額も、このあたりのルートからうまく口コミで誘導できればスマートだ。


 あとはカンパの理由だ。これを公式発表に入れておく必要があるだろう。


「おれは、ケイくんの話しをきいて、よくわかった」大滝さんは言った。「だが、多くのストとれファンに発表するにはちょっと生活感がありすぎる。それが悪いとは言わない。それが現実だ。大切なことだ。でも、わかるだろう、ケイくん。われわれが見たいのは夢だ。現実はうまくなんかいかない。夢なんてかなわない。でも、だから、われわれは彼女たちを応援する。このクソな現実のなかで、もしかしたら彼女たちが夢をかなえるかもしれないから。夢をかなえる瞬間に、いっしょに立ち会えるかもしれないから。なあ、そうだろう」


「はい、わかります」ケイは言った。


「正直、嘘でもかまわない、われわれに夢を感じさせてほしい。ステージってのはそういう場所だ。たとえ、土のステージだとしても、工事用のライトだとしても、光を浴びてそこに立つのなら、それは忘れないでほしい」


「はい、彼女たちに伝えます」


 うむ、と大滝さんはうなずいた。


「ねえ、どのくらい集まると思う」トシさんがケイに訊いた。

「三千人くらい集まればと思うんですけど」

「えー、そうかなあ。これって、ことによるとアイドル史に刻まれる事件になるよ。そんな人数じゃ収まらないかもね」


「あんまり集まりすぎても困るんだよ」大滝さんが言った。「ストとれの単独ライブなら、中野サンプラザの二千が最高だ。こんかいは事実上のフリーだし、特別な追悼集会だから、ちゃんと告知がとどけば、このタイミングでも三千はある。問題は、祭りがしたいだけの便乗がどれだけ沸いてくるかだ。まあ、広さはじゅうぶんあるから、無駄な騒ぎが起きないように、できるだけ警戒しよう」


 大滝さんはこれからすぐ主要な人物に連絡をして手配をはじめるという。もし、ほんとうの話か疑うものには、めぐみが大滝さんにあてた動画をみせてもいいかと問われた。拡散はしないように注意深くやるが、信用を得るためにはどうしても必要なケースが出てくる。


 ケイは、いちおう、めぐみに電話をして確認をとった。めぐみは了承し、大滝さんにお礼を言いたいといったが、大滝さんが電話で話すことを遠慮した。


 いまは話さなくていい、当日、顔が見られればそれでいい、と固辞した。


 ケイはめぐみにそのことを伝え、彼女からお礼の伝言をあずかって、電話を切った。めぐみが当日、現場で大滝さんに会えることをとても楽しみにしていると伝えると、大滝さんはすこし目をうるませた。トシさんがちょっと笑った。


「とにかく、これは自然発生の自主的な追悼集会だ。おれたちファンが発案して、ストとれの卒業メンバーがそれにこたえてくれた。そういうかたちでいく、いいな」

「はい」

「主催者も責任者もいないことにしておく。ただ、現場でなにかあったら、おれが矢面に立つ。ステージの設営と維持には責任をもつ。あと、カンパについては、あんたに任せる。おれは、そっちのお金についてはいっさい触らない。そうさせてくれ」

「わかりました。よろしくお願いします」

「よろしく。がんばろう」


 大滝さんが大きな手をさしだした。ケイはその手を握った。大滝さんの手はとても力強かった。


 ケイは福生をでるまえに、駐車場の青い車からめぐみに電話をした。


 運営のゴローさんも趣旨を理解し協力を得られることになった。もちろん現在の『ストロベリーとれいん5』やゴローさんたちが前面にでることはない。これはあくまでファンと一般人になった卒業メンバーとの自然発生的な追悼集会なのだ。


 大滝さんと話したことを簡潔にめぐみに伝え、夕方にはまた西新宿の藤村れいかのマンションで集合することになった。ケイは秋葉原までむかえにいきましょうかと言ったが、めぐみは事務所でかたづけたい仕事もあるから気にしないでいい、レイちゃんとは連絡がとれてるからそれぞれにむかおうと言った。


 ケイは高速道路をつかわずに、ゆっくりと車を走らせた。それでも西新宿についたのは18時前だった。ケイはちょっと迷ってから、藤村れいかの携帯に電話をしてみた。もし、まだだれもきていなくて、彼女とふたりきりになるのはなんとなく気まずい。電話に出たれいかは、もう、ゆいがきていて、めぐみからも電車にのる旨の連絡があったと話した。


 ケイが藤村れいかの部屋に上がると、すぐあとにめぐみも現れた。れいかはまた夕ご飯をつくってくれていて、出てきたのは、筑前煮にブリの塩焼きにほうれん草のおひたしだった。ほかほかの白いごはんと一緒に食べるとほんとうに幸せだった。


 ああ、うち、レイちゃんをお嫁さんにしたい、とゆいは言った。


 れいかは笑っていた。


 食事をしながら、めぐみとケイが昼間に話しあってきたことをそれぞれに報告した。ほぼ考えていたように動きはじめている。これから決めなくてはいけないのは、情報をオープンにするタイミングと内容だ。大滝さんが言っていたように、情報をオープンにするのはあまり急がないほうがいいかもしれない。大滝さんがメインのところに手配をしてくれているから、その反応や広がりを見ながら、彼と相談してオープン情報を拡散するタイミングを決めたほうがいい。その件については、ケイに任せることになった。


 そして発表の内容だ。タイトルは『12・30 中森あい 追悼の集い』でどうだろう。まず、中森めぐみの簡潔な挨拶文を入れる。同時にカンパもお願いする。そして、なんのためのカンパなのか趣旨も書きこむ。ケイは大滝さんの言っていた「応援したくなるような夢を感じさせてほしい」という話しをつたえた。


「たしかにそうね。オープンでフリーなイベントに見えるのに、カンパとはいっても、どうしてお金をあつめるのか、その理由がわからないと後味悪いものね」れいかは言った。


「大滝さんにはなんて説明したの?」めぐみが訊いた。


 ケイは、一瞬、ゆいを見た。目が合ってゆいが笑顔を見せる。ケイはあわてて視線をはずした。


「しかたがなかったんで、ゆいさんのお母さんの借金のこととか、めぐみさんのご家族が病気だとか、あすかさんは銀行からの借り入れでなかなか苦労してるとか、そんな感じで……、ああ、でも、おかげで、大滝さんはすごく理解してくれましたけど」


「まあ、嘘ではないわね」れいかが言った。「それで、夢を見せてくれって話しになったのね」


「はい。嘘でもいいから夢を見せてほしい、それがステージに立つものの使命だって」


「なるほど」れいかは遠いところを見て、しみじみと言った。「そういうことなのよね」


「嘘でもいいっていわれても、それなりのリアリティは必要でしょ」めぐみが言った。


「そうですね」


「わたし、どうしたらいいんだろう」ゆいが言った。


「あなた、いまの夢は?」れいかは、ゆいに訊いた。


 ゆいはしばらく考えて、ぽつりとつぶやいた。

「ずっと、歌うことが夢だったからな……」


 だれもなにも言えなかった。


 めぐみが、「もうすぐ、また歌えるよ」と言った。


「うん、楽しみ」ゆいが笑顔を見せた。


「ねえ、訊いてもいい?」れいかが言う。「そもそも、ゆいのお母さんはどうして借金をつくっちゃったの?」


「半年前まで高崎のほうでレストランをやってたの。それが、いっしょにやってた男の人がお金を持っていなくなっちゃって、ローンもあったから、お店をつづけられなくて、借金だけが残っちゃったの」


「お母さんはいまどうしてるの?」


「お弁当屋さんで働いてる。レストラン、お母さんの夢だったし、お客さんもきてくれてたのに……。わたし、お金が貯まったら、お母さんとお店やってもいいかなって、考えてたんだけど……」


「それで、いいんじゃない」れいかが言った。「お母さんといっしょにレストランをつくりますって書けば。だって、それほんとうの気持ちでしょ。実際どうなるかはともかく、それ、がんばってほしいなって思える夢よ」


「そうかな」


「ええ、ほかに思いつくなら、そうすればいいけど、レストランでじゅうぶんだと思う。ね」

 れいかはケイを見る。


「はい。いいと思います」


「わたしもなにか考えるわ。告知のテキストは急がなくてもいいんでしょ。あしたのお昼ぐらい?」


「そうですね。昼にあれば。あしたのお昼にいちど大滝さんと連絡をとりあいます。そのまえに出すことはありません」


「わかりました。ミーちゃんもそれでいい?」


 うなずくめぐみ。

 ちょっと考えて、れいかが言う。


「やっぱり、みんなあったほうがいいわよねえ」


「ええ」ケイは言う。「あすかさんのことですよね」


「そう、すなおに話しをきいてくれればいいけれど」


「お電話はされたんですよね」


 うなずくれいか。

「こん夜、あやまりにいきたいんだけど、って言ったら。必要ない、ってガチャ切りされちゃった」


「ほんとですか?」


「かなり怒ってる。あとくされのない、さっぱりした性格があの子のいいところなんだけど。頭に血がのぼるとね、話しをきいてくれないのよね。いつもなら頭が冷えるのを待つんだけど、そうも言ってられないし、そもそも悪いのはわたしたちだしね」


「追悼ライブのことは?」ケイが訊いた。


 れいかは首をふった。

「まだ、話せてない」


「そうですか」ケイは不安を感じる。


「だいじょうぶだよ」ゆいが言う。「スーちゃんは、ちゃんと話せばやってくれるよ」


 れいかは微笑む。「こんなときだからね。四人そろわないとカッコつかないかなあって、わたしも思う」


 青山のアパレルショップ『ASUASU』の閉店時間は21時だった。そのあと一時間くらいは締めの作業をしているだろう。れいか、ゆい、めぐみはケイの車に乗って青山にむかい。あすかの店のまえに着いたのは21時をちょっとすぎた頃だった。


 店の看板は消えていた。近づくと、なかで店員さんたちが閉店作業をしているのが見えた。


 しばらくようすを見ていると、店員の女性が二人、おつかれさま、と言って店から出てきた。めぐみが彼女たちに声をかけ、あすかさんはまだお店にいますか、と訊いた。店員のひとりは、先日の夜にもめぐみに会っていたので、ニコやかに、ええ、お店にいらっしゃいますよ、とこたえた。


 めぐみは、ちょっと離れてようすを見ていたケイ、ゆい、れいかに手招きをして、四人で店の入り口に立った。


 入り口のドアは施錠されていてひらかなかった。なかをのぞくと、レジカウンターで話しをしている店員さんとあすかが見えた。店員の女性はこのまえアベちゃんと呼ばれていた人だ。


 どうしよう、と、めぐみとれいかが顔を見合わせる。するといきなり、ゆいが、ドンドンとガラスドアをたたき、「スーちゃーん」と呼びかけた。


 なかのふたりにその声がとどき、あすかはしかめっ面をして腕ぐみをしたが、アベちゃんは笑顔で近づいてきて、ドアの鍵をあけてくれた。


「なにしにきた」あすかが言った。

「どうしても、あやまりたくて」れいかが言った。

「必要ないって言ったろ」あすかの表情は硬い。

「でも、悪かったのはわたしたちだから、ほんとうにごめんなさい」れいかが頭を下げた。

「スーちゃん、ごめんなさい」ゆいも頭を下げる。

「ごめんなさい」めぐみも頭を下げる。


 あすかは大きく息をすって吐く。なにも言わない。


 れいかが言う。

「あなたに許してもらえるなら、いえ、わたしたちのことが許せないとしても、どうしても、まだ、わたしたちにはあなたの助けが必要なの。だから、ちょっとだけがまんして、わたしたちの話しを聞いてほしいの」


 あすかは、れいかの話しの途中からスマートフォンをとりだし、なにかを確認している。


 れいかが怪訝な顔をする。


 あすかがメールの画面を見たまま読みあげる。

「12月30日に、ストとれ卒業メンバーのライブがあるって聞いたけど、アスカ、出るの?」


 れいかの表情が曇る。ゆいとめぐみは絶句する。


 ケイは、まずい、と思う。予想以上に情報の伝播が早い。でも大滝さんからはコアなファン方向だから、あすかまでとどくだろうか。運営のゴローさんから技術スタッフのルートなら、あすかに直で確認する近さがあるかもしれない。


 いずれにしろ、あすかに伝わる順番が完全にまちがっている。本人が知らないことを、まわりが知っているのは、おなじ失敗じゃないか。うかつだった。これじゃ、おさまるものもおさまらない。


「それ、だれから?」れいかが訊いた。

「取引先。ネット関係の人。ちょくせつ『ストとれ』の仕事はしてないけど、仲間がやってるんじゃない」

 あすかは意識して冷静に話している。むしろそのほうが怖い。


「ごめんなさい。ほんとうは、あなたにいちばんに話さなきゃいけなかったんだけど──」と、れいか。


 フッとあすかが笑う。「わたしが電話切っちゃったからね」


「メールで一方的に用件を伝えるような内容じゃないから、ぜったいに会って、話したかったの」


「じゃ、これ、ほんとうなんだ」

 あすかの表情が変わる。きびしい目でめぐみを見る。

「これ、だれが決めたの?」


「僕です」ケイが言った。「僕が考えて、みんなにお願いしたんです。ひろし社長の疑いを晴らすために、ムリをしてでも派手にやったほうがいいって。お金の量はともかく、人がたくさん集まって、カンパさえしてくれれば、お金の出所が疑われることはない。お金が集まったって、かたちさえつくれれば、みんな丸くおさまります」


「わたしは、だれが決めたのかって、きいたの」あすかが言う。


「決めたのはわたし」めぐみが言う。「もうほかに方法がない」


「金集めに、死んだ人間まで引っぱり出すのか」


「あすか!」れいかが嗜める。


「レイ! いまさらきれいごと言うんじゃないだろうな。これはそういうことだよ。あたしたちの手はもう汚れてる。そのうえ、死んだあいにまで泥をぶっかけようって話しじゃないか」


「ちがう」めぐみが言う。「汚れているのは、お姉ちゃんを殺した世界のほうだ」


 みんながめぐみを見る。しばらくだれもなにも言えない。


 あすかが気持ちをおさえて、しずかに言う。

「あんたは、あいの悲劇を利用して、あんたの大嫌いな世界とやらを踊らせるつもりかもしれないけれど、けっきょく、踊らされてるのはあんたたちだからね。みんな悲しい話が大好きなんだ。悲劇を見せ物にして、気持ちよく泣いて、スッキリしたいだけなんだ。追悼っていうエンターテインメントなんだよ。そんなところに、なんでいまさら、あいを引っぱり出す。そういうの、あんたがいちばん嫌ってたことでしょ」


「いまは、必要なことは、なんだってやる」めぐみが言う。


「ミーちゃん」ゆいが目にいっぱい涙をためている。「もういいよ。わたしのために、もうムリしなくていいよ」


 めぐみは言う。

「だいじょうぶ。もうあなたひとりの問題じゃない」


 あすかは言う。

「そもそも、ゆいの気まぐれからはじまったことじゃないか」


「スーちゃん。それはゆいに失礼だよ」めぐみは言う。「ゆいはその場その場では、じぶんで一生懸命考えてたんだ。でも、あとで間違いに気づいた。そんなこと、だれにだってある。気まぐれなんかじゃない。……それに、ケイさんやリュウくんにこれいじょう迷惑をかけるわけにいかない」


 あすかがケイを見る。

「あんたさっき、かたちがつくれればいいんだって言ったわね」


「はい」とケイ。


「べつにわたしがいなくても問題ないよ。三人だって、かたちになる」


「あすか」れいかは悲しい顔をする。


「そんなことない!」と、ゆい。


「客は、あいの悲劇でお祭りがしたいだけだ、めぐみひとりでもいいくらいだ。ゆいやれいかがいればじゅうぶん客は集まる。かたちになる。それでいいじゃん」

 あすかはカウンターの上の書類をまとめだす。


 ケイが言う。

「でも、四人そろってこそ『ストロベリーとれいん』だと……」


「ケイさん、だっけ?」あすかは手をとめない。


「はい」


「あんたが頑張ってくれたのは認めるよ。あんたがこれいじょうひどい目に遭わないようにとは思う。だけど──」あすかは四人を見渡し。「わたしはもう、つきあいきれない。みなさんで勝手にやってください」


 そう言って、書類を手にあすかはバックヤードにむかう。

「スーちゃん、そんなこと言わないで」ゆいが言う。「わたし、スーちゃんと歌いたい。スーちゃんと一緒に歌いたいんだよ」


 あすかが足をとめる。


「わたしは、歌っていたかった。ずっとみんなで歌っていたかったの。歌さえ歌えれば彼氏なんてどうでもよかった。お金なんてどうでもよかった。歌っていられれば、バイトだって我慢できた。バカにされたって大丈夫だった。でも、もう歌えない。わたしにはもう、歌う場所がない」


 あすかがゆいを見る。

 ゆいはいっしょうけんめい涙をこらえている。


「ねえ、あと一回だけ。たったそれだけでいいの。歌おうよ。いっしょに歌いたいよ。ほんとうは五人で歌いたいけど、いまは四人しかいないから。四人で、もう一度、歌おうよ。お金なんて、もうどうだっていい。もし捕まるんなら、わたしとリュウジが警察に行くから。悪いのはわたしたちだから、だから、ねえ、お願い。いっしょに歌おう。たぶん、これが最後だから、もう迷惑かけたりしないから、お願い、スーちゃん、いっしょに歌おう。いっしょに歌ってよ」


 あすかは背をむけている。顔を見られたくないのだ。心がゆれている。いろいろな理屈や感情はあるけれど、ゆいのまっすぐな気持ちは彼女の胸にも響いているのだろう。


 ケイは、捕まるという話しが気になって、店員のアベちゃんの顔を見てみた。彼女は泣いていた。


 それでもあすかは振り返ることなく、バックヤードのドアのなかに去ってしまった。


 ゆいが両手で顔を覆う。肩が小きざみに震えている。めぐみがゆいの肩をやさしく抱く。


 めぐみは、どうしようという感じで、れいかを見る。

「さきに行ってて」とれいかは言った。


 めぐみがゆいに、行こう、と言うと、ゆいはうなずく。めぐみはケイにも目配せして、三人は店からでていく。


 れいかはバックヤードのドアにもたれるように立ち、

「ねえ、聞こえてる?」と声をかける。ドアのむこうから返事はない。


「いろいろあって、ふたりで話すこともなくなっちゃったけど、ほんとうは、あなたが、ゆいやめぐみのことを心配してるの、すごくわかるのよ。あなたは一生懸命だから、つい、ことばがきつくなっちゃうけど、でも、ほんとはすごく心配してくれてる」


 れいかは穏やかに語りかける。


「ねえ、おぼえてる? あいが『ストとれ』をやめるとき、わたしたち、あいと約束したでしょ。『あの子たちをよろしくね』って、あいは言ったんだよ。わたしたち、なにかできたのかな……。ゆいはカワイイから、モデルさんになるのかなって思ってた。でも、あんなに歌が好きだったんだね。めぐみはすごい歌がうまいから、本格的な歌手になれるかもって、思ってた。だけど、ほんと、うまくいかないよね……。あいがこの世界からいなくなったとき、あなたもわたしも、いろんなことがいやになって、『ストとれ』からも離れちゃった。ゆいとめぐみを残して。あいと約束したのに……。ねえ、あの子たちが、あいの残した『ストとれ』を守ってくれたのよ。苦しいのに、ずっとがんばってくれた。だからなんとか、あいの名づけた『ストロベリーとれいん』がいまでも動いてる。だから、こんどはわたしたちが、あの子たちを守らなきゃいけないんじゃないかな。わたしは、あいとの約束を守れなかったから、いまは全力で、あの子たちをささえたいと思う」


 れいかはすこし考えてから言う。


「あなたは、あいがあんなことになってしまったから、強くならなくちゃいけないって思ったのよね。だからすごく頑張ってきた。わたし、あなたはほんとうにすごいって思うの。でもね、あなたが、心配になるときもあるのよ。そんなに頑張ってて大丈夫かなって。お気楽なわたしがそんなことを言うと、また怒られちゃうかもしれないけれど、でもね。ほんとは、強くなんかならなくったって、生きられる世の中になるといいなって、わたしは思うの。──そんな話しを、あいとも、したかったな……」


 ドアのむこうから反応はない。とても静かだ。


「ごめんね。いろいろ許してね。30日は来てくれるとうれしいけど、でも、どっちでもいいの。ずっと友だちだから。いつかまた、みんなでごはんが食べられたら、それだけでいいよ。じゃあ、またね」


 れいかはドアをはなれ、出口にむかう。アベちゃんが涙をふきながら送りだす。


 バックヤードのなかでは、ドアを背にして、あすかは段ボール箱にかこまれ、テーブルに座っている。彼女の手にはスマートフォンが握られている。その画面をじっと見つめている。


 画面の写真では、あいを中心に、あすかとれいかが、顔をよせあって笑っている。まだ高校生のころだろうか、三人はとても元気で楽しくてしかたがないという笑顔だ。


 あすかが写真のなかのあいにつぶやく。


「ねえ、どうして勝手にいっちゃったの。わたしたち、そんなに頼りなかった? わたしたちじゃ、力になれなかったの?」


 あいは、あのときの笑顔のまま、こたえてはくれない。


 あすかはスマートフォンを握りしめたまま、その小さな背中がこきざみにゆれつづけている。


       ☆


 ゆいは表参道の駅からひとりで電車に乗って新丸子に帰っていった。


 ケイは青い車で、れいかを西新宿に送りとどけ、めぐみとふたりで川口にむかった。


 しばらくは黙ったままだった。ケイはすこし気づまりだったので、なにか話すことはないか考えてみた。ケイは言った。


「夢、どうします?」

 めぐみはケイを見た。「告知文?」

「ええ、なにか考えました?」

「べつに……」

「えっと、まだ、考え中ですか?」

 めぐみはちょっと考えて。

「嘘でもいいんでしょ」

「ええ、それは、そうですけど」

「なんか、考えるよ」


 ケイはすこし考えて、言った。

「部屋にギターがありましたね。めぐみさん弾けるんですか」

「あれ、お姉ちゃんの」めぐみは言った。「わたしも練習はしたけど」

「あいさんが、自作の曲を弾き語りで披露したこともあるって、聞いたことがあります」

「お姉ちゃんはじぶんで曲をつくってた。卒業してからも。たぶん、またいつか歌をやりたいって考えてたんだと思う。シンガーソングライターと役者さんを両立している人って、あんまり思いつかないけれど、女優さんで、シンガーとして魅力的な人はけっこういるから。松たか子さんとか、柴咲コウさんとか。むかしのハリウッドのオードリー・ヘップバーンなんかも、歌、上手なんだよね。いつかまた歌えるって、お姉ちゃん、思ってたんだよ」


 めぐみは、車窓に目をやる。そして言う。

「それは、お姉ちゃんの夢」


 夜の東京の街なみが過ぎ去っていく。都市の影に小さな泡のようにまとわりつく無数の光が、うしろへうしろへと流れ去り消えていく。


「あの日ね。お姉ちゃん、謝りに行ったんだって」めぐみが言う。「相手の男の人の、事務所の偉い人のところ。常務だか、専務だかって人の家が、田園調布にあって、お姉ちゃんの事務所のマネージャーさんと、もうちょっと偉い人と三人で、菓子折りもって、家まで謝りに行ったの。みんな、相手の男のほうが勝手にちょっかいだして、お姉ちゃんに悪いところなんてひとつもないって知ってたのに、それでも、事務所の大きさとか、力がどうだとか、言いだす人がいたらしくて、けじめをつけとけって言われたんだって。バカみたい。まるでヤクザだよ。相手の事務所の偉い人は、いいよ、いいよ、お互いさまだからね、これから気をつけてねって、玄関で菓子折り受けとって、それで終わり。でも、お互いさまも、クソもないよ。お姉ちゃんは巻き込まれただけで、なんにも悪くない。スキを見せるのが悪いって言ったバカがいたらしいけれど、そんなの認めたら、あらゆる暴力がまかり通るって、いっしょに謝りにいったマネージャーさんが泣いてた。ほんとに悔しいって、お葬式のあとで、わたしに話してくれたんだけど、わたしは、あんまりバカバカしくて、涙もでなかったよ。ぜんぜん関係ない人たちが、いままでお姉ちゃんの名前も知らなかったような人たちが、散々たたいて。お姉ちゃんがいなくなったら、勝手に悲劇をつくりあげて、じぶんが泣くための道具にした。スーちゃんの言ったことは、ぜんぶ正しいよ。ほんとに……」


 めぐみはことばをつまらせる。


「あの日、田園調布からの帰りに、お姉ちゃんとマネージャーさんたちとで、お酒を飲んだんだって。田園調布ってお店がないから、多摩川の駅まで歩いて、カラオケバーみたいなところで。お姉ちゃん、お酒はすごく飲んだみたいだけれど、カラオケも歌ってたし、元気そうに見えたから、ぜんぜん、そんなことになるとは思いもしなかったって……。マネージャーさんたちは都内に帰ったんだけど、お姉ちゃんは、実家が近いからって、酔い覚ましにちょうどいいからって、武蔵小杉までひとりで歩くって、帰っていったんだって……。ほんとは、ひとりにするべきじゃなかったって、マネージャーさんは泣きながら、なんどもなんども謝ってた。こっちが申し訳なくなるくらい。だって、もう、どうしようもないのに……」


 めぐみは車窓を眺める。窓に彼女の顔がぼんやりと映っている。


「わたし、自信ない。お姉ちゃんが絶望した世界で、わたしも、絶望しないでいられるか、自信がないの……」


 中森あいの絶望は、めぐみにだけではなく、あすかやれいかの、やわらかい綿のような心にも深く染みこんでいる。彼女たちはそれぞれのやり方で、その染みと向き合い、あるいは目をそらして、ここまでやってきたのだ。


 めぐみを絶望のふちでささえた二本の糸が、ゆいと祖母なのだと、ケイにもここ数日でよくわかった。でも、その一本の糸は切れかかっている。それがまた、めぐみの不安を呼び起こしているのかもしれない。


 ケイはめぐみに言う。

「ゆいさんがいますよ。彼女の笑顔をまもりましょう」


 めぐみは遠くを見る。

「ゆいが、歌いたいって言うから、『ストとれ』に入った。ゆいがまだ歌いたいって言うから、『ストとれ』をつづけた。ほんとうのわたしは中身が空っぽ。じつはあの子についてきただけ。たぶん、自立しなきゃいけないのは、わたしのほう」


「べつにいいじゃないですか。自立なんてしなくても。いっしょにいたいなら、ずっといっしょにいればいいんですよ」


「そんなこと、できるのかな……」


 そんな小さな小さな願いも、この不確実な世界は受け入れてくれるだろうか。


 ケイは答えることができずに、そのまま黙って深い夜を青い車でくぐりぬける。やがて荒川を渡る橋が見えてきた。


 ケイはふと思う。

 なあ、ジェイ、おれたちの夢ってなんだろうな……


 べつに夢なんかなくったって、気分よく暮らせればそれでいいんじゃね。


 いつだったか、あいつはそんなことを言ってたな、とケイの頬が少しゆるんだ。


       ☆


 12月29日。

 朝、アパートのダイニング・キッチンで目覚めると、めぐみからスマホの画面を見せられた。メールのテキストに「わたしたちの野望」と書かれていた。


 ──わたしたちの野望

 ・伊藤ゆいは母と一緒にエスニック料理のレストランをオープンさせる

 ・藤村れいかは『ASUASU』を買収して、田中あすかと新ブランドを起ち上げる

 ・中森めぐみはアメリカに留学して音楽修行をする


 めぐみはケイに画面を見せながら言う。

「こんな感じでどう?」

「これ、あれですか、夢の話ですか?」

「そう、けさ、レイちゃんからメールきてたから、なんどかやりとりして考えたの。ゆいにも確認はとってる」

「野望って……」

「夢ってことばは、ちょっと甘すぎて、かえってわざとらしいねって、レイちゃんとも話してたの。だから野望でどうかなって。どうせフィクションだし、大胆なほうが潔いでしょ」

「まあ、みなさんが決めたんなら……。めぐみさん、アメリカに音楽留学、考えてるんですか?」

「フィクションよ。だいたいドラマとかって、こういうパターンでしょ。ラストで登場人物の始末に困ったら、すぐアメリカ留学とかでごまかすじゃない。ありふれたフィクション」

「ほんとうに行けばいいのに」ぽつりとケイが言った。

「そんな余裕ない」

「わかりませんよ。思ったより大金が集まったら──」

「どうかしてるんじゃない? レイちゃんちで大金見ちゃったからかもしれないけど、あれは幻だから。フリーライブでのカンパなんて期待してもムダ。かたちだけはなんとしてもつくるけど、現実はきびしいの」


 めぐみは冷凍のミックスベジタブルと卵でオムレツをつくりながら言う。


「それに、お金が集まったら、ゆいのところに使ってあげたい」


 オムレツとトーストで朝食をすませたあと、めぐみとケイは青い車でソフィア園に行き、祖母に面会した。ようすはきのうと変わらなかった。また少し熱が上がっているようで心配だと園長の小泉さんは言った。めぐみは、なにかあったらすぐに連絡してください、とお願いして、園をはなれ、西新宿のれいかのマンションにむかった。


 れいかのマンションでは、ゆいもいっしょに告知のための文章を話しあった。カンパの使い道については、あの野望でいいだろう。ただ、ケイは、れいかの「野望」をあすかが見たら不愉快に思うのではと心配した。


「これ、あすかさん怒りませんか?」

「そう? 悪い話じゃないと思うけど」まったく悪びれずにれいかは言った。「いちおう、このテキストも事情説明といっしょに、あすかには送ったから」

「なんて言ってました?」

「なんにも」

「え」

 れいかは笑う。

「大丈夫よ。なんにも言ってこないってことは。あの子、気に入らなかったら必ずなにか言わないと気がすまないたちだから」


 れいかとあすかには独特の間合いがあって、信頼とも反目ともとれる微妙なつながりで、いまだにケイからは計り知れない。『ASUASU』の買収なんて、一見すると嫌がらせだけれど、れいかさんなりのユーモアと、なによりも「田中あすか」の名前もいっしょにならんでいてほしいという思いが、きっとそこには込められているのだと感じる。


 告知文を書き上げて、ケイは大滝さんに連絡した。


 準備はおおむね順調だと大滝さんは言った。むしろ心配なのは、情報が妙なもれかたをして、警察などに警戒されてしまうことだ。すでに大滝さんたちコアなストとれヲタのもとには、あしたストとれの旧メンバーが追悼ライブをするって聞いたか? と尋ねてくる者がふえている。


 大滝さんは相手を見て、情報を小だしにしているが、まだ場所だけは言っていない。情報をだすときもゲリラ・ライブだからくれぐれも規制当局に目をつけられないようにと念を押している。いまは動くな、正確な情報がでるのを待て。


 ただ、ネット上にも「#1230ストとれQライブ」なるタイトルがいつの間にか生まれていて、真偽も出所もわからない情報が流通している。『ストとれ(旧)』にとっての1230の意味、そして『中森あいの悲劇』がネット上のまとめサイトや動画サイトへのリンクとともにツイートされ、もし追悼ライブがあるのなら見逃せない事件になるだろう、と語られている。どうやら、ストとれヲタだけでなく、ひろくアイドルヲタのディープ層からライト層までがザワつきはじめている。


「場所はぎりぎりまでふせておいた方がいいな。準備部隊にも暗くなるまでは動くなと言ってある。日没は16時38分だ。あまり早くから河川敷に人溜まりができないよう注意はする。だが、来たものは追い返さず河川敷に降ろす。あれだけの広さがある。かたまって騒ぎさえしなければ問題は起きないだろう。理想をいえば、18時くらいからステージの準備をして、19時開始。なんとか二時間はステージを死守できればと考えている」


 そういえば大滝さんはゲームヲタでもあったんだな、と思いながら、ケイはその線でいきましょうと同意した。開始の時間については当日、現場の状況しだいで前後してもかまわない。とにかく規制されないことが肝心だ。


 ケイは、書き上げた告知文といま予定しているセットリストをメールで送るから、意見を聞かせてほしいとお願いした。あと、告知をオープンにする時間だが、こん夜の19時でどうだろう。ネットであいまいな情報が流通しているだけに、こんかいの意図と方法を良いタイミングできちんと伝えたい。


 大滝さんは告知文をオープンにするのは任せると言った。そして、ケイと大滝さんは話しあって、場所については、オープンにする方法もタイミングも大滝さんに任せることにした。


「告知文さえ信用できるものがでれば、場所はこっちで誘導できる。問題は無届けだってことだけだから、場所はおれたちファンが指定したことにすれば、演者にまで責任が及ばないはずだ。おれが警察に説教されればすむ話しだ。事故さえなければな」


 それだけはほんとうに気をつけましょうと確認しあった。


 ケイの電話が終わってから、四人で告知文をどこに掲載するかを話しあった。中森めぐみ、伊藤ゆい、藤村れいかの『ストとれ』時代のツイッター・アカウントはいまでも残っていた。


 れいかは四年ちかく、めぐみとゆいも春の卒業以降、まったく発信していなかった。それでも、めぐみとれいかには数千人、ゆいについては過去ティーン誌のモデルをやっていたこともあって2万人以上のフォロワーがまだあった。


 ずっと沈黙しているゆいのアカウントにまで、ライブがあるってほんとうですか? と数件のリプライがきていた。


 めぐみとゆいのブログも卒業時のまま放置していた。まだログインができることを確認して、告知文はめぐみのブログにアップし、それぞれのツイッターでリンクして発信することにした。告知文にいまの三人の写真をのせれば、それで本物だと認知されるだろう。


 リビングの白い壁を背景に、ゆい、めぐみ、れいかのスリーショット写真をケイが撮影した。めぐみがブログに告知文を書きこみ、写真をとりこんで、下書きに保存した。


 それから四人はケイの運転する青い車に乗って秋葉原にむかった。『ストロベリーとれいん5』のために確保しておいたリハーサル室を借りることになっていた。きょうのリハーサル室はしっかりとした板張りの床で、壁の一面が鏡になっている、ちゃんとダンス用につくられたスタジオだった。


 すでにストとれ5のメンバーはスタジオにいた。ゆいやれいかの顔を見ると、先輩お久しぶりです、と嬉しさに泣きださんばかりの勢いで集まってきた。めぐみが、無理を言ってごめんなさいね、と詫びると、彼女たちは、ぜんぜん、いいんです、と首をふって、あい先輩の追悼ライブをやるんですよね、ぜひ、わたしたちにもなにかさせてください、とメンバー全員が口々に言った。


 めぐみは困り顔でれいかと顔を見合わせる。

「気持ちはうれしいんだけど、無許可でやるゲリラ・ライブだから、あなたたちを巻きこむわけにいかないのよ」


 ストとれ5のメンバーは、ステージに立つのはムリでも、個人としてお手伝いするだけならいいですか、現場には必ずいきますから、観てるだけじゃなくて、なにかやりたいんです、そう言ってめぐみに迫った。


 めぐみは弱って、

「じゃあ、現場でね、なにかあったらお願いするから」と言った。


 はい、よろしくお願いします、と元気よくストとれ5の後輩たちは返事をした。


 めぐみ、ゆい、れいかの三人はめぐみの考えたセットリストを見ながら、とりあえず動いてみようということになった。そこで、いちばんの問題はフォーメーションだった。


「四人の想定でやる? それとも三人で固める?」れいかが訊いた。

 めぐみはちょっと考えて。

「基本は三人で固めましょう。そのうえで一曲、一曲、四人になったときのバージョンも確認しておきましょう」

 れいかとゆいはうなずいた。

 あっ、とゆいがなにかに気づいた。

「衣装、どうする?」


 れいかとめぐみが顔を見合わせる。考えていなかった。れいかは当時の衣装なんて持っていない。ゆいとめぐみも持っていた衣装は後輩のストとれ5にゆずってしまった。


 もともと『ストロベリーとれいん』は女子高の制服をファッショナブルにアレンジした感じをベースにしていて、曲調や季節、イベントのイメージによっては、ワンピースにしたり、スポーティなアウターをはおってみたりと、日常からは逸脱しない衣装で活動していた。いかにもアイドルっぽいふりふりの衣装の方が予算がかかるという事情もあったのだけれど。


 カジュアルとはいえ、全員でかたちをそろえたり、カラーリングに配慮したりして統一感は演出していたので、こんかいもステージに立つのであればそれなりの準備は必要だろう。


 めぐみは、ストとれ5のメンバーを見て、衣装、借りてもいいかな、と訊いた。


 メンバーの5人は、もちろんですよ、とこたえた。


 めぐみたちは、スマートフォンで最近のストとれ5の衣装を確認し、紺のブレザーにタータン・チェックの赤いスカートというオーソドックスなものを選んだ。この服、予備が事務所にありましたよね、と言ってストとれ5のひとりが、事務所までとりにいってくれた。このブレザーはめぐみとゆいも着たことのあるものだったので、彼女たちから受けついだメンバーの二人が家までとりにもどってくれた。


 事務所からとってきてくれた紺のブレザーを見てれいかは、

「これ懐かしいわね」と、胸ポケットについているエンブレムをさわった。


 それは『ストロベリーとれいん』が、れいかたち三人だった時代から使っているオリジナルのエンブレムで、図案化された赤いイチゴのなかに「ST」という文字と空にむかう列車がデザインされている。


「このエンブレム、れいかさんたちが考えたんですよね」ストとれ5の後輩が訊いた。


「そうね」れいかは言った。「考えたのはほとんどあいだけどね」


 れいかはこの衣装を着たことがないので、着て動いてみることになった。


 白いブラウスに、襟もとはゆったりとひらいて、シンプルなリボンを結ぶ。紺のブレザーを羽織って、スカートの丈はひざ上でちょっと短めだろうか。


「どう?」と問いかけるれいかに、

 ゆいがひとこと、「エロい」と言った。


 めぐみは腕ぐみをして、

「露出が多いわけじゃないのに、なんでだろう」と首をかしげる。


「べつに、いまにはじまったことじゃないから」淡々と、れいかは言った。


 いや、年齢を重ねて艶っぽさに磨きがかかったかもしれない、とケイは思った。


 リハーサル室で歌とダンスの練習をした。途中、「運営のゴローさん」が音響とネット配信のスタッフを連れてきて、打ち合わせをした。ゴローさんは数年ぶりの、れいかとの再会を喜んだ。


「田中あすかは?」とゴローさんが訊くと、

「また、へそ曲げちゃって」とれいかはこたえた。

「あいかわらずだな」とゴローさんは苦笑した。


 技術スタッフはこんかいの意図にとても賛同してくれて、とくにサイレントライブの試みを面白がってくれた。困難や不完全さは予想されるけれども、都市の野外の大規模ライブとして新しいチャレンジだ、ゲリラでどこまでやれるか楽しみたい、と言ってくれた。


 ゴローさんは、おれは現場には行くけれど、警察が来たら、まっさきに野次馬のふりをして逃げるからな、それが『ストとれ』の未来のためだからな、と強調した。


 めぐみとゆいとれいかは19時直前まで、めいっぱい練習をした。田中あすかにも、きょうのリハーサルと、あしたの本番の予定は送っておいたのだけれど、やっぱりリハーサル室には現れなかった。


 練習を終えたあと、れいかのパソコンで、もういちど告知文を確認した。そして、これでいいね、とみんなで確かめ合って、めぐみのブログにアップロードした。


   ☆ NAKAMORI MEGUMI BLOG ☆


 『12・30 中森あい 追悼の集い』のお知らせ


 みなさん、お久しぶりです。中森めぐみです。

 このたびは急遽、わたしの姉、中森あいの追悼の集いを行うことになりました。


 わたしたちは、ファンのみなさんの協力を得て、一夜だけのステージを創り上げます


 お姉ちゃんが亡くなって、四年が経ちました。

 正直、いろいろと言葉にできない想いがあります。

 みなさんもそうだと思います。


 本当はもっと早く、

 中森あいのことを想ってくださるみなさんといっしょに、

 なにかできるとよかったのかもしれません。


 でも、やっぱり、これだけの時間が必要だった気もします。


 わたしたちも、みなさんもいろいろ状況が変わって、

 いま、ようやく、みんなでいっしょに、彼女のことを思いだして、

 歌ったり、踊ったりしても大丈夫かなって、そんな気持ちになっています。


 やるからには、みなさんに喜んでもらえるものにしたいと思っています。


 そして、もうひとつお願いがあります。

 みなさんにカンパをお願いしたいのです。


 亡くなった人を憶うと同時に、

 わたしたちは未来を創らなければなりません。

 わたしたちの『ストロベリーとれいん』の時間は終わりました。

 でも、わたしたちには野望があるんです。


   ★ わたしたちの野望 ★


♡伊藤ゆいは母と一緒にエスニック料理のレストランをオープンさせたい♡


♢藤村れいかは『ASUASU』を買収して、田中あすかと新ブランドを起ち上げたい♢ 


♤中森めぐみはアメリカに留学して、音楽修行をしたい♤


 その野望に少しでも近づけるように、集まったお金は、

 わたしたちが使わせていただきます。なにとぞよろしくお願いいたします。



   ■ 現場にいらっしゃるファンのみなさんへのお願い ■ 


 この集まりは、あくまでも、ファンのみなさんと、

 わたしたちが自主的に行うものです。

 とくに主催者や運営者がいるわけではありません。

 ですから、よけいに現場での注意事項が多くなっています。

 急遽、行う野外での集まりを成功させるため、

 音楽と音声はスピーカーではなく、ネットからの配信になります。

 騒音による苦情や中止要請を避けるために、

 コールや声援はしないでください。

 大声での会話もご遠慮ください。


 (騒がしくならなければダンスやペンライト、サイリュウムは大丈夫かと思われます)


 その他、現場での誘導、整理を行ってくださるファン有志の方々の指示、

 状況に応じて出される、ファン代表の方や、ステージ上の演者の指示に

 従ってくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。


 それでは、みんな、楽しもう!


      中森めぐみ 伊藤ゆい 藤村れいか

     『ストロベリーとれいん』ファン有志一同


 

       【ブログ更新 12月29日 19時00分】



 告知文をめぐみのブログにアップしたことを大滝さんに連絡し、これ以降の情報管理は彼に任せた。


 ゆいやめぐみのツイッターを確認すると、驚きや歓迎のリプライが飛び、拡散がはじまっていた。


 もしかしたら、ちょっと早かったかもしれないとケイは思った。でも、この告知だけでは場所は特定できないはずだ。あすの夜、このイベントがあることを、とどけるべき人にとどけるには24時間くらいあった方がいいだろう。


 役所はもう年末休暇だ。警察だって年末年始の準備に忙しい。マイナーな、しかもすでに現役を引退したアイドルのブログなんて、よほどの物好きでなければ気にしない。


 その愛すべき物好きのうち現場にきてくれる3000人になんとか、この文章がとどけばいいのだ。


 もしかしたら、ジェイにもこの情報がとどくだろうか。とどけば、現場にこれないことを泣いて悔しがるだろう。


 なあ、ジェイ、おれが最後まで彼女たちをささえ、見とどけるからな。



   第四章につづく

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