<Das fünfte Kapitel >

「あ、時に、翔ちゃん」

「ん?」

「あの子のアレは、まだ持ってる?」


 茜さんはある物のジェスチャーをしてみせる。


「……ええ。もちろんです」


 そして俺も、首元からそれを持ち上げてみせた。


「そう、良かった。それじゃ、おやすみなさい」


 茜さんは小さく手を振ると、その綺麗な仕草で振り返り、去っていった。

 俺も茜さんの後姿を見送る。その背中を俺はぼ~っと眺めていた。


 精悍な顔立ち、躾けられた仕草、佇まい、言葉遣い。理知的で年下の俺たちを気遣ってくれる優しいお姉さん。

 でもなぜか、俺は釈然としないものを抱きながら、彼女の言葉を反芻していた。

 あなたの願いを、叶えてあげる……。


 その思考はまた、俺の心を空っぽにさせる。しばらくその場から動けずに立ち尽くしていた。

 茜さんとは違う、別の香りが仄かに鼻を掠めたことに、俺は関心を抱くことも無く……。



「……あ、そういえば和樹に誘われてたっけな」


 俺はふとして我に返った。

 昼間、和樹に散歩がてら顔を出しに来いと言われていたのを思い出す。

 明日の湯雪祭りの準備は大方終わっているようにも見えるがここからではよく分からない。

 和樹もその手伝いとして借り出されているというのだから、ご苦労なことだ。

 まだやっているだろうか? 誘われた手前、顔だけ出してみるか。俺は宿へ行く道を折れて、メインストリートの方へ向かった。


「おーい、そろそろ片付けろー」


 近くまで行くと一つ大きなライトが辺りを照らしていて、まだ多くの人が談笑をしていた。

 酒盛りをしていたのか、顔が赤い人や足元が覚束ない人も見受けられる。

 しかし、丁度頃合いらしく現場を仕切っているであろう男性の一声で酒宴の席は閉じられようとしていた。

 前夜祭とは名ばかりの、大人たちがお酒を飲み交わすただの酒宴みたいだ。何か催しがされていたという雰囲気はない。

 とはいえ、皆が楽しそうに笑い景気の良い声が響くのは、さして悪い気分はしなかった。

 和樹の姿を探すが、片付けを手伝っている人たちの中には見当たらない。 


「あれ……翔平! 来てたの?」

「おう。和樹に誘われたんだが、当の本人が見当たらないときた」


 和樹ではなく、玖珠羽と鉢合わせてしまった。


「和樹なら、ほら……そこで酔い潰れてるよ」

「酔いって……和樹って酒弱いのか?」

「弱いかどうかは分からないけど、かなりの勢いで飲んでたらしいよ」


 玖珠羽の指差す方向には、シートの上に寝転がって寝息を立てている和樹の姿があった。

 まさか、道の端でうずくまって寝ているとは思わなかった。誘った本人がすでに出来上がっているとはこれいかに。

 和樹……何か良い事でもあったのか? いや逆か、嫌なことでもあったのか? 

 どちらにせよ、この状態では和樹とまともには話せないだろう。とりあえずお開きみたいだし、起こした方がいいか。


「ねね、ちょっと散歩しない?」


 和樹を起こそうとした俺の肩を、玖珠羽がトントンと軽く叩く。

 玖珠羽の提案で、俺たちは織姫の間へ行くことになった。和樹はしばらく、そのまま気持ちよく寝ててくれ。

 自力で起きて、織姫の間まで来て、3回まわって俺に謝ったら許してやらないでもない。

 まぁ、3%くらい期待してる。頑張れ和樹、超頑張れ。


「ほらほら、和樹なんてほっといて大丈夫だから。行こっ」


 …昼間も思ったが、玖珠羽はサラッと和樹に酷いような……。仲が良いのは分かるんだが、そろそろヘコむぞこいつも。


「んーっと! はぁ……良い空気~」


 玖珠羽が空を仰ぎながら、気持ち良さそうに伸びをする。


「そいえば、昼間の翔平の顔。傑作だったなぁ」

「見てる方は楽しいだろうが、俺は惨事だったんだぞ? お陰でしばらくキュウリが食えそうにない」

「え? 翔平キュウリ駄目なの?」

「お前がくれたペプシのせいだペプシの。チョコメロンの次にトラウマ追加だよ」

「あっはは、そういうことか。ごめんごめん」


 昼間とはテンションの差があるんだな。

 まぁ確かに、一日中あのテンションでは身体がもたないだろう。チョコメロンやペプシキュウリは、地域限定なのは分かるが、俺の舌にはこの土地のコラボレーション食品は合わないらしい。

 玖珠羽に全部やるから、勘弁してくれ……。


 ここは織姫の間。男はあまり立ち寄らない場所だ。決して男子禁制とかではないのだが、ここには女性が想いを認めたものが多く結ばれている。

 ただ、思春期の頃には異性間の交流はあっても、どこか気恥ずかしさや踏み込めない部分というのがある。それに似てる。

 中央にライトアップされた街頭の足元に、まるで短冊のようにたくさん結び付けられた願い事はやがて、”天の川が降りる頃”に織姫がすべての願いが成就するよう祈ってくれるのだという。

 彦星の間も然りで、こちらは彦星が願いを聞き届けてくれる。

 そんな言い伝えは、いつしか恋人たちの通説となった。


 恋愛成就に良縁成就。これらのイメージが強いのは、およそロマンチストな彼・彼女たちの認知的不協和の拠り所になっているからだろうか。

 とはいえ元来、織姫と彦星は神様ではない。

 ここに住まう神様といえば……オニガミ、か。それこそオニガミが縁結びの神様だっていうのなら、笑える。ここまでマイナスイメージしかなくて、実は……なんて。

 けど、まぁ……それが本当だったらどんなに良いだろう。

 そもそも七夕伝説とオニガミを、一緒に考えることが間違いか。


「……ん? 何々、どしたの? ニヤけちゃって」

「いや、自分の妄想に呆れてただけだよ」

「妄想~? ちょっとやめてよねー。ここが織姫の間だって分かってて言ってる? あっ、ひょっとして!」

「違うからな、先に否定しておく」

「とうとう翔平も、そっちの世界に……。お母さん悲しいよ!」

「いやよく分からないが、違うからな」


 何の話だっての。玖珠羽の何かのスイッチが入ったみたいだ。


「ここに込められているみんなの、あんなコトや、こんなコトの願いまで妄想しちゃって……はっ、だから昼間あたしの胸を! 全ては昼間の出会いから始まっていた!? 幽霊の正体見たり枯れ尾花ッ!」


 ……実に、逞しいヤツだな。


「違うからな。それに、諺の使い方間違ってるからな」

「えー!? 最近覚えたばかりの出来立てホヤホヤなのに!」


 そろそろ言語形態に支障が出始めている。


「それは、恐怖心とか疑心の目で見てると何でも無いことまで恐ろしいものに見えてしまうことの例えだよ。はい復唱」

「ふぁい……。怖い怖いと思ってると、何でも怖く見えてしまう?」

「ああ。でも、逆もある。今まで怖いと思っていたものの正体を知ると、何でもなかったと思い直した時にも使える」

「へぇ~。あ、でもそっちのほうがよくあるかもだね。最初のは疑心暗鬼ってことだよね?」

「そうだな。それが過ぎればバイアスやパラノイアにも化けることがある。人の思い込みや固定観念ってのは、得てして主観の弊害のようなものだ」

「でもでも、自覚があるってことは克服出来るってことだよ。トラウマや苦手意識は、案外勘違いや思い込みってこともある。それを能動的に克服出来るなら、きっと良いことだと思うよ」


 ……なるほど、これがポジティブとネガティブの図。

 いや違うか。これが見地の違いなのだろう。しかし、ここでトラウマ(心的外傷)の議論をするのはやめておく。

 お互いに専門外ってこともあるけど、それ以上にトラウマの解法なんて見つかりっこない。

 俺にとっても、彼女にとっても……。


「……そうだな。玖珠羽はカウンセリングとかはしないのか?」

「仕事としてやることは無い、と思う。んー、言い方が違うかな」

「あたしにとってはさ、言葉の違いでしかないんだよね。あたしたちがこうして言葉を交わすことは、フツーに会話でしょ? それが、立場や関係、環境や人数が変わっただけでカウンセリングって言ったり、ディベートって言ったり、面接って言ったりするよね。でも、あたしにとっては全部会話なの。そういう感覚」

「意識してカウンセリングしてるってわけじゃない?」

「うん。だから、受験の時とかはみんな面接が嫌って言ってたけどあたしはそういう苦手意識とか無かったんだよね。もちろん相手は知らない人だけど、相手もあたしを知らないわけだし。それに、あたし目見ればなんとなく分かっちゃうからね~」


 それは多分、多くの人は真似できないと思う。

 まぁ、ある意味それは生まれ持った嗅覚みたいなものだから、最大限に活かしてくれることを祈ろう。


「あ、でも誤解しないでね。あたしは、下を向いてる子が居たら肩を叩いてあげたいし、俯いてる子が居たら声を掛けてあげたい。あたしが少しでも元気をわけてあげられたらいいなって、その気持ちを大切にしたいだけだから。……お姉ちゃんとの、約束」

「……そうか」


 玖珠羽の姉、緒瑠羽おるはさん。今はもうこの世には居ない。

 7年前の神隠しに取り込まれた一人でもある。暗くなりがちな雰囲気だったが、俺は努めて平静に頷く。

 玖珠羽は俺を見て、ちょっとだけ微笑むとサラリと話題を変えた。


「時に翔平はさ、夢って見る方?」

「……どうだろうな。あんまり憶えてないってのが正直なところだ」

「うん、そうだね。そういうものだよね。でもあたしはさ、なんだか忘れたくないなーって思うことが多くて。ほら、夢って無意識の自分じゃない? たとえ自分で意識出来ない識閾下でも、それを含めてあたしなんだよ。だから、知覚出来ないまでもそれを見せてくれるわけだから、記憶しておきたいって思うんだ」


 夢の、記憶……。

 正直なところ、俺が見た夢といえば凄惨なフラッシュバックだったように思う。

 もちろん、朝目が覚めてしばらくしたら忘れてしまっていたが。

 ただ、俺にとっては忘れてはならない何かの、啓示だと思ってた。


「人間の行動や思考の8割は無意識に行われると言われてる。同じ自分なのにな。その意味では玖珠羽の言うのも分かる気がする」

「でしょ? だから夢って、すごく大事なものなんだと思う」


 確かに玖珠羽の言うとおり、どんな夢だって自分が無意識下でイメージしたものだ。ある意味、その夢を憶えているということは、無意識に触れていることになるだろうか。

 俺はついつい、ネガティブな方向に色々考えてしまうが、こうして玖珠羽の話を聞いていると、すごく前向きになれる。

 一人で居ると良くない考えばかり浮かぶけど、今は玖珠羽の話に耳を傾けて、俺の余計な思考はやめておこう。


「たとえば、明日のテスト嫌だなぁって思ってると、翌日のテスト中の時間を夢みることもあるんだ。それでそれで、もしも問題を何個か憶えてて、実際正夢になったりするとラッキー! ってなるよね!」

「はは、でも残念だがそれは、復習した問題のなかで特に印象付けていたものだったりするわけだ。まぁ、考え方次第だな」

「あとは、空から諭吉さんが降って来ないかなぁって思って寝ると、夢の中であたしは諭吉さんの雨に打たれて歓喜するの。翌日あたしは、道端で500円玉を拾ってラッキー!」

「それはすごいな。金額が下がったのは残念だが」

「あとあと、明日はカレーが食べたいなぁと思って寝ると、夕飯でカレーを食べる夢を見て幸せな気分に浸るの! それでそれで、次の日お母さんにカレー作ってって頼むんだ!」

「それは強引に正夢に持って行こうとしてないか?」

「それから! あと3kg減らしたらベスト体重なんだけどなぁって思うと、夢の中で体重計に乗ったらベスト体重でした! 翌日量ってみたら、なんとベスト体重だったの! …実は前夜メモリを調整していたのでした、てへ」

「もはや確信犯だ」


 実に逞しい想像力だった。そして行動力だ。素直に感服する。もはや誰も太刀打ちできない。


「いや、実に逞しいな玖珠羽……」

「何言ってるの! まだまだあたしの野望はこの星空より広し!」

「”逞しい”を否定しない女性がここに。そして野望って……」

「そしてあたしは願ったわ……。人の心を碌に理解していない人達が”綺麗ごと”としてあたしの言葉を否定するその愚かな行いの根絶を。夢の中では、あたしの論文『心はどこにある? 左の掌と、あなたの目の前に』が、学会で絶賛の嵐! 翌朝、あたしが書いた論文は、見事先生の評価をもらい、とある学会への入会推薦状を得たのだ!」

「おお…それは普通にすごいじゃないか。っていうか口調、変わってるぞ」

「それから……。あたしはどうしてもお姉さまの気を惹きたくて、一度でいいから直接お話したいと強く想ってたの。夢の中では、それはもう幸せな時間が続いていて、あんなコトや、こんなコトまでお姉さまと……あーん!」

「ちょっと待て! お姉さま? 玖珠羽にはそっちの気が……?」

「ああ、愛しの茜お姉さま……」


 茜さんだったー! っていうか、どこから突っ込めばいいんだ?!


「数日後、和樹の紹介で晴れて茜お姉さまとお茶することが出来ました。めでたしめでたし。やったー!」

「とうとう周りまで巻き込んで正夢にしちまった……玖珠羽、恐ろしい子……」


 夢だけでここまで想像力が逞しくなるのか、いやこれは妄想の域を軽く10mはオーバーしてる気がする。

 そして、実際に実現させる行動力と、事前準備の用意周到さ。さらにそれに懸ける情熱と想いの強さ。ネジが1本外れたのか、外れてないのか分からないくらい目がマジで……。

 この7年で玖珠羽は何に化けてしまったんだ。茜さんラブなのは分かる気もするが、茜さんはすでに和樹にご執心。

 さて玖珠羽、この苦境をどう乗り越える……って、俺は何を冷静に分析しているんだ。


「……でも、良い事ばっかりじゃないんだよね。良くないことも、あたし憶えてるんだ」

「玖珠羽……?」


 さっきまでの表情が、スッと消える。思い出したくはないけれど、憶えているから。という感じだった。


「あはは、矛盾だよね。忘れたいから、忘れる。でも忘れたくないから、忘れられないのに。思い出したくない、なんて乱数はずるいよね」


 忘れること。忘れられないこと。憶えていること。思い出したくないこと。

 記憶というものは取捨選択していく。都合の良いものだけを選択して楽しかったこと、嬉しかった事は記憶に長く留まる。

 だが、実際はそうではない。良いことも悪いことも、同列で取捨選択しているのだ。


「……夢を見たの、翔平の。もちろん、楽しい夢もあったよ。でも……今回のは――」

「俺の……夢……?」


 玖珠羽の夢。ひょっとして、玖珠羽の言う女のカンというのは、その夢に起因するものなのだろうか。

 だがそれは、類推の域を出ない。茜さんは玖珠羽のことを特別だと言った。

 それはひょっとして、未来視や予知夢……なんてことは……。


「ううん、ごめんね。せっかく楽しい話をしてたのに、不安にさせちゃったね」

「いや……」

「あたしから今言えるのは一言だけ。あんまり根詰め過ぎないでね」


 根詰める……何を? 

 主語をあえて消したのなら、玖珠羽は俺がここに来た目的を知っているのか? 

 ……玖珠羽は、どこまで知っているのだろうか。


「帰ろっか」


 そういって玖珠羽は、普段の笑顔に戻って俺を促した。喉に小骨が刺さったような感覚。

 ……いや、深く気にしないことにする。俺は俺の目的のためにここに来たんだ。

 茜さんに言ったように、俺のやるべきことは、変わらない。

 たとえみんなに俺がしようとしていることが、バレていたとしても……。


「ほーら和樹! そろそろ帰るよー」

「……んぁ?」


 和樹を起こす玖珠羽は、もういつも通りだった。

 戻ってくると、先ほどの広場は片付けも終わっていてささやかな灯火が辺りを照らしていた。集まっていた人たちも、まばらになっている。


「玖珠羽、家まで送るよ」

「大丈夫、だいじょーぶ。それに、ここからじゃ一番近いのは宿だから。そこまで一緒に行こうよ」

「あ、ああ……」


 夜道を女の子だけにするのは気が引けたが、無理にしつこくするのもよくないか。

 ここは酔っ払いに正気に戻ってもらうしかない。


「……あれ、翔平来てたのか」

「お前に誘われたんだが……。まぁ、玖珠羽を家まで頼むな。しっかりエスコートしてくれよ」

「そうそう、しっかり守ってよね。SP和樹」

「SP吉田は途中までの護衛だ。よろしく頼む」

「……了解。なんだか、お前の顔みたら酔いが冷めたよ」

「ど、どういう意味だよそれ」

「あっはは! 翔平怖い顔してるー。さ、行こっ!」


 そして俺は宿で別れ、玖珠羽と和樹を見送った。



「ふぅ……」


 用意された布団に大の字になる。天井を見上げながら今日あったことを回想した。

 玖珠羽。変わってなかったな。同い年だけど、妹みたいなもんだ。俺に気使って事件のことは伏せてた。

 まぁ、女の子がそんな楽しくない話題を振るわけもないか。

 それに、さっきの夢の話。玖珠羽のことだ、俺があること無いこと思考していたのを感づいて、また色々と気使わせちまったんだろうな。

 女のカン、未来視、予知夢……。

 これらから導き出されるキーワードは……。


 和樹。ラリアット痛かったな。ペプシキュウリはもう飲まないぞ。……あいつは茜さんのこと、どう思ってるんだろう。明日、直接聞いてみるかな。

 酒が弱いのか聞かなかったが、俺たちもこの歳だ。みんなで杯を交わすのも悪くない。

 今年も起きてる事件。それは、オニガミの神隠しなのかどうか。死体が上がっているってだけで、詳しいことは聞けなかった。

 明日、和樹と会う約束は取り付けてある。

 7年前の事件のことはもちろん、今回の事件のことも詳しく調べてみよう。


 茜さん。クーデレお姉さん。ポーカーフェイスよろしく。……でも、険悪にならなくて良かったな。

 俺の願いを叶える、か。心を見透かされる感覚って初めてだった。

 茜さんは、どうも掴みどころが無い。どうしてあの人がチラついたのか分からないが、茜さんは茜さん。

 7年経ってさらに美人に、さらに厳格になった。

 それがどうして茜さんの人物像を歪ませるのか分からない。

 そういえば、あの時はパーリィミストだと思ったが、本当は香水付けてないのかもしれない。


 ……そういえばあいつも、香水が好きでよく連れ回されたが、あいつは香水付けなかったんだよな。

 ”私は、人が香るのが好きなんだ”って言って。

 お陰でこの匂いはあれだこれだと、講釈を聞くうちに俺もそれなりに分かるようになった。

 もちろん俺は香水なんて付けないが、……まぁ人とすれ違った時に香るのは悪い気分じゃない。

 この村も、気分が落ち着く自然の香りがする。田舎特有の、蛙が鳴く田んぼの匂いとか、雪が溶け込んだ土の匂いとか、年季の入った畳の匂いとか。

 機械的でない、自然に囲まれた優しい空気が肺を満たす。


 それから、もう一つ……。

 小さい頃も感じていた、この村には似つかわしくない香り。

 気にしなければ気にならないような微々たる香りだけれど、それは、7年前のあの日も感じていた、甘い香り。


 そう、確かこの匂いは―――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る