<Das dritte Kapitel>

 街の出口、そして村の入り口へと続く道の前で下車する。


「そろそろ選手交代なんだけど……」

「ん? まだ誰かくるのか?」


 玖珠羽がきょろきょろと目線を泳がせる。

 なかなかどうして、俺は凱旋帰国したわけでもないのに。感慨に耽った所為で俺の思考は一瞬、それがおかしいということを見落としてしまいそうだった。


 いや、俺の考え過ぎなのか……?

 俺は、ある一つの懸念を抱いたまま、ぼ~っと玖珠羽を眺めていた。



「お待たせ、お待たせ!」

「ぬおっ!?」


 いきなり後ろから太い腕が後ろ首を襲う。ラリアットをされた気分だ。

 危うくホールドが決まるところだった。咄嗟に踏ん張らなければ、洒落にならない勢いだったぞ。

 厳密に言えば、肩を組もうとして勢い余った感じなのだろうけど。


「いてて……。今度は誰だ?」

「おぉい、忘れちまったのか? 久しぶりじゃんよ~」


 この馴れ馴れしいスキンシップをするやつは、一人しか思いつかない。体格がよく、大柄な男だ。

 身長180cmを超えるが人柄の所為か、人を見下ろしたり威圧されているような気はしない。

 過ぎた馴れ馴れしさは不快な時があるが、こいつのは、そう思ったことは無い。

 これが人柄ゆえということかもしれない。


 【他人に対して感じる"いらだち"や"不快感"は、

    自分がどんな人間なのかを教えてくれる。】

   ――― カール・グスタフ・ユング ―――


 おっさんたちには敵わないな。

 100年以上前から俺たち人間の心理を説いてるなんて。詰るところ、俺たち現代人が人の感情に関して新しい発見があったと思っても、それはすでに誰かが言及してる。

 俺は”知らないだけ”で、おっさんたちの掌の上ってわけだ。

 まぁ、郷に入っては郷に従えとはよく言ったものでこれは環境や場所だけを指すわけじゃない。

 伝統も継承も精神も、全ては過去から学び今に活かす。


 型を破るなら、まずは型を知れ。

 俺は何かを分かったつもりでいて、あげくの果てには俺がオリジナルとか、俺が第一人者とか自惚れてた。

 おっさんたちの回想録に、さんざ打ちのめされたっけな。

 ただ、”新しい解釈”は今後どうなるか分からないけどな。……っと、思考が逸れた。

 こいつの名前は―――。


「和樹……なのか?」

「おう、和樹も和樹。超和樹」


 その超にどれだけの付加価値があるか、今は問わないでおく。


「っと。あたしは男に抱きつかれる趣味は無いの。ね?当たったっしょ?」


 玖珠羽は、こいつのアタックをひらりとかわしてみせる。ぴょんと1歩離れると、にんまりと得意げに笑うのだった。


「本当に玖珠羽のカンが当たるとはねぇ。玖珠羽サマサマだなぁ」

「女のカンは百年の英知にも勝るのだ! ってことで、和樹。宿まで案内したぁげてね~」


 そういって、玖珠羽は手をひらひらさせて去ろうとする。


「あ、玖珠羽。もう帰るのか?」

「うん。ちょっと他に寄るところもあるからね。じゃね!」

「おう、ありがとな!」


 玖珠羽はもう一度手を上げて、その場を離れていった。


「翔平も変わらないな。どうだ、7年振りに帰ってきた感想は?」


 こいつの名前は、上野 和樹。同じく7年前知り合った友人の一人だ。

 馴れ馴れしいと前述したが、実際は人懐っこい性格で誰に対しても気兼ねなく接していけるやつだ。

 平たく言えば、いい奴の部類に入るだろう。玖珠羽と知り合えたのも和樹のお陰といってもいい。

 和樹の人望は厚く、交友関係が広い。

 その中にいた女の子が玖珠羽だったというわけだ。玖珠羽もあの性格ゆえ他所の俺のことを、嫌な顔もせずに歓迎してくれたっけな。


「ああ。変わらないな、この街も、お前たちも」

「変化とは常に人の心の中にあるのだ。by玖珠羽」

「はは、さっきも玖珠羽と同じこと話してたよ」

「7年ぶりだもんなぁ。ずっと同じ所にいるオレたちにしたら、どう変わったんだろうなって、ちょっと興味があるんだ」

「へぇ……。そういうもんか?」

「まぁ、な」


 なんとなく釈然としない語尾。

 まぁ、住人には住人なりの思うところがあるんだろう。深く気にしないことにした。


「それにしても良いタイミングだったな。明日の夜には湯雪祭りが始まるんだぜ」

「そうらしいな。今年も賑やかじゃないか。今日はその前夜祭ってところか」

「ああ、裏方は朝からてんてこ舞いさ。俺も今日の夜はちょっと手伝いに来なきゃいけないんだよ。……そうだ、時間あったら今夜、この辺まで散歩に来いよ。チョコメロンくらいなら先に食わせてもらえるかもな」

「散歩ならいいが、チョコメロンは勘弁だな。玖珠羽にでもあげたら喜ぶぞ」

「あっはは、まだ慣れないのか? 地元ではみんな小さい頃から食べてるのに」

「玖珠羽は大好きなんだよなぁ、あれ。そろそろ胃袋強化のために、玖珠羽に弟子入りするかな」

「やめとけやめとけ。女の別腹にゃ、男は太刀打ちできないって。腹を下すか、玖珠羽が美味そうに食べるのを眺めるか、どっちがいいよ?」

「はは、だな。後者にしておくよ」


 俺たちは玖珠羽が満面の笑みでチョコメロンを頬張る様子を思い浮かべ、朗らかに笑い合うのだった。


「さ、村の宿に泊まるんだろ? 手配はしてあるから行こうぜ」


 俺たちは歩き出す。祭りの準備中である通りを抜けて。



「それにしても、玖珠羽といい和樹といい手際が良すぎるぞ。誰にも連絡してないのに、俺が来ることを初めから知ってたみたいじゃないか?」

「あ~そこはオレもよく分からないが……3日前だったか、玖珠羽から急に電話が掛かってきたんだよ」

「3日前?」

「ああ、3日後翔平が来るから宿泊先決めといてね~って。女のカンがビビっと来たとかなんとか」

「女のカン、ねぇ……」

「まぁスポーツの世界でいう予測能力、動体視力、そんな感じじゃないのか? 身体が勝手に動くみたいな」


 微妙に違うような気もするが……。


「和樹も大学行ってるのか? ひょっとして専攻って……」

「ああ、スポーツ心理学に興味あってな。将来はインストラクターも良いかなって思ってる」

「ほう」


 らしいと言えば、らしいか。その体格を活かして、さぞ部活動に精を出したのだろう。

 それに、なかなか思慮深いところがあるからな、和樹は。天職かもしれない。

 しかし、よくもまぁ、心理学専攻が3人もいたもんだ。


「お前は……犯罪心理学ってことある?」

「な、なんで分かるんだよ……」


 なかなかどうして。鋭いというかこれはもはや……。


「お前、最初から俺と玖珠羽の話、聞いてただろ?」

「まさか、なんとなくだよ。お前の……ほら、色々考えるとそれもありえるんじゃないかって」

「……?」

「それにあれから丁度7年目だろ? そして今日で三日目、お前が来たってことは、それを調べるために……」


 そういって和樹は俺を盗み見る。

 どこまで和樹は知ってるんだろうか。何か確信めいたものを感じて、俺は和樹から目線を逸らした。何か限りなく俺の目的の確信を射抜いたような、かすったかのような、そんな胸騒ぎ。

 別に知られていたからといっても、何か問題があるわけじゃない。

 俺の事情を知る人なら、至る想像の中でシンプルなものだろう。ただ少しだけ、玖珠羽にしろ和樹にしろ、俺の行動が筒抜けであったことに、わずかの違和感が拭えない。


「か、考え過ぎだろ。はっ、もしや!」


 俺は体中をまさぐる。


「どうしたんだ?」

「どこかに盗聴器が仕掛けられているに違いない!」

「はは、それこそ考え過ぎだっての。全部オレの妄想だ、忘れてくれ」

「じゃ、じゃあ玖珠羽! あいつが隠し持っていたとか、胸に隠し持っていたとか―――!」


 殺気――。背後から俺を刺すような視線。冷たい冷気。

 はっ、まさか――。


「ひぃっ!?」

「……っ」


 振り返り、目が合った。しかし、相手は玖珠羽ではなかった。


「ええと……」


 相手は少し驚いたかのように、2,3度パチパチと目を瞬いた。


「―――。―――?」

「え、何?」


 彼女は何かを口にしている。食べている? いや、小声で何を呟いているような気がする。こちらには聞こえないくらいの、か細い声で。


「あ、茜さーん!」


 和樹が声を掛けると、小さく会釈をする彼女。

 上品な雰囲気を醸し出しながらこちらに歩いてくる。


「運命は変えられない……か。デウス・エクス・マキナ」

「運命? デウ……、え?」


 意味不明なことを口にする。理解が出来ない。でも、覚えていた。髪型が変わっているが、顔立ちは面影を残している。

 たしかこの人は……。


「こんにちは、さようなら」

「ちょ、ちょっと!」


 慌てて和樹が引き止める。


「何? 私、もう行くのだけれど」

「ほら、こいつ翔平。7年振りだろ?」

「お久しぶりね、翔ちゃん。かっちゃんも」

「オレは昨日振りです……」

「お久しぶりです。霧咲さんも、元気そうで」


 この人は霧咲 茜さん。

 俺のことをちゃん付けで呼ぶのは彼女だけだ。あ、たまに玖珠羽も言ってたな……。

 湯ノ足村に古くから住まう旧家の娘。

 和樹と比べたら肩くらいまでしかなくて背は低く、藍染めで染めたかのような深く青みがかった髪は背中まで伸びている。

 そして、普段着が着物姿なのが特徴である。整った顔立ちは精悍で、玖珠羽とは対照的に綺麗といえる。


 うむ、美人だ。異論は認めない。

 若干目つきが鋭く、怒るとかなりこわい……というイメージだった気がする。

 確か歳は、俺たちより一つ上だ。短い間だったが、よく小突かれたっけな。こう、おでこの辺りをちょこんと。

 それに清楚なイメージにぴったりなこの香りは、石鹸……パーリィミストあたりだろうか。

 香水をしてないと思うくらい薄いものだが、香水ってのは個人個人で変わるものだ。茜さんから香ると、ドキドキしてしまうのは俺だけだろうか……。


「くす。霧咲さんだなんてよそよそしい。昔みたいに茜って呼んでくれていいよ」

「あ、あぁ……なんか雰囲気変わったみたいだったから。茜さん、髪伸ばしたんですね」

「ええ。この長さまで整えるのは大変だったけれど」


 そして自慢の髪にそっと触れる。こう、片手でうなじの辺りをかき上げるように。

 そんな仕草すらも、綺麗だった。見ているだけでも他の人とは雰囲気が違う。オーラというか貫禄というか。

 ……それもそうだな。あれから7年経ってる。しきたりや厳しい躾とかがあるんだろう。外に出しても恥ずかしくない立ち振る舞いや、言葉遣い。

 いやむしろ、写真に収めて部屋に飾りたいくらいだ。俺の部屋が美術館になるだろう。入館料はタダでいい。ただ肖像権はもちろん、茜さん本人の完全監修による―――。


「そういえば、くぅちゃんは一緒じゃないの?」


 っと、また思考が逸れた所を現実に戻される。くぅちゃんとは、……そう、ご名答。玖珠羽のことだ。


「寄る所があるからって、今はオレが選手交代ってわけ」

「そう……。寄る所、ね」


 含みある言い方をする。どこへ行ったかを知っているのか?


「本当は、もう会いたくは無かった」


 しかし次に紡いだ言葉は、突然だった。一瞬、理解に戸惑う。


「……え?」

「今この日、あなたがこの村へ帰ってきたことを、ひどく後悔することになるから」


 な、なんだって……。

 7年振りに帰ってきたことを、後悔する? そりゃ確かに、俺は事件を調べるために戻ってきた。

 しかし、数少ない友人たちに会うのも少なからず期待していた。

 初めは誰とも会わないつもりで居たが、玖珠羽や和樹と再会して、昔の温かさを思い出していた。

 なのに……。


「湯雪祭りの前に、帰りなさい」

「あ、茜さんそんな言い方しなくても……」


 和樹が割って入る。


「これは警告よ。でないと―――」


 しかし茜さんは、目を伏せる。


「良い夜を。さようなら」


 そういって背を向け、村の方へ去っていく茜さん。

 一体、なんだっていうんだ? 俺、何か悪いこと言ったのか? 

 茜さんの気分を損ねるようなこと、言ったのか……?


「気ぃ悪くしたらごめんな。最近、あんな感じなんだ」

「いや、俺こそ何か悪いことしたなら謝るが……」


 昔は俺たちのお姉さん的な立場で、大人しいけども知的で、良くしてもらった気がする。

 この7年の間に、茜さんは変わってしまったのだろうか。


「いや、いつもはあんな冷たい言い方はしない。どうしてか分からないけど、お前が来るってことを話した時、あまり喜ばなかったんだ。歓迎できない、みたいな感じで」

「そう、だったのか……。はは、嫌われちまったのかな」

「そ、そんなことねぇって。時々お前のことも話してたし、またみんなで遊びたいなって言ってたんだよ。大学も俺たちと一緒でさ、茜さんも心理学なんだぜ。歴史とか

宗教とかそっち系で俺や玖珠羽と比べたら、知識の幅は違い過ぎるくらいにな」


 またしても心理学……。奇遇なのか何なのか。

 でも、なるほど。玖珠羽と和樹と茜さんは同じ大学なのか。


「ただ、なんでこの時期にって……。もう、3日目だからなのか……」

「3日目? 何が3日目なんだ? そういやさっきもそんなこと言ってた気がするが……」


 和樹は突然、言い過ぎたといった感じでバツの悪そうな顔をする。


「玖珠羽は、何も言ってなかったか?」

「いや、特には……」


 ……? 何の話だろうか。


「そうか、あいつなりに気ぃ使ってたんだな……」

「もったいぶるなよ。一体、なんなんだ?」

「お前が居たのが丁度7年前の湯雪祭り。そして今年が7年後の湯雪祭り。その前後に何があったか、覚えてるだろ?」

「……まさか……」

「ああ、連続失踪殺人事件。通称、オニガミの神隠し」


 そうだ、湯雪祭りを中心に一週間続いた連続失踪殺人事件。それを調べるために俺は来た。今回来訪の最大の目的だ。


「それが、今日で3日目なんだよ……」

「3日目って、え……」

「今年も起きてるんだ。昨日、一昨日と2つ死体が上がってる。今夜も起きるんじゃないかって、思ってる」


 和樹は小声で話す。それは周囲を警戒して、漏れ聞こえることを気にしているかのように。


「村の人は誰も話さない。街のやつもだ。表沙汰にしたくないんだよ。知ってても、関わったらいけない。だから、湯雪祭りの前後はそれを意識しないようにみんなで賑わせている。裏で何が起こっても、だ」


 有無を言わせない和樹の口調。

 あぁ、そうだった。7年前もこんなに連日続いた事件だってのに、誰も騒ぎ立てなかった。

 でもなぜか、マスコミには情報が漏れていた。さらに記事にまでなった。

 事件を隠蔽したいのか、見せびらかしたいのかどっちなんだ。

 だからかもしれない。俺が遠くの地で情報収集が出来たのは。


 この場所に居て聞き込みをしても、きっと小さかった俺には誰も話してくれなかっただろう。

 逆に遠くの地でマスコミの記事を集め、大学のコネクションを使い方々へ探りを入れた。時には警察への接触も試みた。危険な橋をいくつも渡った。

 そうして得た情報は、少なからず俺は吸収出来た。推測を重ね、あらゆる可能性を吟味した。犯罪心理を説き、毎夜の事件を追った。

 ……でも、そこまでだった。

 その情報収集にも限界があった。そう、核心には迫れないのだ。あくまで遠い異郷での出来事。

 だから俺は来た。核心を貫くために。

 この、全てが始まった……いや、全てを狂わせたこの村で。


 それが、また同じことが起こっているって……?

 今日で三日目だと―――。あの時と同じなのか? いや、今回そんな情報は届いていなかった。

 じゃあ、今起きているのはまた別の事件?

 同じことになっているならマスコミが騒がないはずが無い。少なくとも号外や、新聞で取り上げられていたらもっと目に付くはずだ。

 テレビのニュースとか、駅の本屋とか―――。


 駅……。


 あ……。


 駅で見たあの妙なヤツはひょっとして―――。

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