第177話姫若子(ひめわこ)
「あっ……俺、佐助っていいます。あの……あなた様のお名前は?」
「おっ!俺?」
優は焦る。
優は本来ならこの時代にいない。優と言う名も存在してはならない。ここはやはり春頼に言ったように、理由があり名乗れないと言うべきだろう。
だが、そう考えながらしばらく押し黙っていた優に、佐助が軽い口調の小声で言ってきた。
「名乗れないなら……俺が呼び名を付けてもいいですか?」
「呼び名を……付ける?俺に?」
優も千夏を気遣い小声で、酷く怪訝そうにして小首を傾げた。
だが佐助は、そんな優などお構い無しに提案した。
「そうです。姫様……姫様と呼ばせてください!」
「姫様ーっ?!姫様って、なんで姫様?!俺、男です!」
優は、目を剥いて驚愕した。
「それは分かってますよ。なんで姫様かって?あなたがどこぞの大名家筋のお姫様みたいだからですよ」
佐助は、あっけらかんと言う。
優は、疲れていたがガバッと立ち上り返した。
「そっそれは!いやです!」
「そう……いやですか…」
「はい!絶対に、いやです!」
「そーんなにいやですか…」
「いやです!」
「では……姫若子(ひめわこ)様ではどうですか?」
佐助の次の案に優は、目が点になった。
以前日本史の授業の時教師の余談で、四国の戦国武将長宗我部元親が幼少期に、まるでお姫様のようだったからそう呼ばれていたと聞いた事があったから。
「それじゃ、姫様と一緒じゃないですか。いやです!絶対にいやです!」
苦い表情の優と満面笑顔の佐助は、ヒソヒソ小声で会話を続けていたが、佐助は急に更に笑みを深めて言った。
「分かりました。なら俺、もっとあなたによく似合う別の呼び名を考えます」
(えっ?!もっとよく似合う……別の呼び名?この人……なんか……変わってる)
優は、佐助の表情から又変な名前をつけられる嫌な予感がして顔を引き攣らせた。
だがそこに、定吉が低い声で又ボソっと言った。
「佐助……止めろ…」
「へ~い!」
佐助は、胡座のまま優の顔を見上げながら凄く残念そうにした。
優はその表情を見て、今度は定吉の方を見た。
定吉は、相変わらず腕を組みふてぶてしく胡座をかいていたが、視線は畳に落としていた。
優はふと、全然確証など無いがもしかして定吉は、優が名乗れない事を察していて気を遣ってくれているんではないか?と感じた。
それに、何故かは分からないが、定吉も佐助もすでに千夏の名前を知っていた。
それに又、変なアダ名を付けられるのは回避したかった。
それらが優の中で、自分の名前位だけなら教えても良いかと言うハードルを下げさせた。
「ゆ……優…」
優は、まだ下に視線を落とす定吉の顔を見ながらボソッと呟いた。
定吉は、すぐ視線を上げて優を見詰めた。
「えっ?」
定吉で無く、佐助が声を上げた。
「ゆ……優です……俺の……名前」
優は、定吉と見詰め合ったまま言った。
定吉は一切表情を変えなかったので、優には定吉が何を思っているかは判断出来なかった。兎に角、この時代の定吉には、喜怒哀楽の表情が無い。
しかし、喜んだのは佐助だった。
「ゆっ……ゆうって、夕方のゆうですか?」
「ちっ、違います。だから、俺男ですから夕方の夕じゃないです。優しいの優です」
「別に、夕方の夕でも凄く合ってるのになぁ…」
佐助は、そう言いデレっと相好をかなり崩した。
(やっぱ、ちょっと変わってるよな、この人…)
優は、若干……いや、かなり引いていた。
しかし、やはり佐助は本当にマイペースだ。そして佐助も立ち上がると言った。
「優様、お腹空いたでしょ?何かお作りしますよ!」
「えっ?ゆっ、優様?!あっ、いや……俺、お腹はまだ…」
優は、右手の平を佐助に向けブンブン振った。
しかし…
ぐ~っ…
絶妙なタイミングで、優の腹が鳴った。
定吉も佐助も優を見た。
(なんでこんな時に!)
優は、かっと顔を赤らめ下を向いた。しかし、そうなったのは、千夏が落ち着いて優がほっとした良い証でもある。
「佐助……優に……消化にいい雑炊と温かい味噌汁を作ってやれ…後、千夏の目が覚めた時用に粥も…」
定吉は、そんな優を馬鹿にして笑う訳でも無く、又ボソッっと言った。
「はい!只今すぐ!」
佐助は、定吉の横を通り座敷を出た。
「あっ!あのっ!」
何故定吉達にそこまでしてもらえるのか?その理由が謎で優は戸惑い、佐助の行った方向に視線をやった。しかし同時に、急に優の体がふらついた。優は自分の体の変調に一瞬ヒヤっとしたが、自分ではもうどうも出来ず遅かった。
だがそこに…
なんとか布団の中の千夏を避けて畳に倒れかけた優を、巨体なのに恐ろしいスピードで動いた定吉がスッと抱き上げた。
「あっっ…」
定吉にお姫様抱っこされた優は、定吉の顔を見て驚きを隠せなかった。
「優……メシ食ったら、お前も少し眠って休め…」
そんな優に対し相変わらず定吉は愛想は無かったが、優を見詰めてそう言った声が妙に優しく優には聞こえた。
しかし定吉は、すぐ座敷の入口に視線をやる。
「何してる?……さっさと作れ…」
定吉が、その様子をそこからじーっと見ていた佐助に言った。
「へ~い!」
佐助は、ニヤニヤしながら釜戸に向かった。
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