第178話前世の臣下

 千夏が布団で眠る居間は広い。

 優と定吉は、千夏の邪魔をしないよう端の方に移動してお互い横並びに胡座をかいて座った。


 「…」

 

 しかし優は、今横にいる前世の定吉に何を喋ればいいのかが分からず、ただ無言で畳を見続けた。


 「…」


 そして定吉の方もただ無言で、逞しい腕を組み前を見続ける。


 「優様、お待たせしました!どうぞお召し上がり下さい!」


 だが、なんとも言えない緊張感に優が包まれていると、釜戸にいた佐助はかなり手際が良く、あっと言う間に食事を作り、温かい雑炊と味噌汁の入った椀二つと茶の入った湯呑みを膳に乗せて優の前に提供した。雑炊は卵と野菜入りで、味噌汁も野菜が具沢山だった。


 「さぁ、どうぞ、温かい内に」


 佐助がそう言い、味噌の甘い香りが優の鼻をくすぐるが、優は戸惑う。本当に今は、優がこうやって前世の定吉に優しくして貰える理由が思いつかないのだ。だが、それを本人に聞ける雰囲気でもない。

 でもあるとするなら、優が前世の優、春陽に瓜二つだと言う事位だ。

 優がそんな事を色々ぐるぐる考えながら雑炊と味噌汁をがん見していたら、定吉が優を見て相変わらず低い声で、千夏を気遣ってか小声でボソっと言った。


 「毒なんか入って無い。それにお前は、あそこで寝てるチビ……いや、あの子を守ってやるんだろう?なら、メシを食って後で少し眠って体力を保て」


 優は左にいた定吉の目を見た。そしてやはり「どうして俺にこんな事してくれるんです?」と聞きたかった。しかし、やはり聞けない。

 だが、もう一つ聞きたい事は聞いてみた。


 「定吉さんと佐助さんは……食べないんですか?お腹、空いてませんか?」


 すると、優と向かい合い正座していた佐助がうれしそうに優に尋ねた。


 「もしかして……アニキと俺の心配してくれてるんですか?」


 定吉も、黙って優の目をじっと見てきたので、優は逸らして下を向いて答えた。


 「いや……その、心配と言うか……普通この状況で一人で食べないし、普通そう思うんじゃ?」


 「フフっ…」 


 優がゴニョゴニョゴニョゴニョといった感じの言い方をしたので佐助が思わず笑うと、定吉は佐助を軽く睨んだ。

 

 「ゴホン…」


 佐助はそれを見て、一つ咳払いすると顔を真顔にした。


 「俺達は今は大丈夫だ。冷めるぞ、早く食え…」


 定吉が、優を見て言った。

 顔を上げて、優も定吉を見た。

 優は色々思う所はあるが、あの

山小屋で過ごした時のように今は定吉を信じるしか無いと思った。だから定吉の目を見てコクリと頷き小声で返事をした。


 「はい…」


 優は膳の上の箸を取ると、まず味噌汁の椀を持ち口を付け飲んだ。


 「美味しい…」


 優は、思わず安息の混じった声を出した。


 「本当ですか?良かった!」

 

 それを聞き、佐助が小声ながらもうれしそうに喜んだ。


 「本当です…本当に美味しい…」


 優は、そう言いにっこり佐助に笑いかけた。

 佐助はそれを見て何故か一瞬驚いた表情になったが、すぐに優し気に優を見詰めた。

 定吉は何を思ってか、そんな優と佐助を横目でじっと凝視する。

 味噌汁の味噌は、素材の味がかなりそのままダイレクトにきてかなり濃かった。きっと現代の日本なら、デパ地下に置いてある系の高級味噌かも知れない。

 ただこの時代の味噌は、焼いたり、或いは伸ばして干したりして保存している。

 しかし本当に美味しかったし、手作りの味噌汁に、優は思わず東京の養母を思い出した。よく考えれば異世界に来てこの数日余りに慌しくて、でも逆にそれが幸いして、優は東京の両親を思い出す暇があまり無かった。


 (母さんに折角用意してた初めての母の日のプレゼント、家の勉強机の引き出しに入れたままで……渡せなかったな…)


 優が東京にいた時は、母の日も父の日も両親は優からの手紙だけで充分だと泣いて喜びプレゼントは受けとらなかった。

 しかし、次の母の日は何かプレゼントを渡したくて、優は自分の小遣いで、カーネーションのブリザーブドフラワー入りの小さなガラス細工を買って、勿論手紙も用意していた。


 (ヤバい!涙が出そう!)


 さっき春頼と別れた事もダブルで思い出し、優は慌てた。そしてそれを隠す為に突然急に碗を持ち変えると、牛丼を食べるかのように雑炊を勢い良く食べ出した。春陽は武家の子息らしく上品に食事するが、そんなのは優には関係ないと言わんばかりにガツガツと口に入れる。

 だがそれを見て、佐助と、滅多に感情を表に出さない定吉が驚いた顔をした。特に定吉は、優と顔の瓜二つの春陽の普段の良家の子息然とした態度を知ってるだけに唖然とした。

 そして佐助の方は、優の豪快な食べっぷりを見てニヤニヤしだし、定吉に又軽く睨まれてやっと止まった。


 「ゲホゲホゲホ!」


 しかしあまりに慌てて、優は咳こんだ。


 「慌てるな!ゆっくり食え!誰も取らん!」


 さっきまでどっしり落ち着き払っていたはずの定吉が、慌てた態度で優の肩を抱き背中を擦った。


 「ハイ!優様!」


 佐助も焦って、膳の上の湯呑みの茶を差し出した。

 優は、受け取り定吉にまだ背中を擦られながらゆっくり飲むと、もう一回咳こんだがようやく落ち着いた。


 「よっぽど腹が減ってたんですね…」


 佐助が苦笑いした。


 「ハハっ……咳込んだら……涙、出た」


 優も苦笑いし、両親と春頼を思い出し右目から一筋流した涙を誤魔化した。そして自分の手で拭こうとしたが…

 その前にその優の涙を、定吉がゴツゴツとした定吉の右親指の腹でそっと、何気ないように黙って拭き去った。

 その定吉の優し気な態度に、優は増々困惑した。

 

 

 食事が済むと、佐助は片付けに又釜戸に向かい、定吉は、居間の端に畳んでいた布団二組の一つを、千夏の横になっている布団の横に勝手に敷いた。


 「お前も少し、眠れ」


 定吉は立ったまま、その様子を戸惑いながら正座して見ていた優に言った。


 「で、でも…」


 優は、更に戸惑う。


 「さっきも言ったはずだ。その子を守りたいなら、まずお前が体力を維持しろと…それに、お前が寝てる間、ちゃんとお前とその子は見張っていてやる」


 優は、やはり定吉の言動を謎に思いながらも従い、千夏の横の布団の中に入った。

 定吉は、まるで優と千夏を守るかのように居間の端にどっしりと又座り胡座をかいた。

 すぐ優に、疲れと満腹感から眠気がやってきた。しかし、睡魔に引っ張られながら優は、定吉はやはり優が春陽に似てるから良くしてくれるのだろと思考した。

 でも優は本来この時代にいない存在だし、定吉が優に春陽を重ねていて優しいのなら何の問題も無いはずなのだ。


 春陽は、優の前世なのだから。

 優は、春陽でもあるから…


 しかし…優の胸中はなんとなくスッキリとせずモヤモヤとする。

 

 (俺……もしかして、前世で臣下だった人に今の俺自身を見てもらえなくて……ちょっとだけ寂しいのかなぁ?…ハハッ……そんな訳無いよな…)

 

 そんな、優が前世の自分をライバル視するような事がある訳無い……内心そう思ったものの、かなり優の疲労は酷かった。

 

 「定吉さん…」


 優はそう一言呟いた後、ほんの一瞬で深い眠りの谷に落ちた。


 「ん?何だ?」

 

 定吉は優に呼ばれたと思い反応したが、その声は、佐助が聞いたら驚くだろう位にいつもの武闘派の定吉らしくなく優しいものだった。そして定吉は、それが寝言だと分かると、そんな優の寝顔をしばらく静かに見詰め続けた。


 




 



 




 

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