第175話薄明(はくめい)
両目から涙を流しながら春陽は、眠りから目覚めた。
と同時に、魔物の自分がまだ今も生きている事への絶望が襲ってきた。
そして感じるのは、又、血と性への終わりの無い欲求。喉がヒリヒリと焼かれるように乾く。
今日もただ、この苦しみを味わう為だけに生きるのだ。
そして、春陽の頭の双角も口の牙も、何も変化は無くそこにある。
春陽は、布団の中で上半身起きあがる。
雨戸が閉められていて外の様子が分からない真っ暗で静かな座敷。
夜目が効くのでいつも傍にいるはずの春頼がいないのが分かった。
通常通りなら春頼は、ニワトリの血を春陽に飲ませる為に、人目に付かない早朝から準備に行っているはずだ。
だがいずれ、春頼が一日に何匹ものニワトリの血を密かに採取している異様な行動が、この屋敷に勤める沢山の下働きの者達や村人達の噂にもなるだろう。
そうなればと、春陽はゾッとした。
そして、さっきまで見ていた夢を思い出す。
夢の中で春陽は、これ程大切に想う朝霧に襲いかかり、何の躊躇も無く朝霧の首にむしゃぶり付き朝霧の血をすすっていた。
意識の無い朝霧の首から鮮血が流れ小袖も所々赤く染まっていた。
夢がまだ続いていたなら、血を吸われた朝霧も淫魔の化け物になっていただろう。
もう、春陽は限界だった。
「すまない……春頼……愚かな……愚かな兄を許して欲しい…」
春陽はそう呟くと、寝巻きの薄い白い小袖姿のまま角と牙を隠す為に頭から違う紺色の小袖をかぶり、座敷を出て雨戸を開け、屋敷を走り出た。
外は、ほんの少し夜が明け始めた薄明の状況で、薄い霧もかかっていた。
向かう先は、マリア菩薩のおわす寺。
あそこの住職なら信用出来る。
春陽は、春陽自らで腹を切った後淫魔の春陽が生き返らないよう、春陽の首を斬り落とし、春陽の心の臓を神仏の斉火(いみび*不浄を清めた火)で焼いてもらうように住職に頼むつもりだ。
(貴継……貴継……貴継…)
走る春陽の決心は揺るがないが、泣きながら心の中で幼馴染の名前を呟き呼ぶ。
(貴継……貴継……貴継…)
(貴継……もし……来世で又お前と会えるなら、今度こそは死ぬ瞬間まで一緒にいよう…)
同じ頃、空の白み始めた曙の中…
朝霧も、まだ灯りの着いた洋燈を片手に馬を引き、春陽の元に帰っていた。
(ハル……ハル……ハル…)
朝霧も、春陽を心の中で何度も呼ぶ。
しかし背後から、ずっと何者かが朝霧の後を着いて来ているのは知っていた。しかもその数は、時間を追う事に増えている気がしていた。そして多分……山賊だと朝霧は踏んで、出来るだけ空が明るくなり、戦いやすい時間、場所まで奴らを引っ張って来た。
バサバサバサバサ!
地上も明るくなり始めた山中の平地。
突然、木にいた山鳥が飛びたった。
朝霧は、今だとばかりに洋燈と馬をそこに置き、何の予兆もないまま、腰に携帯した二つの鞘の一方から刃の短い方の脇差を抜いて振り返り走り出した。
ここは平地と言っても周りは高い木々に囲まれていて、もう一口の長い刃の打刀では弾かれた刃が木に食い込む事もあり戦いにならない。こんな場所や狭い屋敷内では脇差か短刀を使うのは当然だ。
「おりゃー!」
「金目のモン寄越しやがれー!」
朝霧の読み通り、身なりですぐ山賊だと分かる男達十人程が、朝霧めがけて突進して来る。
この戦国時代、刀は大体の長さにより種類は分けられていたが、どの種類も統一された正式な刃の長さなど存在しないので、山賊の持つ刀もそれぞれ長さや反りが微妙に違うが、やはり賊の方も手慣れているのか脇差で襲ってきた。
だが…
朝霧は、一晩中歩いていた疲れも見せず、山賊が朝霧に刀で斬りかかる前に一撃で、或いは攻撃を食らっても朝霧の刃でかわし、恐ろしい速さで二撃目で山賊の急所を捉え斬り付けていく。
「うげっ!」
「ぐはっ!」
一人、又一人と山賊が血の池に横たわっていく。
朝霧の会得した剣術も、一刀虚無。
京の貴族達が習うような無駄な形式美だけの型など一切教えない、合戦地でいかに少ない攻撃で相手を終わらせるかの実戦にだけに特化した流派だ。
だが朝霧は、どんどん返り血に染まりながら虚無に身を晒し続けながらも心の中で名前を呼んでいた。
(ハル!ハル!ハル!)
しかし、同じこの時この瞬間、やはり春陽も…
(貴継……貴継……貴継…)
寺に走りながら朝霧の名前を呼んでいる事など、朝霧は知る由も無かった。
「ばっ……化けもん……おっお前は化けもんだ!この山の化けもんが人間に化けてんだろ?!」
仲間九人があっと言う間に斬られ辺りに無惨に転がる中で、一人残った賊が刀を構え、足を震わせながら朝霧に向かって叫んだ。
「へぇ……人を襲って命、金品を巻き上げてるてめー等が人間様で……俺の方が化け物か…」
朝霧は、返り血の着いた顔でニヤリと笑って口を開いた。そして次の瞬間、すっと端正な顔の表情を引き締めてから続けて言った。
「でも、いいかもな、化け物も。アイツを守れるなら、俺は化け物でも何でも喜んでなってやるよ!」
賊には、その朝霧の言葉の意味など分かる訳が無い。
「くそ化けもんが!死ねぇっ!」
賊の最後が、叫びながら朝霧に斬り掛かった。
しかし…
やはり、朝霧の敵では無かった。
賊は、朝霧に動きを看破され、朝霧の刃で刃をはねられ、肩から一斬りされその場に倒れた。
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