第174話白湯

 振り返ったまま定吉の顔を見ながら木刀を下ろした優は、今度はそれを畳に落とした。そしてすぐ様走り、千夏の横たわる布団の側に来て跪いた。

 千夏はやはり、体全体から汗を大量にかき荒い息を繰り返していた。

 優は、早速春頼から貰った漢方薬を千夏に飲ませようと、湯を沸かしに釜戸に向かおうとした。

 すると…


 「どうぞ、白湯です。子供が薬を飲めるようにちゃんとぬるくしてますからご安心を…」


 そう言って、盆の上の湯呑みを差し出してきたのは佐助だった。

 優は、不審そうな顔をして佐助を見た。

 優が漢方薬を貰ったのを知ってるのは、優と春頼しか絶対にいないはずなのだから。

 確かにこの戦国時代で湯を沸かすのは火をおこす所から始めるから時間がかかるので、湯が用意されていたのはありがたいが…状況がおかしくて、優は次に、優のすぐ横で片膝を付いて千夏を見ていた定吉の顔を怪訝そうに見た。

 だが定吉は優を見て、ぶっきらぼうに言った。


 「早くチビに飲ませてやれ。俺がチビの上半身をおこして抱き抱えるから、お前が薬を飲ませてやれ」


 どう考えても定吉達が薬の事を知ってるのはおかしかったが、千夏の苦しみ様が酷くて、優は疑問を今はぐっと飲み込み定吉の顔を見て言った。


 「この子は、千夏ちゃんは、この子の姉さんか俺以外に体に触れられるのがダメなんです。俺が千夏ちゃんの体を支えますから、あなたが薬を飲ませて上げてくれませんか?」

 「分かった」


 定吉は、優の目をじっと見て即答した。

 優は、袋から一つまみした漢方薬を湯呑みの中に入れると、千夏の頭側に回り、千夏の上半身を起こそうとした。

 そこに定吉が一旦優の背後に回り、優の体を支えた。そして、優が千夏の上半身を起こしその背中を優の胸で支えると、定吉が千夏の前に移動してゴツゴツした大きな両手で小さな湯呑みを握り、千夏の近くに持ってきて待機した。

 佐助は、何かあれば援助に回れるよう立ったまま待機している。


 「千夏ちゃん!千夏ちゃん!千夏ちゃん!」


 未だ瞼を閉じて荒い息を繰り返す小さな体に、優は必死で呼びかけた。

 だが、やがて千夏は目を開けたが、定吉を見て暴れ出した。

 優は、千夏が生まれ変わりの定吉の方を知っているはずなのにと驚いたが、目の前にいる前世の定吉の顔相が、生まれ変わりより凶暴な事にやはり恐怖しているのだとすぐ察した。

 優は、千夏を後ろから抱きしめてやり、母親が子供をなだめるように必死で言った。


 「千夏ちゃん、大丈夫。大丈夫だよ。怖がらなくても、定吉さんは同じ、同じだよ」


 ここで優が、定吉の名前を又定吉の前で出すのは都合が悪い。しかし、もう仕方無かった。

 そして定吉の方は、以前からだが、やはり優が定吉の名前を知っていたのが謎だった。

 そして、一体何が……一体何が定吉と同じなのか?が意味不明だった。


 「千夏ちゃん、大丈夫。大丈夫だよ。怖がらなくても、定吉さんは同じ、同じだよ」


 定吉の心中を知らない優は、同じ言葉を根気よく続けた。

 すると、千夏は大人しくなった。

 優は、すかさず定吉に目で合図すると、定吉は、千夏の口元に湯呑みを持っていった。

 優と定吉が知り合ったのは最近なのに、その妙に息が合っている優と定吉の様子を見て、今度は佐助が不思議そうな表情をした。

 だが千夏が、今度は漢方の匂いを嗅ぎその酷さから、声はやはり出ないが手足をバタつかせむずがった。だが仕方がないのだ。本当にほんの少量でも、優ですらえずきそうなニオイなのだ。


 「千夏ちゃん、飲んで!頼む!飲まないと死んじゃう!一緒に千夏ちゃんが大好きな姉さんの所に帰ろう!絶対に一緒に帰ろう!だから、だから飲んでくれ!頼む!」


 優は、千夏が苦しむ姿に追い詰められながら千夏を更に背後から強く抱き締めると、泣きながら訴えた。

 その姿を見て定吉は、又母を思い出さざるをえなかった。

 幼い定吉が母と這蛇(はいだ)の里を逃亡しようと住んでいる屋敷で話し合った時、母は定吉を抱き締めて泣きながら言ったのだ。


 「一緒に幸せになれる所に行きましょう。絶対に一緒に行きましょう」


 幼い定吉は分かっていた。

 母が里を出ようと決心した一番の理由が定吉の行く末だった事。

 そして、自分の身の事一つすら頼り無く危うい母が、それをかえりみず懸命に定吉をかばっていた事を…

 

 


 




 


 

 



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