第169話発熱

 定吉は自身の持つ異能の力で闇夜でも良く周囲が見える。だから佐助が優達のメシを持ってくるまでこの場から動かず、優の行動を見る事にした。

 それから日が完全に沈むまで早かった。

 優は、味噌汁と切った桃を持って、まだ布団で寝ている千夏の側にきた。

 しかし、ついさっき様子を見た時は何も無かった千夏の様子がおかしい。

 優は焦りから、食事の乗った盆を布団の側に乱雑に置いた。

 千夏はかなり苦しそうで、額から汗を滴らせていた。


 「ちっ!千夏ちゃん!千夏ちゃん!」


 優は呼んだが、千夏は薄っすら目を開けて優を見ただけで又瞼を閉じた。


 「千夏ちゃん!」


 優は慌てて、千夏の額に手をやると、そこはかなり熱くなっていた。


 「熱い!早く薬を…」


 優はそう言い、令和時代の薬局に売っている有名な頭痛薬のいくつかを思いだしたが、当然、異世界の戦国時代にそんな物は無い。


 「えっ?どうしよう……薬、無いし……どうすれば…」


 この時代ならきっと薬草などで熱を冷ますのだろうが、そんな知識も優には皆無だ。


 「えっ?!どうすればいい?俺、俺は……」


 いくら考えても何一つ妙案が出てこない。


 「俺……本当に役立たずだ…」


 優は打ちのめされ思わず、千夏の上の掛け布団を握り締めた。


 「俺は、何も出来ない……本当に何も出来ない……ごめん……千夏ちゃん……俺のせいで、千夏ちゃんを巻き込んでしまった」


 優の両目から、千夏への申し訳なさと自分の情けなさから涙が溢れ出した。

 千夏は、本当にまだ小さい。令和時代なら、まだ親に甘えたり保育園に行ってる位だ。

 そんな幼い子を、優本人が望んだ事で無いにしろ、優と藍の戦いに巻きこんでしまったのだ。そして、絶対に巻き込むべきでは無かった。

 しかし…


 (泣いてる暇があったら考えろ!俺は…俺は、どうしたらいい?!)


 優は内心思うと自分を奮い立たせ涙を止め、又布団を握り締めた。そしてその時優の脳裏に、又あの朝霧の優への言葉が浮かんだ。


 「こう言う迷う事が多い時は、例え困難でも自分にとって最善の道を選び積み重ねてゆけば、前途は必ず開けます」


 「考えろ!今、自分が出来る事を!選べ、俺の最善の道を!」


 優は、布団を握ったまま、朝霧の顔も思い出しながら自分自身に必死に言い聞かせる。


 そして決した答えは、優自身が何も出来ないなら誰かを頼るしかないと言う事だった。

 過去にタイムスリップしている優がこの時代で安易に動けば、歴史が変わる危険があるのは分かっている。だが、もう躊躇してはいられないのだ。

 だが、誰を頼れと言うのか? 真矢も小寿郎もいない…朝霧も観月もいない、定吉を頼るには、まだそこまで信用出来ない。そして、それなら…

 残るのはただ一人だった。優の前世の弟春頼だ。

 優は春頼に会いに、優の前世の春陽のいる観月屋敷に再び乗り込む決心をした。


「待ってて、千夏ちゃん。俺、必ず春頼さんに薬貰ってくるから」


 優はそう言い、目を閉じたままの千夏の右手を握った。そして、釜戸の近くにあった洋燈に火を付けそれを持つと、凄い勢いで民家を出た。

 しかし、その飛び出した優の姿を見て怪訝に思ったのは定吉だった。定吉も、優の後を追いかけた。

 優は夜目が効くが、暗い山道を念の為に南蛮の洋燈の灯りを頼りに、こけないよう早足で歩いた。

 

 その頃。観月屋敷にいた春頼は、今日も頭に双角、口に双牙の生えた、優の前世の春陽の世話に甲斐甲斐しく勤しんでいた。

 昨日春陽は、淫魔の本能に飲み込まれ一時我を忘れ、春頼に襲いかかろうとして寸前で我に返った。

 あれからも春陽は、淫魔の性欲と吸血の欲求に苦しんでいたが、今日はにわとりの血を頑張ってかなり飲み欲求が収まっていて、医師の薬は中止して春頼の調合した安眠の漢方薬に変えたらよく合い、今やっと自室の布団の中で眠りに落ちていた。


 (おやすみなさい……兄上)


 春頼は、その布団の横で膝立ちしながら、かなりやつれた眠る淫魔の春陽の髪と頬を優しく撫でて心の中で呟いた。そして春頼は、座敷行燈の灯りを吹き消し、なまぐさいにわとりの血の入っていた幾つもの空の湯呑みを洗いに行こうと、今は落ち着いている春陽を残し座敷を出て障子を閉めた。

 春頼は、春陽が大量のにわとりの血を体に必要とするので、これを朝と晩と繰り返していた。

 そして洗い物が終われば、又春陽の座敷に戻り、春陽の横に自分の布団を引き、少し自分も眠るつもりだ。


 キーッ!キーッ!


 山鳥の鳴き声が遠くでしたが、それ以外はとても静寂。

 だがその前に、夜も更けてきたので座敷前の縁側の雨戸を閉めようと春頼は思った。普通こういう事は屋敷の使用人がする事だが、春陽が淫魔だとバレないよう春陽の座敷には使用人すら近づけさせなかったので、今はこれすら春頼の仕事になっている。


 (兄上、少しだか落ち着いて良かった…)


 春頼はそう思いながら、戸袋から雨戸を出して閉めようと、右手に手燭の灯りを持ちながら左手に持つ湯呑みを載せた盆を縁側の床に置こうとしたが、ふと視線を感じ前を向き庭を見た。


 「ん?…」


 春頼は、庭の暗闇、整えられた草木の間に人影がある事に気付いた。


 「誰だ!」 


 春陽を起こすまいと、春頼は目を眇め声を抑え気味に警戒した。そして、蝋の灯りをその人影に向けた。


 「?!」


 だが次の瞬間、春頼は声を失った。蝋の灯りが照らし出した、庭にたっている男の顔を見て。

 今、庭に立っている男は、今自分の背後の座敷で寝ているはずの兄と瓜二つだったから。


 ガシャン!ガシャン! 


 思わず春頼は、盆ごと湯呑みを庭に落してしまい、陶器の割れる音が暗闇に響く。

 しかし幸い春陽は、薬のお陰で起きる事は無かった。

 

 (どっ…どういう…事だ?)


 春頼は、焦りなから春陽の眠る座敷を振り返り障子を開けその中を見た。布団の中で、頭に角のある春陽がスヤスヤ眠っている横顔が春頼の目に映る。

 そして春頼は、再び庭の春陽のそっくりさんを見た。春頼の体は固まり顔が引き攣る。

 

(えっ?!兄上が……二人?!)

 

 そこに春陽のそっくりさん、角の無い優は、春頼の近くの縁側まで走り寄り、声を控え目に、しかし必死の形相で訴えた。


 「突然来て驚かせて、それに俺の事知らないのに、初めて会うのにこんな事言ってすいません。でも、お願いです!春頼さん!助けて下さい!千夏ちゃんを!千夏ちゃんを助けて下さい!」


 その様子は、近くの暗闇から定吉も見ていたし、聴力の切り替えでその優の発言もしっかり聞いていた。そして、「俺の事知らないのに、初めて会うのに…」と優が言った部分に怪訝そうにした。しかし、定吉は妙に合点がいった。


(もし、兄様命のあの春頼が、あの兄様に瓜二つの男の事を知っていたなら空腹にしてほっとく訳があるはず無い。春頼はきっと今初めて、兄様そっくりの男がいると知ったんだ…)


 定吉は、内心呟くと眉間を寄せた。

 








 




 


 


 




 


 

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