第164話呼び声

 春陽がいなくなったと都倉家が知れば…観月家も荒清神社も荒清村の村人も、予告通り都倉家から兵を送られ、殺戮と破壊の果てに火を放たれ全滅するだろう。

 その為に春陽は、村人や全てを守る為に、婬魔の姿を何とか人間に戻してまで都倉家の城への召喚に応じようとしていた。

 こんな状況で春陽が再び仮死から目覚め、春頼が春陽の為だけに春陽を連れて出奔したと知った

ら…

 その時、春陽は春頼をどう思うのだろう?春頼を責めて、軽蔑するだろうか?そんな事を春頼は一瞬考えたが…全ての罪は全て自分が負うと、春頼は覚悟を決めた。

 そこに…


 「春頼っ!」


 突然春陽は叫ぶと、春頼の胡座の上に向かい合う形で足を広げ座り込み、春頼に抱き着いた。


 「あっ……兄上?!」


 流石の春頼も、これには気が動転し声が上ずった。しかし、すぐ冷静になり、懐の呪術札を春陽の額に貼る間合いを計った。

 だが…


 「あっ……兄上?…」


 春頼は、春頼の膝の上で、春陽の体が固まっているのに戸惑う。

 春陽は、明らかに人血を欲して双牙を剝いて春頼の首に喰いつこうとしていたのに、突然動きを止めていた。


 「兄上!兄上!」


 たまらず春頼が両手で、春陽の両頬を持ち上げ叫んだ。

 すぐに春陽の口が、音を発さず何か言いたげにパクパクと動いた。


 「兄上!兄上!しっかりして下さい!兄上っ!兄上っ!兄上っ!」


 春頼は続けざまに叫び、春陽の頬を必死に揺らす。


 「はっ……はっ……は……る」


 何度か揺らすと、やっと春陽から声が出てきた。

 そして…


 「はる……より?…」


 そう言って春頼の顔を見た春陽の目や表情は、いつもの優しい春陽に還っていた。


 「兄上……兄上……」


 春頼は心の底から安堵して涙を堪え、春頼の両手で春陽の両頬を今度は優しく撫でた。

 しかし春陽は、表情をすぐに絶望に染めて言った。


 「私は……私は……何をしていたんだ?」


 春陽には、ついさっきから春頼の膝に乗っかっている今の状態までの記憶が全く無い。だがしかし…

 何か自分が良くない事をしでかした予感めいたモノはする。


 「ま……さか……まさか……私は、春頼……お前の血をす…」


 吸おうとしたのか?といいかけたが、それを遮るように、春頼が春陽を優しく抱きしめた。


 「春頼!どうなんだ?私は、私はお前の血を!」


 春頼の体の中にすっぽり納まりながら春陽は真剣に聞くが、春頼は黙って春陽を抱きしめたまま何も言おうとしない。

 もし、春陽が春頼の血を吸ったなら、春頼も婬魔になったであろう。

 焦れた春陽が、胡座の春頼の抱擁から逃れて立った状態でもう一度真剣に春頼に聞いた。


 「春頼……私の事を本当に案ずるなら本当の事を言ってくれ。さっき、私は……お前の血を吸おうとてしたのか?」


 春頼は一度眉間を寄せて視線を下にしたが、観念したのか、春陽の顔を真っ直ぐ見て冷静に答えた。


 「多分……ええ、そうだと思います…」


 「なっ!…」


 自分で聞いておきながら、春陽の動揺は激しかった。


 「そっ……そんな…わ!私は……弟の血を?…」


 混乱し顔面蒼白になった春陽は、咄嗟に座敷を出ようとした。

 だがそれを、立ち上がった春頼が後ろから抱き止めた。


 「どこへ行くつもりですか!

そんな姿で!」


 今は昼間だ。

 すぐに親族以外の、屋敷内の使用人や武者に春陽の双角、双牙が露見してしまう。

 春陽の正体が、婬魔だとバレる。

 しかし春陽は、春頼の腕の中から逃れようと藻掻く。


 「落ち着いて下さい!兄上!兄上!私なら大丈夫ですから!兄上!」


 春頼は、背後から春陽を強く抱き締めた。

 だが…春陽は、まだ藻掻きながら心の中で己を責めた。


 (私は、弟に手をかけようとした!)


 そして、心の中で叫んだ。


 (貴継!私はどうしたらいい?どうしたらいい?貴継!貴継!貴継!)


 春陽は、必死で朝霧を呼んだ。

 その時…

 朝霧は、美月姫とその臣下達と遠江国への旅の途中だった。

 のんびりした深春の緑豊かな川辺で、馬に水を補給しがてら朝霧達も腰掛け休息していた。


 「貴継!貴継!貴継!」


 ふと……春陽の呼ぶ声がして、朝霧は勢い良くサッと立ち上がった。


 「どうかいたしまして?」


 すぐ横にいた、武者姿の男装の美月姫が座ったままキョトンとした。

 臣下達も不思議そうにしている。


 「今、私を、呼ぶ声がして…」


 朝霧は回りをキョロキョロ見回す。


 「誰の声もしませんでしたけれど…」


 美月姫も回りを見るが、やはり何も無いし、朝霧達以外は誰もいない。

 しかし朝霧は、さっき春陽に呼ばれたと、絶対に呼ばれたと…

 自分が、春陽の声を間違えるはずないと。あれは、春陽の声に違い無いと思った。 そして…

 今自分が旅してきた方、春陽のいる方角をじっと見詰めた。














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