第165話川魚
優は、自分と千夏が毒蛇から定吉に助けられたと知らぬまま、観月屋敷を出た。巫女姿の千夏の小さな手を引いて、トボトボと潜伏先の古民家に続く山道を歩く。
収穫は、ゼロ。
いや、むしろ疲れた分、マイナス。
真矢は、結局観月屋敷で見つけることが出来なかった。
そして優は観月屋敷で、もういるはずの無い前世の朝霧の姿も探している自分に気が付いた。
前世の朝霧も、黙っていれば野生の狼のようにクールだか、優の前世の春陽を見たらとても優しく微笑んだ。泣きたくなる位に、優しく。
いないと分かっているのに、何度も何度もそんな朝霧を優は探していた。
(今、朝霧さん、どこにいるんだろう?)
優は、朝霧の事を考えるといつもソワソワするから、出来るだけそうしないようにしたいが、山道を歩きながらふと、前世の朝霧と、その前世の朝霧の中にいる魂体の生まれ変わりの朝霧を思う。そして、何故か小寿郎も豆丸も真矢も帰って来ない事にも嫌な予感も浮かぶ。
そこに、優の気持ちを察したのか、千夏がギュっと優の手を握った。
優は、又千夏に心配をかけてしまったかも知れない事を反省する。
しかしさっきから、千夏の手の温度が少し熱い気が優にした。
優はしゃがみ、千夏と目線を合わせ、千夏の額に手を置いて熱を診る。額は熱くなかったが、優は心配になってきた。
「千夏ちゃん。もしかしてしんどいんじゃない? 今すぐ家に帰って布団に横になろう。千夏ちゃんがちょっと寝てる間に、俺、千夏ちゃんが元気出るように、魚とか採ってくるけど、すぐ帰るからね」
食料不足も深刻だった。
千夏を元気にするためにも、栄養のある物がどうしても必要だった。
しかし幼い千夏は、まだしゃがむ優に抱きつき、首を振りイヤイヤをする。 抱きつく力から、離れたくないという気持ちが分かる。
優は、自分の子供にぐずられる母親の気持ちがよく分かった。
「分かった。俺今からすぐに魚と桃採るからね。それから帰ったらちゃんと横になって休むんだよ」
優は、笑顔で言って千夏の頭を撫でて立ち上がり、千夏の小さな手を握った。
すると千夏は優の顔を見上げて、相変わらず無表情だがコクリと頷いた。
(しかし……どうやって、あの木の桃を採るか……だよなぁ……)
観月屋敷に行く前に下見していた桃の木は、実が鈴なりだったが高い斜面になっていたので、内心優は不安だった。
(東京にいた時は、木に登る必要性が無かったんだよなぁ……)
自分にはサバイバル能力が一切無いと心底落ち込む。
だが、その前に優は、千夏を川辺で休ませて、自分は褌一丁になり川に入り、さっき道すがら拾った先の尖った長い木枝で魚を採ろうとして道を外れ川辺に出た。
だがそこには、先客がいた。頭に手ぬぐいを被り顔のシワの深いかなり年配の男の先客は、すでに銛で沢山の川魚を採っていて、二つある丸い大きな竹籠の中は一杯だった。
(いいなぁ……あれの半分、いや、3分の1でいいから捕りたいなぁ……)
優は、魚捕りも自信が無くてそう思うと、川の中にいた褌姿のその男と目が合った。そして、取り敢えず小さく先客に頭を下げた。そしてその後は、邪魔をするので違う場所へ行こうと千夏の手を引き背を向けた。
すると……
「ちょっと、待ちな!」
男が声をかけて来た。
「えっ?」
優が振り向くと、さっき少し離れた川の中にいたはずの男が、すでに優と千夏のすぐ背後にいた。
「ひぃっ!」
振り向いた優は、立ったまま千夏を腕に抱いて庇いつつ、思わず幽霊でも見たように驚愕し変顔になり一歩後ろに下がる。
だが、お構い無しに農民風の男は、何故か優を下から上にジーっと眺めてから言った。
「あんたも、魚捕りに来たのか?」
「えっ?! ……あっ……はっ、はい……」
この戦国の世は、本当に何があるか分からない。 そして、心臓に悪い。
優は、次に何を言われるのか警戒して、もしもの時は千夏を腕に抱えて猛ダッシュする体制に入った。
しかし突然、男はニコリと笑った。
「丁度いい。魚が獲れすぎてやっぱ重くてどうすっかなぁって思ってたんだ。あの魚半分やるよ!」
「えっ? ええ! でも、俺、お金一文も交換する物も何も持って無いですし」
本当に優は、戦国時代の貨幣、一文銭一つ持ってなくて尚も警戒した。
しかし、男は強引だった。
「いいから、いいから。持っていきな!」
「でも、沢山貰っても、俺、腐らせるだけだし」
「なら、すぐ食わねぇ分は、今開いてやるから、どっかで干しな。さっ、今からやってやっから」
「えっ、でも……」
何か不可解な状況に優は戸惑ったのだが、結局、男に腕を引っ張られ竹籠のある川岸に連れて行かれた。
男は岩場で、何匹も魚を捌き出した。 背開きにし、背骨付近の血合い、中骨、ハラワタを手早く取っていく。そしてすぐ食べない分は、この時代貴重な塩を身に塗り込んだ。
男は更にその間、魚が安全によく取れる場所や、山に桃がなっているが、安全に沢山とれる木のある場所の話しを優にした。そして、草むらには毒蛇がいるから気を付けるように……と、優の目を見て深刻な口調で言った。
優は、この世界に毒蛇がいると今初めて知り、さっき千夏と二人で観月屋敷の庭にいて、よく無事だったなと今更ながら背筋が寒くなった。
しかしなんだか、まるで優の事情を知っていて、欲している情報をダイレクトに教えられてるようで、優は嬉しいが何か違和感も覚える。
やがて男は手仕事を終えて、優に魚を渡した。そして違う竹籠に入った大量の桃と大根や芋や菊菜までも、男が町に売りに行ったが売れ残ったやつだからとおまけに付けた。
男と出会いここまで、現代の世界時間にしてみたら15分ほどだろう。
優は、有無を言わさずあっと言う間に桃と野菜入りの籠を背負わされ、魚入りの籠も持たされ、千夏と手を繋いだ。それはまるで、子供と一緒のスーパー帰りのパパのようになってしまった。
「じゃあな!」
やがて男は、小袖を着てそう言うと、さっきからずっとキョトンとしている優と千夏を川辺に残し、優に分けた後の残りの魚や野菜を持ちさっさと帰ってしまった。
「あっ! あの! ありがとうございます!」
優はさっきから何度か礼を言ってはいたが、最後に遠ざかる男の背中にもう一度大きな声で言った。
男は振りかえらず右腕を一回上げただけで、優と千夏の前から消えた。
それから男は暫く歩くと、何故か前方に、定吉が木の幹に立ってもたれかかっていた。
さらに歩きやがて男は、定吉に声をかけた。
「あれで良かったっすか? アニキ! アニキの御命令通り、男に魚と桃、野菜を渡してやりましたよ。それに、毒蛇の事もちゃんと忠告しました。ちょっと唐突で強引なやり方だから、男におかしいって気づかれると思ったけど、アニキの言う通り、あの男あまりこっちを疑う事もしないし、本当のんびりしてるっすね」
男がそう言い笑うと、どういう事か……
あんなに男の顔にあったシワが無くなり、一瞬で若い色男になった。
「あれでいい。ご苦労…佐助」
定吉は、男の顔のそれを見ても顔色一つ変えず真顔でそう呟いた。
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