第91話不明瞭

それでも定吉は、何が…自分の春陽への殺意を揺るがせているのか分からないままだ。


しかし、自分も川岸の石に腰掛け食事をとりながらどんなに考えても、その答えは一行に出ない…


ただ、まだ諦めた訳で無いと…自分を再び鼓舞した後、優に視線を向けた。


更に、定吉は不思議だった。


実際…


町からずっと春陽から目を離さず付けて来て、村でもずっと物陰から春陽を観察していたが…


今、目の前にいる春陽は、顔や体付きは似ているが、所作や雰囲気が今まで見てきた春陽と違う。


今の春陽は、ガサツだしそのくせやたらのんびりしていて背筋もしゃんとしておらず、良家の武士の子息らしい佇まいが全くと言うほど無かった。


(でも…確かに一緒に崖下に落ちたのはあの観月春陽だったはずなのに…)


(そんな事は無いと思うが…)


定吉はまるであの瞬間に、今目の前にいる男と春陽が入れ替わったようにさえ感じてしまう…


まさか、春陽は頭を打ってこうなったのでは無いかとも、チラリと脳裏をよぎったりもする。


それに春陽が、何故定吉がここにいるのか、もっともっと警戒して聞いてこないのも疑問だった。


だがそれをいい事に定吉は、自分が春陽の身分を知らない体に偽装し、獣のように魚に噛みついた後尋ねた。


「お前、この辺に住んでいるのか?」


優は不意の問いに、まだおにぎりを子リスの様に頬張りながらドキっとする。


「あっ!えっ!あっ…ああ……」


優が定吉から目を逸し、敬語になりそうなのを堪えボソッと言うと、定吉は意味有り気に優をジっと見た。


「なら…お前、この辺りがどの辺か知ってんだろ?」


(ヤバ!何一つ分からないんだよ俺は!)


(ヤバ!…春陽さんなら知ってるかもだけど…)


優は、そう思いながら固まる。


「さぁ…分からない…」


「分からない?お前、この辺に住んでるんだろ?」


「住んではいるが…この辺りまで来た事が無い…」


優は、必死で誤魔化し春陽になりきろうとする。


「ふーん…なら…これからどうするかだな…」


定吉が、怖い位真剣な目で優を見詰めてくる。


(こんな所で悠長におにぎりを食べてる場合じゃ無かった)


朝霧や春頼がどんなに捜しているかと、優は自分の立場を思い出す。


脳裏に蘇る、崖を落ちた時の朝霧の叫び…


再び、サーッと血の気が引いていく。


「俺、ここに残ります。ここにいたら、きっと誰か捜しに来てくれると思うので…」


もう優は、タメ口を止める。


もう、どうやっても素の自分が出て挙動不審になる。


それに定吉が年上なのは明らかだし、命を救われた身の上。


途中から敬語になったとしてもおかしくないと思った。


そして後は、優に体を乗っとられても春陽の意識があるかどうかは分からないが…


再び元に戻った時何かあれば、春陽自身に上手くこの時の事を誤魔化してもらうしかない。


「さぁ…そりゃ…どうかな?それより、この川沿いに下って行けば、一番近い村に帰る事ができるかもしれねえぞ…」


膝の上…


右腕で頬杖を付きながら、すぐ横の川を見ながら定吉が提案した。


しかし、定吉の言うこの川を下っても、村には決して着きはしない。


すぐ近くにある、もう一つの川を下らないといけないのだ。


無論定吉は、それを知っている。


そして、わざと優を罠に嵌め、何処かへ誘導するつもりだった。


「え?」


「一昨日、この辺りの地図を見たが、多分、そうだったと思うぜ。俺が一緒に連れて行ってやる…」


「え?!」


優は、信じるべきか、信じて付いて行って良いものか酷く悩む。


(村とは、荒清村の事なのか?)


江戸時代の定吉なら安心して付いて行けるのだろうが、今の定吉は今一つ掴み所がない。


しかし…


優は定吉に付いて川沿いの山道を下る事にした。


だがその前に、食い散らかしたまま、ゴミはそのまま、皿一つ洗おうとしなで行こうとする定吉を諌めなければならなかった。


きっとこの後も、又誰かが鍋や皿を必要とするだろうから。


そして…


今の定吉には言えないが、それは優の時間稼ぎでもあった。


もしかしたら、朝霧と春頼が来てくれるかも知れない。


しかし結局、定吉は後片付けをする気を全く見せないので、優が一人で始めた。


最初は、川岸に座り素知らぬ顔で遠くの景色を眺めていた定吉だった。


しかし、ぎこちなく洗い物をする優を見て、すぐ舌打ちして隣にやって来た。


そして、黙って優を手伝い出し、あっという間に鍋や皿をキレイにして小屋に戻す事が出来た。


深春の、晴れ上がった雨上がりの朝の空気が清々しい。


しかし、出発し歩き出したはいいが…


草履でも昨夜の雨で川沿いの岩は滑り、道はぬかるみ足を取られる。


優は、巨体なのに動きの素早い定吉と違い思う様に前に進めない。


(やっぱ、もう少しスポーツをしとけば良かった…)


優が内心悔やんでいたら、大岩から又滑りそうになった。


だが、そこにさっと入ったのは、すでに岩の下にいた定吉だった。


定吉は、優の精神の入っている春陽の体をガッチリ抱き止めた。


優の方も、咄嗟に定吉の背中に腕を回し抱きついた。


どれ位だったろうか?


優も、更に定吉も、何故かそのままの体勢でじっとフリーズしてしまった。


その後やっと暫くして、ぽつっと声を出したのは、優の方だった。


「あっ…ありがとうございます…」


すると、ボソボソと定吉が素っ気なく返した。


「気をつけろ…」


だがその後…


その冷たい返事にもか関わらず定吉は、こけそうになる優に何度も何度も…頻繁に、ただ無言で手を差し延べて助けた。


そう…まるで、姫を護る騎士さながらに…


それに戸惑い不思議に思いながらも、優はそのつど定吉の大きい手を素直に握り援助を受ける。


どれ位歩いたか?


優はふと、人の呻き声の様なものを感じ、足を止めた。


「どうした?」


定吉には聞こえないのか、怪訝そうに優を振り返る。


優は、眉根を寄せた。


「誰か、声がする…苦しそうな…」


定吉は耳を澄ますが、聞こえない。


「そんなのしねぇぞ」


「よく聞いて下さい!絶対聞こえる!」


怪訝にしながら定吉が、暫く又耳を澄ませてみた。


「んん…あっちか?小さいが、何か聞こえるな」


定吉がそう言うと、急に優が茂みの奥へ入って行こうとするので、定吉が優の腕を掴んで止めた。


「おい!待て!お前は、俺の後ろにいろ!何がいるか分からない…いいな…一人で何処かへ行くな!俺の傍にいろ!」




 













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