第90話虎視眈々
定吉は、再び小屋を出て行った。
優は、目をショボショボさせながら上半身を起こす。
そして、今、自分が憑依している春陽の体の上に掛けてあった、春陽の乾いた小袖を手に取った。
今の定吉が寒さ避けにこれを掛けてくれていた事に、思わず複雑な戸惑いが浮かぶ。
そしてやはり、定吉が何故町でなく、荒清村に居たのかさえ聞けない雰囲気で…
定吉の本心が…全く分からない…
だが、そんな事も言ってられず、さっさと着替え自分も外に出た。
定吉は、探すまでも無く小屋のすぐ横の川岸で火を起こし、すでに小屋の隅にあった鍋を借り何かを炊いている。
優が、何を言おうか困惑してただ立ち尽くしていると、定吉は少し優の顔を見詰めた。
定吉は密かに、春陽の体から角と牙が消えている事を陽の下で再確認していた。
「そこに置いてる魚、焼くから枝に刺してくれ」
定吉がそう言うので、優は、河原の石の上の、大きな葉の上にすでに生きたまま塩を塗られ置かれていた魚を見た。
「刺すって…どうやって?」
優は、戸惑った。
東京の両親とよくキャンプへは行ったが
、摩耶家の場合作る料理は大抵カレーとか焼肉だ。
レンタルのキャンピングカーで行ったなら、父お手製のパスタか焼きそばが常で
、魚など扱った事は無かった。
「ちっ、これだからお坊ちゃまはよ…」
定吉は面倒くさそうに言い、溜め息を着くと自ら手本を示す。
「こう、口から枝を入れてエラから出し
、体をくねらせ中骨の下に沿わせてケツの近く、左から出すんだよ!」
まだぴちぴち元気な魚に、躊躇う事なく打ち込む。
眉間を寄せて嫌そうに眺める優に、定吉は鼻から呆れた感じの息を吐いた。
「人に向かって刀振り回すくせに、こんな事位もできねぇか?お坊ちゃんは…」
(俺は、春陽さんじゃないから刀は振り回してないし!)
(いや…真矢さんの所でやったけど、あれは、切羽詰まってだから、ノーカンで…)
内心そう思ったが余りにしゃくだったので、優はむんずっと左手に次の魚を掴み右手に枝を持ち、鼻から大きく息を吸い込んだ。
そして、いざ!と作業に取り掛かろうとしたが、定吉がその右腕を掴んで止めた
。
何か?と言う表情を優が浮かべ定吉を見上げると、大男はブツブツブツと言う感じの小声で呟いた。
「いいよ…俺が全部やるから…お前は…返って邪魔だ…そこら辺に座っとけ…」
優はズキっと来たが、確かに言い得ていたので何も返せない。
すごすごと火の傍の大きな石に座り、定吉がテキパキ作業するのを黙ってずっと見るしか無かった。
だがやがて、鍋横で焼く魚の焼けるいい匂いがし始め、手際のいいその姿に生まれ変わりのあの定吉を思い出して、ふと
、視線を外す。
鍋の近くには小さな布袋が二つあり、開いたそれぞれ二つの口、片方から米が、もう一つから塩らしき物が見えた。
この世界には、普通の米と携帯用の米があるらしかった。
春陽や朝霧、春頼も持って出掛けていたのを見たので、優はこの前それを知ったばかりだ。
携帯用の米は、ほんの少量でも炊くと何倍にも増えるらしい。
多分布袋の大きさから、鍋の中の炊きあがった米は携帯米だと、優は思った。
しかし、普通の米よりかなり高価で、一般の者は手に入らないらしいが。
戦国の男らしく常に何かあってもいい様に、定吉もいつも携帯米や塩を持ち歩いているようだ。
定吉は、炊いた米でおにぎりをした。
そして、魚もキレイに焼き上がり、食後のデザートらしき天然の桃も小刀で丁寧にカットした。
それらは、キレイに洗った小屋にあった木の皿を借りて乗せて、ただ座っていただけの優の前に丁寧に供された。
(春陽さんなら…どうしたのだろうか?)
(今、自分が判断を間違えたなら、歴史が又変わってしまう…)
前世とは言え定吉を疑いたくなかったが
、そう思うと、やはりどうしたものかと…優は固まる。
すかさず、朝霧、西宮、観月、小寿郎、真矢の顔が浮かんだが、今ここに、助けてくれる彼らはいない。
自分で考えて、自分で選ぶしか無い…
そこに、定吉が、又溜め息を付いて言った。
「毒なんて入ってねぇから、食えよ…」
優は、真っ直ぐ定吉を見た。
そして、もう一度、生まれ変わりの定吉の明るい笑顔を思い出し、ただ、今目の前に居る定吉を信じるしか無いと心を決める。
「んんっ!!」
優がまず握りメシにかじりつき、声を上げた。
「どうした?」
定吉は、眉をハの字にして困惑して聞いてきた。
「んっ…美味しい!」
優の緊張感の無いその言葉に、定吉は、今度もぶっきら棒に呟いた。
「そ…そうかよ…」
(やっぱり、前世の定吉さんも料理が得意なんだ…)
優は、焚き火を挟み向かいに座る定吉をチラチラ見ながら、更にかぶりつく。
ただ塩で味付けしてあるだけなのに定吉のおにぎりは、どういう訳か驚く程にウマい。
その様子を眺めながら、定吉は、昨晩の事を思い出した。
頭に二本の角。
口の二本の牙。
(もう少しだったのに…)
定吉は昨夜、殺傷能力の高い両刃の小太刀を抜き、優の入った春陽を殺しその後首だけ切り持ち帰ろうとした。
だが、抜いて首に当てるまでいき、後は急所を一突きすればいいだけなのに、寝顔を見ると定吉の心が揺らいだ。
それでも、定吉が幼い頃見た淫魔は、人を襲い首から血を啜って体中真紅に染まっていた。
(淫魔など、人の害なだけだし…首を売れば、俺の金になる…こんな迷うのは…俺らしく無い…)
そう思い、又刃を握り、迷い、止め、又刃を握り、迷い止める。
そんな事を何度繰り返したか…
定吉は春陽の体を腕に抱いたまま、いつしか殺意を削がれてしまった。
そして知らぬ間に、優の眠る春陽の体から、角と牙も消えていた。
(だが…まだ、諦めた訳じゃ無い…昨晩は、何かの気の迷いだ!)
定吉は、小動物のようにおにぎりを頬張る優を、まだ虎視眈々と狙っていた。
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