第85話スウィッチ

小さい角の淫魔が、痛みから絶叫した。


すると闇から、もう一匹煉獄の獣狼が現れた。


すると、小寿郎が不意を付かれ、それに腕を噛まれ出血しながら、春陽達とは別の斜面を転がり落ちて行った。


驚いたのは豆丸で、光りながら泣きながらその後を追って行く。


更にその獣は、激しく風を切り朝霧に向かって来た。


豆丸が居なくなり視界が暗くなった中朝霧は、刀をまだ淫魔の肉に残したまま咄嗟に避け、その獣は、そのままの小角の淫魔を銜えその場から逃走した。


同時に、もう一匹の煉獄の獣狼も、意識は戻ったがふらふらの長角の淫魔を銜え同じく走り去った。


途端に、沢山周りにいた黒狼達が、その場からスッと消えた。


「ハル!!!」


暗闇で朝霧は我を忘れ叫び、春陽の後を行こうと自分も深淵に飛び降りようとした。


「止めてください!」


定吉の置いていった洋燈を持って春頼が駆けつけて叫び、朝霧を羽交い締めにして止めた。


「離せ!離せ!ハル!ハルぅ!」


朝霧は暴れた。


春頼も今すぐ崖に飛び込み、どんなに春陽を助けに行きたかったか…


しかし、この状況で無闇に降り自分達に何かあれば、兄を助けられはしない。


唇をぐっと噛み締め、今は自分が冷静にならなければと言葉を絞り出す。


「しっかりして下さい!貴さん!崖下に行く道を行き、兄上を助けましょう!」


その春頼の言葉に、朝霧はやっと我に返った。


少し時が過ぎて…


一方の優は、身体が揺れる感覚で目覚めた。


けれど、ボヤける頭がなかなかハッキリしない。


すると目の前に、男の広い肩と逞しい首があった。


誰かが松明片手に春陽を背中におぶり、深い闇の山道を歩いているようだった。


優は、ゆっくりと何があったのか思い出し始めてすぐ、春陽と、その春陽の中に閉じ込められた自分が斜面を定吉と共に滑り落ちて行ったのを思いだした。


「定吉さん!」


優は、春陽をおぶっているのが、定吉だと気付きいつもの癖で思わず呼んだ。


しかし、はっと気付けば…


今までは外には聞こえないはずの自分のその呼び声が、春陽の口から出ているのに驚愕する。


なんと、春陽の身体の中では春陽と優が入れ替わり、今度は優が春陽の体を支配して自由にする事が出来るようになっていた。


その呼び掛けに、忍者の覆面を脱いでいた定吉が立ち止まり、肩が、定吉の逞しさから想像できない程ビクりっと震えた


「やっぱり、知らねぇとか言っといて、知ってんじゃねえかよ俺の事…」


定吉は、チラリと背後を向き無愛想に責めるようにそう言うと、又ひたすら前を向き歩き続ける。


優は、しまった…と思ったが、もう後の祭りだ。


そして、今背負っているのを春陽だと思っている定吉が、これからどう出るのか唾を飲み込み待った。



「お前、俺と居酒屋で会う前、俺と以前どこで会った?随分前か?」


少し、緊張間のある間が空いて、定吉がぶっきら棒に聞いてきた。


(随分前…じゃないですよ…定吉さん)


優は、江戸時代のあの優しい定吉を思い出し、少し泣きそうになったのを堪え返した。


「きっと、言っても分からないと思います…どんなに説明しても…分かって貰えないと思います…」


その声質が、弱さが混じっている事を除いても定吉の知っている観月春陽のモノと似てるようで少し違い、喋り方もおかしい事に定吉は一瞬で目敏く気付いた。


しかし、振り返らず静かに疑惑の視線だけ左に寄せ背後を気にする。


「すいません…降ろしてください!俺…帰らないと…」


優は、残してきた朝霧達がどうなったかと思うと、いてもたってもいられなかった。


「お前、ここがどの辺りか分かってるのか?」


厳しい定吉の声と指摘に、優は項垂れた


「そ、それは…」


「場所も分からん上にこんな暗闇で、きっと匂いがするから、もう少ししたら雨も降ってくるぞ…こんな状況で動き回ったら間違いなく迷って死んじまう…何処かで休んで朝を待つしかない…」


春陽が落ちる時の朝霧の絶叫を思い出しながら、優はギリっと唇を噛み思う。


(言われれば確かにそうだ、夜目が効くと言っても春陽さんならいざ知らず、登山なんて学校の遠足位でしかした事無い都会っ子の今の自分がこんな山の中だ、でも…でも…)


(朝霧さん…)


(春頼さん…)


(小寿郎…)


(真矢さん…)


(雪菜さん…)


それに…


優には、今の定吉の意図が分からなかった。


(何故都合良く、又こんな所で会えたんだろう?)


定吉が橋で負けたのを根に持って追いかけて来た…とか、ネガティブな方向の理由しか思い浮かばない。



(けど、それなら今、俺をわざわざおぶってるのは?)


優は、どうすればいいのか困惑する。


だが…


「落ちたくねえなら、もっとしっかり俺に掴まれ…」


何処に連れて行かれるか分からない上、全く愛想ゼロ所かそれより遥かマイナスをいく定吉のその声。


だがそれにも関わらず優は、まだふらつく体と腕に力を入れて、思いっ切り定吉の背中に抱き付いた。


その力強さに、一瞬ギョッとした定吉だったが、今は優が支配する春陽の身体を下ろす事無く一度おぶり直し、しっかり体勢を整えた。


もしかして、今、この定吉さんの中に、江戸時代の定吉さんがいるかもしれない…


淡い期待に優の心は、松明のともし火の様にゆらゆら揺れていた。






















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る