第86話山小屋
松明の灯りだけが頼りの深淵な山の暗闇
…
優と前世の定吉の間に、なんとも言えない沈黙の間が長く続いた。
その間、優は、やはり置いてきた朝霧達の事や、朝霧の…あの春陽を呼ぶ悲痛な叫び声を思い出した。
だが、やがて…
定吉も耳がいいようでせせらぎを聞きつけて、今は精神が優の春陽の体を背負い水を求めて川に辿り着く。
定吉は水辺にしゃがみ、二人は歳は近いのに、以外とまるで父親が子にする様に優を丁寧に背中から降ろした。
定吉の荒いモノ言いとその態度との差に
、優は戸惑う。
しかし、砂や土、さっきの紅い霧で口内は汚れ気持ち悪く今にも吐きそうで喉ももうカラカラで、つい暗闇でも急ぎ駆け出してしまった。
「こら!走んな!滑るだろ!」
そう、定吉が慌てて子供に言うように大声で咎めた瞬間、優は濡れた石で滑り川の中にダイブしてしまう。
なんとか水底に手の平と、そして膝から下を横に曲げてつけた。
だが、座り込み臍から下が水に浸かった
。
「馬鹿か?お前…」
定吉が急いで傍に寄り大声でそう言うと
、膝を曲げ松明をかざしながら、酷く怪訝そうな表情で優を覗き込んできた。
優は、その視線に内心焦る。
(ヤバっ!…なんか俺、変に思われてる
?)
(ちゃんとしろ!よく考えろよ!俺は今
、俺じゃ無い、春陽さんなんだよ)
そして結果、春陽を真似して出来るだけキリッとして見せて、落ち着いた物言いをしてみる事にした。
「すまない…油断した…」
だがその後、川水を手に取り口の中をゆすぐとそれを吐き出し、今度は余り考えず性急に喉を潤そうと勢い良く水面に顔を付けた。
しかし急ぎ過ぎて、ごほごほごほと酷くむせ返ってしまう。
ハァと溜め息を付き、定吉は今度は優の背中を擦る。
苦しくて何度も咳込んだ後になってやっと優は、自分の背中を労るように上下する無骨な手の平を意識出来た。
優がやがて落ち着くと、定吉が松明を持たない方の片腕で、お姫様抱っこで水中から優を軽く抱き上げた。
「わっ!!」
優は、目を見開き驚いた。
「けがはしてないようだな?」
だが、定吉のその声はぶっきら棒だ。
「なっ…無い…」
思わず敬語になりそうだったのを優は、定吉の目を見て踏ん張った。
しかし定吉は、まだ何か怪しむような視線を優に向けてくる。
(なっ…なんかこのままだとヤバい…)
ソワソワする優の頬に、ポツン…ポツン…と、水滴が当たる。
川の水かと思ったが、定吉の予想通りどうやら雨が降ってきて、途端に雨足が酷くなってきた。
「あそこで雨がしのげる!」
定吉がそう言い指指す方の岩壁に、何用だろうか?こじんまりした小屋が建っていた。
この状況なので仕方無く早々、定吉に抱かれたままで優は中に入った。
すると、優を下ろした定吉が、素早く外で落ち葉や枝をかき集めて来て、囲炉裏に放り込み松明の火を移す。
「脱げ…」
火が安定してくると突然、定吉がボソッと呟いた。
優は、今の自分が春陽で無い事がバレ無い様に気を付けようとすでにドキドキしていたのに更にドキっとする。
「ぬ…脱ぐ?脱ぐって…この着物をですか?」
優は思わず、又春陽の喋り方と雰囲気の真似を忘れてしまう。
「他に何がある?」
そう言うと定吉は、面倒くさそうに又溜め息を付き続けた。
「ただ乾かすだけだよ、そのままだとだんだん身体が冷えてくる。俺の小袖を貸してやるから、早くしろ。ほらっ!」
優の頭の上に、忍者っぽい定吉の小袖が乱暴に投げ捨てられ、それが顔の前にまでダランと垂れ下がり優の視界を遮る。
そして、布地からフワッと、懐かしいあの定吉の匂いがした。
定吉は上半身裸で、裾の絞った袴だけになる。
やかて火が小さくならないように、定吉がしゃがみながら枝をくべ始める。
優はおずおずと着物を脱ぎ始めた。
着替えは男同士だから気にしないでくれと江戸時代の定吉に言った事がある手前
、優は堂々と、褌だけの姿になる。
その身体は春陽の物なのに、やはり前世だけあってか、優には自分の体だと言ってもいい位全く違和感なく馴染んでいる
。
春陽も優自身の体も男にしては白い肌で腕や足にも体毛が無い。
そして、スラッとした肢体も一緒で、まるで一級の仏師が彫った少年神の様だったが、春陽のそれには、武芸をしていて少し筋肉が付いていた。
優はそれだけが物珍しくて、思わず春陽の体の胸の筋肉をじっくり撫で回した。
「ん?」
パチっと火が弾ける音がして、優が前を見ると、定吉が直立不動でじっと無言で春陽の身体を見詰めていた。
「なっ?!」
一瞬、定吉の視線が強くて慌てた優だったが、優も、定吉の上半身をマジマジと見てしまう。
それは、あの江戸時代で見た定吉の裸と今とを比べたいという、本当に子供じみた他愛ない事からだった。
予想通り、今の定吉も腹がシックスパッドで他の筋肉も隆々で、けれど良く絞られている。
オスのフェロモンムンムンで、やはり見ている、ただそれだけで妊娠させられそうだ。
「早く…着ろ…」
定吉が冷たく言うとさっと視線を外し、焚き火の近くにどしっと座った。
定吉の着物は春陽の身体にはブカブカで
、着るとまるで父親の物を悪戯した子供の様になってしまった。
「何してる…早く…早く…こっちへ来い
…」
この後どうしていいのか分からず暫く突っ立っていた優に、定吉が立ちあがり近づきそう言うと、優の腕を握った。
激しい雨音を聞きながら、その声と握る力が何処か優しいと、優は背の高い定吉を見上げてふと思った。
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