第62話めぐりあはむ
二人は、なんだかギクシャクした雰囲気になってしまったが、朝霧は、又夜宙を見上げる春陽に気遣う眼差しを向け言った。
「ハル…夜風で身体が冷えるぞ…そろそろ障子を閉めろ。手が…」
そして、いつもの癖で、「手が冷えてるんじゃないか?」と言いかけて確かめようとして、その両手をとりかける。
だが、しかし、さっきの事が尾を引いて
、結局は途中で躊躇い止めてしまう。
「もう少し、もう少しだけ、星と月を見ていたい…」
そう言い朝霧を見て僅かに微笑んだ春陽は、同い年なのに外見の成長がかなりゆっくりで幼く見える。
しかも男なのに、武者なのに、まるで月に帰ってしまう、かの竹の姫の様に儚げですぐ誰かに連れ去られて手折られてしまいそうで、朝霧は、小さく呟いた。
「お前…オレが、居なくなっても…大丈夫なのか?やっていけるのか?」
春陽にも、その中に共存する優にもハッキリ聞きとれた。
「え!」
春陽は、その問いの内容に動揺したが、幼馴染みの朝霧がただ春陽を侮って言っているのでは無いと分かっていた。
だから、柔らかく目尻を下げて微笑む。
「貴継…私ももう、お前と同じ十八歳の
、しかも男子だ…大丈夫だよ」
朝霧は黙って、まるで心の内を探ぐってくるかのように春陽を見てくる。
それが居たたまれなくて、思わず視線を逸したくなるのを春陽はぐっと堪える。
だが、二人が動きを止め身体を凝固させて互いを見詰めていると春頼が帰って来たので、慌てて何も無かった様に取り繕う。
「兄上!ちゃんと、宿代は修正させましたから!」
請求書をヒラヒラとさせ、春頼は満足気に微笑む。
それを見て、さっきからの空気を引っ込め、それぞれ苦笑いを浮かべるしか無かった春陽と朝霧だった。
「兄上…そろそろ障子を閉めて下さい。いくら春と言っても寒い夜風で御身体を壊します。ほら…手がこんなに冷たい…
」
春頼は、まだ縁側に座っていた春陽に近寄り膝立ちでその両手を自分のそれで握った。
そして、ゆっくり引き入れ、まるでしっかり者の妻の様に戸を片手で閉めた。
そして、手を握り直すと春陽にニコリと笑い、兄弟でにこやかに視線を交わす。
西宮の前世の春頼がどんな弟だったのか
、優は気にした事が何度かあった。
令和の時代に居た時、高校のクラスメートで年の近い弟を持っている男子は、生意気で全然可愛く無いと言う奴や、仲は悪くないがクラブや塾で会う事も少なくて、何年もまともに話して無いなんて言う奴が多かった。
だから、少し、いや、かなり心配していた。
だが、さっき春陽は、生意気になったと言っていたが、優にとっては生まれ変わりに違わず、シロップと生クリームの乗ったフワッフワのパンケーキの様に甘すぎる程甘く接してくる。
しかし、そんな兄弟を端から見ていた朝霧は、又、複雑そうな顔をして下を向いた。
そして…
帰るのは、俺の方だった…それに、俺が
、俺が居なくても…ハルは…
そう、心の中で呟いて、布団の上に戻り作業の続きを始めた。
その後三人は、春陽を真ん中に布団を並べて眠りに入ったが、何故か春陽も優もなかなか寝付けなかった。
さっき朝霧に別れの言葉を伝えた頃から
、そして、「俺が居なくなっても…」と問われて、春陽だけで無く優の神経もかなり昂ぶっているからだ。
さっきから何度も起きては、朝霧と春頼も起きて心配してきて厠へ一緒に行くと言ってくれるのをやんわり断り、一人行って帰ってくるを繰り返している。
そして今又、春陽が起きた。
同時に起きた朝霧達に大丈夫だと笑い部屋を出て用を終えると、ふと見た小さな格子窓から向こうの家の二階の屋根に人影がはっきり見えた。
さっきから異常な程春陽の視力は人間離れして良く、暗闇でもかなり夜目が利いてよく視える。
以前からそうだったのか、今は視る瞳を共有している優にも分からなかった。
しかし春陽は、陽が落ちた頃から人知れず頻繁に目を擦ったり首を傾げたりしていたし、ついさっきからやたらと嗅覚と聴覚が鋭くなったので、古道具屋が発端でこうなったのかも知れないと推察出来た。
優が何か…人影に酷く嫌な予感がすると春陽もそうだったのだろう、厠を出ると部屋に戻らず、すぐ戻るつもりではいたが、そのまま勝手口から外へ出てしまう
。
見渡す町は夜闇が深く、人は見当たらず辺りは静まり返り、さながら世界は永遠に終わってしまったかのようだ。
そして灯りを何も持たずさっき人影が居た辺りを見上げると、向いの家屋と家屋の間から、サササッと嫌な音がした。
春陽は、ハッとして、帯に挟んだ刀の鯉口に手をかけそれのする方向を凝視したが、優にはこの音には聞き覚えがある。
あの、一つ目と同じ音だ…
すでに屋根には怪しい人影は見えなくなっていたが、春陽がクンクンと鼻をすると、かなり僅かにだが道に匂いが残っている。
これにも優は覚えがあった。
藍、藍の様な、でも、少し違うかな…でも、なんか奴の様な匂いがする…
血と、何か、禍々しい予感のする甘い花の香りの様な…
もしかして、藍の手下の者か?
それとも、まさか、まさか、藍の奴が来てるのか?
犬の様な嗅覚を持ってしても、匂いの量が微妙過ぎて判断出来ない。
すると、藍を知っているのかいないのか
?春陽は、躊躇う事無く匂いの後を追った。
昼間、あんなに朝霧や春頼を心配させてダメなのは分かっているのに、何故か春陽は走る足を止められない。
「ヤバイ!春陽さん!行ったら!罠かもしれない!それに…朝霧さんと春頼さんが!!行ったらダメだって!!」
優は、必死で前世の自分に訴えるが、やはり届かない。
明らかに春陽は、精神がぐらぐらと不安定で、嫌な匂いなのに確認せずにいられない、何故なのか分からない衝動に突き動かされいつもの自分を失っていた。
暫く行くと、大きな川に架かる橋が見えた。
擬宝珠が高欄に付いた立派な石柱橋だ。
無論、こんな時間だ、人っ子一人いないが、岸の両側に沢山並ぶ桜が、息を潜める様に闇に満開に咲いている。
春陽は、橋の入口に立った。
更に鼻をクンクン動かすと、匂いを感じ取る前にふと背後に何かの気配を感じた
。
屋根の影の主か?と春陽が、一つ目か?と優に同時に緊張感が走る。
しかし…
息を殺しゆっくり春陽が振り返ると、そこに居たのは、全く予想外の人物だった
。
その者の手持ちの洋燈(ランプ)の光に照らされて見えたのは、優にとって涙が出そうな位懐かしい姿だった。
定吉……さん…
定吉さん!
優は春陽の中で、声に出さず大喜びした。
だが、よく見ると、その春陽を見詰める定吉の視線は、江戸時代にいつも絶えず優に向けてくれていた、あの過保護な程の優しいものとは全く違っていた。
明らかにそこには、誰もが震え上がりそうな恫喝と殺気が剥き出しになっていている。
う、う、嘘だ…嘘だ…こんなの…
優は、崖から突き落とされたかの様な衝撃を味わう。
そして、定吉は、躊躇い一つ無く一気に刀を抜き、切っ先を春陽に向け…ニヤリと悪意の浮かぶ笑みを浮かべた。
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