第29話グロブスター

「お帰りなさいませ」



話しがあんな形で終わったが、観月に付き添われ部屋に戻ると、定吉から警護を代わった西宮が、読んでいた本を置いて三つ指を立てて優を出迎えた。



「あっ、その、はい…」



優は、やはり主扱いは馴染めない。



それは、自分がこれから、どういう生き方を選択したらいいのか常に心が彷徨っているから。



優は振り返り、廊下から優の背中だけを凝視していた観月と視線を合わせた。



優は、観月と二人きり向かい合うのも苦手だと思っていたはずなのに、今は互いにまだまだずっと話をしたいと思っているらしく、暫く言葉無く見詰め合う。



部屋の端から、西宮はその様子を僅かに眉根を寄せて見ていた。



やがて、廊下に居た神職に促され、本当に忙しい観月は、心残りそうだったが黙って襖を閉め仕事に戻って行った。



「庭はどうでした?」



西宮は、さっきまでの表情を隠し微笑んだ。



優の目に、彼が今日もキラッキラの王子様系に映る。



この世界の武士や一般の男は、全員がちょんまげをしている訳では無い。



朝霧も観月も定吉もちょんまげをしていないし、西宮は髪も自然由来の髪染めで明るい茶系に染め、遠い異国の血が入っているかの様に軽くウェーブもかかっていて、パッと見チャラ王子様なのだ。



だが外見だけで無く、性格も女性に対してもとても甘そうで、きっと何か事情があるのだろうあの元婚約者に対しても彼の方から厳しく関係を断ち切ったなんてとても思えなくて、これからもきっと彼女と会ったり上手く交流していくのだろうと勝手に優は想像した。



「とても気持ちが良かったですよ、桜が満開で。でも、すぐ散ってしまうと寂しいですね」



「桜が散れば、すぐ早咲きの菖蒲が咲き始めますよ。菖蒲の群生する池も庭にありますから、今度は弁当でも持って、私とご一緒してくださいませんか?」



西宮はそう言い、屈託なく笑った。



一体、この奥殿の庭だけでどんだけ広いんだろうと呆気にとられながら、優ははいを言いかけて、背後、閉めた襖の向こう、廊下に妙な気配を感じて開けて見た。



「どうされました?」



「いや、何か、気配が…気の所為みたいです」



そう西宮の顔を見て言い、襖を閉めた。



「勝吾は用と聞いてましたが、朝霧はどうしました?」



「ああ、お客さんの、尋女さんのめい御さんを、尋女さんの部屋に案内しに行きました」



「そうですか。瀬奈さんが来てましたか…」



そう言うと西宮は、座ったまま暫く無言で優を見上げていたが、目はとても真剣なまま口角だけ上げ微笑んだ。



「観月との話しは、何でした?」



優はドキっと一瞬したが、なるべく平静を装った。



「あっ、それは、きょうだ…」



それは、兄弟間の話しなので、となんとか誤魔化そうとしたが、考えてみれば、ややこしいが西宮とも兄弟みたいなものなのだ…慌てて言葉を修正する。



「ちょっとした、ほんと、どうでもいいというか…そんな話しです…」



上手く言おうとすればする程、言葉が見つからない。



西宮はほんの一瞬、又優をじっと凝視して視線を下に落とし、何故か影を感じる伏し目がちに微笑んだ。



「そうですか…」



優は早く話題を変えたくて、所在なくあちこち視線を彷徨わせると、畳の上に置かれた、さっきまで西宮が読んでいた本が目に入る。



「あれ、将棋って、その本書いてます?」



この時代の文字は、ミミズがのたくったみたいで優にはさっぱりだったが、なんとなく、表紙のその二文字は分かる。 



「ええ。そうですよ」



西宮の目元が緩む。



優が身体を屈め膝を折り、その本を取ろうと手を伸ばしたら、偶然、座ったたまま同じ行動をした西宮の手が上に重なった。



「あっ…」



いつもは凛々しい武人なのに、かなり焦った様な、か弱い声を出したのは西宮の方だった。



お互いの顔が以外と近い。



すると、西宮の方が先に、優の顔を真剣に見詰めてきた。



普通なら男からこんなに見られたら色々拒絶反応が湧くものだが、優もやがて本の事を忘れ、暫く西宮の顔を興味本位からのみで近くでマジマジと黙って見てしまった。



西宮の…



薄く形の良い唇。



スッと通った鼻筋。



そして、キレイな二重瞼の瞳に長いまつ毛。



でも、どことなく懐かく感じるのは、人から前世弟だったと聞かされたからのだだの思い込みからなのだろうか?



前世は弟、でも…今は、違うんだ。



今は、ただの他人。



ただの、赤の他人なんだから…



言葉に出来ない色々な感情が湧いてきて複雑に絡まって、自分の気持ちが分からなく感じているのは自分だけなのだろうか?



優は固まったまま、そう思いを巡らす。



西宮も再度、優の唇、鼻から瞳を舐め上げるように見ていく。



「主…」



西宮が、とても甘えてくるような声を出したような気が優はした。



小さい弟が、兄に懐いてくるような…



男が恋人に囁やく様な… 



西宮は普段から、アイスや生クリーム鬼盛りのパフェの上から砂糖を更にかけた様に甘過ぎる程優には優しいが、こんな声は珍しい。



互いに見詰め合っていると、スゥーッと、西宮の手が優の手の甲をゆっくり優しく撫でる様に動き、優は離れていくのだと思い込み、逆に西宮の両手を取り握り締めた。



今、誰か部屋に入ってきてこの瞬間を見たら、間違いなくなく優が西宮と甘い関係だと誤解されただろう。



それ位、傍からは恋愛のワンシーンにしか見えない。



それなのに、優はその雰囲気をブチ壊し、次の瞬間目を輝かせて子供の様に言ってきた。



「西宮さん、将棋やるんなら、今度俺ともしてくれませんか?」



西宮は、暫く酷く驚いた様子だったがその後苦笑いし、すぐ笑顔で返した。



「ええ、勿論。でも、手加減無しの方がよろしいですか?」



「ええ、お願いします」



優も自然と笑みが浮かぶ。



小学生の四年生から東京の父に教わって始めた将棋だったが、今でもとても好きだし、最近はスマホで対戦する事が多かったが、この世界の人とコミュニケーションを取れるなんて、人生何が役立つかわからないものだ…



お父さん、本当にありがとう!



優は、呑気に心の中で感謝した。



だが、西宮は優に気付かれ無い様に笑顔の下で、心の中で深い深い溜息を付いた。



折角、観月との話しはどうのという変な空気を変えたのに、また優は、背後に嫌な気配を感じる。



もう一度廊下に顔だけ出して見てみると、部屋の横を通り途中十時に分かれた廊下を、左から右に何か黒い影がさっと横切って見えた。




あの、千夏の背後に見たモノを思いだし、優は嫌な予感に青褪めた。



「主、何処へ行かれます?!」



急に、走って飛び出して行った優を、西宮も血相を変えて追いかけた。



さっき優が小夜と話した時、千夏は疲れて寝てしまったと言っていた。



足音を消し優は千夏の部屋に入り、西宮も後に続いた。



千夏は姉の言葉通り、薄暗い中、布団の中で横になっていた。



起こさない様にそっと顔を覗くと、スウスウと穏やかな寝息がしていて、優は取り越し苦労にほっと小さい息を吐き、その様子をにこやかに見ていた西宮と部屋を出た。



「すいません。急に飛び出して。何だかさっきから、黒い影みたいなのが一瞬見え…て」



ササササッと、又十時に分かれる廊下で音がして、今度は西宮も何か感じたらしく、彼は魔刀を鞘から抜き優を抱き寄せると、そのままお互いの身体を密着させたまま優の背中を壁に押し付けた。



「本当に、何かいますね…」



そう西宮が優の耳元で呟き抱く手に力を更に込めると、そこを又影が、今度も左から右へ風の様に走った。



あれは…



優は、鼓動が跳ね全身に悪寒がした。



一瞬だか、今度は優には見えた。



邪悪そうな赤い一つの目と、



にいっと嗤った大きな口が、



両腕はあるが、両足の無い楕円のドス黒い肉の塊(グロブスター)の真ん中に…















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