第17話偽りの女
「お前、人間じゃないな…」
怪力の女に間を詰められて、優はのけようと腕を身体同士の間に入れ、押し返し呻きながら言った。
ぐぐっと更に押し、隙間が出来た所を逃げようとするが、女に背後を取られ、今度は後ろ向きに両手をまとめて封じられ跪かされる。
「そうだ。しかも、女でも無い。この胸は作り物。女中に化ける為のな」
優の耳元で、背後からクスクスと笑いながらあやかしが言うと、背中に当たっていた胸が急に無くなった。
「折角死ぬ前に、最初は女の方、後で男の方でいい思いが出来たものを…観月春光…貴様、淫魔の血が騒がんのか?」
「ざけんなっ!誰がお前なんかに!」
激しく抵抗すると、優の髪がぐしゃっと彼の頭頂部で荒々しく掴まれ、彼の頭が更に背後のあやかしの胸に引き寄せられ、片手だけで押さえているだけのはずのあやかしの腕もびくともしない。
「神社の中で兄の膝の上に大人しく座っておれば、外より幾分安全だったものを、わざわざ自分から一人で出て来るとはな。さあ、死にたくなければ、泣いてこの場で土下座して命乞いしてみろ。そして、言うんだ。どんな事でもいたしますと。そうすれば助けてやるぞ…」
怒りを押さえた、しかし唆す甘い声が優の耳朶を掠める。
「さぁ、言え…言え…」
あやかしの右手が優の首に来て、徐々に力を込めていく。
それでも必死で自分の腕を開放しようと藻掻いた。
「さぁ、早く!死ぬぞ!」
更にぐっと力を込められ、それでも優はこらえる。
「ちっ、もう、お迎えがきたか…」
突然、首から手が離れた。
優はその瞬間、僅かに出来た隙を見てあやかしの足を蹴りよろめかせ、その場を這い出した。
「主!」
梨花の居た部屋から駆けて来た朝霧と西宮の声が重なり、朝霧が床を逃げる優の腕を引っ張り抱き締めた。
ゲホゲホと、優はその場で咳込んだ後、包まれる安心感と共に大きな体を抱き返した。
西宮は、抜き身の刀をあやかしに向け、小寿郎は普通の猫から虎程の大きさになり、牙を剥いて威嚇した。
「ちっ」
とあやかしが舌打ちし、抱き合う優と朝霧を庇い前に出ている西宮と小寿郎を睨んだ。
互いにじりじりと攻撃の間合いを測る。
すると、突然背後から、誰かがあやかしのその腕をとって捻り上げた。
「私に黙って、何を勝手な真似をしている」
優は聞き覚えのある、凍る声に前を見た。
この声は…
やはり嫌な予想通り、あの銀髪の男がそこにいた。
だが、あの時と違い身体が透き通っており、とても不安定な感じだった。
「あ、藍様。わ、私しは、藍様…」
さっきまでのふてぶてしい態度を豹変させ、あやかしは銀髪の男を前に慌てふためき、恐れているようで声を震わせた。
「ハルを殺すのは、お前じゃ無い、誰でも無い、この私だ!ハルの肉を喰らって、この私の力を超えようとでも言うのか?」
「とんでもございません!私しは、私しは、藍様の為に、あの者さえいなければ藍様は…」
銀髪の男は底知れない酷薄な冷静さで、あやかしの髪を荒く掴み引き上げて、互いの顔を近づけた。
まるでさっき優がされていた事に対して、銀髪の男自身があやかしに報復しているかの様に。
「勝手な事をしたこの罪は、死をもって償ってもらうぞ…」
「どうか、お許しを、お許しを藍様!」
「許さん。お前には死あるのみ…」
ダンッと強い音と共に、銀髪の男は泣くあやかしを跪かせ、頭を押さえて床に付けさせた。
そして、立って朝霧達の背に守られている優を、目を眇めて凝視した。
優にあの尋女の話しが現実だと、その憎しみの籠もった眼差しが突きつけた。
「ハル、今日の所は引いてやる。あの時は油断したが、だが、また力を取りして、必ずお前にまた会いに来る…」
そう言うと、顔面恐怖に引き釣るあやかしを連れて、銀髪の男は煙のようにそこから消えた。
「はぁ…」
極度の緊張が解けて思わず漏れた優の溜息に、朝霧達が彼を振り返った。
溜息を付くのは、むしろ彼等のはずなのだ。
なのに朝霧は、深く優の心配をしてくる。
「お怪我は、何処かお怪我はありませんか?」
優は申し訳なく朝霧達を見て、ただ首を横に振った。
「出来る事なら、貴方に、あんな話しを聞かせたく無かった…」
朝霧が、憂いた瞳で呟いた。
優は、再び首を横に振った。
「すいませんでした…俺が、自分で聞くなんて言っておいて、勝手に動揺して…」
言い訳など出来ず、ただ声を振り絞る様に言うと、
朝霧が黙って、優の顔に掛かっていた乱れた髪を彼の指で優しく撫でる様に直してくれた。
相変わらず、冬の月の下の鋭利な野生の狼の様な男なのに、時折こんな風に向けて来る仕草が、今も送って来る視線が優しい。
「ご無事で、良かった。本当に良かった…」
刀と殺気をしまった西宮が、優の右手を両手で包みそう言い微笑んだ。
彼が前世の弟だと、尋女のあの言葉を優は思い出し見上げた。
だが、やはり実感は感じない。
「お、俺…」
これからどうすべきかと言い募る優を、西宮の優しい声が包む。
「大丈夫です。私も最初、己の置かれた立場を聞いた時、正直戸惑いました。でも私は、一度に全てを聞かされた訳で無く、色々な話しをゆっくり時間を掛けて聞き納得しました。貴方は何も悪くない。驚いて当然です…」
一瞬、間が空いて、朝霧が静かに続けた。
「今すぐ答えを出せとは無理かもしれません…でも…我等と一緒に帰っていただけますね…」
「はい…」
優は頷くと、目の前の朝霧と、あの炎の向こうの彼が重なり再び鼓動を早くした。
この、湧き出る胸をえぐられる様な痛み。
これは、前世の自分のものなのか?
春陽は、どんな想いで朝霧等に刀を授けたのだろうか?
ふと、そんな思いが脳裏をかすめたが、さっきからそこに居る、巨大な白い獣も酷く気になった。
「まさか、お前って、小寿郎?」
すっかり可愛気の無い大きさになり、目付きも荒ぶる猛獣のそれになっていたが、モフモフの毛並みは変わる事無くて、躊躇せず優しく撫でてやる。
「春光、私だ、もう忘れたか?」
巨大猫が喋ったのもそうだが、何よりその聞き覚えのある声に驚いた。
「桜の精、さん…」
「流石に覚えていたか…それと、私自身の名も今日より小寿郎にするぞ」
「でも、なんでここに?」
優が心配気に尋ねると、桜の精は少し黙った後口をひらいた。
「訳ありだ。又後で話す。取り敢えずここから早く出よう」
そう言うと、猛獣はたち所に元の大きさと可愛さに戻り、優の胸に抱いてくれと言わんばかりに飛びこんだ。
優達が蔵の外に出ると、使用人の男が何人かが、透明な壁に阻まれて蔵に入れないと慌てていた。
だが、西宮に促され再度試すと、壁など無くなっていたらしい。
まさか、小寿郎?
と、優は頭を撫でた。
そして、匿ってくれた梨花に礼を言いたいと西宮に頼んだが、それは叶わなかった。
具合が悪く眠っているから、と表向き西宮は穏やかだったが、何処か頑なに断固拒まれている気がして、優は静かに屋敷を去るしか無かった。
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