第15話日没

ただ闇雲に走った。

制御出来ない程気持ちが苦しくて、苦しくて…自分を失い…


気が付けば優は、舎殿から荒清社殿の敷地を走り抜け、外に飛び出してしまっていた。


やがて夕闇も近くなり、町中の人のまばらな裏道をとぼとぼ歩いていると、余りに美しい巫女姿は人目を引いた。


「こりゃ、綺麗な巫女様がお一人で、何処へ行かれます?」


前からいかにも素行の悪そうな若い男が三人が現れた。


優は相手にならず、そのまま通り過ぎようとしたが、にっと笑ったその内の一人に手首を捕まれた。


「珍しい、青い目の巫女様。どうか俺等にその身体で、神の御加護とやらを下さらんか?」


「離せ、この野郎!」


優はキッと睨んでその手を思いっきり振り払い、再び走った。


「おもしれぇ!たんまり可愛いがってやろうぜ!ありゃ、男だぞ!」


そう言いしつこい男達は追いかけて来たが、疲れてきたのか、優の走る速度が遅くなってきた。


ヤバイ、このままじゃ、捕まる!


そう思いながら尚走ると、民家の外壁の角から手が出て来て、優の腕を後ろから引っ張った。


「こちらです。春光様!」


女性の声に振り返ると、その手の主は見覚えのある顔、梨花だった。


優は、彼女に促されるまま手を引かれ、彼女の付き人の男を背後に細い道を通り、やがて一軒の商家らしい大きい屋敷の裏扉から中に入った。


どうやら男達も此処までは入れそうにない。


優は安堵の息を一つした。


「春光様がその様なお姿で、どうして御一人でこんな時間に町中に?」


梨花は、気遣いながら優に尋ねた。


真実も言えず、優が視線を下に口ごもっていると、梨花は彼の右手を取った。


「此処は、私の父の知り合いの屋敷です。心配なさらず暫く中でお待ち下さい。今すぐ使いの者に、雅臣様を呼びに行かせますから」


「それは…」


優は、慌てて梨花の手を握り返した。


さっきの水晶の中の様子を思い出し、鳥肌が立った。


そして、思わず逃げてしまった自分の情けなさと、朝霧達への申し訳なさ。


今彼等にどんな顔で会えというのだろうか?


「分かりました。取り敢えず中にお入りになってお休み下さい」


聖母の様に微笑んで、梨花はそのまま優の手を引いて、屋敷の中に連れ入った。


その内、外は闇が完全に落ちた。


誰かに見つかりたくないと優が言うと、梨花は困惑しながも、裏庭の、母屋から離れた幾つかの蔵の一つに彼を匿った。


優にとって蔵と言えば、金品や米や日用品を沢山詰め込んでカビ臭いイメージがあったが、連れられ入った其処はまだ出来たてのようで中には殆ど何も無く、新しい建物の臭いはしたものの、思いの他過ごし易い所だった。


広い二階に上がって、用意された着換えも食事も手を付けず、ただ黙って蝋燭の灯りだけの中、窓格子から外の星を見た。


朝霧さん達は、どうしているだろうか?


きっと怒っているに違い無い…


優は背を壁にそってずるずると座り込むと、膝を抱いてそこに顔を埋めた。




朝霧達は、顔面蒼白で必死にそれぞれ町、山、川へ散り、口止めした数人の神職と幕府の武士も加わり優の捜索は続いた。


朝霧は、ランプの灯りを頼りに全身汗塗れで町中を走り、美しい巫女を見なかったかと聞いて回った。


だが、夕闇で出歩く者も少ない上に、見たと言う者も、どちらの方向に行ったか知らないと言う。


「ハル…ハル…何処だ、ハル…頭がおかしくなりそうだ…」


そう小さく呟き両拳を握り、朝霧は空を仰ぎ見た。


「朝霧!」


突然暗闇から、聞き慣れない声が彼を呼んだ。


ばっと後ろを振り返ると、民家の塀の上に、見覚えのある赤い首輪、白い毛並みの猫が居た。


「小寿郎?」


荒清社から遠いこんな所にいるのも不思議だが、先程の呼び声は誰なのか辺りを見回す。


「私だ、朝霧」


明らかに喋っているのは、目の前の猫だった。


「小寿郎、お前…」


「私は、村で会っただろう。桜の精だ。詳しくは後だ。春光が西宮の許嫁の所にいる。時間がなくて西宮にしか知らせてないが、奴はもう向かってる。付いて来い!」


そう言い、小寿郎は道に降り走り出した。


驚いている暇は無かった。


朝霧は後ろに続いた。




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