第12話婚約者

朝食後から優は、客人に会う為の着衣合わせで観月と小夜と舎殿の奥に閉じ籠もってしまい、西宮は手持ち無沙汰にしていたが、女中が沢山の大根を籠で運んでいるのを見て声を掛け、何度も遠慮されたが、代わりに井戸でそれ等を洗う事にした。


大きいタライに水を入れ、顔に似合わず豪快にたわしでじゃぶじゃぶ洗う。


しながら昨晩、観月と又、優の居ない所で揉めた事を思い出す。


尋女の話しを、今すぐ主に聞かせるのは幾ら何でも早すぎると、自分や朝霧や定吉は反対した。


だがあの男は、自分の立場を知らない方が危険だと引き下がらなかった。


今は、私が兄弟だ。


いつぞや村で観月が自分に言った事を、また昨日ぶつけられた事を西宮は思いだし、眉間に皺を寄せた。


そして、昨晩、定吉と二人になった時、彼が呟いた言葉も頭をよぎった。


「伝えるやり方の問題はありますが、この荒清社がこの様に立派に今有るのは、僅か二十二歳の観月様がやり手だからというのもありますが、生死も分からぬ弟君がそれでもいつ帰ってきてもいいようにと、涼しい顔をしておられるが、観月様が小さい頃から御自分の命を賭けて守ってこられたからです…」


一度たわしを握る手を止め、西宮は小さく呟いた。


「それでも、主が、余りに御可哀そうだ…」


暫くじっとしていると、背後に人の気配がした。


「梨花…」


振り返るとそこに、ここに帰って来た時に、馬上で彼と目の合った少女が居た。


「どうやって此処へ、此処へは許しの無い者は入れん」


西宮は、一度は動揺したが、すぐ棘の有る視線を彼女に投げかけ更に言った。


「今すぐ、帰れ…」


「雅臣様…」


「帰れ、と言っている」


低い、厳しさを含んだ声に、少女は可憐な唇を噛んだ。


「名家の、しかも武芸の誉高き雅臣様が、その様な事をなされているなんて…。これが、これが、貴方様のお仕事ですか?」


更に、悲し気な瞳が西宮を見た。


「これは、たまたま私が手が空いていたから手伝うと言ったまでの事。私の仕事は、神剣をお守りする事、ただそれだけだ」


「本当に…それだけですか?」


消え入りそうなその梨花の言葉は西宮には聞きとれず、えっ?と聞き返す。


ピィーと小鳥が高い声を出して、近くの木から飛び立つ。


西宮に抱き付こうと、泣きながら走り出した梨花の音に驚ろいて。


「神剣をお守りするなら、私との婚約を破棄なさる必要など無いはずです。今までの剣守も皆、一緒に住む事は叶わずとも、皆結婚して子を儲けております。一緒に住めずとも、どんなに寂しくても、私しは、雅臣様だけに尽くし、雅臣様の御子を産みとうございます」


梨花は小さく柔らかい身体を西宮に押し当て、彼の襟元を掴み、その逞しい胸に頬摺りする。


だが、西宮の厳しい表情はやがて憐れみの色になり、彼女の肩を掴み自分の身体から離した。


「本当にすまん。何度お前に言われようと、私の気持ちは変わらん。梨花…赤ん坊の頃に親同士が勝手に決めた婚約とは言え、お前には申し訳無い事をしたと、本当にそう思っている。だが、お前程の美しさなら、私より他にお前を欲しいと、お前を幸せにしてくれる者が必ずいる」


「雅臣さ、ま…」


暫くの間、梨花の身体はただただ震えていた。


「西宮さん、居ます?」


間の悪い事に、観月に西宮への伝言を頼まれた何も知らない優が朝霧と定吉を伴って、少し離れた建物の陰から出て来て、正面で後ろ姿の少女の肩を持つ西宮と目が合った。


「うわっ!ごめんなさい」


どう見ても、恋人同士がいちゃついている風にしか優には見えず、思わず変な声がで出てしまった。


「こっ、これは、違うのです。主、この者は、私の幼馴染でして、梨花と申します」


西宮が、珍しく酷く慌てふためく。


「幼馴染?」


優がそう言うと、梨花は顔だけ彼の方を振り返って、又すぐ、恋しい男の顔を見上げて言った。


「春光様…御美しい方ですね…」


西宮の衣を両手で掴んだまま、両方の目から、涙が頬を伝った。


梨花は、今度は身体ごと優の方を向き彼に深く一礼すると、彼と逆方向へ素早く走り去った。


優は思い出した。


あの人は確か、昨日見た…彼女、泣いてる…


「西宮さん、梨花さん、追わないと!」


その優の言葉に、西宮は首を横に振る。


「朝霧達も知っている事ですから主にも申しますが、梨花は親が決めた許嫁でしたが、婚約を解消いたしました」


何故?


優はそう聞こうとして、押しとどまった。


まだ知り合ってほんの数日。


踏み込むのは躊躇した。


「そんなお顔はなさらずとも、大丈夫です、主、本当に…しかし、警備の者は何をしていたのか、確かめねば」


西宮は優に近づき、今度は彼の肩に優しく手を置き言った。


もうすぐ巫女との面会の時間が迫っている。


その事と同じ様に、梨花の走り去る後ろ姿に、優の心はザワザワとした得体の知れないものを感じた。

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