第13話過去

昼食後優は、客人と巫女に会う為に、特別な物に着替えなければならなかった。


用意されたのは、白い上衣、白色に紅色の観月と同じ紋様の入った袴。


しかし、観月の指示はそれだけでは無かった。


「どうして、化粧しなくちゃいけないんです?巫女さんじゃあるまいし。絶対嫌です。俺、これでも男ですよ!」


優は珍しく眉根を寄せて、何を考えているか分からない自称兄に抗議したが、今も男の巫女が居るだの、時間が無いのと結果丸め込まれてしまった。


小夜に化粧まで完璧に施され、長い髪はそのまま下ろし、椿の油を付け丹念に櫛でとかれると、縦長の鏡に映った自分の姿に優は思わず驚愕した。


そこには、何処かで見覚えのある、小夜ですら誉め崇める、違和感の無い完全な巫女が居た。


鏡越しに見る背後の観月は、それをじっと見て暫く押し黙っていたが、あの表情の変わらない男が、ふっと一瞬だけ満足気な顔になったように優には見えた。


襖を開けて、観月の後を付いて部屋を出ようとすると、廊下に通路を向き座して待機していた、朝霧、西宮、定吉と目が合った。


だが三人共、優の姿に一瞬固まってしまい、声が出ない様子だった。


やはり、変だったよな…どうすんだよ、これ…


心の中でそう思いながら、優は、観月の背中を恥ずかしさに赤くなりながら恨めし気に見た。


長い廊下を静静と、観月を先頭に、優、朝霧、西宮、定吉の順で行くと、途中、廊下の左右、壁を背に、彼等に向けて平伏しているちょんまげ姿の武士が何人か居た。


優が不思議にそれを見ていると、一際大きい、金の絵飾りも華やかな襖の部屋の前に来た。


珍しく舎殿の奥に来て居た神職二人が、入り口の襖左右に座して平伏した後、それぞれの方からそれを開けた。


深い香の香りが立ち込めた、静寂と重い空気のあまりに広い室内には、ちょんまげに武士の正装をした白髪混じりの初老の男と、その少し後ろに、尋女と、彼女を支える様に小夜だけが平伏して居た。


てっきり観月が一段高くなっている上座に座ると思いきや、彼は優にそこに座るよう言った。


そして自分は朝霧等と同じ、襖の入口側の臣下の位置の先頭に座った。


「この度は春光様には無事ご帰還の旨、誠にめでたき事とお慶び申し上げまする…」


優の正面の初老の男が上半身を深く傾げ、三指を立てて、優を見上げて渋みのある声で静ずかに言った。


優は返事に困るが、男の鋭すぎる目付きに更に戸惑う。


年齢的には現代の父の方に近いだろうが、彼はこんな厳しい雰囲気を周囲に撒き散らす様な男では無かった。


「主、此の者は、永松幕府老中頭、中尾に御座います」


観月がそう言うと、初老の男は再び畳に頭を付けた。


歴史の勉強はしたが、老中と言うのは幕府の権力者だと言う事位しか知らないし、そんな人間が自分に対してへり下り、優は増々困惑した。


「主、永松家は、我が荒清神社の最大の氏家に御座います」


社殿の広さ豪華さ、奥での生活の水準の高さ。


それは一般人の信仰もあるだろうが、やはり後ろ盾にそういう関係があればこそだろう。


優は観月の説明に納得した。


「本来であれば、将軍御自ら春光様のご帰還を祝しご挨拶申し上げるべきで御座いますが、なにせよ、上様はまだ御年六歳、更にお身体も弱く、代わりにこの中尾が参りました次第に御座います。何卒、後ろの物、此度の祝いの印なれば、お納めくださいませ」


緊張で気にする間がなかったが、中尾の言葉に優が後ろを見ると、白木の幾つもの台に何かが沢山乗っていて、白布が被せてあった。


観月が一度優に平伏し、上座に上がり布を全て取り去る。


そこには、沢山の黄金色の小判と金の塊の山、絹の織物の山、そして、上質な紙に書かれた米や肉や海産物、酒などの名は、全て今回荒清社にすでに納められている品々だ。


「確かに、ありがたく頂戴した」


又、観月は元の位置に戻り座した。


優は、この状況に深く後悔した。


ただ話しを聞くだけでは済まされない状況に来ているのではないか?


「所で、、この様な祝いの場でございますが、この中尾、上様に成り代わり如何なる処罰も覚悟の上、春光様に申し上げます」


さっきまで余裕に満ちていた中尾が、畳に視線を落とした。


「あ、いや、待て中尾」


観月が静止して続けた。


「主は、貴殿に報告した通り、幼い頃の記憶も失っておれば、長く行方知れずで、この荒清の事は疎か、アレの事も今は全くご存知ない。これより尋女より、主に事のあらましを話してもらう。貴殿は全て知ってはおろうが、共に聞き、今一度この場にてアレの事を再認識してみてはいかがか…」


「ははっ…」


中尾はずっと下を見たまま固まっていたが、再び優に向かって頭を下げた。


アレってなんだろう?


優が不安気にすると、正面から尋女の声がした。


「主様には貴重なお時間をおさきいただき、この尋女、恐悦至極にございます。なれど…」


声に力は余りないが、しっかりとした語り口が、暫く止まる。


「なれど…アレの事を、主様にお話申し上げるのは、若く清らかで美しい主様には大変酷な事とお見受けいたします。なれば、主様、ご自身に聞く御覚悟が無いと思われるならば、今は止め置かれた方がよろしいかと…」


優は、真っ直ぐ尋女を見た。


正座して膝に置いて握っていた拳に力を入れ、我慢出来ないとばかりに朝霧が身を乗り出して何かを言おとした。


だがそれを、観月が優を見たまま左腕で静止した。


くっと呻くと、朝霧は観月を睨んだ。


「聞かせてください。俺は、あの男が誰か知りたい…」


取り敢えず話しを聞くだけだと、呑気にのこのこ付いて来た自分を心底恨みながらも、今聞かないと言う選択肢はなかった。


そして本当にあの男の事を、自分は知らないといけないと優は思っている。


尋女も優を見詰めた。


まるで、彼の心の中を見透かそうとしているかのように。


「よろしいでしょう。では、お話いたします。なにせ、遙か昔の事、しかも記録も多くが何故か消し捨てられております故、私共がお話出来る事は限られておりますが、分かっている事を…」


そう言い、尋女は静かに話し出した。


百五十年前。


この世界は戦国時代だった。


安藤家は、西関東の大名、都倉家の中級家臣だった。


ある時、その一族の安藤克一(かついち)が、幼馴染が武功を立てて出世した事を激しく妬んだ。


考えた克一は、若く美しいと評判だっためい、椿を遠方から呼び寄せ、彼女の親の高額な医者代を肩代わりすると脅した。


更に椿は、結婚した相思相愛だった新婚の夫との間を無理矢理別れさせられ、克一の養女にさせられ…


都倉家の長、都倉俊馬(しゅんま)の側室に上げられた事から話しは始まる。


三十代後半の俊馬には、すでに正室と数人の側室がいて、正室が産んだ跡継ぎもいた。


しかし、とにかく好色な長は、戦いに明け暮れる日々の憂さ晴らしも有り、常に新しい美女や美少年を探して回って食指を伸ばしていた。


克一の狙い通り、椿は俊馬の目に止まり夜伽に呼ばれ交わった。


だが、気が強く、性に潔癖で淡白で、未だ別れた夫の事が忘れられない椿に、俊馬は二、三度褥を共にするとすぐに飽き、又今度は違う女に手を出し、今度はその者に入れ上げた。


椿を俊馬の愛娼にさせ、自分の地位を上げるという克一の願いはもはや風前の灯火となった時…


克一はとある怪しい術師と知り合った。


その二十代後半の男、道尊は、どこから連れて来たのか、頭に角、口に牙の生えた二人の若い美しい男を捕らえていた。


そして、克一に、この二人は淫魔で、彼等と一度でも交わった人間は色欲に積極的になり色香も増すので、色事に淡白な椿を激変させて、もう一度俊馬の気を引く事が出来るとけしかけた。


淫魔の血を引く者と交わり血を啜られれば、その人間も淫魔となって色欲に狂い、生き血を求める魔物になるとも知らず…


まんまとその話しに乗った克一は、再び椿を罠にはめ、淫魔の華奢な男の方、翆に彼女を犯させ、その血を吸わせた。


哀れな翆は、言う事を聞かなければもう一人の淫魔、蓮の命が無いと脅され、これも道尊がどう作ったのか、怪しい薬を無理矢理飲まされ発情させられていたのだ。


しかし道尊も、身体が大きく力も強そうな蓮を恐れていたのか、彼の方は術の掛かった強い鎖で縛り付け、術の施した牢屋に閉じ込めていた。


淫魔は、血と精からしか生きる糧を得られない。


翆と蓮は、いつかお互いを助けて道尊の元を脱出すると誓い、涙を流しながらお互いが見ている前で、道尊の連れて来た様々な人間を犯しその血を啜って生き長らえていた。


だが、蓮の力を削ぐ為に、彼にはギリギリ生きられる程、牢屋の柵越しにしか血も精も与えられず、彼は日に日に痩せ衰えていった。


しかし道尊の罪は、それ等だけに留まらなかった。


道尊は、都倉家の美しい姫、俊馬の妹の春姫に懸想していた。


そして、自分の恋が叶わ無いと知ると、彼女を使役する魔物に拉致させた。


更にすでに心も身体もボロボロだった翆では役に立たぬと翆の命を人質に、媚薬を飲まされて発情した蓮に、牢屋の中で春姫を犯させた。


もはや狂ったように嗤いながらその様子を見ていた道尊だったが…


春姫を助けようと俊馬の臣下の者達が雪崩れ込んで来た上に、彼の予想が甘かった。


何故か春姫たった一人、一度の交わりだけで漲る力を取り戻した蓮が、道尊の呪術付の鎖も牢屋も破って出て来た。


蓮が道尊の首を締めその骨を折り身体ごと持ち上げたのと、臣下の観月頼宗(よりむね)が道尊の心臓を刺したのはほぼ同時だった。


道尊は即死だった。


道尊の余りの非道を見かね、彼の弟子の一人が春姫の窮状を俊馬に密告した為助けがすぐに来たのだった。


地獄はこれで、全て終わったかのようだったが…


椿は、悪阻やお腹が膨らむなどの予兆の何もないまま、自分が懐妊したと知らぬまま、わずか三ヵ月後、急に産気づき立派な男の子を産んだ。


だが、すでに俊馬と交わりがなかった時期に彼女が妊娠して子供が出来たなどとは公に出来ず、産まれた子は何処かへ隠された。


すでに翆と交わった直後から椿は急変し、妖しい色香を纏い周囲に振りまき…


数カ月後、美しくなったと噂を聞きつけた俊馬に再び夜伽を命じられると、立ちどころに、まさか側室が淫魔になったとは知らない彼を虜にした。


淫魔の血を引いた者とのまぐわいで相手は淫魔になるが、人間から淫魔になった者とまぐわっても、血を飲まれてもその相手は淫魔にはならない。


毎晩の様に交わり、やがてすぐ彼女は再びお腹に俊馬の子を宿した。


月満ちて男の子が産まれ、俊英(しゅんえい)となったが、その数年後、俊馬

は、椿との連日の交わりに全てを吸い付くされたかの様に、彼女との接合の途中腹上死した。


その後、椿はその己の身体を使って他家大名や己の臣下を誘惑し、更に、俊馬の長男、都倉家の跡取り、自分にすれば義理の息子俊景(しゅんけい)とも関係を持ち彼を操り、様々な手を使い…


天下統一直前に主を暗殺された千賀家の凋落後、更に激しくなる戦乱の中、俊景に天下統一を果たさせようとした。


一方、互いに想いあっていた頼宗に一命は助けられた春姫だったが…


自分の身が汚された上に、湧き上がる激しい性欲と血を飲みたいという欲求に絶望し、ある日自らの喉をかき切ろうとしたが、再び頼宗に止められた。


日に日に弱る妹を哀れみ、何も真実を知らない俊馬は、山奥の山荘に彼女を静養に行かせ、数人の付き人と頼宗を同行させた。


しかし、春姫もある日突然、なんの前触れもなく元気な男の子を産んだ。


「その男子、春姫様と蓮との間の御子春陽(はるひ)様こそ、春光様、貴方様の前世のお姿」


尋女のその言葉に、優は愕然とした。


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