第11話朝陽
「ル…、…ル」
遠くの声が、どんどん近くなる。
「いつまで寝てるつもりだ!春光、朝だ!」
上質の柔らかい布団で眠っていた優が瞼を上げると、腕を組んで仁王立ちし彼を上から見下ろす、白い上衣と、白地に白の八藤丸(やつふじのまる)の紋様の入った袴姿の観月が居た。
「俺は、まだ春光さんだと決まった訳じゃないですよ」
仰向けのまま、まだ半分寝呆けた状態で優が答えると、向こうは目を眇めた。
「お前は、春光だ」
そう一言言い、観月は背をむけた。
「早く起きろ。朝餉に遅れるぞ」
長身の男は、振り返らず言うと足音を一つ立てず静かに出て行った。
「さあ、お着替え下さい」
上半身をゆっくり起こすと、定吉が近くに正座していた。
昨晩、背中を流すと、じゃれつく犬の様にしつこかったこの男を留めて一人で風呂に入ったが、優の身の回りの世話は、彼の仕事の一つらしい。
優の警護という仕事もあり、夜も隣りの部屋に西宮らと交代で眠るらしいが、昨日は朝霧と観月が当番だった。
「主、少しその…お口に涎が…」
ごつごつした男の指が、優の口元を拭う。
あの、隙の無い観月にもだらしない寝姿を見られたろだうか?
優が赤くなって照れると、定吉は優しく微笑んだ。
手早く着換え、顔を洗いに定吉と井戸へ向かうと、朝の剣術稽古終わりで身体の汗を手拭いで拭く、朝霧と西宮に会った。
上半身をはだけていたので、二人の隆々とした鍛えられた筋肉が生で見えた。
細いだけの自分のものとのあまりの違いに優はショックを受けたと同時に、暫く凝視してしまう。
筋肉割れてる…
やっぱり、武士はかなり鍛えてるんだなぁ…
「主?」
朝霧が何故か優し気に声をかけて来た気がして、優は慌てて声が上擦る。
「お、おはようございます」
やはり朝霧に対しては、何かもやもやとしてしまう。
おまけに、自分以外は皆朝早くから活動しているというのにいたたまれない。
身だしなみを整え、四人で食事に向かう。
廊下を進んでいると、少し前方の曲がり角から小寿郎が出て来た。
優よりも早くこの場所に馴れたかの様にもうすでに自由気ままにしているが、いつもの様に優の足元に寄って来て、翁の所に居た時より激しく頭を擦り付けてきた。
「小寿郎もおはよう」
優も抱き上げて頬ずりすると、ニャーと甘えた声がした。
「千夏さん…」
西宮の声がしてみんな又前を見ると、昨日会ったおかっぱの幼女が、角から身体の左側半分出しこちらを見ていた。
「あっ、千夏ちゃん、おはよう」
優が優しい口調で笑いかけたが、彼女は無反応でただこちらを見て来る。
少し戸惑うが、優は彼女の視線の先に気づく。
「ああ、小寿郎?千夏ちゃん、一緒に遊んでやってくれる?」
それでも千夏は無表情だったが、やがておずおずと出て来て、優の目の前に来た。
「ち、千夏さんが!」
定吉が驚いた声を出したので、優が振り返る。
何故か、西宮も目を丸くしていた。
「しっ」
朝霧が、定吉を嗜めるようにした。
背後の訳は分からないが、優は千夏に合わせて膝を降り、同じ目線に合わせた。
「撫でたいの?」
表情はごっそり抜け落ちているが、優は彼女の瞳の奥に何かを感じる。
「怖くないよ…小寿郎はとても優しいから、ほら、撫でてご覧」
優は千夏の右手をとって、白いモフモフした頭に導いた。
最初躊躇っていたが、やがて小さい小さい手が優しく撫で始めた。
白猫は、ニャーと甘えた声を出した。
「なっ、怖くないだろ?」
相変わらず一切反応は無いが、優は満足気に笑った。
「さっ、千夏ちゃん、飯、いや、ご飯行こう、朝ご飯!」
優は小寿郎を下ろした代わりに、ばっと一気に千夏を抱き上げた。
いくら子供だと言っても、まるで空気のように軽い。
「わっ、主!」
さっきから定吉の様子がおかしくて、優は又後ろを見た。
「えっ?どうかしました?」
何だかみんな妙な感じだ。
「行きましょうか、主」
朝霧が静かに促した。
「あぁ、はい…」
背後では、西宮と定吉がまだ不思議そうな顔をしていた。
「ち、千夏!」
抱きかかえたまま優が部屋へ入ると、配膳を終えた小夜が大声を上げた。
何事かと入口で立ち止まると、観月が膳の前に座って湯呑みを持ったままこちらを見て固まり、使用人の女性が盆を落とした。
さっきからどうもおかしいと、優は小首を傾げた。
「つい、大声を、驚かせてすいません、春光さん。あの、千夏は、私以外が身体に触れるのをいつも嫌がるものですから、驚いてしまって…」
小夜が申し訳なさそうに近づいて来た。
「えっ、そうなの?千夏ちゃん!」
優は、慌てて千夏の顔を覗きこんだが、表情は無いが、暴れたり嫌がる感じは無く、彼の肩を掴んでいた。
「大…丈夫じゃないかな?」
「それに、千夏、あなたさっき朝餉は頂かないって」
小夜は、妹の腕をゆっくり撫でた。
「どう、少し食べてみる?」
優が囁く様に言うと、少し間が空いて、千夏はコクリと頷いた。
「千夏、あなた…」
そう言う小夜の表情は、昨晩の色香を振り撒く女性のものと別人の様で、まるで本当の母の様で、優はいい姉さんだなとただそれを眺めた。
小さい膳が下座に置かれ、千夏は姉の横で皆と食事を始めた。
優は、彼女と目が合うとニコリとしたが、相変わらず反応は来ない。
「春光…」
茶碗を持った観月が、前を向いたまま不意に横に呼び掛けた。
まだ、そうと決まった訳じゃないのに…
優は、心の中で深い溜息をつきながら、彼を見て戸惑いながら返事した。
「はい…」
「昼から、尋女がお前と話しをするそうだ。そして、もう一人客人が来る。何、お前は話しを聞く、ただそれだけでいい」
観月のその横顔は、波紋一つない水鏡の様に静かだった。
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