第7話春夜

「どうか、共に荒清社へ行き、話しだけは聞いていただきたい。その後どうするかの判断は、主に委ねますので…」


夜の床に付く前、観月は畳に三指を立てて優に懇願した。


主、主と言われるのもしんどいが、厠へ行くのも、風呂に入るのも護衛だと言われて、四人の男が交代で付いて来て外で待つ。


無論、眠る時も寝ずの番が付いた。


優はふっと夜中に目が覚め、小の方を催していた。


左横になったまま、ゆっくり寝起きの頭を慣らそうと暫くじっとしようとすると、すぐ近くに、刀を脇に挟み持ち壁にもたれかかっている朝霧が見えた。


いつの間にか、西宮と交代していたようだ。


彼と目が完全に合っているはずなのだが、優を一心に見詰めるだけで何の反応もない。


こんな闇の中でも、遠くに用心で置いてある灯りで朝霧の瞳はよく見えてとても綺麗で、優も思わず無言で見てしまう。


「どうしました?」


やはり見えていたのか、朝霧が小声で聞いて来た。


なんとなく、多人数の時より声が優しい。


「か、厠。大丈夫、一人で行けます」


優は、上体を起こした。


「一人は駄目です。こんな時間、何がでて来るか分かりませんよ」


朝霧が、目を眇めて言った。


この翁の家に世話になり始めて、ただでさえ夜に外の厠へ行くのは不気味で我慢して行っていたのに。


優は銀髪の男より、現代で友達と見たオカルト映画の所為でとても苦手になった霊的なものを思いだし、思わずうっとなって項垂れて言った。


「一緒に、お願いします」


眠る他の三人を起こさぬよう外に出て、提灯の灯りだけを頼りに厠を後にすると、ニャーと小寿郎が草陰から出て来て、優の足元に戯れついたので抱き上げる。


「小寿郎、お帰り」


そう言って頭を撫でてやると、朝霧が、一瞬驚いた顔をしてこちらを見た。


だがその後、優の後に同じ様に彼の腕の中の小寿郎の頭を撫でて聞いて来た。


「貴方が、名前を付けたのですか?」


「はい、小さい幸せって感じの猫でしょ?」


それを聞いて朝霧が、又ピクリと眉を動かした。


そして、いつもより優しげな声で尋ねて来た。


「では、大きい幸せは…誰ですか?」


「え?」


優が困惑すると、朝霧はいいえ、何でもありませんと呟き、その後も撫で続けた。


「あの、猫、好きですか?」


会話の続きが思い浮かばず、思わず優が朝霧に尋ねたが、余りに下らない事を聞いてしまったかと焦ってしまう。


「嫌いではありません。昔、観月の家でも、同じ名前の猫を飼ってました。私もよく相手をしましたが、名付けた本人が行方不明になって、ほぼ同時に、関係あるのか無いのか、猫は亡くなりました」


行方不明とは、春光の事だろうか?


朝霧と観月が幼馴染なら、春光ともそうなのだろうか?


優が聞いていいのか迷いながら、朝霧と目が合った。


すると突然、この前自分の見た幻影を思い出してしまった。


桜の木の下、朝霧に似た男に背後から抱かれる武士姿の自分を…


優は、恥ずかしくなる自分を誤魔化す為に下を向く。


「主?」


呼んだその朝霧の声は、ずんと優の腰に来るように艶が有った。


身体が熱くなるようで、優は声が裏返るのを必死で抑えた。


「い、いえ、なんでもありません…」


いつの間にか朝霧の白い毛を撫でる手が降りて来て、優の、小寿郎を持つそれに徐々に近づいて来た。


軽く指先が触れかけた時、風が強く吹き、家がカタカタ音を立てて、そこに無いはずの桜の花びらが数枚落ちて来た。


妖しい気配に朝霧は、腰の鞘に手をかけた。


「違う、彼は危ない者じゃない…」


優は、朝霧の袂を引っ張り止めた。


それでも朝霧の右腕が、しっかりと彼を抱いた。


じっと目を凝らして見ると、優のすぐ近くに、紺の着流しを着た華奢な男が立っていた。


金色の髪は腰まで長く、身長は優より同じか少し低い位で、まだ成長途中を感じさせた。


もしかしたら、年齢はかなり近いが下なのかもしれない。


優にはすぐ分かった。


あの銀髪の男同様、人間では無い。


だがアレのように、血の臭いも禍々しさも感じ無い。


ただ、顔は、目と口と鼻の部分だけ空いた白い面で覆っていた。


バタバタと音を立てて、音に反応して観月達三人もこちらへ出て来た。


「大丈夫。あの人は、敵じゃ無い」


優は、防衛態勢の三人を押し止め、面の男を振り返った。


「行ってしまうのだな…」


被り物をしていても、その綺麗な声に曇りがない。


言われた優が返事に困っていると、彼はくすっと笑った。


「もう心の中では、その者達と行くとお前は決めている。だから、心の中で、私に別れを告げたのだろう?」


朝霧らが驚いて一瞬優を見ると、

一層西宮が歓喜して、優の右腕に手を置いて顔を覗き込んで来た。


「本当ですか?主!」


「えっ!その、なんと言うか、行かざるをえないというか…」


優は、まだ気持ちが整理できていない。


だが…


ハル…


あの男の冷たい指と声が、生々しく思いだされて悪寒がした。


このまま自分が此処に居たら、翁達に危害が必ず及ぶ。


よく分からないが、何故かそれだけは確信できる。


でも、だからと言って、自分はどうして朝霧達と行こうとしているのか?


答えが分からず視線を宙に彷徨わせた。


「ならば、気が変わらぬ内に、出立の用意だ」


観月が静かに言うと、優は慌てた。


「そ、そんな、もう?お爺さん達にお別れとお礼位、ちゃんとしたいんです」


「無論、それ位、此方もその心づもりだ。用意だ、出立の…」


観月のいつも厳しい目元がフワリと、少し緩んだ気が優にはした。


「この前は、ありがとう。俺が変な光を出した時、俺が吹き飛ばなかったのは、朝霧さんが守ってくれたお陰もあるけど、貴方も守ってくれてましたよね」 


再び優は振り返り、面の男を見た。


「すまなかった。もっと守ってやるつもりが、侮ってあいつに先を取られ、動けなくされた。最後にあれ位しかしてやれなかった」


寂し気な面の男の声に、優は首を振った。


「本当に、助かったんです。ありがとうございました。」


「あの男は、又、必ずお前の所に来る。そんな気がする。それに、実体の無い、幻の様な状態であれだけの力を遣う。並大抵では無い」


「えっ?あれは幻?」


「知らなかったのか?あれは幻影。何故、本体を出さないかは分からないが…」


又、すぐ会える、ハル…


幻聴でなかった。


なんとなく分かっていた事だったが、やっぱりかと優は、鼻で溜息を付いた。


これからどうなるなんて、考えもつかない。


でも、ここ何回も、あの桜の大木には癒やされてきた。

本当に…


「失礼だったらごめんなさい。もし良ければ、最後に、最後に面の下の顔、見せてくれませんか?もしかして、俺と年が同じ位かも?」


優の願い事に、男は暫く黙り込んだ。


だがやがて、少し戸惑ったように口を開いた。


「我等一族の掟で、素顔は、親兄弟と、恋をし、心から愛した者にしか見せぬ決まりだ…」


「そうですか、桜の精らしい綺麗な掟ですね。無理な事聞いてすいませんでした」


優は、優しく微笑んだ。


「それに、言っておくが、私はこう見えて八十八年生きている。ガキのお前と一緒にするな」


男は腕組みし、つんつんとした態度で言ったが、拗ねている感じで優には可愛いくさえ聞こえてしまい、思わず謝罪に笑みが浮かんだ。


「それは、ごめんなさい」


くすっと、男が鼻で笑った。


「最後と言ったが、まるでもう、会えぬような言い様だな…」


そう言って面の男は、桜の花風の中に消えた。


本当にありがとう。

別れを言いに来てくれて。


優は、そっと心の中で呟いた。


「さぁ、もう少し眠ってください」


朝霧が、抱いていた優の肩を優しく撫でた。


たまにこの男のする仕草が、いつもの仏頂面と落差があって優を戸惑わせる。


「あの、銀髪の男は、誰です?

どうして俺を…」


優の問いに、朝霧がらしくなく躊躇していると、観月の声がした。


「一緒に荒清社へ帰ったら、全て話します。取り敢えず、話しだけ聞いてください」


この、優を弟と言うのに、終始敬語な観月の事も引っかかっていたが、この強引な男は、日が登れば即旅立つ用意を始めるだろう。


優は黙って、地面の残された花びらを見た。



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