再びの日常

 一方、ももとさくらの二人は、ビルとビルの間にかけられた出入り口のシャッターをくぐり抜けるとポケットに忍ばせているリモコンで、シャッターをしめた。

 そして、車が一台通れるほどの広さの路地を通って通りにでると、いつものように稲垣仁の経営する『キャバクラZI-N』の入った右手のビルのエントランスから、稲垣保 :『たもっちゃん』が出てきた。小学校四年生でもものクラスメートだ。


「もも、さくらおはよう」


『おはよう』


 たもっちゃんを追うようにして息を切らした仁も出てきた。

 二人はこのビルの最上階のマンションに住んでいるのだが、毎朝、どちらが早くエントランスまで降りられるか、親子で階段下りレースをしている。この頃は、仁はたもっちゃんに勝てない。


「ぜーぜー保、早すぎ」

「酒浸りのとうちゃんに負けるもんか」

「ふん、じゃあいくぞー」


 ももとさくらとたもっちゃんは握りこぶしに力をいれる。


「勝つべし! 」


 仁が握りこぶし天に向かって突き上げる。


『勝つべし! 』


 そこにいる全員が同じく拳を天に突き上げる。

 全員とは、三人の子どもに加え同じマンションに住む仁の店で働くキャバ嬢の、ミキ、エマ、エリ、マキ、トモと三上伸の経営する『ホストクラブSI-N』のホスト、純、隼人、直、郁弥、良樹である。

 いつもバルコニーに出て朝の恒例行事に参加する。この十人は1ヶ月ちょっと前のお祭りから付き合い始めたカップルたちだ。


「かー、また出てきやがった? 」

『おとーさーん、おはようございます』

 ホストの面々がにこやかに挨拶した。

「うるさーい、くれぐれも営業の邪魔すんじゃねーぞ、ふん」

 ふてくされた仁がエントランスに戻った。

『たもっちゃん、ももちゃん、さくらちゃん、いってらっしゃーい』

 頭の中春真っ盛りの十人がにこやかに挨拶をした。


『あはは、行ってきまーす』


 左手のビルには『ホストクラブSI-N』が入っているのだが、経営者の三上伸は稲垣仁と同級生。顔を合わせると喧嘩ばかりの二人だが、何かにつけて良いライバルでもある。

 いつもはこの時間は店の前を掃除しているのだが、お祭りの時に出会った白鳥小百合先生に恋をしてしまい、この頃めっきり朝が遅くなった。恋煩いでまだ寝ている。


 たもっちゃんを先頭に足早に通りをかけると、右に曲がって路地にはいる。

 そこは『タヌキの散歩みち』この町には路地が多く、車も入ってこられないので子どもたちは路地裏通学をしている。

 安全だし、どこにでも最短距離でいけるからだ。

 たぬきの散歩みちは、瓦屋根の日本家屋が並んでいて、ご老人たちが多く、朝の挨拶を交わしたり、新聞を取りにでてきたり、子どもたちと挨拶をかわしたりしている。


 その昔、たぬきが抜け道として使っていた事からそう呼ばれていた。


 路地の入り口に深々とこうべを垂れている丸々太った狸と金色の美しい毛を纏った狐が、玄関先に並べられた盆栽に隠れるようにして座っていた。


 ももどの、さくらどの、妖狸のポン三郎ともうします。


「えっ? 」


 ももとさくらは歩み止めた。

 突然脳内に声が聞こえてきたのだ。


 周りにいる人間たちに怪しまれます、どうか止まらずに、私九尾狐のコン姐と申します。


 今度は狐だ。


 猫又のボスと同類の妖でございます。

 ささ、お歩きになって下さい。


「はーい」


 ももとさくらは歩き始めた。

 狐と狸もついていくように歩き始めた。


 ももどの、さくらどの、やはり私らの声がわかるのですな。

 ──ポン三郎がいった。


「わかるー、ボスに聞いたの? 」

 ももが言った。


 はい、そうでござる。


「キャハッ、たのしー」

 さくらが言った。


 われらの仲間まで、生きとし生きるもの全てをお救いになった、お二人には感謝がつきません。

 ──コン姐がいった。


 7月の集中豪雨の時、ももとさくらは力を合わせて、この町を流れる野川の濁流と、厚く覆われた雨雲を東京湾に消し去り、自然災害から町を救ったのだ。


 お二人に猫又のボスから言付けがございます。


「ことづけってなーに」

 さくらが言った。


 良くないものがこの町に来ています。何卒ご注意くだされ。

 パパどのにもそうお伝え下され…

 ──コン姐が言った。


「良くないもの? 」

 ももが聞いた。


 私どもにもまだどのような類のものかは判断つきかねます。

 もし、危ない目にあわれた場合、いつでもお呼び下さりますよう、どこにいてもすぐに駆けつけます。

 ──ポン三郎が言った。


『はーい』


 いいお返事で…ふふふ…コーン


 ポン三郎とコン姐は嬉しそうに微笑むと姿を消した。


「良くないものってなんだろね」

 ももがさくらに言った。

「わかんなーい」

 さくらはとんちんかんだった。幼稚園児だ仕方ない。

「もも、さくら、置いてくよー早くおいでよ」

 離れたところからたもっちゃんが声をかけた。

「はーい」


 二人は走ってたもっちゃんに追いつくと、『猫のおやすみ通り』に入っていった。


 『猫のおやすみ通り』は地図にものっていないビルとビルの隙間の路地なのだが、差し込む暖かな朝の陽射しの中、猫たちがたくさん眠っている。

 どの猫も慣れているので子どもたちが通ろうと逃げもしない。しかし、いつもいるはずの猫のボス、いやこの町のあらゆる野生生物たちのボス、真っ白な毛並みで、岩石のような顔をした猫 :通称『ボス』がいない。


 そういや二、三日前から姿を見ていない、何をしているのかしら──ももはそう思った。

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