3

「――さて」


 サンタが白い息を吐く。


「夜は短いからね。そろそろプレゼントを配りに行こうか」

「うん」


 サンタが操るソリは、今度は一気に高度を下げる。

 一度は離れた爛々と輝く街の光が近づく。

 やがてソリは一軒の民家の前にゆっくりと音を立てずに着地した。

 二人はソリから下りる。サンタは荷台から袋を一つ取り背負う。


「いいかい? 声を出したり騒いだりしちゃあいけないよ」

「うん。わかった」


 優真はサンタの後を追う。サンタは玄関の前に立つと、ドアノブに手を掛けてゆっくりと捻る。本当に鍵はかかっていなかった。ギィと小さな音を立ててドアが口を開く。サンタはその口の中に入っていく。人の家に勝手に入るのは少し躊躇われた。が、「プレゼントを配りに来たんだから」と自分に言い訳をすると恐る恐る玄関の敷居を跨いだ。律儀に靴を脱いで揃える。

 家の中には、優真が自分の家で耳にした「カツン、カツン」という音だけが小さく響いていた。サンタが歩く音だった。サンタは二階を目指して、階段を昇ろうとしていた。


「……こっちだよ」


 優真はサンタの服の裾を引っ張り、一階の奥の部屋の一つを指差した。サンタは一瞬怪訝そうな表情を見せたが「……おお。ありがとう」。そう言うと階段にかけた足を下ろし、優真が指差した部屋に向かっていく。カツン、カツンと音を立てて歩いていく。


「……ねえ」


 その後ろに続きながら、優真は声を潜めて訊いた。


「その靴の音はいいの?」


 足を止めサンタが振り返る。


「その音で起きちゃわないの?」

「ああ」


 サンタは言った。


「大丈夫だよ。これはカモフラージュなんだ。時計の音と似てるだろう? この音を出すことで、床が軋む音や他の音で子どもたちが物音で目を覚まさないようにしているんだよ」


 なるほど、と優真は思った。言われてみればたしかに最初耳にしたときは時計の音かと思った。

 まもなく二人は子ども部屋の前に到着した。

 優真が手にしていた懐中電灯で扉を照らすと、扉には「なおみちの部屋」と書かれたプレートが掛けられていた。

 

「あ――」


 思わず声が出かけ、慌てて口を押さえた。

 優真はこのときになって気が付いた。ここは尚道くんのお家だ、と。

 どうして気がつかなかったのだろう。優真はこの家に何度か入ったことがある。普通なら、家の前についた時点で気がついてもよかったはずだ。……暗かったからだろうか?


 サンタがドアノブに手をかける。それを見て、


「……なおみちくん、この子にもプレゼントをあげるの?」


 優真はついそう訊いてしまった。


「……どうして?」


 ドアノブから手を離し、サンタが優しい声で訊き返す。


「だって……この子はサンタさんのことを信じてないんだよ。この前、学校で『サンタさんなんていない』って言ってたんだ。なのに、そんな子にもプレゼントをあげるの」

「もちろん」

「どうして」


 わからなかった。


「サンタさんのことを信じてないんだよ。サンタさんなんていないって思ってるんだよ!?」


 わからなかった。自分の事を信じていない相手に、どうしてプレゼントなんて配るのか。

 きっと明日の朝、尚道くんは枕元に置かれたプレゼントを見て思うのだろう。「おっ、届いてる」だが、それだけだ。彼がサンタだと考えているお父さんには「ありがとう」と思うかもしれない。けど、本当のサンタさんには決して「ありがとう」などとは思わないのだろう。だって、彼にとってサンタとは自分の父親なのだから。


「……プレゼントをあげる必要なんて、ないよ……」


 優真の内には、学校で見せた尚道のあのバカにしたような顔が浮かんでいた。別に彼のことが嫌いなわけではない。だけど、サンタさんからプレゼントを貰う資格はない、と思う。


「……そうか」


 そう言って、サンタはゆっくりと膝を折り、優真と目線を合わせた。しわがれた、それでいて優しいサンタの目元が見える。


「明日の朝起きてみて、自分の枕元にプレゼントが無いと気づいたらその子……ナオミチくんはどう思うかな?」

「どうって……」


 優真は少しだけ考える。


「たぶん、がっかりすると思う」


 貰えると思っていたモノが貰えないと、それは悲しい。がっかりする。


「だろう。それから、その子はどうすると思う?」

「どうって…………泣く、のかな?」


 優真には尚道が泣いている姿は想像できなかった。


「たしかに泣いてしまうかもしれないね。けど、もしかしたら怒るんじゃないかな?」

「怒る?」

「そう。その子にとってのサンタは、私じゃなくてその子のお父さんなんだろう? そうしたらきっと、サンタとしてプレゼントをくれなかったお父さんに怒るんじゃないかな?」


 それはありえそうな話だった。彼のことだ、直接文句を言うかは別にしても、きっと父親のことを恨むに違いない。


「だから私は届けるんだ。たとえその子が私のことを信じていなくても、その子が信じるサンタを守るために。どんな子であっても、悲しむ子がいちゃいけないから」


 そう言って立ち上がると、サンタは尚道が眠る部屋のドアをゆっくり開けた。


「……やっぱり、わからないよ」


 それでも優真は納得がいかなかった。


「……それじゃあ、コレは君が届けるんだ」


 そう言うと、サンタは袋から取り出した尚道のプレゼントを優真に手渡した。


「僕が?」


 驚いて優真はサンタの顔を見る。


「そう、君が」

「どうして?」

「いいから。これはユウマくん、君が届けるんだ」


 そう言ってサンタは半ば無理矢理に優真にプレゼントを持たせようとする。仕方なく、優真は手に持っていた懐中電灯を部屋に置いてあったテーブルに乗せ、尚道へのプレゼントを受け取った。


「ゆっくり、なるべく物音を立てないように近づくんだ。いいかい、決して彼を起こしてはいけないよ」


 サンタに促され、ゆっくりと尚道が眠るベッドへ近づいていく。ベッドのすぐ横まで来た。

 尚道はぐっすりと眠っていた。口を半開きにして、よだれを垂らしながら眠っている。優真は急に、尚道の身体を揺すって起こしたい衝動に駆られた。

 今、この瞬間彼を起こせば本物のサンタを目の当たりにすることになる。そうなれば彼とてサンタの存在を信じるほかないだろう。サンタの存在を証明するならそれが一番確実で手っ取り早い。

 プレゼントを持つ優真の手が、ゆっくりと尚道の枕元に迫る。そして――


「よし。じゃあ次の家に向かおうか」


 結局、優真は枕元にプレゼントをそっと置いただけで尚道を起こすことはなかった。何も知らずに眠り続ける尚道を最後にふりかえり、優真はサンタと共に彼の家を後にした。

 優真は、自分の「サンタクロースの存在を証明したい」という欲より、サンタさんから頼まれた事をこなす事を優先させたのだ。何故だかは優真自身にも判らなかった。ただそうするべきだと思ったのだった。

 それから二人はプレゼントを配って回った。同じ学校の子の家もあれば、全く知らない子の家もあった。いくつの家を回っただろう。そんなに多くはなかったと思う。それでも、これまでになかった体験に一分一秒が長く感じられた。夜の街をトナカイの引くソリに乗って飛び回るのが夢のようで楽しかった。けれど、それも長くは続かなかった。

 時刻は既に深夜二時を越えていた。優真のような子どもは深い眠りについていなければいけない時間。胸の躍るような体験も、人間の三大欲求の一つ、睡魔には敵わなかった。

 サンタの貸してくれたふかふかの上着が、ソリが伝える安楽椅子のような揺れが優真を眠りの世界へと誘おうとする。優真はそれに必至に抗う。

 ……まだ、サンタさんがいることを皆に伝えるための、証拠がない。ここで寝ちゃ、だめだ。ぼくは、まだ、まだ………………ぐぅ。

 ついに優真の意識は暗闇に包まれた。






 目が覚めた。


「――サンタさんっ!」


 慌てて飛び起きる。辺りに首を巡らせる。そこはいつもと変わらない自室のベッドの上。カーテンの隙間から差す日の光が、朝であることを物語っていた。

 身体を触る。着ているのはパジャマ。サンタの上着は着ていない。履いていたはずの靴も、今は当然履いていない。昨夜の深夜旅の痕跡を残すものは何一つない。


「夢、だったのかな……?」


 優真にはサンタと共に夜の街を飛んで回った記憶が確かにある。だが、それが夢なのか現実なのか判断することは出来なかった。もしかしたら、あのとき、布団に潜ってサンタを待つ間に眠ってしまっていたのかもしれない。朝起きて、凄く眠いけどなんとか起きて学校に行ったと思ったら、すべては二度寝して見た夢の中の出来事だったのと同じなのかもしれない。

 ……とりあえず起きて顔を洗おう。

 ベッドから下りようと横にずらした手が、固い感触を伝えた。見れば、枕の傍には包装紙に包まれたクリスマスプレゼントが置いてあった。優真は記憶の中ではまだプレゼントを貰っていなかったことに気がついた。

 考えながらも、手はプレゼントの包装を破っている。包装紙の中から優真がサンタに頼んでいた通りの品が姿を現わす。それを見た途端、優真の悩みは吹き飛んだ。


「パパー! ママー! サンタさんからプレゼント届いてたー!」


 優真はプレゼントを手に、リビングに向かって駆け出していた。



 ひとしきり両親に自慢すると、優真は学校にいく支度を済ませて家を出た。学校も今日を残してあと数日。

 学校に着くと、どの教室もサンタから貰ったプレゼントの自慢合戦でたいそう盛り上がっていた。つい先日、優真が話を聞いた時は「サンタさんはお父さん」と言っていた皆が楽しそうに自分の貰ったプレゼントの話をするのを見て少し変な気分だったが、すぐに自分を抑えきれなくなり優真もプレゼント自慢の会に乱入した。

 それから少しすると、後ろから声がかかった。


「あっ、尚道くん」


 声をかけてきたのは尚道の手には懐中電灯が握られていた。


「これ」

「えっ」


 そう言って尚道はそれを優真に手渡した。


「俺の部屋に置いてあったんだけど、この前来たとき忘れてった? 昨日の寝る前はなかった気がしたんだけど、まあいいや」

「……」


 受け取ったそれは間違いなく優真の懐中電灯だった。持ち手の部分に自分の字で名前が書かれていた。

 優真はこれまでに懐中電灯など遊ぶときに持っていったことはなかった。

 それを持っていったのは……そうだ昨日。サンタさんとプレゼントを配りに行った時、あのときテーブルに上に置いたままだったんだ。ということは、やっぱりあれは夢じゃなくて……


「それよりさ聞いてくれよ。おれが貰ったプレゼントなんだけど――」


 そう言うと尚道は自分のプレゼントの話を始めた。その顔は喜びに満ちあふれている。「サンタなんていない」そうは言ってもやはりプレゼントを貰うのは嬉しいようだった。

 笑いながら話す尚道の姿を見て思った。

 そのプレゼントを置いたのは、実は自分だ、と。そう言ったらどんな顔をするだろう。きっと言っても信じないのだろう。

 無邪気に笑う尚道を見て、優真はやっとサンタの言ったことがわかった気がした。


 ――間違っていたのは自分だ。サンタさんを信じているいないだとか。そんなことは関係ない。自分は、ただサンタさんを信じていないから、それだけの理由で目の前の笑顔を奪おうとしたのだ。そんなことはあってはいけない。あってはいけないんだ。……それにやっぱり嬉しい。自分はただサンタさんの代わりにプレゼントを置いただけだが、それでも自分の行いが目の前の笑顔に繋がったと思うと嬉しかった。


「――なあ、なあ! 聞いてるか優真?」

「あ、うん。聞いてるよ。……それよりさ、僕のプレゼントの話も聞いてよ」

「おう。何もらったんだよ」

「ぼくはね――」



 今日はクリスマス。イエス・キリストの誕生を祝う日。皆が笑顔になる日。とにかく楽しくて、幸せな日。

 そんな日に、悲しい思いをする人がいてはいけない。それはサンタクロースの願いであり、皆の願いだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サンタがやって来る 雨野 優拓 @black_09

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ