2
そして、クリスマスイブの夜。
優真は晩御飯を食べるとすぐに風呂に入り、「おやすみ」と両親に言うとすぐに布団に入った。
優真の考えた作戦はこうだった。
早めに布団に入ってサンタさんが来るのを待つ。そしてサンタさんが来てプレゼントを置こうとしたところで一気に布団から出て、サンタさんを捕まえる。シンプルだが、これが 一番確実な方法だと思った。
それから、優真が布団に潜ってから三時間が経った。彼の手には懐中電灯が握られている。部屋が暗くてもコレでしっかりとサンタさんの姿を見ようという算段だ。
部屋の壁に掛けられた時計が時を刻む音がやけに大きく聞こえる。
――いつだ。いつ来る。サンタさんは何時に来るんだ。
夜は長い。初めは、台風が通り掛かる嵐の日の夜のように自然と心が弾んだが、時間の経過とともに熱が冷めていく。冬の寒さに足先の感覚もおぼろげになり始めと同時に、意識も少しづつ現実から離れていく。
――サンタさんっていったいどんな人なんだろう。
毎年プレゼントを持ってきてくれる人。だが、決して人前には姿を現わさず、見返りも求めない。一体どんな人物なのだろうか。気になるが、知ってしまうのが少し怖い。
もし仮に、想像していたのと違っていたらどうしよう。真っ赤な服に豊かな白いあごひげを携えた姿をイメージしているけど、真っ青な服に髭なんてない鋭い目つきをしたスキンヘッドのオジサンだったらどうしよう。サンタさんを騙った泥棒だったらどうしよう。正体を見られたからと、口封じの為にさらわれたりしたらどうしよう。ナイフを持っていたらどうしよう。もし、サンタさんがお父さんたちだったらどうしよう。
身体が冷えると、急に色々なことを考えはじめて怖くなってきた。
そんなはずはない。そんなはずはない、と自分に言い聞かせても心の内に芽生えた不安の種は成長を止めない。あっというまに優真の心を蝕んでしまう。
……このまま寝てしまおうか?
世の中には知らなくていいこともある。優真は幼いながらもそのことを知っていた。
ある夏の日、テレビで心霊番組特集が行われてうっかり見てしまった夜。あまりの恐怖に風呂に入るのもトイレに行くのにも嫌になってしまったことがあった。それ以来、優真は絶対にホラーの類いには触れないようにしている。
それと同じだ。
このまま寝てしまえば、目が覚めた時には枕元にきっといつものようにプレゼントが置いてあるはずだ。僕はそれを見て素直に喜べばいい。サンタさんの正体が何だっていい。僕はサンタさんを信じる。信じてない皆がどうなろうと、例えばプレゼントがもらえなくなっても僕には関係無い。それは皆のせいなんだから。そうだ、それでいい。僕がやる必要はない。寝てしまおう。
そうやって自分に言い聞かせ、布団を深く被って目を閉じた時だった。
――カツン。カツン。カツン。
不思議な音が優真の耳に届いた。聞きなじんだようで、少し違う。
何の音だろう。
そう思って目を開き布団から少しだけ顔を覗かせた瞬間、部屋の扉がギィッと小さな音を立てゆっくりと開いた。戸口から淡い室内灯の光が部屋に差す。優真はおもわず身を固くする。
――カツン。カツン。カツン。
わかった。これは時計の音だ。聞き覚えがあったのはだからだ。
時計の針音が、ゆっくりと近づいてくる。
……音が近づいてくる? そんなわけない。だが、確かに音の発生源は近づいていた。
優真は動けなかった。ただ布団の中で身を縮めて、息を潜めることしかできなかった。
――カツン。カツン。カツ。
音が止まった。それからゴソゴソと衣擦れの音が聞こてくる。人がいる。今、この瞬間、優真が横たわるベッドの傍に誰かが立っている。
……サンタが来たのだ。
優真は気が付いた。
正体を暴くのなら今が絶好の機会だ。
怖かった。サンタの正体を知ってしまうことが。それが何を引き起こすのか。
だが、それ以上に見返してやりたかった。昼間、学校で尚道が見せた馬鹿にしたような笑い顔。サンタが実在する証拠を見せつけて「ほら見ろ。サンタさんはいるんだ」と言ってやりたかった。
今この瞬間、布団から飛び出るだけでそれが叶う。そう思うと、先ほどまでの恐れはどこかに消えていた。
だから、少年は動いた。
バッと身体の上に掛けていた布団を跳ね飛ばして身を起こすと、手にしていた懐中電灯を起動させ、枕元に立つ人影を照らす。
くぐもった声が聞こえた。
「うおっ」
まさか起きているとは思ってもいなかったのだろう。光に照らし出されたその人は驚いて後ろに数歩よろめいた。
優真は顔を確かめようとしたが、眩しさから手で顔を隠してしまった為に確認ができないが、赤い帽子を被っているのは見えた。こうなればもうやけくそだと、優真はベッドから飛び降りるとその人に飛びかかった。
「あっ、何をする」
少年の体当たりによりバランスを崩し、後ろ向きに倒れる。その拍子に帽子が外れて床に転がる。淡い光がその人の顔を闇夜に浮かべた。
「サンタ、さん……?」
優真は思わずその名を口にした。
彼が押し倒したせいで床に仰向けで転がるその人は、優真が思い浮かべていたサンタそのものだった。上下真っ赤な服に白のラインが入った温かそうな服。顔には豊かな白髭がついている。
「ああ、そうだとも。私がサンタクロースだ」
床に転がったままのサンタクロースは、やれやれと首を振りながらそう答えた。
「本当に? 本当にサンタさん」
「君は私が何に見える?」
「サンタさん」
「じゃあそれが答えだよ」
そう言って、サンタは優真の身体を優しく自分の身の上からどかせるとゆっくり立ち上がった。
「それより、こんな夜中に起きてちゃダメじゃないか。お母さんやお父さんにもそう言われたろう?」
「……うん。だけどぼく、サンタさんが本当にいるのか確かめたくって……」
「君は信じていなかったのかい? 私のことを」
「違うよ!」
優真はブンブンと首を横に振る。
「僕はずっとサンタさんは本当にいるって信じてたよ! けど、クラスの皆が言うんだ。『サンタなんかいない。お父さんがサンタのフリをしてるんだ』って。だから、僕は皆に『サンタさんは本当にいるんだ』って教えたくて……」
「それでこんな遅くまで起きていたのかい?」
「うん……」
優真はうなだれた。その頭をサンタの手がゆっくりと撫でた。
「ありがとう。私のことを信じてくれて」
優しい声だった。見上げるとサンタは柔和な笑みを見えて、優真に微笑む。
「でも、もう遅いからそろそろ寝なさい。子どもはちゃんと寝ないといけない」
「うん。わかってる。でも……」
優真はまだサンタがいるという証拠を掴んでいない。
たとえ明日学校で、「昨日、本物のサンタに会ったんだ」と言っても誰も信じないだろう。皆に馬鹿にされるのが目に見える。せっかく本物のサンタクロースに出会えたんだ。何か皆を信じさせられるような、証拠が欲しかった。
だが、それはなんなのだろう。
サンタの存在を裏付けるモノなんてあるのだろうか。
優真にはわからなかった。
「ねえ、サンタさん」
「うん?」
優真の口が勝手に動いていた。
「これから他のお家にもプレゼントを届けに行くんだよね?」
「そうだよ」
「じゃあ、僕も連れていって」
サンタはそれを聞いて驚いた。
「ダメだ。君はこのままベッドに戻って寝るんだ」
「どうしてダメなの」
「子どもはもう寝る時間だ。ほら君へのプレゼントだよ。だからもう寝るんだ」
「嫌だよ!」
優真はしつこく食い下がった。
「ねえ一緒に連れてってよ。少しだけでいいから。ねえ、お願い。そうしたらプレゼントもいらないから」
「うーん……」
何度も何度も優真が必至に頼み込むと、ついにサンタが折れた。
「……わかった。でも、少しだけだよ」
「本当? ありがとう、サンタさん!」
それから二人は揃って部屋を出た。
家の廊下を歩きながらいったいどうやって家の中に入ったのかと聞くと「もちろん玄関からさ」とサンタが言った。
「この日だけはお家の人に協力してもらって、玄関の鍵を開けて貰っているんだよ」
「でも、それじゃあ泥棒に入られたりしないの?」
「大丈夫。そうならないように色々な人が協力してくれてるんだよ」
優真は「そうなんだ」と答えた。
家を出ると、一台のソリが止まっていた。優真が坂を滑り降りて遊ぶときに使うプラスチック製のものなんかとは違って、木製の随分と大きなソリだった。荷台には大きな袋が幾つも乗せてあり、九匹のトナカイがソリの前方に繋がれていた。
「この子達がソリを引いて私を家から家へと運んでくれるんだよ」
サンタがそう言って先頭のトナカイの首を優しく撫でると、トナカイは小さくいなないた。
「名前はあるの?」
「もちろん。この子から順に、ルドルフ、ダッシャー、ダンサー、プランサー、ヴィクセン、コメット、キューピット、ドナー、ブリッツェン」
サンタは名前を呼びながら次々とトナカイを撫でていく。
「え、えーっと……この子がルドフルで、こっちがダッシャー? それで、ええっと…………ダメだ。おぼえられないよ」
優真はしょぼくれた。それを見てサンタが笑う。
「いいんだよ気にしなくて。実のところ、私もたまにド忘れしてしまうんだ」
「そうなの?」
「そうだとも。何せ私も随分と年なものだからね。……ところで、まだ君の名前を聞いてなかったね」
サンタは不満を言いたげに首を振るトナカイたちを優しくなだめながら、優真に訊ねた。
「僕はゆうまだよ。『優』しいに『真』実って書くんだ」
「そうかそうか。ユウマ。言い名前だね」
「うん!」
名前を褒められただけだがつい嬉しくなる。
「ねえ早く行こうよ!」
「ああ、そうだね。……よいしょっと」
サンタが先にソリに乗り込み、それから優真のことを引っ張ってソリに乗せる。
「ほら、コレを着てなさい」
サンタはそう言って真っ赤な上着を脱ぐと優真に渡した。
「冬の夜は寒いからね。風邪を引くといけない」
「でもそしたらサンタさんが寒くない?」
「私は大丈夫だから。ね?」
「うん。ありがとう」
優真は言われたとおりに上着を羽織る。上着は裏起毛で暖かく、ふんわりと優真の身体を包み込んだ。
「それじゃあ、出発だ!」
サンタが手綱を握って合図をすると、九匹のトナカイたちが一斉に走り出す。最初音を立てて地面を滑っていたソリが、突然ふわりと中に浮く。
「うわぁっ」
突然の浮遊感に優真がバランスを崩し掛けたところをサンタの手が彼の身体を支えた。トナカイたちが引くソリは二人を乗せてグングンと加速していく。優真は上着の襟口をぎゅっと寄せた。
あっという間に優真を乗せたソリは天高く舞い上がる。サンタの上着がなかったら凍え死んでしまうかと思うほどの寒さだった。それほどまでに冬の空の上空は寒い。
サンタさんは大丈夫か、と横を見る。寒さには慣れているのか、それとも下に来ていたインナーだけでも充分暖かいのか、彼は平気な顔でソリを操っていた。
大丈夫そうだ。優真は視線を回りに移す。
辺り一面、満点の星空。地上からでは街の人口的な光のせいで見えなかったものが、今は見えた。生まれて初めて見る綺麗な星の海に少年は目を奪われる。ふだん何の気なしにみていた夜空はこれほどまでにキレイだったのか。星に詳しければ、あれが何座だとか、色々思いを馳せることができたのに。
少年はすこし損した気分だった。
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