キャロル・オブ・ザ・ベル
サラ
第1話 キャロル・オブ・ザ・ベル
クリスマスの夜。
街は賑やかで人々は楽しそうだ。
しかし、アベルは消えてしまいたかった。
彼は誰にもいえない罪を犯したので毎夜苦しんでいる。小さく、小さくなって自分の存在が無くなってしまえばいい。消えてしまいたいと深く願っていた。
家には誰もいない。お金は唸るほどあるが、それだけだ。人は信じられない。人は簡単に裏切るものだ。
「小さくなりたい」
アベルは呟く。
「小さく、小さくなって消えてしまいたい」
夏の夜、広い庭園をぼんやりと眺めていたアベルの体が少し小さくなった。そして、小さく小さく、小さくなってやがて小さな白い石になった。白い石は庭に続くバルコニーにポツンと転がって月を眺めていた。
アベルは自分が小さな白い石になったのがわかった。これでよかったのだと思う。このまま長い時間をかけ、砂となって消えてしまうのがアベルの望みだ。
アベルがいなくなって一年が過ぎた。クリスマスの喧騒がどこからか聞こえてくる。
白い石はまだ庭園に転がっていた。小さな白い石は、掃除にきた人たちに蹴飛ばされ庭に掃き出された。誰も住んでいない家は静かで庭園も変わりがない。
アベルが居なくなっても誰も気づくものはいない。掃除の業者は機械的に仕事をするだけだ。住んでいる気配がなくとも気にしない。代金は引き落とされているのだから。
業者が入る時は必ず監視の人間もついてくる。しかし、世界中に家があり気まぐれにあちこち移動しているアベルの気配がしなくても誰も気にしない。
しかしある日、弁護士たちが連れ立ってやってきた。
「どうしても連絡がとれない」
「まったく、どこに行ってしまったのやら」
「犯罪に巻き込まれた可能性は?」
「わからない。お金がひきだされた形跡はないし……」
「携帯は?」
「つながらない」
「GPSは?」
「この家を示している」
「うーん」
連絡が途絶えて1年たったら消息を探すように契約を結んでいる。
弁護士は専門家を雇ったようだ。家探しをして居間のロビーであちこち連絡をとっている。
警察が来て掃除の業者が呼ばれ、庭の隅々まで捜索がなされた。
そして、世界中の持家や別荘、知り合いに連絡を取りようやく消息が不明である事が確認された。携帯は結局行方不明のままだった。
消息不明になった場合、財団をつくり財産を管理して養護施設をつくる事になっている。アベルは施設で育った。親はわからない。
アベルは天涯孤独というのは相続問題がなくて良いと思っていた。随分と悪い事をしてしまった。若いころは生きていくために無我夢中で生きてきた。気を抜くと付け込まれるので誰も信用せず、ひたすら権力を求めお金を貯めた。
良い人の顔をしてずっと過ごしてきた。アベルの裏の顔はうまく隠してきたので知っている者は数少ない。年をとり引退して裏とは手を切り、表の付き合いもなくし一人になった。一人きりになってやっと罪と向き合った。
アベルは平凡な家に生まれ、ありきたりな人生を送り何事もなく生きていきたかった。人生は不公平だ。どこに生まれどんな顔になりどのような才能を得るのか、人はそれを選ぶ事ができない。生きるためにあがいて手にいれたものは沢山あるが満たされない。いっそ、出家でもして悟りをひらく人生を選べば良かったかもしれない。
それでも、今のアベルは人であった時よりはマシかもしれない。
小さな石になってひたすら己を顧みる日々は自分に必要だった。飲食の心配はなくひたすら瞑想に沈む事ができる。
二年後、アベルは養護施設が造られるのを敷地の隅から見ていた。アベルの望みのとおりに綺麗でりっぱな施設がつくられた。
その施設で暮らす子供達をアベルは庭の小さな石の欠片として見ていた。もうすぐクリスマスになる。
施設の閉塞感をなくす為のいくつかの提案と、職員と役所とボランティアに子どもを組み入れた施策は、施設で理不尽な思いをしたアベルの経験を活かしたものだ。もちろん複数の弁護士集団による監査の手もしっかりと手配した。
どんなにいい人間であっても人は転ぶ時は転ぶ。清らかな水も腐る。
アベルが見る限り、今のところはうまく運営されているようだ。
アベルは途中から施設の居間にあたる大きなホールの鉢植えに移動した。ポケットに石や砂をいれて遊んでいた幼児が鉢植えの上に砂を落としたのだ。その中にアベルもいた。
今日はホールがきれいに飾りつけられた。テーブルがセッティングされ各テーブルに大きなケーキが置かれる。
――誕生日会は食堂でしていたはずだが……
アベルは首をひねった。もちろん石の欠片なので首はないが気分である。
「アベルさま、お誕生日おめでとうございます。いつもありがとうございます」
子どもたちの声にアベルは驚愕した。そういえば今日はアベルの誕生日だった。一度も誰かに祝われた事などなかった。
ホールの横に祭壇のようなものがしつらえてあり、そこの幕が取られるとアベルの立像があった。わぁーと皆の歓声があがる。子どもたちは順番に像の前に行くと
「アベルさま、いつも美味しいご飯をたべさせてくれてありがとう、ございます」
「アベル様、お家をつくってくれてありがとう」
「アベルさま、ここに来てはじめてお菓子を食べたよ。ありがとうございます」
「アベルさま、学校に行かせてもらえて嬉しいです。ありがとう」
子どもたちの様々な『ありがとう』にアベルは顔が熱くなった。気分であるが……。
ほとんどは自作の絵や作品だが子どもたちからの様々な贈り物が供えられ、ケーキや御馳走も像の前に置かれてアベルは泣きたくなった。
像の姿は若いころのアベルでちょっと美化されていたのも嬉しかった。
今は石の欠片だが生きていて良かったと初めて思えた瞬間だった。贖罪の日々は続くだろうが、誰かの幸せの役に立てたという想い出だけでこれからは生きていける。
アベルのこころは満たされた。
子どもたちの生活を見守りつつ半年がすぎ、今日のアベルは玄関にいる。その日は小春日和だったので、玄関ホールで植物にお日様をあてようと職員が鉢植えを持ち出したのだ。
――ああ、お日様の光は石の欠片になっても気持ちがいい。日向ぼっことはいいものだ。
アベルがお日様にあたりながらのんびりしていると
「せんせい~」
「あ~、待って」
「や~だよ」
小さな子供たちがふざけながら走ってきた。そして、そのまま転んで鉢植えをなぎ倒してしまった。アベルの石の欠片もそのまま床に落ちてしまった。
「あらあら、大丈夫? けがはない?」
「大丈夫。だけど、木さんが……」
「そうね。木さんにごめんなさい、しましょうね~」
そういうと、職員はすばやく子供の様子を見てから、鉢植えを起こした。アベルはホノボノとした施設の様子にほっこりとした気持ちになったが、鉢植えの砂を戻す時に残念ながら職員の靴の隙間に入り込んでしまった。石の欠片は踏みつぶされて小さな砂粒になっていた。
――これでは、声はきけるが何も見えないな。でも、贖罪の身だ。しょうがない。
アベルはそうそうに諦めて声だけでも聴けるのは有難いことだと思った。
ところが、職員は車に乗って自宅に帰り、アベルは職員の家族団らんの声を玄関から微かに聞く事になった。
――家族で過ごすのもいいものだな。幸せそうだ。できればその様子だけでも見てみたいが砂だし……声が聴けるだけでもいいか。
アベルはその職員の靴にしっかりと付いてしまったようで、しばらく職員の
生活と共にあった。
しかし、職員が彼氏と海を見に出かけた時、海の砂の中に落されてしまった。周りは砂ばかり。誰もしゃべるものはいない。
――思えば遠くへきたものだ
アベルは砂と共に転がって月を眺めていた。心は静かだった。
波が押し寄せ海に流された。アベルはそのまま海の底に沈んでしまうかと思ったが、そうはならず砂はふわふわと海に浮かんでいた。
――波に流されるのもいいものだ。
天気の良い日は青空をながめ、海が荒れた日は波しぶきに飛ばされ、夜は月を眺める。
朝日が昇るのも、夕日が沈むのも何度みても見飽きる事はない。
再びアベルは過去の自分と向き合い反省し、やがて消えてしまうまで人々の幸せを願う事にした。
砂の身でできる事はないけれど、これまでのように消えて無くなりたいという思いから、見知らぬ誰かが幸せになる事を願うようになった。
そうして何年も、何年も経ち、波に洗われさらに小さくなったアベルは強い風に舞いあがった。これまでのように海の中ではなく、海の上を風にのってフワフワとさまよった。
――風にのるとはこんなに気持ちがいいものだったのか。
アベルはいつの間にか銀色のホコリになっていた。ホコリになってふらふらと海の上をさまよい、港町に着いた。そして、港町でぼんやりと海を見ている薄汚れた子供の髪の毛にフワリとくっ付いた。その子供はアベルが付くと同時に立ち上がった。子どものお腹からキュ―と音が聞こえてくる。
「いつものことさ~。おいらはいつもお腹を鳴らす~。キュ~キュ~キュ~。腹が減っても生きている~」
「面白い歌だな」
「へっ?」
スーツをきた青年が子供に声をかけてきた。
「歌の才能があるみたいだな」
「え?」
「朝早く着きすぎたんだ。どこか景色のいいところをしらないか? そこで朝飯を食いたい。パンをたくさん買い過ぎたからな。おすそわけもあるぞ」
「ほんと! ありがとう。あの丘の上の公園から港がよく見えるんだ。ベンチもあるよ」
「そうか。案内してくれるか」
「うん」
子どもと青年はそのまま公園に行き、いっしょに朝食を食べた。青年は養護施設をつくる為にこの港町にきたのだ。
「えっ、ほんとにいいの? 僕も施設に入れるの?」
「ああ、施設には子供が必要だろう」
「毎日、ご飯を食べられる?」
「もちろんだ」
青年の作る施設では生活の面倒をみてくれるだけではない。一人でも生きていけるようにしっかりと教育が行われ、才能があるものにはその才能への援助がある。
よくある話のように一定の年齢になったら出ていかなくてはならないという事はないし、その施設を出た事がステータスになるような教育が行われるのだ。
礼儀作法から始まり調理など日常生活に必要な技能はしっかりと生活の中で身につけるようになっており、外国語の習得とIT関係、経理、言語の資格も必ず取らなくてはならない。どうしても遅れてしまう者はそれなりのプログラムを組んで自立のできる資格と技能を身につけさせてから、働く所も斡旋する。
施設内の行事や話し合いにも必ず子供が参加し運営は子供が主体となって行われる。
「自分たちで施設をつくっていくんだ。アベルさまがつくってくれた土台を基に俺たち施設から巣立った連中ががんばって施設を拡げていっている」
「すごいな。僕、今日お兄さんに会えてよかった」
「俺も良かったよ」
アベルも良かったと思った。自分が残した財産が有効に使われているのは嬉しい事だ。
――この青年が施設出身だとすればもう、自分が砂粒に変わってからどのくらい経ったのだろう? この港町にも自分の別荘があったような気がする……。
アベルがここはどこだろうと考えているうちに風が吹き、銀のホコリになったアベルは子供から青年の髪に飛ばされた。そしてしばらくアベルは青年と共にあった。
青年が髪を洗う時は風呂場の空中に漂い、洗い終わるとまた髪にくっ付いた。ドライヤーの時は宙に浮かび、髪が乾くとまた引っ付いた。
――おや? 引っ付いたり、離れたり自分で動いている気がする……。
いつの間にかアベルは自分の意志でフワフワと移動できるようになっていた。といってもホコリなので移動に時間がかかってしまうのが難点だ。
アベルが青年と共にあることでわかったのは、青年がこの港町に施設をつくるために奔走しているという事だ。何人かの仲間と共に手続きを進めていたが驚くほど物事がスムーズに進んでいく。
「まるで、幸運の女神がついているみたいだ」
「本当だ。こんなに何でもうまくいくなんて信じられないよ」
「アベルさまのおかげだな」
「本当だ」
「幸運のアベルさまだ」
――いや、いやそんなに褒めてもらっても……。私はただ君たちを見守っているだけだよ。
アベルは顔が熱くなる思いだった。ホコリだけど。
アベルは青年と打ち合わせをしている施設出身の仲間たちの髪から髪へと移り、心から彼らの幸せを祈った。
やがて港町には立派な施設ができて青年は出会いに恵まれ幸せな結婚をした。あの時の子供も目を輝かせて毎日楽しそうに過ごしている。
「本部で会議があるんだ」
「本部って、あの?」
「そう、最初にできた施設だよ。そこから始まったんだ。僕もそこの出身だ」
「なつかしいでしょう」
「ああ」
青年の妻はニコリと笑って「アベルさまによろしくね」と言った。
青年にくっ付いてアベルも戻る事ができる。あのなつかしい施設はどうなっているのだろうとアベルのこころはドキドキした。
昔、ひたすら富と権力を求めていた時にはこんなに心が揺らされる事はなかった。年を重ねるにつれて純粋な子供の気持ちに戻っていくようだとアベルは思った。何に縛られる事もなく自分が関わった人々の行く末を見守る事ができるなんて、なんて有難い事なのだろう。
アベルは神に深く感謝した。
「なつかしいなぁー、5年ぶりだ」
――なつかしいなぁー、二十五年ぶりか。
アベルは、この青年に五年くっ付いている。その間に年月の把握もできて自分が白い石に変わってから三十五年ほど経っていた事がわかった。
アベルは海で禊をする事で自分が少しは変われただろううかと考えた。この始まりの養護施設にいた時は砂粒だったので移動する事はできなかった。しかし、今回は違う。
ホコリになっているのでフワフワとあちらこちらを移動する事ができるのだ。
世界中にアベルの資産を基にした養護施設が造られて、そこから巣立った若者たちが社会で活躍し、施設の拡充と充実を図っている事を知っている。時には責任者について各地にある彼の名前のついた施設を巡り、きちんと運営されている事に感心した。
ところで、始まりの施設では問題がおきているようだ。
「うるさい! 何をしようと俺の勝手だ! じゃまするな!」
「アル」
「俺の名を呼ぶんじゃない!」
引き取られた子供が喚き散らしていた。力も強く体も大きいその子供は自分の思い通りにならない事が理解できないようで、なんとか自分の要求を通そうとがんばっている。
過酷な状況で生き残るために心が曲がってしまったようだ。アベルのこころは傷んだ。
昔、自分も何もかも信じられず孤独だった。その子も同じ目をしている。アベルはフワリとその子の髪についた。すると、その子は気を失ってしまった。
アベルはその子の髪についたと思ったが暗闇の中にいた。暗闇の中でその子は膝を抱えて泣いていた。この子の名前はアルだとわかっている。
「母ちゃん、どこに行っちゃたんだよ~。俺を一人にするなよ~」
「アル」
アベルが声をかけるとアルは振り向いて飛びついてきた。
「母ちゃん!」
アルにはアベルが母に見えるようだ。アルは母がいなくなってからどんなに苦労したか、どれほど寂しかったか泣きながら伝えてきた。
「アル」
「わかっている。母ちゃんがもうこの世にいないのはわかっている」
「アル」
「でも、母ちゃんに会えてうれしいよ~」
「アル」
アベルにできたのはただ、アルを抱きしめることだけだった。
「母ちゃん、母ちゃん……」
アベルはただそっとアルの頭を撫でていた。そのうち、アルは泣き疲れて暗闇の中で寝てしまった。アベルに抱きしめられたまま寝てしまったアルの顔は幸せそうに見える。少しずつ薄日が差し、暗闇が晴れて回りを見渡すと医務室だった。
「なんだか幸せそうに見えますね」
「母ちゃんと寝言を言っていましたからお母さんの夢をみているのでしょう」
「まだ、子どもですからね」
「ええ、なまじ力が強いだけに、なじむのは時間がかかるかもしれませんね」
「大丈夫。なんとかなりますよ」
「そうですね」
やさしい眼差しの職員にアベルは安心し有難いことだと感謝した。しかし、目がさめたアルは憑き物がおちたように素直になっていた。どうも夢のなかですべての感情をはきだしたのが良かったらしい。アベルはしばらくアルの髪について彼を見守っていた。アルは乱暴な口調だが、心が平穏になったせいか頼れる兄貴分という立場を確立していった。
「最近、この施設の居心地がとてもいいと思いませんか?」
「ああ、それは思っていました」
「何もかも怖いくらいに順調で……」
「なんともいえない幸福感に包まれることがよくあるのです」
「そうですね。生きていて嬉しい。有難い、そんな気持ちになります」
「感謝と喜び……、そんな空気がこのあたりにただよっているようですね」
「ええ、この空気を袋詰めにして紛争地帯にばらまきたい気持ちですよ」
「本当に……見知らぬ誰かも幸せであればいい、そう思います」
職員たちの話にアベルはドキッとした。自分の気持ちがまさしく感謝と喜びに満ちているからだ。
見知らぬだれかの幸せ……確かに祈っている。
施設の中をフワフワと漂っているが時折、子どもや職員に付いてはその幸せを祈っている。ホコリの身ではあるが何かの役に立てたらいいなといつも心から願っている。
ふと、鏡をみた。そこには透き通った金のホコリが映っていた。いつの間にかアベルの色は銀から金へと変わっていた。しかし、薄く小さい。
――いずれは消えてしまうかもしれないな。
アベルは気づいていた。自分がくっ付いた人や子供が幸せになっていくことに。
アベルをここに連れてきた青年は港町に帰って行ったが、相変わらず幸運は続いているようだ。各地の施設にも穏やかに幸運がひろがっている。 くっ付いた後、離れても幸せのままならば、なるべく多くの人に幸せを運ぶべきだ。それこそ紛争地帯に行けるものなら行ってみようとアベルは思った。
――私が、すっかり消えてしまう前に何かができるものなら……。
アベルは施設を見回した。ここを離れるのは寂しいと思う。しかし、自分がいなくても大丈夫なようだし、施設に関わる人々の幸せを願いながら……庭に出る。
春の強い風にのってアベルは飛ばされていった。キラキラとお日様の光を浴びながら金のホコリとなって。
そして、何人かの恵まれない人々の頭にとまり、暮らしを見届けアベルは確信した。
自分は幸せのきっかけになっていると。なんと有難い事だろう。アベルのこころは穏やかな幸せに満たされた。
――なるべく多くの人の為に何かができるのなら……有難い事だ。死してなお生かされているということだろう。
アベルはフラフラと漂いながらやがて、この国の港についた。地図も海図もしっかりと頭にいれた。一番激しく争っているのは世界の火薬庫と呼ばれているところだ。
そこの人々の気持ちが穏やかになり、幸せになることで争いが沈静化できたらどんなに良いだろうとアベルは思う。
自分に何ができるかわからない。ただのホコリだ。罪深い自分が許される事はない。ただ、見知らぬ全ての人々の幸せを願いながら消えていきたいとアベルは考えている。目的地の近くを通る大きな船にこっそりと乗りこんでいく。ホコリだから人の迷惑にはならないと思う。
火薬庫に一番近い地点で空中に浮かんだ。フラフラと陸地に向かって飛んでいく。
静かな夜だった。月明かりが海を照らす。波がきらきらと反射して気持ちの良い風が背中を押してくれる。
――良い月だ。
「そうだね。良い月夜だね」
空中から声が聞こえた。アベルがびっくりして振り向くとそこには誰もいなかった。
「姿はないよ」
「声だけ?」
「そうだよ。アベル、久しぶりに声をだしたのではない?」
「そういえば、もう何十年も声を出す事はなかった」
「君はしゃべれないと思いこんでいたからさ」
「話せたのか?」
「うーん。あまりに小さな声だから普通の人と話すのは難しかったかも……」
「そうか……」
「でも、特に問題はないよね」
「そうだな」
「ところで、君。幸せを振りまいているようだけど」
「振りまく?」
「そうだよ。自覚はあるのだろう? 君が引っ付いた人間の幸運値が上がっているって」
「人が幸せになるきっかけになっているようだ……」
「人だけじゃないよ。土地や建物、国にも影響を与えている」
「それは……」
「自分の命を代償にして、ね」
「命? 私は死んでいる」
「君は生きているよ」
「白い石に変わって、砂になって、ホコリに変わり、薄くなって消えつつある」
「人々の幸せを願い、自分を差し出し、消えていく事を願っている」
「そう、それこそが私の願い」
「だめだよ。君は生きている。強い願いで姿を変えたけど、まだ命は残っている」
「しかし、わたしにできることを……」
「もう、充分だ」
「もう、私にできる事はないのか」
「そうではないよ。ただ、君はまだ生きているけど、もうすぐ存在のすべてを使い果たす寸前だから……助けにきたのさ」
「私に助かる資格はない!」
「間違った。試練を授けにきたのだ」
「試練?」
「もう一度、人生をやりなおす。今度はすべてに恵まれて楽しく生きる事ができる」
「私にそんな資格はない」
「生まれなおして、幸せな人生を送りたまえ」
「幸せとはなんだ?」
「家族に恵まれ愛情に包まれ、お金に不自由なく優れた才能と容姿で皆に愛される。君が子供のころ、欲しかったものだよ」
「子供の……」
「人生は理不尽だ。すべてはランダムで、たまたまだ。今が恵まれているから、次が良いとは限らない」
「次……」
「次の人生だよ」
「私にも次があるのか」
「次が無くなるところだったけどね」
「それでもかまわない」
「こちらがかまうんだよ」
「そうか……申し訳ない」
「いや、いいけど」
「あなたは?」
「理を説く者だよ。ナビゲーターとも言う」
「導き手か」
「まあ、そんなもの」
「私は罪人だ」
「うーん。君の姿は金色に輝いているよ」
「どうして……」
「まぁ、細かい事はおいといて……人の魂はその行いや在り方を映している。そして、君は美しい。それが答えだよ」
「私は……許されるのか?」
「人は試練や理不尽の中で生きるけど、失敗もするし出来心もある。魂はすべてを見ていて知っている。だからその人、そのものを映す」
「魂……」
「美しい魂は貴重だよ」
「…………」
「とりあえず、君は消滅寸前だから、その生を核にしてもう一度生まれ変わる事になる。紛争地帯にいっても無駄だよ。今の君の手には負えない」
「そうなのか」
「残念だったね」
「あぁ」
「じゃぁ、いいかな?」
「生まれ変わると全てを忘れてしまうのか?」
「新たに生まれて記憶はなくすけれど、夜になれば夢の中で記憶がよみがえるかもしれない。君の場合はね」
「私はわたしのままか」
「魂は変わらないよ」
「そうか。ただ、なんだか申し訳ないような気がする」
「いいのだよ。新しい生を楽しんで」
「私に何かができるのだろうか」
「君しだいだよ」
「そうか」
「何か最後に言いたい事はある?」
「あぁ、白い石に私を変えてくれてありがとう。感謝する」
「どういたしまして」
その会話を最後にアベルは光と共に渦をまいて消えていった。
どこからかクリスマスの歌が聞こえてくる。
今日はクリスマスイブ。
―― 命は廻っているのだよ。全てを見ているのは自分自身だ。全ては命に刻まれる。ただ、恵まれ過ぎた環境で清く正しく美しく生きていくのはとても難しい。
アベル、次の生が君にとっての本当の試練になるだろう。
「おぎゃー、おぎゃー」
クリスマスの夜、アベルは待ち望まれた第二子として優しい両親の元に生まれる事になる。
キャロル・オブ・ザ・ベル サラ @SARA771
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