中編

 女は既知に会ったかのような気安さで、ずかずかと少年との距離を詰めた。少年はたじろぐ。

 少年の前まで行くと、女は少年の背後でくつくつと音を立てている大鍋を覗き込んだ。


「あら、これが世界を滅ぼす、『災火』ですか。綺麗ですねえ」


 女はアクセサリーやスイーツを目にしたかのように、軽い口調で、少年が積年の恨みを籠めて煮詰めている呪いを讃えた。


「これがなにか分かるのか? やはりお前は、俺を倒しに来たんだな!?」


 全人類を滅ぼす呪い、『災火』が発動されるのを防ぐため――。

 身構えた少年に、女は薄く笑いながら対峙した。


「あなたと戦おうなんて、そんな野蛮で、大それたことはしません。確かに私たちの一部は、あなたがた旧世界の覇者――『魔王』とその眷属を恐れ、抹殺すべしと画策しました。が、それは人類の総意ではないのです。少数ですが、共存――いえ、その叡智を授けていただきたい、と。むしろ我らの王になって欲しいと、望む者たちもいます。私は、そういった者たちに創られたのです」

「創られた……?」


 意味が分からず、少年は片眉を上げる。少年の目の前で、女は風呂にでも入るようにためらいなく鎧を外し、その下の服も脱ぎ出した。


「よいしょっと」

「なっ、なにを!?」


 なんなのだ、この女は。意表を突いた行動ばかりを取る。

 少年は慌てふためいた。

 呪いを焚く炎の、ゆらゆらと揺れる影が、女に当たっている。その様は妖しく、艶めかしい……。


「どうぞ、お確かめになって」

「……………」


 見ろというから見るのだと、相手の台詞を免罪符にして、少年は女の姿をまじまじと眺めた。

 自分とは異なる、瑞々しい体。大きく膨らんだ胸に、くびれた胴。やや大きな尻に連なる太もも、ふくらはぎは、びっくりするほど細い。出ているところと締まっているところの差が激しく、しかしそれがとても魅力的だ。

 どうして彼女のことを見ているだけで、こんなにも鼓動が早くなるのか……。少年は戸惑った。


「あなたと違って、角も尻尾も、魔術の痕もない体でしょう? 普通の、人間の……」


 女の言うとおりだ。彼女の肌は、茹で玉子の表面のように、白くつるんと滑らかだった。可憐だが、弱々しくも見える。


「デザイナー・ベビーとか、改造人間とかって、言いましてえ……。私はこう見えて、異端の魔術師たちが技術の粋を集めて作り上げた、新人類。その中で唯一成功した、実験体なんですよお」

「しんじんるい……だと?」

「そう。優れた遺伝子だけを選んで、受精。生まれたあとは、あなたがた魔王様の体をまねっこして、内臓、血液、骨から関節、筋肉に皮膚、その他諸々をいじる。体力や筋力を大幅に改良して、そうして私は、旧人類を凌駕する能力を得た。モンスターごとき、片手で屠れるほどに」


 女が語った内容は突飛で、にわかには信じ難い。が、女が、ここにいるということ――つまり、数多の危険なモンスターが徘徊する地下迷宮を制し、少年の前に立っているということが、すなわち、彼女の話は真実だとの証ではないだろうか。

 女の説明は続く。


「そして、作り変えられた私の細胞は、ずうっと長く分裂し続けるんですよお。老いることなく、命数が尽きることも先送りにし……。あなたと、同じ時を過ごすことができる……」


 目を丸くしている少年に、女は微笑んだ。


「私はね、あなたのために――あなたの番(つがい)となるべく創られた、新しい人間なのです。あなたの精を受け入れ、子供を授かり、血を繋ぐことができる。あなたの同胞が消えたこの世界では、たった一人の女なんですよお」

「こ……ども? 俺の?」


 つまり、つまり――。彼女が言っているのは。


「うふふ」


 女は獲物に飛びかかろうと企む獣のように、少年を見据えたまま、ずいっと足を運び、近づいてきた。


「く、来るな……!」


 少年は怯え、身構えた。

 女が突然現れたときよりも、彼女の正体を知った今こそ、この女が怖い。

 生命の危機に瀕した際とは別の、未知と遭遇した恐怖。

 今までの自分が木っ端微塵に破壊されてしまう、そんな予感がする。


「えーいっ」


 間の抜けた掛け声とは真逆の、女のそれは素早い攻撃だった。あっという間に間合いを詰め、女は少年に体当たりした。


「うわっ!」


 少年は仰向けに倒れ、その上に女が乗る。


「な、なにをする……!」


 自分の体の要所要所を、女の腕や足で抑えられ、動きを封じられた。少年は怯えた声を出すしかない。

 確かに女は強かった。少年が反撃できないほど――。

 女は少年の上から尋ねた。


「私の名前は、ジェスタ。あなたは?」

「……………」


 素直に答えるのも業腹で、少年は口をつぐんだ。


「タルム、でしたよね? そのように伝わっています」

「……………」


 知っているなら聞くなと、少年――タルムは、ますますむっつりと黙りこくった。


「それとも、魔王様とお呼びしましょうか?」


 ジェスタの話に度々出てくる「魔王」とは、タルムたちのような旧き覇者を指す言葉だ。

 原初、神によって創られた、全ての生きものの頂点に君臨せし存在――。

 あるとき旧き覇者たちは、自分の骨を使って、新たな生物を作り出すことに没頭した。

 そうやって生まれたのが、「人間」である。

 人間は知能が低く、力も弱く、ほんの五十年ももたず死んでいく。旧き覇者たちにとって人間とは、退屈を紛らわすためのおもちゃか、ペットのようなものだった。

 しかし人間たちは瞬く間に繁殖を繰り返し、数の上で旧き覇者たちを圧倒した。

 旧き覇者たちのもう一つの誤算は、人間がいたく獰猛な生きものだったことだ。そのうえ利己的で、他者を傷つけることや、命を奪うことを躊躇しない。

 千対一。蟻の群れが熊を倒すが如く、人類は自らの創造主たる旧き覇者たちを、次々と縊り殺していった。

 タルムは、旧き覇者の生き残りだ。最後の一人となった彼を、人間たちは「魔王」と呼び、その命を狙っている。

 自分たちが、世界の完全なる支配者となるために――。


「お前も、本当は、俺を殺しに来たんだろ……?」


 光の消えた瞳で、タルムは問うた。

 惨めだ。こんな、ぽわんとしたゆるふわ女に負け、嬲り殺される。

 だが、もう、どうでもいいような気がする。


 ――疲れた……。


 親兄弟や一族の無念を想って、日々を過ごした。が、同時にそれは重荷でもあった。

 なんの楽しみもなく、ただただ呪いを練って、孤独に毎日を送る。これで生きているといえるのか……。


 ――楽になってしまいたい……。


 光の届かぬ地下の穴ぐら。その住処よりも暗いタルムの心中を知ってか知らずか、ジェスタは笑っている。その花のように美しい顔が近づいてきたかと思うと、タルムの唇は塞がれた。


「んっ……」


 口の中を舐め回された。絡み、引き出された舌を、はむはむと甘く噛まれる。唾液を飲まれて、相手のそれも注がれた。


「う……あ……」


 抵抗するべきなのだろうが、久しぶりの他人との――しかも相手はすこぶる美人とあって、この触れ合いを逃したくないという気持ちが湧いてくる。だからタルムは動けない――動かなかった。


「じぇ、ジェスタ……」


 戸惑いがちに、タルムは女の名を呼ぶ。興奮と感動で、凍ったようだった体が急速に温まっていき、勢い良くどくどくと血が駆け巡っていくのを感じた。


「乱暴にして、ごめんなさいねえ。回りくどいのは嫌いなんです。――大丈夫ですよお。ぜーんぶ、私がしますから。あなたはただ、ゆったりと身を任せてくださればいいの」

「なに……を……」


 ジェスタの手はタルムの粗末な衣装を優しく剥ぎ、彼の汚れた体を擦った。


「あっ……」


 くすぐったいのに、それだけではなくて、下半身が疼く。タルムの口から、思わず声が漏れた。

 ジェスタはタルムの痩せこけた胸に触れ、乳首を吸った。小さく勃ち上がったそれを舐め、軽く歯を当てる。


「なにを……!?」


 ――男が下で、女が上なんて、聞いたことがない……!


 だからこんなこと、まともではないのだ。

 多分。

 きっと。

 ――なのになぜ、嫌ではないのか。



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