234 エキチカ突入(2)
鈍く輝く白い金属の外骨格を持つ巨大な蟻――アダマンタイトアントの群れを、聞いたこともないような強烈な範囲雷撃魔法で蹂躙し、悠人さんはあっという間に第一層のフロアボス部屋前に到達しました。
その過程は、破竹の勢い――などという言葉ですら生ぬるいものでした。
Sランクダンジョンのレベル6000を超えるモンスター、その中でも防御力と精神力(魔法防御)の高さで悪名高いアダマンタイトアントを、群れ単位で瞬殺するのです。
おかげで、パーティを組んでいる私にもおこぼれの経験値が入り、何度となく「天の声」がレベルアップを告げてきます。
悠人さんは、私の中ではヒーローです。
ロールプレイングゲームに喩えるなら勇者のような存在でした。
しかし、新宿駅地下ダンジョンを悠々と進む悠人さんを見て思い浮かんだのは、それとは反対の言葉です。
「……魔王」
膨大な魔力にものを言わせ、戦いにすらならずに敵を蹴散らすその姿は、まさに魔王のイメージそのものでした。
「じゃあここで待っててくれ」
そう言い置いて、悠人さんがフロアボスの待つ部屋に入っていきます。
道中とは違い、大事を取って私を聖域に残したのでしょう。
入る前に悠人さんは虚空からカードのようなものを取り出し、私の隣に投げました。
カードが光ったかと思うと、そこには一人の少女が現れていました。
ぶかぶかの赤ずきんをかぶった、金髪を三つ編みおさげにした女の子です。
手には林檎の山盛りになったバスケットを提げていて、まさに童話の赤ずきんちゃんのようでした。
「アリス。ほのかちゃんを守ってくれ。……何もないとは思うけどな」
愛らしい美少女がこくりとうなずきます。
悠人さんは、アリスと呼ばれた美少女と私を見比べて、
「……こうして見ると姉妹みたいだな」
とつぶやきます。
たしかに、二人(?)とも金髪碧眼で、雰囲気も少し似てるかもしれません。
「いや、アリスのこれは疑似餌なんだっけか」
悠人さんはアリスの大きな赤ずきんを見て少し不気味そうな顔をしました。
「疑似餌……?」
「……なんでもない。知らないほうがいいこともあるよな」
そんな意味深なことを言われると余計気になるじゃないですか!
「まあ、ちゃんと俺の言うことは聞くから心配ないよ。レベル的にもこのダンジョンなら問題ない。……そもそも聖域にモンスターが入ってくることはまずないし」
フラッドでも起きない限りはな、と小さな声でつぶやく悠人さん。
聞こえないように言ったつもりなのだと思いますが、耳のいい私には聞こえる声量です。
……それってフラグってものなんじゃ……。
と内心で冷や汗をかきますが、その実まったく不安にはなりませんでした。
今の悠人さんならフラッドが起きてもどうとでもしてしまいそうに思えるからです。
フロアボス部屋に悠人さんが入っていき、私はアリスと二人で残されます。
「アリスって言うんですか? 私はほのかです」
と自己紹介してみましたが、アリスはかわいらしく小首を傾げただけでした。
無視したわけではなく、そもそもしゃべれないのではないでしょうか。
「感応」で感じられる彼女の感情は、驚くほど平坦でした。
心がないというわけではないのですが、常に微笑みを崩さないその顔と同じように、変化の幅がほとんどありません。
心電図で喩えれば、ほとんど波形がなくノイズ以外はほぼ直線という感じです。
心電図がそんな状態にあるならその人は心臓が動いてないことになりますが、アリスの心の心電図も人間にはありえないべた凪の状態でした。
「姉妹……とは思いにくいですね」
私がそんなことを思っているあいだに、悠人さんはフロアボスとの戦いを始めていました。
というより、もう終わったといったほうが正しいでしょう。
アダマンタイトアントを十倍くらい大きくしたような、女王蟻がモチーフらしきモンスターが、悠人さんの生み出した巨大な水の塊の中で溺れています。
いえ、溺れていると見えたのは最初だけでした。
水の塊が小さく圧縮されていくにつれて、フロアボス部屋からは何かの圧壊するくぐもった音が聴こえてきます。
水圧によって女王蟻の身体がへし折られ、砕かれ、そのヒビから内部に侵入した水圧が、甲殻の中のやわらかい体組織を潰していきます。
それからものの数秒で、女王蟻の身体が黒い粒子となって消えました。
普通ならそのまま虚空に消える黒い粒子ですが、まるで悠人さんの生み出した水塊から抜け出せないかのように、黒い点々の状態で水塊の中に残っています。
「……へえ、こんな現象が起きるのか。魔力で生み出した高圧の水で閉じ込めると、DPをダイレクトに捕まえられるってことか? いや、水じゃなくてただの魔力でもいいんだろうか。神取あたりが知ったら喜んで研究しそうな話だな」
悠人さんの疑問は、もちろん私に向けられたものではなく、独り言です。
悠人さんは独り言が多いな、というのは、私の観察の結果です。
私も親しい友だちがいなかったせいで、一人遊びが板についてしまったところがあります。
人形に名前をつけ、人形同士の関係性を設定し、一人で役柄を演じ分けて会話させたりとか……。
悠人さんの独り言とはちょっと違うかもしれませんが、どちらも孤独さが透けるという意味では似てるかもしれません。
第一層を苦戦する気配どころか、そもそもまともな戦いにすらならずに、悠人さんは踏破してしまいました。
ここまで圧倒的だと、乾いた笑いしか出てきません。
「本当にエキチカを踏破してしまいそうです……」
いえ、実際悠人さんがそうすると言っていたのですから、疑っていたわけではありません。
でも、そこにはもう少し、悲壮な覚悟と言いますか、やむにやまれず困難に挑むという要素があるのではないか、と思っていたのです。
しかし、違いました。
悠人さんは、本当に、Bランクくらいのダンジョンを踏破するような感覚で、このエキチカを踏破できる実力があるのです。
くらくらしました。
「ほのかちゃん? もう倒したぞ」
悠人さんの声に我に返ります。
「ひゃい、だいじょうぶです!」
と、何か変な返事をしてしまう私。
「そ、そうか。残りの階層もこんな感じで行けると思うけど、何層あるかわからないからな。疲れたら遠慮なく言ってくれ」
「……なんかもう、精神的にどっと疲れた気がします……」
「え? ああ、あんなことがあった後だもんな。仮にもSランクダンジョンだし、緊張もあるか」
「い、いえ、大丈夫ですから! あまりゆっくり進んでもかえって大変ですし、悠人さんのペースでお願いします!」
「……そうか? そう言うなら進めるだけ進んでおくか。芹香たちも心配するだろうしな」
私と二人きりの時に他の女性の名前を! なんて怒るつもりもないですし、実際その権利もないのですが、ナチュラルに言われるともやっとします。
悠人さんに助けられ、お姫様のような立場にいつのまにか酔っていた私は、冷水を浴びせられた気分でした。
「うう~」
おもわず恨めしい目で悠人さんを見てしまう私に、
「ど、どうしたんだ? やっぱり疲れが……」
「なんでもありません! さあ、行くなら早く行きましょう! 悠人さんなら余裕なんですよね!?」
「わ、わかったよ」
その後のことは――もう語る気力も起きません。
悠人さんは道中に現れるいかにも凶悪そうなモンスターたちをことごとく瞬殺し、フロアボスもほぼ封殺、まったく迷うこともなく進んでいくせいで一フロアの踏破に一時間もかかりません。
第七層と第十三層の聖域で、悠人さんがアイテムボックスから取り出したキャンピングカーを使って食事と仮眠を取った他は、私は文字通り「お荷物」として悠人さんに抱えられているだけでした。
ちなみに、第十九層の最奥にいた、新宿駅地下ダンジョンのトリを飾るダンジョンボスは、少し未来的なデザインの新幹線が変形合体したような、昔のロボットアニメを思わせる巨大な人型ロボットでした。
天井が見えないほど広大なボス部屋に、都庁と同じくらいの大きさのロボットが現れた時は、さすがに終わったかと思いましたが、
「シークレットダンジョンボスじゃないか! ついてるな!」
悠人さんは嬉しそうに叫ぶと、次から次へとカードからモンスターを召喚していきます。
ホビットの力士や、布袋さまのような恰幅のいいホビット、シルエットでできた多頭龍……。
からくり兵の博士のような源内だけは、私も以前お世話に(?)なったので覚えています。
アリスはあいかわらず私の護衛役に残されていました。
中でも驚いたのは、影から影へと分身していく多頭龍ですが、それですら火力という意味では悠人さんの足元にも及びません。
先ほどは新幹線と言いましたが、ロボットは電磁カタパルトのような仕組みで車両を飛ばしてきますので、リニアモーターカーのほうが近いのかもしれません。
悠人さんは自分に向かって飛んでくる巨大な車両に飛び乗り、その上を駆け抜け、時に別の車両に飛び乗りながら、猛烈な魔法攻撃を見舞っていきます。
……私の目ではそれ以上細かいことはわかりません。
お相撲さんのホビットが、飛来したリニア車両をがっしと掴み、プロレス技のように遠心力をつけてから、ハンマー投げの要領でロボットの頭部目掛けて投げ返しました。
「ナイスだ、堡備人海!」
言って、悠人さんは詠唱に取り掛かります。
悠人さんの行動の中で、この詠唱だけが、かろうじて私にもわかるものでした。
私はお母様の薫陶のおかげで、「魔法言語」のスキルを持っています。
悠人さんの詠唱は聞いたことのないものでしたが、魔法言語であることに変わりはないです。
とはいえ、その詠唱の中身は壮絶としか言いようがありません。
詠唱とは、世界に対する呪詛であると、お母様は言いました。
世界に言葉で呪いをかけ、自然現象を捻じ曲げるのだ、と。
この世界にも「人を呪わば穴二つ」という言葉があるように、魔法の詠唱は本来諸刃の剣なのだと、お母様は言います。
スキルという形で扱いやすくなってるとはいえ、その本質を忘れてはいけない――とお母様には何度となく注意されました。
悠人さんの詠唱は、もはや呪ではなく、暴圧です。
溢れんばかりの魔力にものを言わせ、世界を直接書き換えるものです。
呪文によって世界を騙すなどという
悠人さんでなければ、不遜の誹りを免れない詠唱でした。
実力のないものがそんな呪文を唱えれば、良くて不発、悪くて自分のほうが世界に消される結果になりかねません。
そこで、私ははたと気づきます。
道中ほとんどのモンスターを、無詠唱の魔法で蹴散らしてきた悠人さんが、あえて長い呪文を唱える必要があるような魔法とは――?
私が戦慄を噛み殺す前に、悠人さんの詠唱が完成しました。
「『エレクトロン・ディプリベーション』」
途方もない神の雷槌がボスを襲う――かと思ったのですが、魔法の効果は静かでした。
まさか……不発?
いえ、違いました。
ボスを構成するあらゆる部位が一瞬にして黒く染まり――そのまま消えます。
「……あれ?」
と悠人さん。
「ボスを構成するすべての原子から電子だけを奪うはずだったんだけどな……。電子を奪った結果として、すべての原子が分解された……ってことか? ん? その場合、残された陽子と中性子はどうなるんだ? ああ、ボスを倒した時点で消滅したのか。いつもの黒い粒子が見えなかったのは、ボスの身体が原子以下のサイズにまで分解されてたから……でいいのか? うーん、理系でもないのに生半可な知識でやることじゃなかったか」
と、なんだか恐ろげなことをつぶやいています。
そこで、淡々とした「天の声」が聞こえてきました。
《新宿駅地下ダンジョンを踏破しました!》
「あはは……冗談ですよね?」
Sランクダンジョンの踏破――人類がまだ誰も成し遂げていないはずの偉業の達成を告げる「天の声」も、いつも通りの事務的なもので、現実味がまったくありませんでした。
――こうして、悠人さんは人類初のSランクダンジョン踏破者となったのです。
ほぼほぼ、抱っこされ、運搬されてただけの私も一緒に……。
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