206 制圧
オレンジかと思った実だが、中身の食感は予想と違った。
風味だけは柑橘系なんだが、マンゴーみたいな濃厚な口触りがある中に、つぶつぶの小さな種が無数にある。
俺は口の中で身をほぐし、種だけを舌の上に残した。
そして、その種をダンジョンの床にばら撒くように吐き散らす。
汚ね! と言われそうだが勘弁してくれ。
マナー違反は承知の上だ。
これがこの果実の使い方なんだからしょうがない。
最初は使い方がわからなかった果実だが、オトタチバナヒメの力が馴染むにつれて、その効果や使い方が自然とわかるようになっていた。
種からはみるみるうちに芽が伸びる。
芽は極細の
思考が加速されてる中ですら速いと感じる動きだからな。
神取は避けることはおろか、認識することすら難しかっただろう。
避けようにも行動不能状態なのではあるが。
蔦は、ほとんどほくろのようにしか見えない微小なポータルにからみつく。
そして――パキン!
甲高い音を立てて、ポータルが割れた。
ひとつのポータルが割れたのをはじめにして、パキパキパキ――と神取の全身のポータルが割れていく。
神取が血走った目を見開いた。
「――終わりだ」
俺がつぶやくのと同時に、神取の体表に浮かんでいた最後のポータルが砕け散った。
《Cランクダンジョン「神取桐子の右咬筋ダンジョン」のフラッドが終息しました。》
《Bランクダンジョン「神取桐子の三半規管ダンジョン」のフラッドが終息しました。》
《Cランクダンジョン――
「天の声」がフラッドの終息を告げる中、チューブワームを束ねたような身体の神取がダンジョンの床に崩れ落ちる。
どういう状態かは不明だが、ポータル破壊の余波か何かで意識を失ったみたいだな。
俺は残された最後のスライムマクロファージの霞を無詠唱の範囲魔法で一掃する。
と同時に、
「PUGII!」
神取を見張らせてたミニスライムが警告の声を上げた。
そのまま神取を攻撃する気配を見せたミニスライムに、
「待った、アトロポス! もういいぞ」
俺がアトロポスに命じてたのは、「常にHPを監視して、最大HPが元に戻ったら『ノックアウト』を入れてくれ」ということだ。
ちょっとややこしいが、ポータルの破壊――いや、神取が意識を失ったのと前後して、いくつかの出来事が起きている。
まず、大和の使った「シャーデンフロイデ」が切れたこと。
これはおそらく、神取の意識喪失によって戦闘が終了したと見なされたからだろう。
次に、「シャーデンフロイデ」が切れたことに気がついたアトロポスが、俺に警告を発し、事前の命令通りに神取に「ノックアウト」を使おうとした。
俺のもともとの命令は、予期せぬタイミングで「シャーデンフロイデ」が解けたときに、神取をすぐ行動不能状態に戻すためのものだ。
アトロポスは俺の意図をそこまでは汲んでなかったので、事前に与えられた命令を忠実に実行しようとしてくれた。
俺は神取の様子からそれは不要と見て取って、アトロポスに中止の命令をしたってわけだ。
ついでながら、さっきまで身体に満ちてた神の気配が潮が引くように消えてったのもこのときだな。
オトタチバナヒメには訊いてみたいこともあったんだが、「神降ろし」というスキルの仕様ではそういうことはできないんだろう。
ベラベラしゃべる俺様系バハムートとはえらい違いだ。
地面に倒れ痙攣していた神取――というか、人の形をしたチューブワームの親玉のようなものが、灰色の砂嵐のようなものに包まれた。
「のようなもの」ばかりで恐縮だが、これだけ得体の知れないものを的確に形容するのも難しい。
灰色の砂嵐といったのは、昔のテレビで使ってないチャンネルに流れた灰色のノイズの嵐によく似てる。
なんなら、ザーッ、という強めのホワイトノイズみたいな音も聴こえるな。
そのホワイトノイズがぶつんと途切れ、灰色の砂嵐がかき消えた。
その後に残されたのは、ボロボロの白衣をひっかけただけの神取だ。
簒奪者の技能でステータスを見ると、「チューブワームマザールート」の表記が消えている。
神取の固有スキルである「実験空間」(指定した空間のあらゆるパラメータを任意に変更できる)が切れたんだろう。
大和の「シャーデンフロイデ」同様戦闘終了がきっかけだったのか、それとも神取の意識喪失がきっかけだったのかはわからないけどな。
俺は神取に近づくと、アイテムボックスから安物のマント(いつのまにかドロップアイテムとして入手していた)を取り出し、身体にかける。
だが、腕だけは背中側に回し、同じくアイテムボックスから取り出した、探索者拘束用の手錠をかけておく。
え? なんでそんなもんを持ってるのかって?
以前黒鳥の森水上公園ダンジョンで不法探索者を倒した時に、拘束するための道具を持ってなくて困ったことがあるからな。
あのときは連中の持ってたロープや結束バンドを使ったが、そんな泥縄が毎度できるわけもない。
今回のギルド要請を受けるに当たって、灰谷さんから1ダース半ほどの探索者拘束用の手錠を借りている。
1ダース半というのは神取+男児会連中全員を拘束する必要に迫られたときに備えての数だ。
神取は意識を失ったままのようだから無害だとは思うが、放置しておくには危険な相手だからな。
レベル221309の神取なら、目を覚ませば手錠を引きちぎるくらいはできるかもしれないが、多少の時間稼ぎにはなるだろう。
一方、男児会の連中は、ラボのあちこちに吹き飛ばされた体勢で行動不能状態のままだった。
神取は「自己再生」があるから回復されるおそれがあったが、男児会の連中に自動回復できるスキルや装備を持ってる奴はいなかった。
「ノックアウト」(及びそれがユニークボーナスになったもの)による行動不能状態は対象のHPが回復されるまで継続する。
「……このまま寝ててもらうか」
俺はつぶやき、スマホを取り出す。
俺が気になってるのは芹香のことだ。
神取の体表でダンジョンが一斉にフラッドする直前、俺は芹香と通話していた。
こっちはこっちで大変な事態になったが、芹香も気になることを言ってた。
「……こっちにもお客さんが来たみたい」と。
探索中に通話をかけるのは探索者のあいだではマナー違反とされる。
向こうが取り込み中だった場合に、着信に気を取られるのは命取りになることもあるからな。
だからまずはテキストチャットを送って相手の都合を確かめるのが常識だ。
DGPを開くが、芹香や灰谷さんからのチャットはない。
「まさかとは思うんだが……」
俺には「祈りのイヤリング」というアイテムがある。
芹香からもらった「防毒のイヤリング」を神様が加工してくれたもので、芹香がピンチになれば俺が瞬間転移で助けに入れるという、かなりとんでもない効果を持った代物だ。
「祈りのイヤリング」が発動してない以上、芹香はピンチには陥ってない……ってことでいいのか?
だが、何かこの効果の想定してないような特殊な状況で窮地に陥ってる可能性も完全には捨てきれない。
かといって、慌てて通話をかけるのも、マナーうんぬん以前にシンプルに危険だ。
「返事を待たずに合流するか」
俺はラボに死屍累々と横たわる(注・誰も死んでない)神取、大和、男児会メンバーに目を向けた。
「全員を運び出すのは無理だな。……ああ、べつに全員を運び出す必要はないか」
ここにいる連中は、神取と、神取に危害を加えに来た連中の二種類に分かれる。
狼と羊を小さな船で川の向こう岸に渡すにはどうしたらいいかみたいな問題があるが、まんまそれに近い状況だよな。
と、その中で、大和が床に腹這いになった姿勢のまま、俺をきつく睨んでることに気がついた。
「……そうだ。こいつがいたな」
大和は、男児会の連中を煽って神取のラボへとおびき寄せ、彼らを神取の実験台にしようとしていた。
……いや、正確には少し違うか。
大和は、男児会の連中を実験台として提供することを餌にして、凍崎誠二をここにおびき出そうとしていた。
その目的は、ダンジョン内で凍崎誠二を抹殺することと思っていいだろう。
だが、大和の目論みは読まれていた。
この場に凍崎誠二は現れなかった。
神取によって男児会への裏切りを暴露された大和は、そのまま彼らを実験台として捧げることを強いられた。
裏切りがバレ、この場に標的である神取がいない以上、大和は口封じを兼ねて男児会の探索者たちを神取への生贄に捧げるしかない状況だった。
しかし、大和はその道を拒んだ。
破れかぶれのような格好で、男児会の探索者たちを神取にけしかけ、神取だけでもどうにかしようと考えた。
ただ、神取は大和の想像をはるかに超えた化け物だった――
全体的に目論みが甘く見えるのは、凍崎誠二にかけられた「作戦」によって視野狭窄に陥ってるせいもあったんだろう。
「しかたないな」
俺は倒れてる大和に近づき、その頭からポーションをぶっかけた。
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