172 転移(都内に)
地元のダンジョンの管理権を取得し、ダンジョン管理やダンジョンマスターの技能を検証した翌週。
俺は灰谷さんに手配してもらったマンションにいた。
「おー、広いな」
山手線の中の立地で、一人暮らしには十分すぎる2Kの部屋だ。
当然家賃もそれなりだが、各地のダンジョンを転戦するなら拠点のアクセスのよさにはこだわりたい。
え? 【ダンジョントラベル】があるんだから拠点の位置なんて関係ないだろって?
……まあ、それも正しくはあるんだが。
【ダンジョントラベル】には金がかかるとはいえ、今の俺の稼ぎなら、それこそ交通費と割り切ってもいいくらいの額にすぎない。
だが、この方法にはいくつか問題がある。
まず、【ダンジョントラベル】にかかったお金を経費にできないこと。
まさか、【ダンジョントラベル】が領収書を発行してくれるわけもないし、もし発行してくれたとしても、それを確定申告の証憑にするわけにもいかないだろ。
次に、【ダンジョントラベル】では移動時間が短すぎて、俺の行動履歴がおかしくなること。
灰谷さんは、政府はまだ俺の重要性に本当の意味では気づいてないと言ってたが……実は、監視されてるみたいなんだよな。
実家にいたときのことなんだが、俺の母親が、近くの路上に見知らぬ車がこのところよく停まってる、と言い出した。
俺の実家は住宅地のちょっと奥まったところにある。
幹線道路から家へとつながる道は、近隣の家と共同管理の私道で、関係者以外の進入は原則禁止となっている。
たまに、工事関係者なんかがそれと知らずに私道に車を停めたりすると、実家の斜向かいのうるさ型のおばさんが逐一注意をするんだよな。
母親が目撃したという車も、最初はそのおばさんに撃退されたらしい。
だが、その車は、跡継ぎがいなくて放ったらかしになってる田んぼを挟んだ向かいの道に移動しただけで、あいかわらずうちの周囲にいるという。
もちろん、一日中張り付いてるわけじゃなく、何台かの車が交代で駐車してるみたいなんだけどな。
ご近所の変化に敏感な母は、ちょっとナーバスになってるようだった。
放っておくわけにもいかず、俺は、ダンジョンマスターのユニークボーナスで姿を消し、簒奪者の隠密、索敵、気配察知で、問題の自動車の偵察を行った。
索敵では、味方は青い光点、敵は赤い光点で示される。
問題の自動車に乗ってた二人の光点は――いずれも灰色。
敵でも味方でもないってことだ。
とはいえ、一般の通行人ですら、こっちに悪意を持ってない限り青い光点で表示されることを思えば、灰色というのはやや警戒を要する色だろう。
これといった特徴のない古めのプロボックスに乗ってるのは、営業マン風のスーツの若い男と、年かさの作業服の男の二人だ。
後部座席にはダンボールや脚立などそれらしいものが載っていた。
ただ、営業にしろ工事業者にしろ、昼間にずっとこんな場所に留まってるのはおかしいよな。
しかも、時折鋭い目を俺の実家のほうに向けてるし。
二人とも、耳に入れたイヤホンを髪で隠すようにしながら、たまに何かをつぶやいてる。
……まあ、俺につけられた政府の監視役なんだろう。
鑑定してもステータスが出なかったことから、探索者でないことは確実だ。
おそらくは、県警の公安刑事。
あるいは、警視庁から来てるのかもしれないな。
俺の実家を見張ってるだけというのは、見ようによっては楽な仕事かもしれないが、おそろしく退屈で、忍耐力が必要そうでもある。
俺が自宅警備員をやめたと思ったら警察から代替要員が送られてきたってわけだ。
彼らの正体を暴いたり排除したりするのは簡単だが……彼らもこれが仕事なんだ。
俺の命を狙うヒットマンならともかく、公務で監視してるだけなら放置するのがいちばんだろう。
とはいえ、もう少し偽装には力を入れてほしいよな。
住宅地の奥ではやりにくいのかもしれないが、うちのカーチャンの警戒網にバリバリ引っかかってしまってるんだよな。
そのうち母が110番通報してしまい、制服警官から職務質問を受ける羽目になりそうだ。
うちのカーチャンは「会社員の夫は外で稼ぎ、主婦の自分は家や子どもを守る役」という昭和の価値観で生きてきた人だから、家を脅かすようなものには敏感なんだ。
……って、話が逸れてしまったな。
ともあれ、俺は公安の監視対象になってる可能性が高い。
実家を見張ってる連中はいかにもやらされ仕事の雰囲気だが、彼らは囮という可能性もある。
高い索敵能力を持つ俺を、俺に気づかれることなく尾行できる奴なんて相当限られると思うんだが、盗撮や盗聴、監視カメラの存在まではわからないからな。
駅など公共施設の監視カメラの画像をAIの画像処理でつなぎ合わせ、俺の行動経路を割り出す……くらいのことはできるはず。
それなのに俺が【ダンジョントラベル】でダンジョンからダンジョンへ転移してしまったら、そのあいだの経路や時間に矛盾が生じる。
強力なドラゴンを召喚できるのみならず瞬間移動までできるとなれば、俺への注目度は今以上に上がってしまうだろう。
……というのが、【ダンジョントラベル】を乱用できない二つ目の理由だ。
最後となる三つ目の理由は……単に個人的な好みの問題だ。
毎日ダンジョンからダンジョンへ転移し、ダンジョンを攻略して家に帰る――いくらなんでも生活に潤いがなさすぎると思わないか?
ダンジョンを急いで攻略しなくちゃいけない理由があるわけでもないんだ。
ダンジョンまでの行き帰りも含めて旅行気分を楽しんだって、べつにバチは当たらないだろう。
ダンジョンは、人の集まるところや名所旧跡、天然の絶景といった特徴的な場所に生まれやすい。
ダンジョン発生以前には観光名所と呼ばれてた場所もかなりある。
実際、大きな公園なんかにダンジョンができやすいせいで、子どもを安心して遊ばせられる場所が減った……という子育て世代からの不満も多いらしい。
各地のAランクダンジョンにも、以前から名所旧跡と呼ばれてた場所が多いから、ダンジョンを踏破するついでに周囲の観光をしたっていいだろう。
ただでさえ、俺はひきこもりだったんだ。
自分の狭い世界を広げる意味でも、いろんなものを見ておくのは悪いことじゃないと思う。
必要な家具の揃ったマンションの部屋でそんなことを考えてると、俺が肩から提げてるスポーツバッグがぶるぶると震えた。
「おっと、悪い。おまえのことを忘れてたよ」
ジッパーを引っ張りバッグを開くと、
「PYUGIIIIIII……!!!」
と、抗議の声(?)を上げながら、小さめのスライムが飛び出してきた。
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