153 譲れないもの(8)形態変化
もはや語ることもない。
俺は広域殲滅魔法の詠唱を始める。
広域殲滅魔法の効果範囲は戦場全域。
ボス部屋のどこにいても三人全員を巻き込める。
【形態変化】で能力値が上がった今の俺の魔力なら、一撃で三人のHPを0にできる。
三人を同時に行動不能状態にすれば、回復薬で立て直されることもない。
「させません。ヴォイドフレア!」
いちばん早く我に返ったのは紗雪だった。
詠唱キャンセル効果のあるヴォイドフレアを俺に放つ。
俺はそれに合わせてテレポート。
魔王のユニークボーナスのテレポートは魔法扱いにはならないらしく、魔法と同時に使っても魔法の威力が下がることはない。
さっきまではほのかちゃんが俺の転移先を読み、それを紗雪に伝えることで、転移先にヴォイドフレアを設置していた。
だが、今回は紗雪が先走った。
魔法に言語を絶した適性を持つ魔王なら、魔法の発動の気配を察することも簡単だ。
ヴォイドフレアの弱点は、その長めの詠唱時間。
一度外せば二度目はない。
紗雪の顔が絶望に染まる。
「まだだ、まだ終わっちゃいねえ!」
鬼化したままの春原の拳を受け止める。
春原の鬼化と、魔王の【形態変化】第二形態。
能力値のインフレ合戦はどうやら俺の勝利に終わった。
俺は受け止めた春原の拳を砕かんばかりの力で握り締める。
「くっそがっ……!」
春原の腕の筋肉が膨張する。
拳に込められた力が一気に増す。
が、そこまでだった。
春原の目から赤い光が消え、額の角が萎れていく。
肌の色も元に戻る。
俺が腕を振り払うと、春原の身体が紙のように吹き飛んだ。
「ぐああああ!」
「や、やめてください……悠人さん」
封印は――間に合わないのだろう。
ほのかちゃんが泣きそうな顔でつぶやいた。
紗雪も力なく地面にへたりこみ、
「こんなの、ひどいです……私たちが何をしたって言うんですか……先輩」
俺は詠唱を続ける。
「……そこまで、なんですね。向こうの世界の悠人さんは、そこまでして……」
俺の何を読み取ったのか、ほのかちゃんが言う。
「こんな……こんな、辛い目に遭って……」
……まさか、俺の記憶を読んでるのか?
一瞬、詠唱がつかえそうになった。
「まさか、紗雪ちゃんが、そんなことを……そんなはず、ない……」
「え……私……? ほのか、何を言って……?」
「向こうで悠人さんを支えてるのは……ああ、幼い私なんかじゃなくて……ううう、そんな……そんな……っ」
「何を見てるの、ほのか?」
「ほのかちゃん!?」
うつむき、震えだしたほのかちゃんに、紗雪と春原が呼びかける。
「向こうの悠人さんは……えぐっ、そんな……そんなのって……」
広域殲滅魔法の詠唱が終わった。
だが、俺はそれを発動できない。
ここで三人をなぎ倒すことはできる。
倒されてしまったこのダンジョンのボスも、時間を置けば復活するはずだ。
ボスを倒して特殊条件を満たし、「幻獣召喚」を手に入れる。
疑問点はいくつもある。
なぜスキル世界の特殊条件が有効なのかは不明だし、「幻獣召喚」のスキルだけがこの世界で使えるのも不自然だ。
クダーヴェを召喚できたとしても、あいつが元の世界に戻る力を持ってる保証もない。
だが、神様のお告げではそうなってる。
崩壊後奥多摩湖ダンジョンの最奥は、一度世界に穴が空いた場所でもある。
なんらかの理由によってスキル世界の法則が一部有効だという可能性はある。
しかし、それでいいのか?
この三人と向き合って、こちらの事情をわかってもらい、別の手段を探すべきなのでは?
だが、そんな都合のいい手段なんてないかもしれない。
神様のお告げでも他の手段に言及はなかった。
もし他にもっとマシな手段があるのなら、最初のお告げで聞かされたはずだ。
あるいは、元の世界に帰るにしても、この三人に俺’に別れを告げる時間を与えるべきなのでは?
でも、そんな残酷なことをしてどうなるってんだ?
もうひとつ、まだ試してないこともある。
【権能簒奪】でカードになった「分裂」のスキルだ。
Skill ──────────────────
分裂1(モンスター専用スキル)
自分の身体を二つに分ける。分裂後の個体はHPが1/2になるが、他の能力値・スキルはそのまま受け継ぐ。
S.Lvに応じて、分裂後にさらに分裂することができる。
【注意】不定形のモンスター以外が使用した場合、正常に動作する保証はない。
────────────────────
もはや懐かしくすらある、雑木林ダンジョンのヒュージスライムから手に入れたスキルだ。
元のスキルには不穏な注意書きがついている。
以前「賢者の石のかけら」の対象を選ぶときに検討したところでは、この【注意】は消去するデメリットには選べなかった。
カードの能力も同等とすれば、そう都合よく俺から俺’を分裂させてこの世界に残すことができるとは思えない。
それでも試してみるべきなのか?
ああ、わからない。
迷う。
この世界の「仲間」から俺’を奪うことは、俺’を殺すことに等しい。
少なくとも彼らにとっては同じことだ。
異世界からいきなりやってきた俺’の偽物に、大事な仲間を連れ去られる。
彼らにとっては降って湧いた災難だ。
悪夢のような現実だ。
だが、今は迷うことすら許されない。
俺の迷いを見抜かれれば、ほのかちゃんが封印を間に合わせてくる可能性がある。
あと一声だ。
俺が広域殲滅魔法の呪文を完成させれば、三人をノックアウトさせられる。
しかしその一声が喉につかえる。
俺が泥をかぶればいい話だと、最初は思った。
俺の勝手で、彼らの仲間を奪う。
彼らは何も悪くない。
彼らはただ、俺のことを憎めばいい。
そうも思った。
だが、この一言が彼らの運命を捻じ曲げるのかと思うと……
……くそっ、俺が何をしたっていうんだ。
なんで俺がこんな選択をさせられなくちゃならないんだよ。
迷ううちにふつふつと怒りが湧いてきた。
なぜ俺が、彼らの大事な仲間を理不尽に奪う悪役を演じなければならないのか?
そもそも俺はどうしてこの世界に投げ出されてしまったのか?
肝心要の真相がすべて闇の中にあるのに、選択だけは迫られる。
俺の人生はいつだってそうだ。
ろくに意味もわからない選択肢の中から、いきなりひとつを選べと迫られる。
選択肢があるならまだましなほうだ。
ひとつしかない「選択」を迫られることもあれば、いまが選択のときだとわからないこともある。
そのくせ、選択の結果だけは押し付けられる。
選択の結果からは「 」られない。
「ぐっ……」
また頭痛だ。
この頭痛の正体もわからない。
この頭痛からも目をそらさず、その正体を見極めるべきなのか?
そうだ。
俺は頭痛からも「 」ている。
選択からも「 」ている。
仲間と向き合うことからも「 」ている。
仲間を倒し、自分の意思を貫くことからも「 」ている。
――だが同時に、「 」てはならないとも思っている。
向き合わなければ、戦わなければ、倒さなければ、乗り越えなければ、真相を明かさなければならないと思ってる。
前に進もうと思ってる。
無様で間違いだらけかもしれないが、決して「 」ようとは思ってない。
だが、
「――ははっ、そうか。ようやくわかった」
俺はこんな現実から「 」たいと強く願う。
頭痛が一気に激しさを増した。
だが、この頭痛こそが導きの糸だ。
この頭痛の先にこそ、俺の進むべき――あるいは、退くべき道がある。
「ぐ、あ、あ、あ……!」
頭が割れそうな頭痛を、意志の力でねじ伏せる。
自分で自分を追い詰めるのは、ひきこもりだった頃からの得意技だ。
「 」場を作らず、遠慮呵責なく、自分を叱責し、批判し、自分は価値のない人間だと思い込む。
慣れてしまえば簡単なことだ。
逆をやるより、ずっと安易で楽ですらある。
自分の価値を認めるより、自分の価値を否定するほうがずっと楽だ。
自分で自分の価値を認めたって、他人がそれを認めてくれる保障はない。
だが、自分の価値を貶めておけば、それを認めてくれる他人はいくらでもいる。
おまえには価値がない――人のことを何も知らないくせにそう決めつけたがる奴が世の中には掃いて捨てるほどいるからな。
容赦なく自己批判のアクセルを踏み続けることきっかり3秒。
俺は、すべてが紫のワイヤーフレームになった、見覚えのある空間に立っていた。
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