94 見落としたのは

 クローヴィスが震えた。

 怯えて、とかじゃない。

 陸に打ち上げられた魚が跳ねたような――あるいは強い電流を流され海老反りになったような。


「な、なんだ!?」


 「ノックアウト」の行動不能状態で動けないはずだぞ!?


「悠人さん! 離れて!」


 はるかさんの言葉に従い、俺はクローヴィスから飛び退る。


 クローヴィスは白目を剥き、口から泡を吐いていた。

 全身から夥しい体液が溢れている。

 そんな状態で、びくっ、びくっ、とくりかえし身体を痙攣させる。

 そのたびに、俺が空けた矢傷から鮮血がぶしゅっと噴き出した。


「くそっ、倒すべきなのか!?」


 だが、クローヴィスの死が事態を悪化させるリスクもある。

 俺に自分を殺させようと誘ってるという可能性もな。


『むっ? 何かおるぞ!』


 それに最初に気づいたのはクダーヴェだった。


 クローヴィスの耳の中から、白い蚯蚓みみずのようなものが現れた。

 白くて細い触手が何十本も……。

 クローヴィスの眼窩、鼻、口からも白くぶよぶよした触手が溢れ出す。


「あ、が、が、ガ……ッ!?」


 クローヴィスがあえぐ。

 いや、行動不能状態では口がきけないはず。

 クローヴィスの口から漏れたのは声ではなく異音だ。

 口腔や喉が痙攣し、その拍子に音が漏れたのだろう。


「ひっ……」


 と息を呑んだのははるかさん。


 ……なんだ、これは!?


 グロテスクな光景に俺ものけぞる。


 って、俺には「鑑定」があるじゃないか!

 わからないなら調べればいいだけだ。


 白い触手を「鑑定」。



Status──────────────────

ブレインイーター

レベル 1

HP 2/9

MP 26459890/10

攻撃力 1

防御力 1

魔 力 20

精神力 4

敏 捷 1

幸 運 1


・生得スキル

寄生5 休眠 宿主操作 死後卵化5 自己再生1


撃破時獲得経験値7

撃破時獲得SP2

撃破時獲得マナコイン(円換算)96

ドロップアイテム 冬虫夏草 ブレインイーターの乾燥卵 除虫菊

────────────────────

Skill──────────────────

寄生5

宿主の身体に寄生し、栄養やMPを吸収する。蓄えたMPを使用することで、寄生状態を進行させることができる。寄生状態の進行によってこのスキルのスキルレベルが上昇し、より多くの栄養やMPを吸収できるようになる。このスキルのスキルレベルはSPの消費によって上げることができない。

────────────────────

Skill──────────────────

休眠

最低限の生命活動のみを維持しながら活動を停止する。

栄養の不足、生殖の機会、生命の危機に反応して解除される。

────────────────────

Skill──────────────────

宿主操作

スキル「寄生」で寄生した宿主の脳を支配し、宿主の感情・身体・行動等を操作する。「寄生」の進行度によっては宿主にスキルを使わせることもできる。

────────────────────

Skill──────────────────

死後卵化らんか5

HPが0になったときに体細胞の一部をらんに置き換える。卵に置き換えられる体細胞の割合は全体細胞の(S.Lv×2)%。スキル「寄生」を所持している場合、卵が寄生可能な生体に付着すると、孵化を待たずに「寄生」できる。

────────────────────



「寄生虫型のモンスター……なのか!?」


 なんでそんなものがクローヴィスに……!?


 モンスターとしては弱いが、厄介なのはクローヴィスに寄生してることだ。

 「寄生」のスキルレベルは5。

寄生は相当に進行してる。

この白い触手のようなものがクローヴィスの脳を蝕んでるということだ。


 クローヴィスごと焼き滅ぼしていいなら話は簡単だ。

 「上級火魔法」で一撃だろう。

 「死後卵化」で発生する卵も一緒に焼けばいいだけだ。


 だが、問題は今クローヴィスを殺すわけにはいかないということだ。


 でも、この寄生虫を放置していいとも思えない。


 目覚めた寄生虫がどう動くかはわからない。

 この寄生虫にどこまではっきりした目的意識があるかも不明だ。


 だが、行動不能のクローヴィスの体内から姿を出したことを考えると、宿主であるクローヴィスを見限ろうとしてるんじゃないか?

 「休眠」が生命の危機によって解除され、新たな宿主を探そうとしている。


 そのために古い宿主を「捨てる」としたら、捨てられたほうはどうなるのか?


 ひょっとすると、クローヴィスは自分が敗北したときに備えて、あえて自分に寄生虫を植え付け、儀式の最後のトリガーを自分の死で引けるように仕組んでたのかもしれない。

 暗殺者が敵手に落ちたときに自害できるよう毒を仕込んでおくみたいにな。


 ……でも、違和感はある。

 この、自分さえよければいいという男が、自分を寄生虫に食わせてまでそんなことをするだろうか?


 対処に迷う俺の耳に、くちゅ、くちゅ、と小さな水音が聴こえてきた。

 音の出所は――クローヴィスの頭蓋の中だ。

 くちゅ、という音は、すぐにぐぢゅ、に変わった。

 そして、


 ぐぢゅるるるっっ、ぐぢゅるるるっ……!

 

 何か・・を激しくすすり上げる音へと変化した。


「うぴ、ぁかか、くひゅ……」


 クローヴィスの口から漏れるのは、もはや人の声じゃない。


「う、あ……っ」


 声を漏らしたのは、はるかさんか、それとも俺か。


 だが、ここには修羅場に強い味方が一人(一体)だけいた。


『おい、呆けている場合か、悠人!』


 クダーヴェの一喝に、俺はようやく思考能力を取り戻す。


 クローヴィスは殺せない。

 だが、このままではブレインイーターがクローヴィスを殺す。

 ブレインイーターを殺そうとすれば、俺がクローヴィスを殺してしまう。


 なら、どうするか?


 決まってる。


「『ノックアウト』――ブレイズランス!」


 俺の放った「上級火魔法」が、クローヴィスの頭部に突き刺さる。


 殺せないなら、殺さない形で無力化すればいい。

 俺には「ノックアウト」というおあつらえ向きのスキルがある。

 「逃げる」の優秀なお供としてずっと愛用してきた相棒のようなスキルだ。


 相棒は、期待通りの仕事をしてくれた。

 クローヴィスとブレインイーターのHPが1になり、ともに行動不能状態に陥った。

 あとはダンジョンの外に連れ出してから、こいつらに止めを刺せばいい。


 異世界からの貴重な情報源として、また、今回の一連の事件の全容解明のためにもクローヴィスは生かしておく価値がある。

 さっき凍崎純恋の亡霊を見て「死んだはずでは」と口走ったのも気になってる。

 他にも、かなりの数のダンジョンで同時多発的にフラッドを起こし、フラッドの鎮圧に向かった協会の腕利きの探索者たちを物品化した件も気になってる。

 異世界人のクローヴィスが一人でやったにしては活動範囲が広すぎるからな。


 とはいえ、クローヴィスからブレインイーターを引き剥がせるか?

 引き剥がせたとして、クローヴィスにまともな意識が残ってるのか?

どちらもはなはだ疑問だよな。


 クローヴィスから事情を聞き出すとしたら、「英霊召喚」のほうがまだしも有望かもしれない。

 凍崎純恋のようにクローヴィスが召喚可能になれば、だけどな。

 ただ、凍崎純恋も、見た感じ生前の人格がかなり損なわれてるようではある。

 話を聞き出すのは難しそうか……。


 神様が予告してた「因果」についてもわからずじまいだ。

 ブレインイーターを無力化したことで防げたと思っていいのだろうか?


 と、そこで、俺のアイテムボックスの中で、何かが「震える」ような気配がした。

 アイテムボックスの中から何かが伝わってくるなんて初めてのことだ。


 最初、俺はクローヴィスの「人間物品化」でキューブにされた探索者たちが人間に戻ろうとしてるのかと思った。


 だが、それはちがった。


 このとき、俺は完全に油断してたと言っていい。


 戦いは終わったものだと思って、事後の処理に思いを馳せてたんだからな。


 そんな俺の甘い認識を吹き飛ばしたのはクダーヴェだ。


『悠人! まだ終わっておらぬぞ!』


「……えっ?」


 俺が反応したときにはもう遅かった。


 浜辺に打ち上げられたイカの脚のように力なく垂れていた白い触手が、クローヴィスの肩口を突き刺した。

 触手はその肩を梃子に、クローヴィスの耳から何かを引き抜こうと力を込める。


 ばぎゃっ、じゅぽっ……!


 脳漿に混じって、クローヴィスの側頭骨のかけらが弾け飛ぶ。

 脳漿をまるで羊水のようにして産まれたのは……複雑なシワの寄った、灰色のぶよぶよとしたものと、そこから生えた無数の白い触手。

 クローヴィスの頭蓋には大きな空洞が残るのみ……。


「くそっ!」


 やりそこなったことを確信しながら、俺は「無詠唱」でブレイズランスを放つ。

 ブレインイーターのステータスは貧弱だ。

 「無詠唱」で威力の落ちた魔法でも一撃で燃え尽きた。

 なんなら、俺が最初にスライムを倒したときのファイアアローですら倒せただろう。

 こいつは、弱いモンスターなんだ。

 それなのに、


「な、なんで動けたんだ!?」


 こいつはたしかに、HP1で行動不能状態になってたはずだ。

 「鑑定」でちゃんと確認した。

 ステータスは、最下級のスライムにすら劣ってる。

 「ノックアウト」を無効化するような特別な何かなんて……


 ――いや、待て。


 ……スライム?


 俺は、自分の致命的な見落としに気がついた。



「『自己再生1』かよっ!!!」



 くそっ、見逃した!


 ブレインイーターの所持スキルは「寄生5」「休眠」「宿主操作」「死後卵化5」……そして、「自己再生1」。

 他のおどろおどろしいスキルに気を取られて、最後に付け足しのように入ってる「自己再生1」を見落とした。


 スキルレベルは1。

 俺自身も持ってる既知のスキル。

 最弱のモンスターと言われるスライムのスキルとしても有名だ。


 だから、こいつがこのスキルを持ってることの意味に気づかなかった。


 ……わかるだろうか?


 「ノックアウト」は、対象のHPを0にする攻撃を加えたときに、対象のHPを1だけ残して行動不能状態にするスキル。


 「自己再生」は、1秒ごとに最大HPのS.Lv%を回復させるスキルだ。


 「ノックアウト」で行動不能状態になった敵は、HPを回復・・・・・するまで・・・・あらゆる行動が取れなくなる。

 「治癒魔法」を自分にかけることもできなければ、回復アイテムを使うこともできない。

 だから、「ノックアウト」で行動不能状態になった敵が、自力で行動不能状態を脱することはできない。


 だが、自動でHPを回復する「自己再生」があったらどうなるか?


 もちろん、HPが2になった瞬間に、行動不能状態が解除される。


 ブレインイーターの最大HPは9だから、1秒でHPが0.09回復する。

 ステータスの端数は切り捨てが基本だ。

 実際、俺が「鑑定」したときはHPは1のままだった。

 だが、「自己再生」で発生した端数は累積する仕様になってたらしい。

 「ノックアウト」から12秒かけてHPを1回復したブレインイーターは、行動不能状態から抜け出した。

 そして、まだ行動不能なままの宿主――クローヴィスにとどめを刺したのだ。


 この状況で宿主を殺すことにどんな意味があったかはわからない。

 しかし、ブレインイーターの意図がなんであれ、結果としてクローヴィスは死亡した。


 俺のアイテムボックスの中で何かが震えている。

 それが何かは今ならわかる。

 神器だ。

 神器が、来たるべき因果を察して鳴動している。


 もはやクローヴィスはいない。

 ブレインイーターもいない。

 このボス部屋の主だったミズチはとうの昔にいなくなっている。


 それなのに、地上のダムを模したこのボス部屋に、途方もなく重苦しい何かが充満しつつあった。

 カスケード、龍脈、精霊溜まり、ダムに宿る呪的な因果……俺には直接感じられないはずのそれらが、強烈な圧迫感で俺の呼吸を阻害する。


『来るぞッ! 備えろッッ!』


 ダンジョンが激しく揺れた。

 コンクリートそっくりの地面がめちゃくちゃに隆起する。

 天井からは自動車より大きな瓦礫が次から次へと降ってくる。


「きゃああああっ!」


「はるかさん!」


 俺ははるかさんに飛びつき、抱きかかえる。

 崩れ、ダムの水に呑まれていく足場を蹴りながら、


「天の声! はるかさんをパーティに招待!」


《篠崎はるかを現在のパーティに招待します。》


「はるかさん、俺のパーティに入ってくれ!」


「ど、どうして今……!?」


「いいから早く!」


「わ、わかったわ! パーティへの招待を受諾!」


《篠崎はるかがパーティに加わりました。》


 俺は落ちてきた瓦礫を「格闘技」「パリング」で弾くと、



「――『エバック』!」



 スキルでダンジョンを脱出する。


 俺の視界が切り替わる瞬間、




《奥多摩湖ダンジョンが崩壊しました。》




 俺の耳に、終末を淡々と告げる「天の声」が響いたのだった――

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