66 咆哮(百分の一)


 x0.00


 俺の視界の右下隅に現れた文字に意識を向ける。

 それだけで、意識すれば時の流れの相対速度を変えられることがわかった。


「わかりやすいな」


 ずっとこうしててもしかたない。

 まずは最低倍率で試してみよう。


 x0.01


 薄紫の輪郭となっている幻獣の竜が、ほんのわずかずつみじろぎを始める。

 咆哮を上げてる真っ最中の両顎が震え、それに合わせて全身の輪郭がわずかにブレる。

 咆哮の声や周囲の音も、引き伸ばした感じで聴こえてくる。


 x0.00


 俺はいったん時の流れを止めた。


「さっきみたいなプレッシャーは感じないな」


 正確には、まったく感じないわけじゃない。

 だが、比べ物にならないほど薄まってる。


「……そうか! 時間が0.01倍速になるなら、単位時間当たりのプレッシャーの量も100分の1になるってことか!」


 等速のときに1秒当たり100のプレッシャーを感じてたとすれば、100分の1倍速になれば(俺の体感での)1秒当たりのプレッシャーは1になるはずだ。

 この幻獣の放つプレッシャーがいかに強大でも、100分の1まで希釈されれば耐えられる。

 ホビットスモウレスラーLv2941と戦ったときに感じたプレッシャーと比べても、同じかやや軽い程度まで下がってる。


 ……ってことは、こいつはレベル2941のシークレットダンジョンボスの100倍近いプレッシャーを放ってるわけか。


「とりあえず、0.01倍で進めてみるか」


 俺は右下の倍率をx0.01に戻した。


 世界が百分の一の速度で動き出す。


 超スローモーションで咆哮するドラゴンは、見ようによってはユーモラスですらあった。


 だが……とにかく遅い。


 自分で遅くしておいて文句を言うのもおかしいが、百分の一倍速だといつまで経っても咆哮の終わる気配がない。


「俺の100秒が現実の1秒か……」


 迫力満点のSSR確定演出も、百分の一倍速で見せられると焦れったい。

 かといって、倍率を上げるとプレッシャーをさばききれないおそれもある。


 ドラゴンくん、召喚された嬉しさか、それとも召喚者を威圧してるつもりなのか、めっちゃ張り切って咆哮を上げてくれちゃってるし。


「しかたない。コーヒーでも飲むか」


 俺はアイテムボックスからタンブラーを取り出すと、キャップを外してコーヒーを啜る。


「ふー、うまい。落ち着くな」


 まるで舐めプだが、時間がかかるのだからしょうがない。


 しかし、それにしても長すぎる。


「えーっと。現実世界で20秒咆哮が続くとすると、その100倍時間がかかるわけだから……33分もかかるのか」


 コーヒーを飲みすぎるとトイレに行きたくなりそうだよな。

 しょうがないので、俺はDGPでステータスやスキルを眺めて時間を潰す。


 オ……オ……オ……オ……


「おっ、声がちょっと小さくなってきたな」


 ドラゴンくん、さすがに息が続かなくなってきたらしい。


 ……オ……オ……オ……


「あ、終わる感じだな」


 俺はタンブラーをアイテムボックスにしまい、咆哮の終わりを待ち受ける。


 ……ッ……ッッ……!……!


 ボス部屋の天井に咆哮の余韻が響いている。


「もう大丈夫だよな?」


 俺は「現実に戻る」と強く念じる。


 その瞬間、世界が色を取り戻した。


 咆哮の残響が少しあるが、もうビビって動けなくなるほどのプレッシャーはない。



『ほう、俺様の咆哮を受けて震えもせぬとは。肝の据わった人間もおったものだな』



「おまえ、しゃべれるのか?」


『人間如きですら言語を解する。俺様にできぬはずがあるまい』


 首が痛くなるほどの高みから、ドラゴンの声が降ってくる。


「俺の召喚に応じてくれた……んだよな?」


『俺様の意思で応じたわけではない。おまえの使った召喚の術式が、おまえにふさわしき相手として、不遜にもこの俺様を指名したというだけだ』


「じゃあ、力を貸してはくれないのか?」


『そうは言っておらん。俺様を召喚できるものなどそうはいないからな。率直に言って、俺様はおまえに興味がある』


「テストでもする気か?」


 こいつと戦うのはちょっと勘弁してほしい。

 さっきの咆哮があるたびに「現実に逃げる」を使ってたら、まちがいなく現実に戻れなくなるだろう。


『クハハッ、そんな結果の見えたことをしてどうする? 俺様が勝つに決まっておるだろう。そもそも、自分よりも強きものの力を借りたいからこそ、おまえは幻獣召喚に及んだのであろう? おまえが勝てる程度の相手を召喚しても意味があるまい?』


「それはそうだな」


 自分より弱くても戦力にはなるが、それなら「シークレットモンスター召喚」と大差がない。


「じゃあどうする?」


『俺様ほどになれば、相手の実力を見抜く眼力を持っておる。この世界の「翻訳」では「鑑定」と呼ばれておるようだな』


「おまえも『鑑定』が使えるのか」


『おまえは……ほう、小癪な。「偽装」して実力を隠しておるのだな? その慎重さは好ましい。ならば「看破」を使うか』


「おいおい、勝手に人のステータスを見るのはマナー違反だぞ」


 俺の抗議は無視して、ドラゴンは俺のステータスを覗こうとする。

 俺の「偽装」を貫いて、ドラゴンの目が俺のステータスに向けられる。

 うげっ、こんなスキルがあるのかよ。


『俺様を喚び出すくらいだ。さぞかし霊格レベルも高いんだろ…………ブフオォォッ!?』


 勝手にステータスを読み、勝手に驚くドラゴン。

 その余波だけでダンジョンが揺れ、こっちの精神が削られる。


「おいおい、ただでさえ響く声なんだから気をつけてくれよ」


 と言いつつ、俺のほうでもドラゴンに「鑑定」を使ってみる。

 あっちが先にマナー違反をやったんだからいいだろ。

 まあ、こいつは探索者じゃないからマナーを求めてもしかたないけどな。


 だが、



《レベルが10000以上高い相手のステータスを読むことはできません。》



「弾かれた……」


 ってことは、こいつのレベルは少なくとも10001より上ってことか。 


『クハハハ! 俺様をレベル1で喚び出すとはな! こいつはおもしろい!』


 ドラゴンくん、何がお気に召したのか笑い出す。


『霊格は低いくせに、技量や能力は人間離れしておるな。どうしたらこんなちぐはぐな存在になれるのだ?』


「それを話したら力を貸してくれるのか?」


『嫌というなら無理には聞かぬ。おまえはおもしろそうだ。いずれにせよ力は貸してやる』


「そういうことなら話すか」


 こいつから他に話が漏れることもないだろうしな。


 俺は「逃げる」の効果やこれまでの稼ぎをかいつまんで話す。


 幻獣に探索の細々したことがわかるのかとも思ったのだが、ドラゴンくんは呑み込みが早かった。


『クハハハ! なかなか痛快ではないか!』


 と、愉快そうに笑うドラゴンくん。


『実に興味深い! レベル1で常に格上と戦ってきたとはな。俺様を喚び出すに足るだけの人間だ』


 俺の話はどうやらドラゴンくんのお気に召したようだ。


『それにしても、今回はまた、随分と奇妙な「翻訳」が施されたものだな』


「翻訳?」


『俺様のように永い時を生きてるとだな、ダンジョン崩壊で世界がつながるなどという事態も何度かは経験があるというわけだ』


「えっ、じゃあ、おまえは異世界から来たってことか?」


『そうだ。世界と世界では、その成り立ちも違えば法則も違う。世界と世界がつながるときには、その部分をすり合わせる現象が起きるんだよ』


「それが『翻訳』か」


『俺様が勝手にそう呼んでおるだけだがな。で、この世界にダンジョンが出現したときにも、「翻訳」――あっちの世界の事象をこっちの世界の近似した事象で定義し直すという現象が起きたはずだ』


 ははあ。読めてきたぞ。

 はるかさんから聞いた話もあるし。


「こっちの世界には、スキルや魔法なんてゲームの中にしかないからな。この世界のゲームの文脈に沿う形で異世界のファンタジーな要素が『翻訳』されたってわけか」


『おまえがその「翻訳」から逃れて、事態に違和感を抱いておるのも興味深い。さすが俺様を召喚してのけただけのことはあるぜ』


「おまえのことはなんて呼べばいいんだ?」


『ク――#ダa=ヴェだ』


「……聞き取れなかったんだが」


『人間には発音できぬ音があるからな。何か近い音で好きなように呼ぶといい』


「クダーヴェ、かな」


『ふむ。悪くはない』


 正確に発音しろ!と怒られるかと思ったが、ドラゴンくん――クダーヴェは細かいことは気にしないタイプらしい。


「クダーヴェはどういう存在なんだ?」


『俺様は幻竜だ』


「幻竜……?」


『とりわけ強い霊格を持つに至った竜が、その存在を現実の外へ半歩移したものが幻竜よ』


「物質にとらわれない存在ってことか?」


『半歩と言ったであろう。物質に半ばとらわれ、半ばは自由といった塩梅だな。完全に物質世界から解脱してしまえば、もはや現実に影響を及ぼすこともできぬであろう?』


「現実に影響が及ぼせないなら、戦闘の役には立たないもんな」


『そういうことだ。俺様の存在に近いものをこの世界の概念で探すとすれば……そうだな、「バハムート」というものがおるであろう?』


「ああ、いるな。いや、いないが」


 「バハムート」と聞いて俺が真っ先に思い浮かべたのは、RPGに出てくる最強の召喚獣だ。


「でも、現実のバハムートはドラゴンじゃないんじゃなかったか?」


『現実の、という言葉には語弊があろう。もはや誰一人信じておらぬ神話の存在よりも、「ゲーム」なる遊戯に代表される架空の「竜」のほうが、今現在に「存在」しておるともいえよう』


「……要するに、ゲームっぽいイメージのバハムートだってことなんだな」


『完全に一致はせぬが、イメージとしては遠からずであるな。さしずめ、バハムート=クダーヴェといったところか。うむ、なかなか格好いいではないか』


 と、厨二センスを発揮して悦に入るバハムート。


『あまりつまらぬ敵相手に喚び出すなよ? 俺様より格上……は望みすぎだが、喰いでのある敵がいるときを選べ』


「召喚される側が注文をつけるのかよ。まあ、いいけど」


 これだけ図体がでかいと、どっちにせよ召喚できる場面は限られる。

 身体のでかさと強さは単純に比例するわけじゃないが、でかいモンスターは強いことが多い。


「そのときは頼りにさせてもらうぜ」


『うむ。それではな』


 わりと気安い感じでそう言って、巨竜は虚空へと消えたのだった。

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