05 「逃げる」、この迷惑スキル

「はあああ……」


 俺は暮れなずむ公園のベンチに座り、盛大に頭を抱えていた。

 もう、何度目になるかわからない。

 ベンチの俺の隣にはすっかり冷めきった缶コーヒー。

 リストラされた中年サラリーマンのように座ったまま灰と化してる俺の前を、犬の散歩にきた人や幼児を連れた女性が気味悪そうに過ぎていく。

 

 いつのまに暗くなったのか、公園の電灯に明りが灯る。

 白い光に照らされたタイルを見つめていると、俺の視界に影がかかった。


 顔を上げると、そこには見知った相手が立っていた。


「芹香……」


 もう二年も会ってなかった幼なじみ。

 整ってる割に歳より幼く見える顔立ちは変わらない。


 だが、その格好は激変していた。

 といっても、見ないあいだに服の趣味が変わったとかいう話じゃない。

 白銀に輝く胸当て、紺の裳裾、黒いレギンズ。

 足元はゴツい白銀のグリーブで、腰には剣をさしている。


「聞いたよ。探索者になるんだって?」


 芹香が微笑んで言ってくる。

 このちょっとアニメっぽい声を聞くのも久しぶりだな。


「探索者、だったのか?」


「えっ、知らなかったんだ。おばさんは知ってるんだけど」


「そうなのか」


 ……気を遣って、俺には言わなかったんだろうか?

 俺にダンジョンに潜れと言ったのも、芹香が探索者だと知ってたからかもしれないな。

 

「もう、ちょっとは関心を持ってよ」


「悪い。ダンジョンが出来たこと自体、つい最近まで知らなくてな」


「えっ……ほんとに?」


 と、驚く芹香。

 

 たしかに、いくらひきこもりとはいえ、昨日までダンジョンのことを知らなかったのはびっくりだよな。

 テレビやネットでの騒がれようを考えれば、知らなかったことが奇跡に思える。

 俺はいまだに、ダンジョンが存在することに違和感を拭いきれないくらいだ。


 芹香は俺の顔色をうかがいながら、


「その様子だと、固有スキルはなかった……のかな」


「いや、あったよ」


「えっ! やったじゃん! おめでとう!」


「……ああ」


「あんまりうれしくなさそうだね。どうして?」


 俺は無気力にスマホを取り出す。


 ダンジョン専用アプリ「Dungeons Go Pro」を使えば、自分のステータスをスマホ上でも確認できる。

 「ステータスオープン」で見てもいいが、スキルの使用条件など、細かい情報を調べるにはアプリのほうがやりやすい。


 ……なお、DGPには謎の個人認証機能があるらしく、本人の同意なしに他人がその画面を見ることはできないようになっている。

 しかも、脅迫などで得た「同意」は同意とは見なされないという高機能ぶりだ。


 自分のステータスは「ステータスオープン」で見られるが、他人のステータスを見る手段は限られている。

 「鑑定」のような取得の困難なスキルを除けば、同意してDGPの画面を見せるのがいちばん早い。

 

 ためらいなく画面を見せようとする俺を、

 

「ち、ちょっと! 探索者が他人に気安くステータスを見せちゃ駄目だよ!」


 芹香が慌てて制止する。


「芹香は他人じゃないだろ」


「えっ、そ、それは……そうかも、だけど。見て、いいの?」


「ああ」


 と覇気なく言って、俺は芹香にスマホを渡す。

 

 芹香は興味を抑えきれない様子でスマホを覗き――


 みるみる難しい顔になっていく。


 

「率直に感想を言ってくれ」


「……また、偏ったもんだね」


 芹香が言うのは能力値のことだろう。

 


Status──────────────────

蔵式悠人

レベル 1

HP 7/7

MP 64/64

攻撃力 4

防御力 3

魔 力 65

精神力 16

敏 捷 24

幸 運 15


・固有スキル

逃げる S.Lv1


・取得スキル

火魔法1


SP 3

────────────────────



 「火魔法」を取得したことでMPと魔力にそれぞれ50のボーナスが入ってるが、それ以外は最初と変わってない。


「魔法タイプ……ではあるのかな。悠人らしいっちゃらしいね」


「どうせ俺は根暗だよ」


「そ、そういう意味じゃないってば! もう、すぐ人の言うことを悪く取る!」


「……悪い。わかってる」


 芹香がそんな当てこすりみたいなことを言うはずがない。

 長い付き合いだからそれくらいはわかってる。

 

 芹香は俺のスマホを何度もスワイプしながら確認し、

 

「まず、高いほうの数値だけど。スキルのボーナスを除いて、MP14に魔力15、精神16、敏捷24、幸運15。これ、結構ありえないから」


「そうなのか?」


「うん。でも、いくら魔法中心で戦うとしても、HP7で防御力3はキツいね。精神が高いから魔法には強いけど、矢が飛んできたら死んじゃうよ」


「……だろうな」


「敏捷の24はありえないくらい高いんだけど……敏捷は魔法職には意味が薄いんだよね。魔法を使うには集中が必要だから、動き回りながらってのはふつう無理だし。敏捷回避の確率は上がるけど、他に前衛がいるなら魔法職が狙われるような状況にはならないから」


 もしそんな状況になるようならすぐに撤退したほうがいい、と付け加える芹香。

 芹香の近況は知らないが、まるで見てきたかのような自信たっぷりの口調だな。

 探索者としてかなり活躍してるんだろう。


「幸運の15もすごいんだけど、魔法にクリティカルは乗らないし……。幸運回避が出やすいくらいかな」


「だよな」


 それくらい、俺にもわかってる。


「敏捷と幸運の高さを生かして回避優先でスキルを組み立てて……ううん、でも、魔法タイプなんだよね。クリティカル率の高さを利用して攻撃力を補うにしても、元の数値が4かぁ……どうしたら……」


 芹香はまるで自分のことのように悩んでくれる。


「……やっぱり後衛かな。回避が高いと言っても、全部避けられるわけじゃないし。一発でも被弾したら死ぬ状況で前になんて出てほしくない……」


「その場合、敏捷と幸運は生かせなくなるわけだけどな」

 

 それから……もうひとつ。

 気を遣ったのか、芹香が触れなかったことがある。


 レベルアップ時の能力値上昇幅は、レベル1の時の基本値に等しい。

 たとえば、レベル1のときにHPが10なら、レベル2になると20、レベル3では30と、10ずつ伸びていくことになる。


 つまり、レベル1の段階で低い能力値は、その後の成長も見込めない。

 現時点で4しかない攻撃力や3の防御力、7のHPは、今後も伸びる余地がないということだ。


 モンスターの能力値もレベルに応じて上がるというから、初期能力値の低い探索者はレベルが上がるほどに苦しい戦いを強いられることになる。


 残酷なことに、レベルアップを重ねれば重ねるほど、他の探索者との差も拡がっていく。

 レベル1のときに防御力が10のやつは、レベル10になれば防御力100。

 一方、レベル1のときに3の俺は、レベル10になっても30にしかならない。

 成長幅が途中から増えることがない以上、この絶望的な差を努力で埋めることは不可能だ。


 wikiに書かれていた初心者向けのアドバイスには、こんなテンプレが存在する。


『ステータスに9以下が三つ以上あったらあきらめろ。8以下が二つ以上あったらあきらめろ。7以下が一つでもあったらあきらめろ(ただし幸運は除く)』


 「あきらめろ」というのはもちろん、探索者になること自体をあきらめろ、ということだ。

 

 たぶん、芹香はわかってて言わなかったんだろうけどな。


「あとは……固有スキルの『逃げる』だね。これって、どういうスキルなの?」


「貸してくれ」


 俺はスマホを返してもらい、ステータス画面で「逃げる」を長押しする。

 

 

Skill──────────────────

逃げる

S.Lv1 戦闘から逃げることができる。


使用条件:

戦闘エリアの外側に向かって(30-5×S.Lv)秒間逃げ続ける。

戦闘エリアの範囲は、敵の初期位置の中心から半径(10×S.Lv)メートルの空間。


特記事項:

逃走成功時に所持金を落とす。

落とす金額は、所持金の({50-10×S.Lv}±20)%の範囲でランダムに決まる。落とす金額がマイナスになることはない。


能力値補正:

「逃げる」の所有者は、各能力値に以下の補正を常に受ける。

HP -20%

攻撃力 -50%

防御力 -60%

精神力 +20%

敏捷 +200%

幸運 +400%

────────────────────



 もう一度ため息をついてから、スマホを芹香に手渡した。


「えっと、『逃げる』のに必要な時間は……S.Lv1なら25秒。エリア?は、半径10メートル……。どういうこと?」


 ああ、数字だけだとイメージが湧きづらいよな。

 芹香はもともとゲーム好きってわけでもないし。


「半径10メートルの円周上に、見えない壁ができるんだ。俺はその壁に向かって走り続ける。25秒間な」


「そんなの、すぐに追いつかれちゃうじゃん」


「ああ。しかも、逃げようとし続ける必要があるから、そのあいだは完全に無防備になる」


「うわ……」


 さっきは、トロいスライムが相手だからなんとか逃げられたんだ。

 もっと素早い相手……いや、それほど素早くなくてもまともに動けるモンスターなら、十メートルなんて二、三秒もあれば追いつくだろう。


「普通に逃げたほうがよっぽどマシだろ?」


「それは……。えっと、でも、ダンジョンで敵から逃げるのって大変なんだよ? 狭い空間だから、ただ逃げただけじゃ追いかけてくるし。退却のつもりがそのまま潰走に、ってことになりやすいの」


「『逃げるな、戦え』だろ」


 wikiに載ってた有名探索者の格言だ。

 ちなみにその後には「勝てない相手とは戦うな」と続く。

 確実に勝てるモンスターとだけ戦うというのが、ダンジョン探索の鉄則なのだ。


「うん。逃走用のスキルも一応あるけど、わざわざ取る人はいないかな」


「だよな」


 はああ、とため息を重ねて肩を落とす。

 

 芹香は慌てて、


「で、でもユニークスキルなんだし。きっと何か使い道が……!」


「そこまでして『逃げ』ても、金まで落とすんだぜ? S.Lv1なら所持金の20~60%……そんな条件で探索者として食っていけると思うか?」


「べ、べつに毎回逃げるわけじゃないし。『逃げる』はいざというときに取っておいて、パーティを組めば……」


「俺だけ逃げられてもしかたないじゃないか。パーティが壊滅して自分だけでも生き残りたいって状況ならともかく……」


「それは……そうだけど」


 そんな状況で25秒もの間無防備に背中を向けて無事でいられるとも思えない。


「『逃げる』が死にスキルなら、あとに残るのは、補正のせいで紙装甲になった、無駄に速くて運がいいだけの魔法使いだ。誰がそんなのとパーティを組みたがるんだよ」


 俺なら絶対、そんなやつをパーティに入れたいとは思わない。

 危なくなったら一人だけ逃げ出しそうだしな……。

 

 それにしても、とんでもない迷惑スキルだ。

 せめて能力値へのマイナス補正がなければ、ただ使い所がないだけで済んだだろうに。

 もし「逃げる」がなかったら俺のステータスは、

 


 レベル 1

 HP 9

 MP 14

 攻撃力 8

 防御力 8

 魔 力 15

 精神力 14

 敏 捷 8

 幸 運 3



 ……だったはずで、これならかろうじて魔法職を目指すこともできた。

 防御に難があるのは事実だが、魔力15はかなり恵まれた数字のはずだ。


 これですら、wikiにあった「9以下が三つ、8以下が二つあったらあきらめろ」に該当してしまうので、探索者になるには相応の覚悟がいるけどな。


 「ただし幸運は除く」の幸運も、3となるとさすがにどうかと不安になる。

 ……これまでの人生を考えると、幸運が3というのは納得のいくところではあるけどな。

 

 俺の言葉に理を認めたのだろう。

 芹香は何かを言おうとして、口を開いては閉じてをくりかえす。

 

「でも……でも!」


 芹香が、泣きそうな顔で俺を見る。


「固有スキルには、絶対、意味がある。私もそうだった。弱かった私を、固有スキルが支えてくれた。神様からの授かりものなんだって、そう思う」


「……芹香は、そうだったんだな」


 詳しい事情は知らないが、泣き虫だった芹香が立派に探索者をしてるんだ。

 ずっと近くにいたはずなのに、どこで差がついたんだろうな。


「ちがうよ! 悠人だって、きっとそう! 今はわからないかもしれないけど、悠人がこのスキルを授かったのには必ず意味がある! だから――!!」


「……俺がずっと逃げてばかりいたからだろ。おまえはどうせ逃げることしかできない男だ、おまえにはこのゴミみたいなスキルがお似合いだって、神様が言ってんのさ」


 思わず、棘のある言葉が出てしまう。


「そ、そんなことないよ!! ぜったい違う!! 私はそんな意味で言ったんじゃ――」


「やめてくれよ。俺とおまえは、もう住んでる世界が違うんだ。優しくされても、互いに傷つくだけだ……」


 俺の言葉に、芹香の目にみるみる涙が溜まり――

 


「悠人の……ゆうくんのばかああああ!」

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