07 「逃げる」検証

 翌朝。

 昨日に続けて早起きした俺に、母は何も言わずに朝食を出してくれた。

 我が家の朝食は伝統的にトーストと目玉焼きとサラダと決まってるが、今朝はステーキがついている。

 ダンジョン探索という3K労働に向かう息子に体力をつけてほしいという親心なんだろう。


「芹香ちゃんからこれを預かってるわよ」


 そう言って母が差し出したのは、薄いピンクの封筒だ。

 開けてみると、中には便箋とイヤリング。



『悠人へ


 これあげる。

 昨日はごめんね。


 芹香


 p.s.もう使ってないやつだから遠慮しないでよ?』



「これのことか」


 紫色の水晶のようなチャームがついたイヤリングだ。

 俺は「Dungeons Go Pro」からカメラを起動、イヤリングにかざす。



Item──────────────────

防毒のイヤリング

状態異常「毒」を防ぐ。

────────────────────



「……かなり高いやつじゃないのか?」


 状態異常耐性のアクセサリは、結構いい値段で取り引きされてたはずだ。


 ……いや、だから『遠慮しないで』と言ってるのか。

 

 今は使ってないということは、芹香はこれより上位のアクセサリを持ってるんだろうな。

 

 直接俺に渡さなかったのは、昨日の今日で顔を合わせづらかったからか。

 

 ……その割には、俺が立ち直って探索を続けることを確信してるみたいだけどな。

 一大決心のつもりだったが、芹香には完全に見透かされていたらしい。


「ごめんって言うのは俺のほうだろうに」


 有り難いやら、情けないやら。

 昔からこういうやつなんだよな。

 探索者としては立派になっても、そういうところは変わってないみたいだな。


「いつか……追いつけるといいな」


 そのためにも、まずは自分にできることからやっていこう。





 ダンジョンに行く前に、自転車でショッピングモールに寄ることにした。


 モールの中にはいつのまにか探索者ショップができていた。

 そこで俺は、今の自分でも装備できる防具を見つけ出す。


Item──────────────────

旅人のマント

防御力+10 敏捷+15

装備条件:敏捷12以上

────────────────────


 初心者向けの装備だが、あるとないとでは大違いだ。

 俺の素の防御力は3しかないが、これを装備すれば13になる。

 もっと防御力の上がる装備も売ってたが、装備条件が「攻撃力と防御力の合計が〇〇以上」となっていて、俺では条件が満たせない。

 

 この旅人のマントですら結構なお値段で、俺の少ない貯金をはたいてようやく買えた。

 武器を買う余裕はないが、どっちにせよ攻撃力がゴミなので、魔法一本でいいだろう。

 


 

 で、さっそく雑木林ダンジョン(正式名称は別にあるが、めんどくさいからいいだろう)に潜る。

 

 昨日と同じように、薄暗い通路の先からスライムが二体現れた。


「一体だけで出てくれればな」


 今のMPでは、一体を倒し切るのがやっと。

 MPは自然回復するが、戦闘中は回復速度が遅くなる。

 回復を待っていたら、先にこっちがやられてしまう。

 

「一体倒して『逃げる』。それしかない」


 目的は「逃げる」の検証なんだ。

 むしろ都合はいいのかもな。

 

 スライムは足が遅いから、「逃げる」最中にも追いつかれにくい。

 しかもスライムはあまり知能が高くないらしく、戦闘中なにもせず様子を見ていることもある。


 俺は先行するスライムにファイアアローを連射する。

 連射と言っても、発射間隔は二、三秒。

 五発で落とすまでに、十秒以上かかってしまう。

 残りのスライムは数回弾めば俺に届くところまで近づいてる。

 

「さあ、やるか!」


 と、気合を入れるが、やることはもちろん「逃げる」だけ。

 最弱のモンスターに背を向けて、必死の形相で逃げる俺。


 残り20秒、幸運回避。

 

 15秒、体当たりがかする。

 

 10、溶解液を幸運回避。

 

 5、体当たり直撃。

 

 0――「逃げる」成功だ。

 

 

《「逃げる」に成功しました。》


《経験値を得られませんでした。》


《SPを3獲得。》


《420円を獲得。》


《「ポーショングミ」を手に入れた!》


《256円を落としてしまった!》



「落としてしまった!……じゃねえんだよ、くそっ!」


 ただでさえ金欠だってのに!

 

 ……でも、それはわかってたことだ。

 

 自分のステータスを見ると、HPは5/9。

 かすり当たりした体当たりと、直撃した体当たりで4くらった計算だ。

 防具のおかげで被ダメはマシになっている。


「ドロップアイテムは得られるんだな」


 俺はいつのまにか手のひらに現れていた水色のグミを指でつまむ。


 ポーショングミは最下級の回復アイテムだ。

 回復量はわずかだが、今の俺には十分だろう。


 グミを口に放り込む。

 予想に反してグミらしい噛みごたえはなく、一瞬で溶けるようにして消えていた。


 味はかなり薬っぽい。

 好みが分かれそうだが、わりと好きな味かもな。

 

 ステータスを再確認すると、HPは全快していた。

 全快といっても、4回復しただけなんだが。

 

「グミが手に入るのは有り難いな」


 そうでなければ、回復魔法の取得を考えなければならなかった。

 他にもほしいスキルがある状況で回復にSPを取られるのはかなり痛い。


「攻撃にもMPを使ってるからな……」


 MPは自然回復するが、HPの回復まで魔法に頼ってしまうと、MPの回復を待つ時間が長くなる。

 当然、そのあいだにモンスターが現れないとも限らない。


「前回はドロップしなかったから、確定ドロップではないんだろうけどな」


 グミは探索者ショップでも買ってきた。

 最下級のポーショングミはありふれたアイテムらしく、武器や防具ほどには高くない。


「じゃ、何度か試してみるか」


 回復を終えた俺は、通路の奥へと目を向けた。





 とりあえず十回、やってみた。

 スライム二体のうち一体を魔法で撃破、全力で「逃げる」。

 MPの自然回復とHPの回復を済ませ、同じことをくりかえす。


「だんだんわかってきたな」


 一度ダンジョンを出て雑木林に戻り、ペットボトルのお茶で喉を潤しながら考える。

 ノートを広げ、俺はわかったことを箇条書きにする。


────────────────────

俺の固有スキル「逃げる」についてわかったこと:


①「逃げる」途中でダメージを受けても逃げタイマーに影響はない。


②「逃げる」前に倒したモンスターの経験値は得られない。


③「逃げ」た場合でも、SPとお金、ドロップアイテムは手に入る。


④「逃げる」成功後、俺は少し離れたところにワープし、敵は戦闘開始前の位置に戻される。このとき、戦闘で倒したはずのモンスターも「復活」する。

────────────────────


「……こんなところか」


 ひとつずつ見ていくことにしよう。

 

 まず①。


『「逃げる」途中でダメージを受けても逃げタイマーに影響はない。』


 これは単純に有り難い仕様だな。


 「逃げる」には、ゲームにありがちな「途中でダメージをくらうと逃げタイマーが戻る」というシステムはなかったらしい。


 現状、逃げるのに25秒もかかるからな。

 もし逃げ途中のリセットがある仕様だったら、敵の攻撃すべてに幸運回避が発動することを祈るしかない。

 

「っていうか、もしリセットありの仕様だったら昨日ので死んでたな……」


 どれだけ無謀なことをしてたかがわかって、今さらながら震えがきた。



 次に②。


『「逃げる」前に倒したモンスターの経験値は得られない。』


「これはわかってたことだけどな」


 「天の声」がはっきりと《経験値を得られませんでした》と言ってるからな。

 「逃げる」が成功した時点で一体でもモンスターが残っていたら、倒した分の経験値も無効になるってことなんだろう。

 ゲームっぽく考えれば、モンスターを全滅させた時点で経験値の獲得処理が行われるってことか?

 

 この仕様は、俺にとっては困りものだ。


「経験値が得られるなら、一体だけ倒して『逃げる』形でもレベル上げができたんだけどな……」


 とはいえ、そんな方法じゃ普通の探索者と比べて稼ぎの効率が悪すぎる。



 今度は③。


『「逃げ」た場合でも、SPとお金、ドロップアイテムは手に入る。』


「経験値は入らないのに、SPは入るんだよな。どういうことなんだ?」


 これまたゲームで考えるなら、経験値とSP・お金・ドロップアイテムの処理は別ってことか?


 経験値はモンスターの全滅時に判定するが、SP・お金・アイテムは一体ごとに判定してるとか?


 どうして経験値だけが別処理になってるんだ?


 しばらく考えて、俺は気づく。

 

「……ああ、そうか。経験値は頭割りだ。戦闘終了時の生存人数が確定しないと、分配処理ができないのか!」


 経験値はパーティの人数で頭割りされる。

 たとえば、5人パーティが1000の経験値を得たとすると、一人当たりの獲得経験値は200となる。

 でも、もしその戦闘でメンバーが一人死んでしまったら?

 1000の経験値を4人で分けて、一人当たりの経験値は250となるはずだ。

 だから、戦闘が終わってみるまでは、一人当たりの経験値が確定しない。

 

 一方、SPは同じ値が全員に与えられる。

 戦闘でメンバーが減っても、生き残りがその分多く得られるわけじゃない。


「じゃあ金は? 頭割りだよな? いや……そうか」


 お金には、モンスターを撃破するごとに演出がある。

 モンスターが消えたあとに残されたマナコインが、光となってスマホに吸い込まれるという演出だ。


 マナコインという現物があるから、モンスターを一体撃破するごとに回収と分配が行われるってことなんだろう。


「ドロップアイテムは……まあ、わかるかな」


 ドロップアイテムの種類や個数がパーティの人数に左右されることはない。

 倒したモンスターに応じて得られるものが決まってる。

 モンスターを撃破したタイミングでドロップアイテムが確定するというのは、直感的にもわかりやすい。

 

「経験値だけは、戦闘終了時のパーティの人数を『見て』から処理される。でも、それ以外のものはモンスターを一体撃破するごとに処理される……」


 実際のところはわからないが、俺に思いつく範囲でこれ以上に説得力のある説明はなさそうだ。



「……ってことは、さっきのやり方をくりかえせば、スライムの撃破SP2を稼ぐことはできるってわけか」


 経験値は得られない。

 お金は得られるが、「逃げる」たびに所持金の50%前後を落としてしまう。

 それでも、SPだけは確実に得られるということだ。


 SP以外で残るのはドロップアイテムくらいか。

 ちなみに、10回の試行でポーショングミは8個落ちた。

 wikiにはそんなに落ちるようには書かれてなかったから、ひょっとすると幸運の高さが影響してるのかもしれない。

 お金を落とす分をドロップアイテムの売却で埋め合わせることはできるだろうか?

 いや、ポーショングミじゃ厳しいな……。


 結局、「逃げる」で得られるのは撃破時SPの2だけか……。

 

「……ん? 待てよ。さっきまで獲得してたSPは『3』じゃなかったか?」


 DGPで「天の声」のログをチェックする。


 やはり、《SPを3獲得。》となっていた。


 wikiの誤記か?

 いや、こんな誰もが倒すモンスターのSPに誤記があったら、とっくの昔に訂正されてるはずだ。

 

「ああ、そうか。獲得SPはモンスターとのレベル差で補正がかかるんだったな」


 モンスターのレベルが探索者のレベルより高いとSPが増え、低いとSPが減る。


 具体的には、モンスターのレベルが自分より1~9高いと獲得SPが1.5倍になり、10以上高いと2倍になる。

 逆に、モンスターのレベルが1~9低いと獲得SPは1/2になり、10以上低いと獲得SPは0になる。


「さっきのスライムは俺よりレベルが1~9高かったってことだな」


 俺、スライムよりレベルが低いのか……。


 って、そんなことで凹んでどうする。

 なりたてなんだからしょうがないだろ。

 

 ともあれ。

 さっきの獲得SPが3だったのは、スライムの撃破時獲得SP2が1.5倍になったからだな。


「低レベルにもメリットはあるってことか」


 まあ、モンスターを倒していればレベルが上がって、レベル差補正なんてすぐになくなってしまうわけだが……。

 

 

「……って、待てよ?」



 モンスターを残した状態で「逃げ」てしまえば、経験値は手に入らない。


 当然、レベルも上がらない。


 だが、今のこの世界で、強くなる手段はレベルを上げることだけではない。

 

 ときにそれより重要となってくるのが、スキルの取得だ。

 

 たとえば、いくら能力値が上がっても、スキルなしに魔法は使えない。

 

 さらに、スキルを取得すると、能力値にボーナスがつく。

 

 俺が最初に覚えた「火魔法」なら、MPと魔力にそれぞれ+50、合計100ポイントのボーナスがついている。

 「火魔法」の取得に必要なSPが100。

 スキル取得に必要なSPと同じだけのボーナスがつくという仕組みらしい。

 

 ボーナスが100というと大きく思えるが、それは俺のレベルが低いからだ。

 前にも話した通り、レベルアップ時の成長幅はレベル1のときの能力値に等しい。

 レベル1のときの能力値がすべて10の探索者がいたとすると、そいつはレベルが上がるごとにすべての能力値が10ずつ上がる。1レベル上がったときに上昇する能力値の合計は、8項目に10ポイントずつで80だ。

 そう考えると、100というのはそこまで高いとも言えないだろう。

 

 SPの稼ぎにくさを思えば、素直にレベルを上げたほうが確実だ。 

 

 でも、基本の能力値がピーキーな俺は、普通にレベルを上げただけではステータスが偏る一方になる。

 とくにHPと防御力が低いのは致命的――文字通り、命に関わる問題だ。

 

 レベル1でHPが7の俺と、さっきのオール10君を比べよう。

 俺とそいつがともにレベル30になったとしたら、俺のHPは210で、そいつのHPは300だ。

 3の差が、90にも開いてしまう。

 ついでに言うと、HPはとくに重要な能力値なので、11以上の探索者も多いらしい。

 

 レベルが上がれば獲得SPの格上補正はなくなるのに、能力値の格差は広がっていく。

 他の探索者にくらべて低い能力値で、高レベルのモンスターとの戦いを強いられるということだ。

 自分のレベルに応じた敵と戦わないことにはSPが稼げなくなるのだから。



 でも、もしレベルを上げずにSPだけ・・を手に入れる方法があるとしたら――?


 

「いや、『もし』じゃない。その方法は、存在する」


 他でもない、俺の手の中に。


「これって……俺しか気づいてないんじゃないか?」


 この狂った現代において、探索者のレベルは単なるゲームのステータスじゃない。

 社会的な地位ステータスでもあるのだ。

 それを、あえて低く抑える意味はない。

 

「そもそも、格上のモンスターを相手にするのはリスクが高いよな」


 レベルを抑えることで獲得SPは増えるとしても、1.5倍程度では危険に見合うとは言えないだろう。

 格上のモンスターを一体倒す時間で同格のモンスターを二体狩るほうが、早くて安定もするはずだ。

 

「……いや、それだけじゃない」


 経験値には、レベル差による補正がかからない。

 もちろんレベルの高いモンスターのほうが得られる経験値は多いのだが、安全を重視するなら獲得SPを犠牲にしてでもレベルの低いモンスターと戦うだろう。

 これはゲームではなく現実なのだから。

 

 それに、


「芹香が言ってたな。狭いダンジョンで逃げ切るのは難しいから、戦ったほうが安全だと」


 逃げられない前提なら、なおさらモンスターよりレベルを高くしようとするはずだ。

 ダンジョンに出現するモンスターのレベルなんてwikiを見ればすぐにわかる。

 まともな探索者なら、格上が出るダンジョンにはそもそも立ち入ろうとしないのではないか?


「そう考えると、『逃げる』以外の逃走系スキルも需要がなさそうだよな」

 

 「逃げる」のような悪ふざけじみたデメリットがなかったとしても、そもそも探索中にモンスターからの逃走が必要となるような事態が滅多にない。

 たびたびそんな事態に直面してるようでは、遠からず探索中に命を落とす。


 「逃げる」以外の逃走系スキルの持ち主も、いざというときの備えくらいにしか考えてないのかもしれないな。


 もしそれが固有スキルなら、ついさっきまでの俺と同じように「ハズレを引いた」と思ってる可能性もある。


 昨夜ネットで散々調べたが、逃走系スキルの有効活用なんて話は、ただの一件も見つからなかった。



「この稼ぎができるのは……世界で、俺だけ?」


 

 言葉にした瞬間、身体の芯がぞくりと震えた。

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