第8話

 この人と過ごしてわかったのは顔の良さとは対照的にある腹の悪さだ。顔に釣られてやってきた令嬢をあしらって「どうしたんです?」なんて微笑んでくる。

「なんでもありません。公爵様」

 嫌味ったらしく読んでみるが涼しい顔をしていて意に返さない。この人は王室主催のパーティーへと私を引き連れてやってきた。完全に虫よけだ。この人、こんな顔してますけど腹黒ですよ。トリシア様と想いあってるくせに私と契約結婚してるんですー。って熱い視線を寄せてくる令嬢方に教えてあげたい。無理だけど。

「アメリア。君がいてくれたおかげで今日は女性が少なくて助かります」

 でしょうね。私、めちゃくちゃ睨まれましたから。

「こういう場ではやはりパートナーがいる方がいいですね」

「そうですか」

「今日は付き合わせてすみません」

「いえ、これも仕事ですから」

「ええ、ですからきっちり務めてくれると助かります」

 笑顔がこわいんですが。

 それにさっきよりも密着してません?

「すみません。団長」

 公爵様ことクラウス・ラグドール=ジルは王室直属の騎士団に所属している。王室主催のパーティーとはいえ声がかかるのも仕方がない。

 話を終えたクラウス様がなにかを言う前に口を開く。

「私は大丈夫です。お仕事をされてください」

「……わかりました」それだけ言うと踵を返して行ってしまった。

 颯爽として後ろ姿までかっこいい。

 あんな人が結婚相手なのか。

「これはこれは公爵夫人」

 割と近くから男性の声が聞こえまだ挨拶をしていなかった人がいただろうかと務めて明るく声を上げる。

「はじめましてっ、……って、ジャレット、あなたどうしてここに」

「俺は馬車を納品した関係で王室に招待された。お前こそなにしてるんだ」

「いや、私は」

 なんでこいつがここにいるのよ。

 契約結婚した夫についてパーティーにやってきましたなんて言えるはずがない。

「えーっと……」

 しどろもどろになったのをどう受け取ったのかため息を吐いて機嫌が悪そうな顔をしている。

「わかった、俺がなんとかする。来い」

「なっ」

「お前どうせ食事に釣られて忍び込んだんだろ」

 あなたの中の私はどこまで食い意地が張ってるのよ。酷くない?

「ちょ、ちょっと待ってよ私」

 反論する暇もなく腕を掴まれる。

 これはまずい。

 いまここを離れたらなんて言われるか。

 彼の冷たい笑顔を浮かべてぞっとして止まることを試みればジャレットとの歩幅の違いからついて行こうとした足運びを間違えて転びそうになって目を瞑った。予想していた痛さはない。おそるおそる瞼を開く。

「……大丈夫か?」

 声を辿っていくとわりと間近にクラウス様の顔があった。金色の髪の間から青い目がのぞく。なんて美しいんだろう。そう、この人顔が良いのだ。ぼうっとしていると名前を呼ばれて間抜けな声がもれた。

「大丈夫そうですね」

「す、すみません、」距離の近さに慌てて退こうとするも抱きしめる力が強くなって狭まった距離に身体が固まる。

「ボロが出たら困るんです。彼は誰ですか」

 私に聞こえるくらいの音量で耳に声を吹き込む。

「昔馴染みです」

「あなたとわたしのことは」

「知りません」

「わかりました」

「悪い、大丈夫かアメリア?」

「ええ」

「あんたも、怪我はないか」

「大丈夫です」

 差し出されたジャレットの手を断って立ち上がってから私のドレスについた埃を払う。

「申し訳ありません。私は大丈夫ですから」

「いや、アメリア君に怪我がなくてよかった」

 親しげな様子に訝しげな視線を向けてくるジャレット。

「アメリア、紹介してもらってもいいですか?」

「彼は、ジャレット・スタンリード。ジャレット、こちらはクラウス・ラグドール=ジル」

 どういった知り合いなんだ。とでも言いたげな視線を向けられる。

「えっと、彼は……」「わたしはアメリアの夫です」

 またしても眉を顰めて瞬きをしてからなにを言っているんだ。と言った視線を向けられる。そうですよね。ジャレットわかる。と視線だけで答えると視界を塞がれた。正確に言えばクラウス様の背中によってジャレットがみえなくなってしまった。

「妻を助けていただきありがとうございました。あとはわたしがついていますので。どうぞお気遣いなく。では我々は失礼します」

 手をとり踵を返した背中に声がかかる。

「待ってくれ」

「まだなにか?」

 声も表情も穏やかなはずなのに、肌に痺れが張り付くような緊張感がある。

「いまのはどういう意味ですか」

「そのままの意味ですが」

「……アメリア、お前結婚したのか?」

「え、ええ」

「もう構いませんか?」

 答えるよりもはやく手を引かれる中で振り返るとジャレットは呆然としていた。

「ジャレットごめん、また」

 人混みの向こうへと消えていき最後まで言い終えることができなかった。






 パーティー会場から抜け出して喧騒を背に階段を降りて歩いていく。人通りはなくあたりは暗く夜目がきかない中をクラウス様はまるでみえているように歩いていく。圧倒的にちがう歩幅についていくので精一杯でいくら声をかけても先程から反応が返ってこないと思ったら立ち止まってため息を吐いていた。

「アメリア、君は、隙がありすぎます」

 もしかして怒ってる?

 振り返ったクラウス様の顔が見えない。けれどその声には苛立ちが含まれていた。

「どういう意味ですか」

「先程の彼もそうです」

「ジャレットはべつにそういう人ではありませんから」

 扉の開くような音が聞こえその中へと乱暴に放り込まれその上からクラウス様が覆いかぶさってきたのが息使いでわかった。頭の横に両手を突かれぐっと距離が縮まり暗闇の向こうにクラウス様が見えた気がしたが身動きが取れず身体が固まった。

「では、こうなったら、説き伏せることはできますか?」

「ジャ、ジャレットは」

「悪いけど、いまは君の口からわたし以外の男の名前は聞きたくない」

 ……クラウス様?

「君が悪いんじゃない、これは嫉妬だ。すまない今はわたしの顔を見られたくはない」

 クラウス様が覆い被さるのをやめたのがわかって確認すると彼は顔に手を当てて深い深いため息をついていた。

 近づいてその手に手を絡ませて解いていく。

 クラウス様の瞳は揺れていた。

「私はクラウス様の妻ですよ。それ以外になにがあるというんです」

「君はわかってない。アメリア。君はわたしのものだ。どうか行かないでくれ」

 髪に触れて髪の先に口づけをする。

 やることがいちいち様になっていて思わず見惚れてしまう。

 絞り出すような悲痛な声はまるで愛されているような気になってしまう。

「大丈夫ですよ」公爵様。

 明確に自身の中で線を引く。間違えて踏み込んでしまわないように。分はわきまえている。これは契約結婚。そこに愛はない。

 今日は王室主催のパーティーで、これは彼の周りに対するパフォーマンスだ。




 *




 醜態を晒したと思った。

 完全にまずいことを口走った。

 彼女はわたしのことを好きではないのにそうあってほしいと思ってしまった。

 女性を押し倒すなど、あってはならない。

 馬車の中は沈黙で重い。

 ああ。こうならないようにしてきたはずだったのに彼女とあの男が笑いあっているのをみたら頭に血が上った。彼女の言葉など聞かず彼女を組み敷いて自由を奪おうとした。

 それでも彼女はわたしを見なかった。

 最初はたぶんこちらを見ていた。

 やっと、君を手に入れられたと思ったのに。思ったとたんにすり抜けていく。彼女はわたしとの間に明確に線を引いている。

 そもそも契約結婚なんて申し込むべきじゃなかった。

 でもそれ以外で彼女が来てくれると思わなかった。

 一緒に住めばわたしを好きになってくれるかと思った。

 いま思えば完全に馬鹿なことをした。

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