第7話
クラウス様はここ最近邸には帰ってこない。
仕事が忙しいらしく泊まり込みだと聞かされていた。
おかげで買い物をする時間もないらしく正直私としてはほっとしていた。
クラウス様の書斎をのぞいてみるとそこには壁に並んだ本棚と机や椅子、その他の家具があるだけで誰もいなかった。
ほんとうにいないんだ。
「アメリア様?」
背中に声がかかる。
振り返ると扉の向こうにスペンスが立っていた。
手にトランクを抱えている。
「これは旦那様に着替えを持って行こうかと。良ければ奥様もご一緒にどうですか? 旦那様も喜ばれますよ」
ここで断ったら不審に思われるかしら。
「ええ、ぜひ」
「では私は馬車を回してきます」
スペンスを見送ってもう一度部屋を見渡すとなにか落ちているのに気づいた。
「なにかしら」
引き出しが開いて床には折り畳まれた紙がいくつか落ちていた。
拾ってみるとそれはクラウス様宛の手紙だった。
差出人にはトリシアと女性の名前が書かれている。
見てはいけないと引き出しに仕舞おうと思った時「また会いたい」と見えてしまったその一文に心が痛んだ。
日付をみるに私がここに来てからも手紙のやり取りは続いているらしかった。
こんな風に大切に机の引き出しにしまってあるなんて。
クラウス様はこの女性のことが好きなのかもしれない。
「アメリア様ー準備が整いましたよー」
「い、いま行くわっ」
馬車に乗るのは私の楽しみのひとつなのにいまははやく過ぎていく景色が憂鬱でしかない。
まるで見てはいけない他人の秘密を見てしまったようだった。
どうしてクラウス様はあの女性と結婚をしなかったのだろう。
手紙からは本当にクラウス様のことを愛しているんだと伝わってきていた。
契約結婚なんてしなくてもあの人と結婚をしたらよかったのに。
そうしたら無駄な時間やお金や労力を使わずに済んだのに。
王室直属の騎士団は王室の中に築かれそのほとんどを王室に捧げいつ如何なる時も王室のために忠義を尽くす。
そのため王室の一画に騎士団の生活する住まいも設けられていた。
団長になれば団員とはべつに邸を丸々使うことを許されていたがクラウス様はそうはせずに自身の邸で暮らしていたが今回はその時間さえも惜しいくらいに多忙なのかもしれません。とスペンスが簡潔に話してくれた。
馬車はメインストリートをのぼり王室の門を入って行く。門から王宮へはいくつかの道を曲がっていく途中を枝分れした先の邸がクラウス様が滞在している邸だった。
クラウス様の邸よりは小さくも人ひとり暮らすにはじゅうぶんすぎるほどの建物だった。
せっかくですから旦那様を驚かせてみましょうか。とにこやかに口にしてスペンスはドアノッカーを叩いて声を張り上げる
「旦那様、私です。スペンスです」
少しすると扉が開き労う声が聞こえふたりで言葉を交わしていた。
手紙のことが頭をよぎりいたたまれなくてスペンスの後ろに隠れていると「では私はこの荷物を運んできます」と離れてしまいスペンスがいなくなったことでクラウス様と対面することになった。
「ア、メリア?」
「クラウス様、えっと今日は私……」
久々に顔を見たような気がした。
喜ばしいことのはずなのに手紙を見た申し訳なさから目を合わせることができず上げていた顔も落ちていきどう声をかけたらいいかわからなかった。
俯いた視界の先に影が落ちたと思ったら背中に手を回され引き寄せられ驚いてぎゅっと目を瞑るとクラウス様のにおいに包まれる。
「アメリア」
おそるおそる目を開け顔を上げると顔をのぞきこまれていた。距離の近さに身じろげばクラウス様が抱きしめる力を強める。
「ク、クラウス様!?」
頭にそえられた手は頬へと流れ落ちていき「顔をもっとよく見せてください」顔を引き寄せられ睫毛のさえも数えられるほど近くにある距離に目眩がしてしまいそうだ。
「……ほんとうにアメリアなんですね。あなたに会えずどんなにつらかったか……」
私の肩へと頭を預け感情を吐露するようにかすれた声が耳に届いて胸が締め付けられた。
もっとよく見せてと顔をのぞきこまれ距離の近さと恥ずかしさから「ま、待ってください!」思わず彼の口を手で塞げば頬に伸ばした手が私の手へと重なり指を絡められそこにキスをされた。
びくつく反応をすると嬉しそうに口角をあげた。
これは彼がなにか悪いことを考えている時の表情だ。
「ク、クラウス様、冗談も程々にっ」
「冗談、ですか。でも、そうですね。いまここであなたを食べてしまいたいくらいにあなたに会えて嬉しいんですよ、私は。この意味がわかりますか?アメリア」
見つめられ身体は熱くなっていき呼吸がうまくできないのにどこか冷静な自分がいる。
本当に、本当にすごいなぁ。
ただの契約結婚なのに、ここまで切り替えられるんだ。
やっぱり今日は来ない方がよかったかもしれない。
スペンスにまかせて途中で帰ればよかった。
「……アメリア?」
「あれ、クラウス団長?」
声が聞こえ慌てて彼の腕の中から離れる。
顔見せたのはクラウス様と同じ紋章を胸にしるした青年だった。
「団長、もしかしてこの方は……」
「妻のアメリアだ」
あんまり嬉しそうじゃない。
それはそうよね。
紹介したくないよね。
「やっぱり! 新聞で拝見いたしました。団長とお茶をしていた方ですよね」
「は、はい」
「ちょうど居合わせたやつが奥様と話されて団長に殺されるかと思ったって泣いてましたよ」
「睨んだつもりはない。そもそも私の妻に軽薄に声をかけたそいつが悪い」
「団長怒るとおっかねーもんな」
顔を見せたのはまたちがう騎士団の団員だった。
「わかる」
「奥様を本当に愛されているんですね」
「お前たちあまり近づくな。怖がるだろう」
「今一番怖い顔をしているのは団長ですけど」
「確かに」
「あーうるさい黙れ」
咳払いをしてこちらに向き直ると少しだけ気恥ずかしそうに目を泳がせていた。
「アメリア、ここまで来るのはたいへんだったでしょう。少しだけ涼んでいかれませんか」
「うわー団長が敬語で話してる」
「あーもーお前たちどっかいけ」
「これ以上は邪魔しませんよ。奥様ではまた」
敬語。普段は敬語を使わないんだ。そっか、私は親しくないから。
「あの。私帰りますね」
「送ります」
「いえ。馬車を待たせてありますので」
これ以上一緒にいたらつくられたクラウス様を知ってしまいそうでこわかった。
あの手紙を知ってしまった後では、私との間には壁があって私が見ているのはその壁なような気がした。
「アメリア? 大丈夫ですか。顔色が」
伸ばされた手から距離を取ってからそれを気にしないようにできるだけ明るく答える。
「はじめて王宮に来たので緊張してしまったのかもしれません。もう帰ります」
返事は聞かずに踵を返し停留所へと向かいスペンスを待っていると走ってやってきた彼は「申し訳ありません奥様、私は残って旦那様の雑務を終えてから邸に戻ります」と困った表情をしていたので「そう、わかった。私のことは気にしないでクラウス様の力になってあげて」と答えて見送る彼が角の向こうに消えてから息を吐き出す。
窓の外をぼうっとみおくっていると馬車の速度が緩やかになりやがて止まった。
どうたのかと様子をみると御者と王宮の女性がなにか話していた。それからこちらにやってきて御者が扉を開けた。
「わたくしは王女様の侍女のデリアです」
不躾にすみません、王女様のトリシア様がいなくなられたのです。お見かけしていませんか。腰まで伸びた栗色の髪で白いドレスを着ているんですが」
「私はアメリアです。お力にはなれませんがトリシア様が見つかるのをお祈りしております」
お礼を述べてからデリアが去っていった姿を振り返った時、木々の間で男女が抱き合っていたのが目についた。それはよく知っている男性と腰まで伸びた栗色の髪の白いドレスを着たとても綺麗な女性だった。それからふたりが顔を寄せ合ったところで景色は後方へと流れていった。
茫然とその姿を見送る。
あれは、トリシア様? それと、クラウス様?
そういえばトリシアってどこかで、そうだ確か手紙の。まさかあの手紙は王女様のもの? そういえばあの手紙には紋章が記されていた。
じゃあクラウス様の想いを寄せる方は。
『あなたに会えずどんなにつらかったか』
あーそういうこと。そう、へえ。私に触れた手で彼女を抱きしめるのね。
だから彼はあんな嘘を。
結婚しないんじゃなくてできなかったんだ。
あの時ぶつかったのがたまたま私だっただけでほんとうに彼ははじめから誰でもよかったんだ。
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