第6話

「アメリア様」執事のスペンスだった。

「旦那様から渡すようにと」

「そう。ありがとうスペンス」

 扉を閉めてと封を開けると一枚の紙が入っていた。小切手だった。先週からクラウス様はこうして小切手を渡してくる。引き出しの中は小切手で溢れかえっていた。

 意図がわからない。

 あれからクラウス様は仕事が忙しいらしく顔を合わすこともないため真意はつかめない。クラウス様との必要以上の接触は減り穏やかな日々は続いていたがこのまま邸にこもっていると気が滅入ってしまいそうだった。

 掃除は必要ないし。

 買い物も必要ない。

 料理も必要ない。

 なにかをつくってもあげる相手もいない。

 この生産性のない時間をどう有効に使うか悩んでいた。

「アメリア様? どうかされました」

「メアリー」

「今日は旦那様も夕飯をご一緒されるそうですよ」

「そんなことより暇なの。なにかないかしら」

「……そうですね。私には仕事がありますから暇というのはわかりかねます」

「それよ……っ!」

「アメリア様?」

 仕事だわ。私に足りないのは仕事よ。

 お金を稼げば少しは充実感を得られるはずだわ。

「さっき、旦那様と夕食を共にできるって言ってたわね」

「はい」

 ちょうどよかったわ。

 今日話してみよう。

 それまでに働き先の目星をつけておかなくちゃ。

 様々な働き先の中で真っ先に浮かんだのはクラウス様に連れて行っていただいた馬車の博物館だった。

 もし働くならあそこがいい。

 駄目だとは思いつつも問い合わせを試みると博物館の事務員募集の案内をされた。

 でもひとつ懸念があった。ジャレットだ。

 この前訪れた時に見た馬車は期間限定の展示だったたはずだからもうジャレットがいることはないだろうと辿り着いて胸をなでおろした。






 夕食時、机の向こう側に座った人物にどう話かけようか考えるうちに食事は進んでいき切り出せたのはクラウス様が食事を済ませる直前になってだった。

「あの。お願いがあるのですが」

「なんでしょう」

 食事の手を止めて顔を上げたクラウス様に緊張をしつつも深呼吸をして話を切り出す。

「働きに出たいのです」

「わかりました」

「それは働きに出てもいいということですか?」

「はい」

「ほんとうですか、ありがとうございます」

 やったわ! これでお金を稼ぐことができる。

 もっとなにか言われるかと思ったけど拍子抜けだ。

 でも、これで時間を無駄にしなくてもいいいわね。

「明日、さっそく行ってみようと思うのですが」

「明日わたしは仕事が入っているのでスペンスを連れて行ってください」

「わかりました」






 スペンスと共に訪れると見覚えのある人物が迎え入れてくれた。

「あの、館長さん」

「ああ君かい。聞いているよ」

「じゃあ今日から頼むよ」

「今日? 今からですか?」

「妻と旅行に出かけるんだ。だからその間を君に頼みたい。残念なことにあまり人がこないんだ。だから君ひとりでも大丈夫だろう」

「ですが私今日は、」

「万が一来客時の対応は一通り書き出してあるから読み込んでくれ。ちなみに、馬車内に乗っても構わないよ」

「引き受けます!」

「アメリア様っ!?」

「大丈夫よスペンス。あなたはあなたの仕事があるでしょう。私は帰りに馬車でもひろって帰るわ」

「ですがそれでは危険にございます」

「大丈夫よ」

 だって今からまた邸に戻って一日を過ごすなんて嫌。絶対嫌。

「わかりました。これは旦那様にも伝えた上で業務終了の頃迎えに参ります」

「構わないわ」

「話はついたかい」

「はい」

「じゃあ頼んだよ」

 館長さんとスペンスを見送って、館内に戻って歓喜して躍り上がる。

 ──やった!

 こんな場所に一日中いれるなんて。なんて幸せなのかしら。

 掃除と称して馬車に触れてみたり後学のためと称して馬車内に乗ってみたり完全に自己のためだ。

 だってこんなに馬車があるんだもの。

 はぁ。幸せすぎる。






「おい、お前」

 身体が揺らされる感覚に微睡から瞼をあげると男の顔が間近にあって頬を思いっきり叩いた。

「きゃああっ! いやああっ! なにすんのよ離れなさいよ!」

「いってーっ。な、なにすんだよ、わっ、蹴るな馬鹿」

「それ以上近づかないで変態」

 慌てて身体を起こして体勢を整える。

 なにか武器になるものはとあたりを見渡すが生憎ここは馬車の中で唯一の出口は変態が塞いでいる。

「誰が変態だ。暴力女」

「変態じゃないの。人の、しかも女性の体に触るなんてなに考えてるのよ」

「俺はお前が寝てたから起こしただけだ。館内に閉じ込められる前に声をかけてやったんだ感謝してさっさと俺の馬車から降りろ。それは俺が造った馬車だ」

 男が馬車から降りていくと逃げられる空間が出来上がった。

「どこの誰か知らないけどこれは……」

 あれ、待ってこれを造ったのって確か。逡巡して血の気が下がる。

「……ジャレット? まさかあなたジャレットなの?」

 まだ降りないのかと不機嫌そうに視線を向けてくる男に「私よ私。アメリア」と伝えれば誰だとこちらの顔を不躾に見てきたと思ったら「あー」と声を上げようやくわかったらしかった。

「で? お前がなんでここにいるんだ」

「私、ここの館長をしているの。代行だけど」

「そういやあのおっさん旅行に出かけるとか言ってたな。代行だとか言ったが館長なんて仕事がお前につとまるのか」

 こいつ今鼻で笑った。

 思い返せばこいつは昔からこうやってなにかと突っかかってくるやつだった。

「ジャレット、あなたこそ馬車の技師なんてつとまるの?」

「お前さっきこの馬車のこと褒めてただろ」

 確かに褒めた。

 だって、ほんとうに最高なんだもの。

 ジャレットが造ったものというのがなんとも歯噛みする思いだが実際乗ってみるといかに乗る人のことを考えているのかわかる。

「それよりよだれついてるぞ」

「嘘」

「嘘だ。こんなのに引っかかるな馬鹿」

「馬鹿っていう方が馬鹿なんだから」

「じゃあお前も馬鹿だな」と飄々と口にするジャレット。

 あれ?

 私そういえばあの馬車を褒めたのって寝る前じゃなかった?

 そこから待ってたなんてまさかあいつ私の顔に落書きとかしてないでしょうね。

 装飾品に映った自身を見つけて確認するもどうやら思い過ごしのようだった。

「おい、行くぞ」

「なんで私があんたについて行かないといけないのよ」

「俺が館内の鍵を持ってんの。一晩ここで過ごしたくなかったらさっさと歩け」

 ほんとうにいちいちいちいちむかつくやつ。少しは黙れないのかしら。

 ジャレットについて周り館内の戸締りをして電気を消して入り口の戸締りをして外に出るとまだ陽が高かった。

「乗れよ。送ってく」

「あなた、馬車を操れるの?」

「当たり前だろ。馬車を造ってるんだから」

「すごい」

 私の言葉に満足げに笑ってうやうやしく扉を開けてくれたジャレット。

「でもよかったの?こんなにはやく帰って

「今日は初日だったんだろ」

「ええ、まあ」

「俺もはやく帰って休みたい」

 馬車に揺られているはずなのに身体に伝わる振動がほとんどない。

「ねえ、これどうやったの。あまり揺れないんだけど」

 窓越しに問いかける。

「秘密だ。で、この先は?」

「えーっとここを曲がって、」口を継ぐんだ。

 どうしよう。クラウス様の邸はすぐそこだ。

「あ、えっと。ここで大丈夫ありがとう」

「このあたりは貴族たちの邸が居を連ねるエリアだろ。お前、ここに住んでるのか?」

「あ、えっと、そう。私侍従をしてるの」

「お前が?」

「そうよ」平静を保って答える。

「お前のことだ高そうな花瓶とか割ってそうだな」

「うるさいわね」

「まあせいぜい頑張れ。じゃあまたな」

「うん、ありがとう」

 久々に見知った顔を見つけ安堵したと共に脚がふらついた。思っていたよりも気を張っていたのだろうか。

 はやく帰ろうと踵を返すと目の前に馬車が止まっていたそれは見慣れたもので中からクラウス様が降りてきた。

「アメリア、帰りはスペンスと一緒では?」

「今日は初日ですから帰りがはやかったんです」

「そうですか。今の馬車は一体どうしたんです」

「同僚の人が送ってくれて。それよりクラウス様はどうしてこの時間に?」

「いや、今日は仕事がはやく終わったので君を迎えに行こうかと」

 クラウス様もお仕事で疲れているはずなのに。

「これは私が好きでやっているので大丈夫です」

「わたしがしたかったから、じゃ駄目ですか?」

「え……? いや、それならいい、のかな?」

 しどろもどろになればクラウス様は満足そうに笑ってすぐ隣の座席を促した。

「ここに座ってください」

 不思議には思いつつも向かいの座席には綺麗に包装された紙袋や箱などが積み上がっていたので仕方なくクラウス様の隣に腰をおろした。

「今日は初日でしたがどうでした? 来館者はいましたか」

「いいえ、まったく」

 馬車の中で寝ていたなんて言えない。恥ずかしすぎる。

「そのかわり馬車を堪能できましたので幸せです」

 それにしても距離がちかい。

 今更距離を開けるのも不自然だろうか。

「それは良かったですね」

「そういえばクラウス様。あの無記入の小切手はなんですか」

「ああ。あれは君がなにも購入している様子がなかったのでなにか買ってくれればと渡したのですが……」

「なにを考えているんですか。無記入の小切手を送るなんて信じられません」

「お金じゃなくて宝石が良かったですか? そうすれば良かった。あれはあとあと価格も変わってきますし」

 思わず頭をかかえてしまった。

 この人はなにを言っているんだろう。

 契約結婚なんてものを提示するくらいなのだからぶっ飛んでいるとは思っていたけれどまさかここまでとは思わなかった。

「クラウス様。もう私はじゅうぶんなほどあなたからいただいております。もうこれ以上は必要ありません」

「ですがその場合契約違反になってしまいませんか? お金を払うかわりにあなたにはわたしの妻でいてもらう契約だったはずです」

「いいえ。私は日々クラウス様の養いのもと暮らしていますから契約違反にはなりません。これからは働いた分のお給金も入りますからもうああいったことはおやめください」

 背筋を伸ばしてクラウス様に言い聞かせる。

「じゃあどうしたらあなたはわたしの妻でいてくれますか?」

「なに言ってるんですか。私はもうあなたの妻ですよ」

「ほんとうに?」

「ええ。もう私はじゅうぶんなほど妻です。これ以上は求めません」

「そう、ですか」クラウス様はちらりと荷物に視線を移してから小さく溜息をついていた。

「……この荷物ってもしかして」

「ああ、それはあなたのものです」

「どうしてまたこんなものを」

 パッと見ただけで高級な店のものかがわかる。

「あなたに似合いそうだと思ったので」

 どうして私にそこまでするのかがわからなかった。

「お気持ちは嬉しいですが……」

「来週王室主催のパーティーがあるのでそこに着ていってもらえたらと思ったのですが」

「……それが私とどう関係があるんですか?」

「あなたも招待されているのです」

「はい……?」

「あなたとわたしで来てください、と」

「どうして私が」

「新聞に載ったのでそれでかと」

「それって昨日の話ですよ?」

 王室の方は仕事がはやいんですねぇ。さも他人事のように宣った。

「まあ無理して行くことはないけれど」

「いえ、出席いたします」

 王室主催のパーティーを欠席なんてしたらクラウス様の立場がまずい状況になるかもしれない。それは避けなければ。

「そうですか。ではパーティーまではまだまだ日があるからまた改めて買いに行こう」

「クラウス様」

 どうしてこの人は私にお金を使いたがるんだ。

「それか特注のものがいいか」

 もう駄目だ。この人私の話を聞いちゃいない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る