第1話
「……あなた、ここに住んでるの?」
馬車が辿り着いたのは街でも有数の公爵邸だった。
「そうなりますね」
「今更だけれど、お名前を伺っても?」
「クラウス・ラグドール=ジル」
クラウスってあのクラウス?
王室直属の騎士団に所属し幾度も勝利を収め、王室王女様との結婚も近いと言われている、あのクラウス・ラグドール=ジルなの。それがどうして契約結婚なんてものをするに至ったのだろう。引く手数多のはずで私のようなものには興味もそそられないはずだ。これはもしかしたら何かの間違いではないのだろうか。
「……あのう、大変申し上げにくいのですが」
「なんでしょう」
「間違えてはいませんか? 契約結婚の相手」
「いいえ」
「ほんとのほんとのほんとうに間違えてはいませんか?」
そうだと言ってくれるのを願って詰め寄ってみるも「ええ、間違っていませんよ」と微笑みをつけて返ってくるだけだった。
なにをどうしたら私になるのか皆目見当もつかない。これはもしかして一種のお遊びだろうか。わざとぶつかってふっかけて反応を楽しむとか。いやいやいやいやそんなことをしたら公爵としてのイメージダウンに繋がる。いやでも実は裏ではそういう人だとか?
「着きましたよ」
いつの間にか馬車は邸へと辿り着き先程まで向かいに座っていた彼が手を差し出していた。
「どうかしましたか?」
「あの、本当に、私ですか?」
「……おもしろいことを訊く人ですね。あなたであっていますよ。さあ、ここはもうあなたの帰る場所です。わたしの手をとってください」
ほんとうにそうだろかと些か不安にも思ったが不思議と足取りは軽かった。
「もう契約を交わしたのであとで間違っていたとしても受け付けませんからね」
「望むところです」
ここまで来たのなら腹を括るしかない。
少なくとも彼の身元は割れているのだから不利なのは彼の方だ。
差し出された手をかりてタラップを降りる。
見上げたお屋敷は煌びやかな装飾がされ荘厳さを纏っていて思わず背筋が伸びた。
くすくすと男からもれた笑いを聞き流し手を引かれるままその下を通って玄関扉を開けると使用人と思わしき男女が迎え入れてくれた。
「おかえりなさいませ。旦那様奥様」
「奥様、本日から身の回りのお世話をさせていただきます。メアリーと申します」
一歩前に出た女の人は私に話しかけているように感じて不思議に思い瞬きをしていると横から「君のことだよ」と教えてくれた。
そうか、私奥様なのか。聞き馴染みのない言葉は他人事のようで実感がない。
「彼女はアメリア。今日からわたしの妻だ」
「かしこまりました」
自身の名前を読まれて彼を仰ぎ見るももうひとりの使用人の男の人と言葉を交わすと行ってしまった。
え、待って。私なにもわからないのに置いてきぼりなんてあんまりだわ。
「アメリア様」
「は、はい……っ」
声に振り返ると先程のメイド服の女の人が冷たい表情を向けていて喉が鳴った。
「お部屋までご案内致します」
踵を返した彼女の伸びた背筋は彼女の性格を表しているようでアメリアは少しでもこの場に見合うように背筋を正した。
屋敷内は広くそれでいて掃除が行き届いているのか空気も澄んでいた。
そこはかとなく、昔住んでいた屋敷を思い出させる。
一際装飾された扉の前に案内されメアリーが扉を開けて中へと促している。
緊張しつつ足を踏み入れると想像よりも広く部屋が続いていた。
見渡した室内の調度品も高そうでいて上品なもので揃えてあった。
「空気の入れ替えを致しますね」
「……あのっ」
「なんでしょうアメリア様」
律儀に手を止めてくるりと振り返った彼女と正面から対峙すると少しばかり居心地が悪く感じた。
「……ここが私の部屋ですか?」
「はい。もう少し広いお部屋もございますが移動致しましょうか?」
「こんなに広いのにまだ広いなんて耐えられません。この部屋でじゅうぶんです」
「かしこまりました」
「メアリーさん」
「メアリーで構いません。敬語も必要ありません」
「……えっと、じゃあ、メアリー」
「はい」
「改めて自己紹介させて。私はアメリア・ミラ・ウィザード=カルロ。これからお屋敷に住まわせてもらいます。よろしくお願いします」
「……私はメアリー・アン・ウィニーと申します。メアリーとお呼びください。馬車に揺られてお疲れではありませんか? お茶にいたしましょう」
手際良く用意された抽出され注がれたカップからは爽やかな柑橘類の香りが湯気とともに鼻をくすぐった。
「それはどうするの?」
「こちらはアメリア様に淹れた紅茶ですので残りは破棄いたします」
「え、もったいない。一緒に飲みましょう」
カートから茶器を取り出しメアリーの手からポットを受け取ってカップに注ぎテーブルの向かいにセットしていく。
「……では、失礼いたします」
向かいの椅子に腰掛けた彼女に気になっていたことを訊ねる。
「旦那様が好意を寄せられた方、それがアメリア様に信頼を寄せるにはじゅうぶんなのです」
柔らかく笑ったメアリーに少し緊張が解れていた。
「どれにいたしましょう」
アメリア様はお肌がお綺麗ですのでこちらが合います。顔に華があるので。お胸もお尻もしっかりしてらっしゃるので。恥ずかしげもなく口にする姿に感嘆としてアメリアは心を消して虚無になることに専念していた。
お茶を飲みながら談笑していたはずなのにとため息をこぼし「もうすべてメアリーに任せるわ」そう告げると心底嬉しそうにドレスの山へと飛び込んで行った。
ドレスの新調を断ったら「奥様を着飾るのが私の唯一の希望でしたのに」と泣かれれば断れるはずもない。
呼びつけたドレスの仕立て屋と採寸を行ったり話し込んでいる姿に止めていた息を吐き出す。
こういったことはアメリアには専門外なことだった。
「なにしているんですか」と顔を見せた人物を「男子禁制です」メアリーは瞬時に扉の向こうへと追い出してから再びドレスをわけていく。
いいんだろうか。彼、この屋敷の当主でしょ。
さらに作業は続き時計の長針が数回まわった頃、一仕事終えて達成感に溢れた額の汗を拭ったメアリーの傍にはドレスの山が出来ていた。
「……だいぶあるわね」
これすべて着終わるのにどれくらいの日数がかかるのかしら。と考えて途方もなさすぎて数えるのをやめた。
「いえ、そちらはいらないものです。こちらがアメリア様のドレスです」
「……こっち?」
「はい」
メアリーが指し示したのは私が見ていたよりも高い山になっているものだった。
嘘でしょう。とへたり込む。
「明日は宝石にアクセサリーにそうそう靴もありますね」
にっこりと笑ったメアリーから二日三日と時間をかけてメアリーが奮闘した結晶を身に纏い鏡の前に立つ。体のマッサージや保湿や爪や髪の手入れを施されみるみると変わっていった自身の髪には花が編み込まれ背中で存在感を放ちドレスはウエストを最大限に細く強調している。腕から胸元にかけての生地が少し心許ないけれどレースが繊細にカバーしていた。
「やっぱり。奥様は華があるから着飾ったらもっと美しくなると思っていたんですよ。せっかくですから旦那様にお見せましょう」
そんなみせるものでもないし第一私たちの関係をメアリーはどこまで知っているんだろう。
「ほら、はやくはやく。まいりましょう。そろそろ旦那様のおかえりですから一緒に旦那様をお出迎えしましょう」
そう背中を押されれば従うしかなかった。
正直気恥ずかしくもある。
彼はどんな反応をするだろう。
大広間にふたりで待機していると扉の向こうからは馬の嘶く音が聞こえそれから人が降りて馬車が過ぎていく音。階段を靴が鳴らして登る音。そして扉が開く音。
すべてがスローになって耳に届いているのに比例して心臓の音が大きく聞こえていた。
「おかえりなさいませ旦那様」
「ああ、いま戻っ」「……お、おかえりなさいませ、……だ、だん、旦那様?」
被った上に噛んだ恥ずかしさから顔があげられずにいると旦那様が口を開いた。
「メアリー」
「はい」
「もう今日は上がっていい」
「はい」
「それから今日はわたしの部屋に人を寄せ付けるな」
「かしこまりました」
隣にあった気配は消えて視界の隅にあった靴の持ち主が屈んで顔をのぞき込んできた。
「アメリア」
私より低い位置にある顔にはめ込まれた青い色の瞳が真っ直ぐと向けられていた。
「今日はわたしと共にいてくれますか?」
差し出された掌におそるおそる手を乗せれば優しく握られる。
「わたしのために着飾ってくれたんですか?」
どう答えたらわからなかった。
撫でられた左頬が熱を持つ。
「可愛い人ですね」
熱さから逃れるように足を引いた時、腰に手を回され引き寄せられた。
「今日は、逃しません」
掬い上げるように脚と腰に手をまわされ身体が浮いた。
「へ、うわ、なに」
支えがなくなり慌てて彼の肩に掴まる。
「落ちないでくださいね」
「え、ま、待って待って待って、歩ける、歩けるからおろして」
「嫌です」
にべもなく切り捨ててそのまま歩いていくけれど私には後ろ向きのためどこに行くのかもわからない。
「で、でも、」
「あんまり暴れるなら落としますよ」
その言葉通り腰に回していた手が緩んだような気がして慌てて首に腕を回す。すると彼が満足げに口角を上げたような気がした。
「あなたは大人しくわたしに捕まっていてください」
この人、こんなに意地悪だったかしら。
それから階段を数階分のぼり廊下を進み角をいくつか曲がる。
耳にはドアを開く音が聞こえて「着きました」再び扉は閉まった。
「アメリア、おろしますよ」
「はい」
足を地面につけるとバランスを踏みたたらを踏んだところを抱きとめられる。
「大丈夫ですか?」
さっきまでとはちがったアングルで顔をのぞきこまれ落ち着いてきた呼吸がはやくなった。
「大丈夫です。ありがとうございます」
知られないように呼吸を抑え距離を取る。
「あの、つかぬことをお聞きしますが、ここ、私の部屋ではないのですが」
「あー……、今日はここで寝てもらうことになります」
「どうしてですか」
「……メアリーはあなたとわたしが今夜致すと思ってるんですよ」
「致すってなにをですか」
「結婚を迎えた夫婦が夜に人払いをし同じ部屋にいるなら行うことはひとつしかないとわたしは思いますが」
逡巡してその言葉の意味に思いいたり顔が熱くなる。
「大丈夫です。あなたには指一本触れませんしそういったこともしません、あなたはわたしのベットを使ってください。わたしはソファで寝ます」と背を向けて部屋の一画から枕とシーツを引っ張り出す彼に声をかける。
「あの、私がソファで寝ます。ここはあなたの部屋であなたは当主です」
「あなたは女性なのでベットを使ってください」
「どうしてですか」
「騎士道精神に反します」
「だったら一緒に寝たらいいじゃないですか」
「……わたしの言葉聞いていました?」
「私とあなたは夫婦なんですからなにが問題なんですか。あんな大きなベット一人寝ようが二人寝ようが変わらないでしょう」
「……そうですか。あなたがそこまで言うならわたしは構いませんが、ほんとうにいいんですか」
「問題はありません」
言い切ってから言葉を反芻して自分はとんでもないことを口にしたんじゃないかと思いにいたったけれど言い切ったものは仕方がない。
「その服では寝づらいでしょう。いくつかわたしの服を着てください」
自身を見下ろして浮かれていた自分自身が恥ずかしくなった。
「その部屋の奥がバスルームです」
「ありがとうございます、お借りします」
指定されたバスルームに入り、服を脱ごうと背中に手を回すが背中の金具に手が届かない。どうやっても届かない。
「あの……」
「……どうかしました?」
「背中の金具が下ろせなくて、お願いしてもいいですか」
髪を肩の前へと持ってきて背中を向ける。
「わかりました」
ジーっとドレスが開いていく音が耳に聞こえ、少しだけ緊張してしまう。
「はい、終わりましたよ」
支えをなくしたドレスが落ちてしまわないように胸の前を押さえる。
「ありがとうございます。すぐ出ますので」
「いえ、よければ浴槽にも使ってください。ここ数日疲れたでしょう。ゆっくり使ってください。わたしはお腹が空いたので厨房からなにかもらってきます。なにか食べたいものはありますか?」
「なにか喉を潤すものを、水をお願いします」
「わかりました」
室内には爽やかな柑橘の香りで満たされている。頭と顔と体を洗い湯船に浸かる頃には心まで解され癒されていた。
「はぁー……あったかい」
のぼせないうちに浴室を出てバスローブを纏う。
着替は、……ここかな。
寝巻きのようなものを見つけ袖を通す。ちょっと大きくて長さを捲って調整していく。
隙間から部屋の様子を窺ってみると彼の姿はなかったので時間をかけて髪を乾かしてからベットに寝転ぶと湯上りの熱気を吸い取ってくれるようなシーツの冷たさが気持ちいい。程よい疲労感と相まって瞼が閉じていく。起きてなくちゃ。でもちょっとだけなら。いい、かな。いいよね。
*
「アメリア」
改めて自室へと戻ると先日から妻になった女性が自身のベットで眠っていた。声をかけてみるも起きる気配はない。諸事情からベットを共にすることになったのだが、それにしてもあまりにも無防備ではないかとため息を吐く。
彼女を抱き上げてシーツをかけてからベットサイドにコップと水を置いておく。
『私とあなたは夫婦なんですからなにが問題なんですか』
「それがどういう意味かわかっていっているんですかねえ」
彼女の言葉通り、自身が入れるだけの隙間を開けて隣へ寝転んだ。
「おやすみなさい、アメリア」
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