愛のない契約結婚をしましょう。
花壁
プロローグ
「あなた、恋人は?」
「いません」
「結婚のご予定は?」
「ありません」
美味しい仕事があるとやってきたはずなのにどうしてこうなったのだろう。
見たところ国の役職にでもついているのか男の胸元には勲章が飾られていた。
面倒ごとに巻き込まれる前に速やかに話を終わらせて離れよう。
軽く会釈をして通り過ぎようとしたところでボリュームを上げた声が引き止める。
「この服、高かったんですよねぇ」
「⋯⋯それは脅しですか」
「いえ、ただ事実を言っているのです」
「わかりました。弁償はします」
にこりと笑った男に背筋をなぞられたような気持ち悪さを感じて無意識に喉がひくついた。
「あいにくこれは国王から賜ったものです。失礼ながらあなたに支払えるかは⋯⋯」
「なにがお望みですか」
ため息とともに吐き出したその言葉を待っていたと言わんばかりに男の口元が緩んだのをアメリアは見逃さなかった。
自身の油断した提案に心の中で舌打ちをついた。
「そうですか。では、妻のふりをするならばちゃらにしましょう」
「⋯⋯はい?」いまなんて?
「そうですか、わたしの妻になってくれますか」「いえいまのは」「それは良かった。ちょうど妻を探していたもので助かりました」「あの、ちょっと待って」
いくら恋人がいなく独身だとしてもこれは困る。
第一妻を探していたってどういう意味よ。
「ああ、勘違いしないでください。あなたとわたしが結ぶのは偽装結婚です」
どこまで失礼な人なのだろうこの人は。
「あなたのこれからの人生をお金で買わせてください。すべて面倒をみます。その代わり、妻でいてください。愛はいりません」
「⋯⋯はあ、そうですか」
やばい人にぶつかってしまった。
大丈夫ですか?と手を差し伸べて助け起こしてくれた時はなんて素敵な人かと思った数秒前の私を殴ってやりたい。
「それにあたって話を詰めたいのでどこか落ち着ける場所にでも移動しませんか?」
路地を抜けた先で指し示された馬車の扉は開かれ乗り込まれるのを待ち構えている。
御用意がいいことで。
煌びやかな馬車や男の身なりを見るに案外嘘ではないのかと傾きつつもこんな話には裏があるのが定説だ。
「なにかわたしの顔についていますか?」
「いいえ」
今更失うものなんてない。この人について行こう。どうなったとしても逃げ出せるだけの術は身に付いているつもりだった。
四頭立ての四輪馬車で赤茶色の上品な色合いに惚れ惚れしつつ馬車内部へと手を引かれるように足を踏み入れる。腰を下ろした座席にはクッションが設けられていて対面に座る男との距離の近さに少しばかり居心地の悪さを感じつつも馬車の内装には心が躍った。
「契約結婚をしましょう」男はそう切り出した。
「あれ、本気だったんですか」
「ええ」
「てっきり今からどごぞに売り飛ばされるものと」
「わたしをそんな野蛮人と一緒にしないでください」
じゅうぶん野蛮だと思うのだけれど。
「先程申し上げた通りあなたにお金を支払ってわたしの妻でいてもらいます」
「はい」
「愛はいりません」
この人しつこいな。
どれだけ自分に好意を向けられると思っているんだろう。
「でしたら私からひとつ付け加えてもよろしいでしょうか?」
「ええ、なんでしょう」
「もし、どちらかに好意を寄せる相手ができた場合契約破棄ができることも付け加えていただけますか?」
「⋯⋯それはつまり離婚を希望するということですか?」
「はい」
そこで向かいの男は考えるように黙ってしまったので話を続ける。
「もしあなたにこの先愛する人ができた場合あなたの提示する契約では不利になるでしょう。ですからお互い後腐れなく人生を生きていくためには必要かと思います」
「わかりました。付け加えましょう。続いてお金に関してですが、すきに使ってもらって構いません」
「すきに、ですか?」
「あなたでしたら負い目ががあるため無駄に使うこともないでしょう。万が一そうなったとしても供給が底をつくことはないのでご心配なく。大まかな契約としては以上です。なにか質問はありますか?」
横柄な口ぶりに本当にこの人は国に仕える人間なのかと疑わしくも思うもののおそらく悪い人ではないのだろう。
「いいえ」
訂正したい箇所はあったけれどこちらにとっても悪い話ではないのでそうすることはなかった。
「では契約成立ですね」
こうして、私は、ほんの数分前に出会った人とめでたく結婚することになった。
愛のない契約結婚を。
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