3-13.郷土料理のお店へ
マスターからの手紙と入城許可証を預かって執務室を出たわたし達を待っていたのは、壁に寄り掛かったヨハンさんだった。
そろそろお話も終わるかと思って、なんて軽い調子で笑うから、ずっと待ってくれていたのかと申し訳なくなってしまう。
「見計らって来ただけなんで、全然待ってないですよ」
「本当ですか?」
「ええ。大体僕が遠慮なんてすると思います? 暫く待ったら、お話は終わりましたかって部屋に入り込みますね」
「……何となく想像出来るのはどうしてだろうな」
ノアの言葉に思わず笑ってしまったけれど、でも……わたしも想像してしまった。
もし本当にそうやって部屋に入ってきたとしても、きっと憎めないんだろうなってそう思う。
「入城許可証が出て良かったですね」
「これもヨハンさんやジェイド殿下のおかげです。本当にありがとうございます」
「いえいえ、お役に立てたなら良かったです」
「ヨハンさんはこの国でも図書館に……?」
「通いたいんですけどねぇ。ジェイド様の目が中々厳しくて。そう思うとルガリザンドでは至福の時間を過ごせました……なんて言ったら、お二人には申し訳ないんですけど」
ジェイド殿下がもっと早く来てくれたら、時間もかからずに例の件も解決したのかもしれない。それを思わないといえば嘘になるけれど……でも、それはもう終わった事。
「またルガリザンドにいらしたら、ぜひ図書館にも寄ってくださいね。館長も寂しがっていますから」
「今度は長期休暇をとって行こうかなって思っているんですよ。その場合って図書館に泊まったり出来ないですかねぇ」
「それはさすがに、難しいんじゃないかしら……」
もし宿泊の許可なんて出してしまったら、朝から晩まで寝食を忘れて本に溺れてしまいそうだ。
自分も中々の本好きだと自認しているけれど、ヨハンさんはまた別格だ。
外に出ると、先程よりも風が弱くなっていてほっとした。
分厚い雲で太陽は隠れ、今にも雪が降りだしそう。風が弱くても寒い事には変わりないので、マフラーを口元まで引き上げた。
「このまま商会の支店に向かうって事でいいよな?」
「ええ。きっとエマさんも安心するわね」
「そうだな。手紙を託したら昼飯を食いに行くか」
「そうね。今日は何が食べたい?」
「何がいいかなぁ……とりあえずホットワインが飲みてぇ」
「寒いしね、わたしもホットワインにするわ。赤にするか白にするか……」
そんな事を喋りながらノアと歩く。繁華街である旧市街までだいぶ距離があるけれど、商会の支店までならそんなに遠くない。支店でマスターからの手紙をお願いしたら馬車を出してもらおう。
兄からは支店の馬車を使っていいと言われているけれど、迷惑にならないように気を付けないと。
支店ではわたしも知っている従業員が働いていた。
年明けからエストラーダに転勤になったそうで、毎日のように食べ歩いたら太ってしまったなんて明るく笑っていた。
この従業員はノアから剣の指導を受けた一人でもある。
ノアを見ると目をきらきらさせて、また剣を教えて欲しいと強請っていた。ノアも彼を覚えていたようで、こちらに居る間に指導の時間を取ってくれるらしい。
彼がルガリザンドへの荷物を運ぶ役らしく、「すぐ帰ってきますから!」なんて忙しなく動くものだから支店長に叱られてしまっていた。
そんな彼だけど仕事に熱心で真面目なのは知っている。マスターからの手紙を含めた荷物をしっかりと届けてくれるだろうと安心したのだった。
支店の馬車でライネル侯爵家のお屋敷まで送ってもらい、手紙を届けた。それから旧市街まで送ってもらう。
お昼時だというのもあって、人も多く賑わっている。
川沿いのテラスで食べるには天気が悪いし、今日はお店の中で食べようとノアと相談した。
お互い食べたいものはいくつか挙げたけれど、どれがいいか決めるのが難しい。話し合った結果、ノアが提案してくれた郷土料理のお店に行く事にした。
このお店は兄がエストラーダの辺境で食べたものらしくて、その話を聞いたノアはずっと食べてみたかったそうだ。
案内された店内は少し照明を落とした、雰囲気の良いお店だった。
テーブルやカウンターは半分ほど埋まっていて、賑わっているけれど騒がしいほどではない。店内に満ちるいい匂いに、お腹がぐぅと鳴ってしまった。
「お腹空いちゃった」
「分かる。店に入ると急に腹が減るよな」
「ホットワインにしようと思っていたけど、リンゴの醸造酒が名物なのね」
「カルバドスな。それにするか」
席についてすぐにメニューを開く。
二人でメニューを覗き込むのも好きだ。美味しいものを一緒に食べるのが、楽しくて幸せだから。これからそんな時間が始まるのだとわくわくする。
「カルバドスと……あとは?」
「オムレツが食べたいわ」
「了解。仔羊のローストも頼もうぜ。それから義兄さんが言ってた鶏のクリーム煮」
「このクロケットも」
一気に頼んだらテーブルがいっぱいになってしまう。
とりあえず気になるものを頼んで、あとは追加注文する事にした。
甘いものも食べたいし、お酒も色々試してみたい。
ノアが注文をしてくれて、まずお酒が運ばれてきた。
熟成が深いものを選んでくれたみたいで、グラスに注がれた色はとても濃い。
乾杯してから口に近づけると、リンゴのフルーティーな香りが立ち上る。大きく息を吸ってその香りを楽しむと、追いかけるように香ばしい香りがするのはアーモンドだろうか。
一口飲んでみると、思っていたよりも飲みやすかった。口当たりは滑らかで、絹のような艶やかさなが思い浮かぶ。
深い味わいと、喉を焼くような強い酒精。強いけれど、美味しい。
「すごい……」
「美味いな。リンゴの香りが強い。料理に合わせるのは軽いものがいいらしいから、この後はまた違うものがくるぞ」
「そうなのね。それも楽しみ」
グラスのステムを持ち、軽く揺らすとまたリンゴがふわりと香る。
グラス越しにわたしを見つめる夕星と目が合って、どうしたのかと首を傾げた。
「ノア?」
「いや……楽しそうだと思って」
「楽しいわ。お酒も美味しいし、どんな料理が来るのかわくわくしてる」
思う事を素直に口にすると、おかしそうにノアが笑う。
そういう表情は、初めて会った時から変わらない。
「俺も楽しい」
テーブルの上でノアがわたしの手を握る。
少し冷えた指先が、わたしの温度と溶け合う事がなんだかひどく愛しかった。
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