3-12.力になれるなら
強い風は室内に入り込んでいないのに、外の景色は寒さを感じさせるほどに白い。
ぶるりと体が震えたわたしは、またカップを手にして紅茶を飲んだ。温かさにほっとしながら、口を開く。
「お兄さんというと、国王陛下……よね?」
確かめるように問いかけると、マスターは小さく頷いてから、首元に持っていった手でスカーフを解いてソファーに落とした。そのままシャツの襟元も緩めて深い息を吐く。
「執務を行えるような状況ではなくてな。王妃である義姉上が代行しているが、細かな書類作業などは俺が担っている。俺の王位継承権の返上も兄が回復してからになりそうで、まだ帰れないんだ」
「病状は?」
「今すぐ命に危険があるというわけではないんだが……」
言葉を濁すマスターに、どう言葉を掛けていいか分からずに、わたしはまた紅茶を一口飲んだ。
「今更だけど、俺達が聞いていい事情だった?」
「お前達はむやみやたらに吹聴して回らないだろう」
「それはそうだけど。……何か俺達に出来る事は?」
「エマが世話になっているし、これ以上は……いや、エマに手紙を送ってくれるか」
「分かった。すぐに書けるならこのまま預かるし、俺達の宿に届けてくれてもいいけど」
「まだ時間はあるか? ノア達の宿に無事に届くかも怪しいから、出来るなら今渡してしまいたい」
「俺達は大丈夫」
ノアが確認するようにこちらを見るから、わたしも大きく頷いた。
ほっとしたように目元を綻ばせたマスターはソファーから立ち上がり、執務机に向かった。
確かに直接預かった方が間違いないのだけど、でも……何だかおかしくないだろうか。
マスターの手紙が届いていなかった事も。
ライネル侯爵家のバイスさんがマスターに連絡を取れなかった事も。
マスターの手紙がわたし達の宿に届かないかもしれない事も。
全部全部おかしくない?
だってそれじゃあまるで、誰かが意図して遮断しているみたいだ。
「ねぇマスター……」
「なんだ?」
手紙を書きながら、マスターが返事をしてくれる。
その声はいつもと変わりないのに、だからこそ何だか少し不安になる。
マスターは何に巻き込まれているのか。
「どうしてマスターは、ここに──」
「──俺が、閉じ込められているように見えるか」
わたしの言葉を引き継ぐようなマスターの言葉に目を瞠った。
机から顔を上げたマスターは眉を下げて笑った。わたしが頷いたのを見て、また便箋へと視線を戻す。さらさらとペンが走る音だけがした。
「……兄を退位させて、俺を担ぎ上げようとする勢力があるんだ。継承権があるだけの俺を傀儡にしようとする奴が、俺を城に留め置こうとしてる」
「あー……マスター、それって陛下の件以上に俺らが聞いちゃまずいやつだろ」
「この際だ、巻き込まれてくれ」
ノアは苦笑いをしているから、色々気付いていたのだろうか。
知っていて口にしなかったのだとしたら、わたしはとんでもない件に首をつっこもうとしてしまったのかもしれない。
わたしの問い掛けがきっかけなのは間違いないもの。
何だか申し訳なくなって、隣のノアに顔を向ける。
大丈夫だとばかりに夕星が細められ、わたしの背を撫でる仕草にほっと息が漏れた。
「城外への連絡も難しくてな、手詰まりかと思っていたんだが……いいところに来てくれた。頼らせてくれ」
「それはもちろん。マスターには早く戻ってきて欲しいしな」
「片付いたらすぐに戻るさ」
そう言いながら少し笑ったマスターが席を立つ。その手には二通の手紙があった。
「これはエマに。こっちはライネル侯爵家の屋敷に届けて欲しい」
「了解。確かに受け取った。返事が来たらどうしたらいい?」
「城に来てくれると助かる。入城許可証を俺の名で出しておく、が……旅行中なのにすまないな」
ノアはマスターから受け取った手紙をジャケットの内ポケットにしまいこんだ。
エマさんならきっとすぐに返事をくれる。やり取りを重ねたら、エマさんとマスターの不安も少しは解消されるかもしれない。
「だからって、俺達には関係ないなんて言いたくないだろ」
「そうよ。手伝いが出来るなら嬉しいんだから」
ノアとわたしの言葉に、マスターは薄オレンジの瞳を瞬いた。
顔を伏せると、「ありがとう」と小さな声で紡がれる。大きく息を吸って顔を上げたマスターの表情はいつも通りだった。
「国に戻る時には美味いワインを持っていく。以前婚約祝いに贈ったやつだ。兄のワインセラーから数本抜いていったって構わんだろう」
「それについては何も言えねぇ」
三人で顔を見合わせて、堪えきれずに笑い声が漏れた。
大丈夫。きっと大変な事もあっただろうけれど、乗り越えられる。改めてそう思った。
そろそろお暇しようかとソファーから立ち上がった時、部屋にノックの音が響いた。
マスターが返事をすると、静かに扉が開かれる。入室してきたのは美しい女性と、まだ小さな男の子。
「義姉上」
義姉上?
それってもしかして……。
その女性が誰なのか、男の子が何者なのか気付いたわたし達は胸に手を当てて膝を折った。
「ああ、楽になさって。ごめんなさいね、急に訪ねてきてしまって」
「ノア、アリシア。顔を上げてくれ」
マスターに促されて顔を上げる。
「義姉上、俺の友人だ。ジョエル・アインハルトとその妻のアリシア。アインハルトはルガリザンドの騎士で、アリシアは図書館で司書をしている」
「あなたの話によく出てくる二人ね」
にっこりと笑った王妃様は、少し低めの落ち着いた声をしていた。
艶のある薄茶の髪は綻びもなく纏められ、小さなティアラが輝きを添えている。紺色にも見える深い青の瞳は優し気に細められていた。
王妃様の隣に立つ王子様と目が合った。はにかんだように笑うその顔は、王妃様によく似ていると思う。顎辺りで整えられた銀髪がさらりと揺れた。
「リガスから色々聞いていると思うけれど、彼をすぐに帰してあげられなくて申し訳ないわ。この件が早急に片付くよう、わたくしも尽力しているからお待ちになってね」
「お力添え出来る事があれば、何なりと仰ってください」
「ありがとう」
美しく微笑んだ王妃様は、王子様と一緒に部屋を後にした。
扉が閉まる音を聞いてから、わたし達はやっと体を元に戻した。深くて長い息が漏れてしまうのも仕方がない事だと思う。
「……緊張した」
自分でも情けないほどに、か細い声だった。
わたしの様子にマスターもノアも苦笑いだ。
マスターは元々王族だし、ノアだって騎士として王族と関わる事があるけれど。
わたしは元々平民なのだ。王族に間近でお目通り叶う事なんてないのだから、緊張するのも仕方がない。
そう訴えるようにじっと二人を見ると、ノアもマスターも可笑しそうに笑うものだから肩を竦める以外に出来なかった。
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