3-14.何度繰り返しても

 最初の一杯を飲み終える頃、朗らかな店員さんが運んできたのはふわふわのオムレツだった。それから仔羊のロースト。

 次の飲み物はワインにする事にして、ノアが注文してくれる。

 その声を聞きながらも、わたしの視線は大きく膨らんだオムレツに釘付けになっていた。


 半分に折り畳まれたスフレオムレツ。

 動かす度にふるふると揺れるオムレツにはベーコンとトマトのソースが添えられている。


「美味しそう。すごくふわふわしてる」


 手を組み、感謝の祈りを捧げてから早速カトラリーを両手に持った。

 焼き色の着いた表面にナイフを入れる。柔らかなオムレツは少し切り分けにくいけれど、それさえも美味しそうに見えてしまう。


 取り分け用の皿に切り分けたオムレツを乗せ、ソースを添えた。バターのいい匂いがいっぱいに広がって、早く食べたいとお腹が騒ぐ。


「はいどうぞ」

「ありがとう。こっちもな」


 取り分けたオムレツをノアに渡すと、ノアが仔羊のローストを乗せた取り分け皿をわたしの前に置いてくれる。

 パン粉をまぶして焼いてあるから、香ばしい焼け目が食欲をそそって堪らなかった。


「ありがとう」


 その間に、注文していた赤ワインが届く。

 とても色の濃いワインで、ベリーやカシスを思わせる香りがした。


 さて、まずどちらから頂こうか。

 悩んだのも一瞬で、わたしはスフレオムレツへとフォークを伸ばした。


 まずはオムレツだけで食べてみる。焼き色がついたところは特にバターの味が強い。中は柔らかく口の中で溶けていく。卵の味だけだから、これにはやっぱりソースを絡めるのがいいだろう。

 そう思ってベーコンと一緒に口に運ぶ。うん、美味しい。塩気の強いベーコンとトマトの酸味が卵に寄り添っている。


「本場はソースを添えない事も多いらしいぜ」

「そうなの? 卵の味を楽しむ為かしら」

「かもな。でも俺はソースがあった方が食いやすいな」

「わたしも。でもシンプルだからこそアレンジしやすそうね」

「確かに」


 グラスを口に寄せて一口飲む。

 色合いに比べて飲みやすい、思って板よりも口当たりの軽いワインだった。ほどよい酸味が飲みやすくて美味しい。


「マスターが元気そうで安心したな」

「ええ。でもわたし、何だか寂しかった」

「寂しかった?」

「マスターはいつもと変わらないのに、そこにエマさんがいないんだもの。二人が一緒にいる姿をみるのが好きだったんだなって。安心していたんだなって、そう実感しちゃった」

「……そうだな」


 思っていた事を零しながら、仔羊のローストに目を向ける。

 骨に添って切り分けてくれているから、骨を持ってかぶりつく事にした。こんがりとした焼き目から想像出来るように表面はサクサクと香ばしい。

 下味がしっかりついていて、肉の脂とあいまってとても美味しい。


「全然クセがないのね。食べやすいわ」

「美味いな。前に砦で出た羊はマトンだったからか、独特の風味が強かったけど」

「わたしはそれも食べてみたいけど」

「砦で食うもんじゃねぇな。酒も飲めねぇし。酒と合わせたらもっと美味かったと思うぜ」

「それはマトンが? それともお酒が?」

「悩むところだな」


 肩を竦める様子にくすくすと笑い声が漏れる。

 美味しいものには美味しいお酒。それも分かるから笑う以外に出来なかった。


「マスターが早く帰れるといいんだけど」

「色々解決しなくちゃいけない事が多そうだな」

「何か手伝えることがあればいいんだけど……さすがに、ね」


 国王陛下が療養中だという事も、マスターを玉座にという勢力の件も、ちょっとスケールが大きすぎる。一般市民のわたしに出来る事なんて見つける方が難しいかもしれない。


「エマさんとのやり取りを助けるっていうのも、大事な手伝いじゃないか?」

「そう、ね……うん、そうよね」

「マスターが憂いなく色々片付けられるようにしよう」

「わたし達にしか出来ない事ね」

「ああ。とりあえず最初の手紙を届ける任務は達成したわけだし、俺達も旅行を楽しもうぜ。こっちを蔑ろにしたらエマさん達も気に病むだろ」

「確かに。それにこんなにお休みを取れる事も、二人で合わせられ事もないしね」

「てことで、昼からはどこに行きたい?」

「うぅん……」


 お昼からの予定はどうしようか。

 行きたいところはまだあるし、買いたいものもたくさんある。お土産だって選びたいし、図書館も見てみたい。

 ノアと一緒ならどこでも楽しいだろうけれど。


 食べ進めながら次の予定に悩んでいると、次の料理が運ばれてきた。


 厚みのある丸い形が特徴的なクロケットと、鶏のクリーム煮だ。

 オムレツと仔羊のローストで満足していたはずなのに、やっぱりこれも美味しそう。


「ノアはどこに行きたい? わたしは先に行きたいところに連れて行ってもらったから、次はノアの行きたいところにしましょう」

「俺か? そうだな……」


 ノアが悩みながらクロケットにナイフを入れる。

 半分に割ったとたんに立ち上る湯気に食欲をそそられて、わたしもクロケットに向かい合った。


 衣のさっくりとした感触がナイフに伝わって、すぐにナイフが深く沈む。湯気と一緒にチーズの芳醇な香りが広がった。

 小さなカマンベールチーズがそのまま包まれているクロケットを一口サイズに切り分けて、崩れた衣をチーズに纏わせながら口に運ぶ。

 熱いと分かっている。見るからに熱いしチーズだもの。ふぅふぅと吹き冷まして……我慢できずに口に入れてしまった。


「……っ!!」


 声にならない熱さに口を押えると、涙が滲んでくる。熱い息を逃がしながらゆっくりと咀嚼していると目の前のノアが顔を伏せているのが見えた。肩が震えているから笑っているのが分かる。


 わたしが熱がっているのが面白いのだろう。何度も同じ事で笑われているもの。

 それでも熱いまま食べてしまうのは、美味しいものは美味しいうちに食べるのが一番だって思っているからだ。このクロケットは熱いうちに食べるのが正解。


「……言いたい事は分かるだろ?」

「分かるわよ。口の中を火傷したらどうなるかっていう事もね」

「分かってんならいいや」


 口の中を火傷したらキスをする時に痛むって、よくそうやって揶揄われるもの。


「でも……実際、痛くした事ってないじゃない」


 ぽつりとそんな事を呟くと、ノアが深い溜息をついた。


「お前なぁ……」

「何よ」


 眼鏡や前髪で目元を隠していないノアは、その表情がよく見える。

 少し呆れたような、それでいてわたしの事が愛おしいというような顔をしていた。


「……お望みならひどくしてもいいんだけど。いつもより縋ってくれるならな」

「ば、っ……!」


 馬鹿じゃないのと大きな声を出しそうになって、慌てて口を手で押さえた。

 顔が熱い。どう返事をしていいかもわからなくて、ただノアを睨む事しか出来なかった。


「はは、真っ赤」

「もう!」


 また揶揄われた。

 盛大に拗ねてやろうと思うのに、ノアがあまりにも柔らかく笑うから。文句はワインと一緒に飲み込んだ。

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