3-9.ヤキモチ
窓側の席に案内されて、おすすめだというケーキのセットを注文した。どんなケーキが出てくるのか楽しみなほど、お店の中はいい匂いで満ちていた。
まだ午前中だからか、お店の中に人は多くない。
設置されてあるピアノは自由に触っていいようで、幼い姉妹が二人並んでワルツを弾いていた。時々止まる時もあるけれど、楽しそうに弾いている様子の二人が何とも微笑ましかった。
店員さんがワゴンを押してくる。
テーブルに並べられたのはカップとポット、それから丸くて可愛い栗のケーキ。
丸くくり抜かれたスポンジの上に、薄茶色のクリームがくるくると綺麗に巻かれている。てっぺんにも栗が飾られていて、色の濃くなって艶々の栗は甘く煮られているのが分かる。
ポットを持ち上げ、カップに注ぐと色の濃い琥珀色から湯気が舞った。
「それで……妬いたっていうのは?」
同じようにカップに紅茶を注いだノアが、気まずそうに目を逸らす。先程のまでの勢いがないから、少し気持ちも落ち着いたのかもしれない。
「……俺が知らないアリシアの事、いっぱいあるって分かってるんだけどな。分かっていても、何だか悔しかったんだ。小さい時のアリシアも可愛かっただろうし、そんなアリシアを近くで見ていたのかと思うと……」
いつもより歯切れ悪く、ぽそぽそと呟く様子が珍しい。
色々伝えなくちゃいけない事はあるけれど、でも一番強く思ったのは……嬉しいという気持ちだった。
「嬉しい」
「面倒だろ」
「まさか。だって、それだけわたしの事を想ってくれているって事でしょ」
「それはそう」
ふふ、と笑みが漏れる。
ノアはフォークで栗のクリームを掬うと、いつもより大きな口で食べてしまった。
あまりにもそれが美味しそうに見えるから、わたしもフォークをケーキに向ける。クリームを掬って口に運ぶと、ふくよかな栗の香りが鼻を抜けていく。
甘さが控えめな滑らかなクリームは舌触りもよく、後味もくどくない。うん、美味しい。
カップを口に寄せて一口飲むと、旨味の強い紅茶だった。香りがよく、口の中をさっぱりとさせてくれるほどに爽やかだ。
栗のケーキとよく合っていて、とても美味しい。
「私たちはね、幼い頃の夏休暇は祖父の領地に遊びに行く事が多かったの。わたしだけじゃなくて、姉さんも兄さんもそれをいつも楽しみにしてた。領地は王都と違って自然も多いし、祖父のお屋敷のそばには穏やかな川も流れていたから、それで遊ぶのも好きだったのよ」
「いいな、楽しそうだ」
「その夏休暇の時に、同じように遊びに来ていたのがエミルなの。エミルの親戚がお店をやっていて、そこに遊びに来ていたそうよ。年も近くて、わたし達と一緒に遊ぶ事も多くなっていたの」
わたしの話を聞きながら、ノアが眼鏡を外してテーブルに置いた。
前髪で隠れていながらも、綺麗な夕星がわたしに向けられているのが分かる。先程の機嫌の悪さはもう感じない、穏やかな眼差しだった。
「兄さんとは夏休暇以外にもやりとりをしていたみたい。わたしは夏休暇の時にしか会う事はなかったし、もう一人の兄みたいに思っていたわ。わたしはその頃って兄の後をよく追いかけていたから、面倒を見て貰う事も多かったっていうだけよ」
「そう、か。……悪い、変な事を言った」
「ううん、いいの。ちゃんと伝えてくれて良かった」
抱え込んでもいい事はないって、わたしは知っているもの。
一人でもやもやとして、でも好きな気持ちが翳る事なんてなくて、だからこそ辛くなっていく。経験したからこそ、伝えた方がいいって知っている。
「お前が【幼馴染】っていった事に嘘がないのも、彼に特別な感情を持ってないのも分かってるんだけどな。……それでもやっぱり面白くねぇのは、俺ももっとお前の事を知りたいからなのかも」
「ふふ、だいぶ言葉を選んでいるでしょ」
「そりゃあな。感情のままに喋ったら、ろくでもないことばっか口走りそうだ」
「幼馴染になりたかったとか?」
わたしの言葉にノアは肩を竦めながらも否定はしなかった。
またフォークをケーキに入れた私は、飾られていた栗を口に運んだ。もっちりとした食感に思わず頬が緩む。甘く味付けされているけれど栗の風味が損なわれる事もなくて美味しい。
ケーキを大きな口で食べ終えたノアは、紅茶のお代わりを注いでいる。
「ねぇ、ノア」
「ん?」
「わたしも一緒よ」
カップからわたしに目を向けたノアが、何がとばかりに首を傾げる。
さらりと揺れた前髪の向こうで、瞳が優しく細められた。
「わたしも、ノアに幼馴染がいたら妬いているわ」
「いないけどな」
「いたら、の話。分かってるでしょ」
軽いやりとりに、顔を見合わせて笑ってしまう。
他の誰とも出来ない、わたし達だけの特別。
「幼馴染がいて、何もないのは分かっているけど、それでも妬いちゃう。ただ知らないだけなら知っていけばいいって思えるけど、それを知っている誰かが居たらヤキモチを妬くわ」
「……一緒だな」
ケーキを食べ終えたわたしはお皿の上にフォークを置いた。
紅茶を飲んで一息ついてから、またノアへと視線を戻す。
ソーサーにカップを戻すと、わたしのポットに手を伸ばして、ノアが二杯目を注いでくれた。
ポットを置いたノアの手に、自分の手をそっと重ねる。
「わたしの小さな時の話、もっともっと教えたいわ。思い出をノアと共有したい」
「教えて欲しい。俺の事も知ってくれる?」
「もちろん。好きだったものも、悲しかったことも。色んな事を知りたいわ」
触れていた手をくるりと上向かせたノアが、わたしの手を握ってくれる。
剣を握るから固くなっているこの手が好きだという事も、伝えたいと思った。
「それにね、これからの未来は全て一緒よ」
わたしの言葉に、ノアが握る手に力を込めた。
嬉しそうに笑うその姿に、胸の奥がぎゅっと切なくなる。好きだという気持ちが溢れるから、わたしも手を握り返した。
「そうだった。……まぁそれとは別にこれからだって妬くけどな」
「ふふ、妬いちゃうんだ」
「でもその度に、こうして奥さんが安心させてくれるから。妬くのも悪くねぇな」
「旦那さんがいつもしてくれている事よ」
そんなやり取りに、また二人で笑った。
お店を出たわたし達は、予定通りの観光ルートに戻ったわけなのだけど。
あまりにもノアがわたしに対して甘く接するものだから、わたしはどうにかなってしまうかと思った。
そんな翻弄されているわたしを見て、またノアが楽しそうに笑うから。
この日の事も、二人の思い出としてずっと覚えておこうと思った。
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