3-6.予想外の人物

 ライネル侯爵家の馬車で王城に向かう。

 街並みと同じように赤茶色の屋根が目を惹く城だった。尖塔も多く、王城を囲む塀は高い。兵士の数も多く、王宮敷地内に様々な施設の集うルガリザンドの王城とはまた雰囲気が違う城だった。


 王城に行き、指輪を見せればマスターに会える。

 そう思っていたのだけど……。


「お引き取り下さい」


 わたしとノアは、兵士に門前払いをされていた。

 二人の兵は槍を交差させ、わたし達を絶対に通さないという意思を示している。警戒の強いその視線に射抜かれると、悪い事をしているわけではないのに、何だか落ち着かなくなってしまう。


「リガス氏の奥方から依頼されたのですが、難しいですか」

「お約束されていない方を通すわけには参りません」


 ノアがどれだけ言葉を尽くしても、わたし達の身分証明書を見せても、兵士の態度が軟化する事はなかった。

 分かっているのだ。兵士は自分の仕事を忠実にこなしているだけだと。ここは王城で、マスターは王弟。他国から訪ねてきたわたし達を通すわけにはいかないというのは、理解している。


 それでも、指輪を見せたら何とかなるだろうと思っていた。

 指輪はエマさんからわたし達への、信頼の証でもあるのだから。


 指輪を見せて、マスターに会って、手紙を渡せると思っていた。

 これで解決するのだと、そう思っていたから……余計に辛いのかもしれない。


「……分かりました。一先ず失礼します」


 渋い顔をしているノアがわたしの手を引いて、門から離れる。ライネル侯爵家の馬車が待っている馬車停め場の方へと歩みを進めながら、わたし達は揃って溜息をついていた。


「どうしようかしら」

「王弟殿下へお目通りを願うには、それなりの立場じゃなけりゃ難しいだろうな。領地に居るライネル侯爵を頼らせてもらうか……」

「アインハルト殿? アリシアさん?」


 これからの事をノアと相談していると、不意にわたし達の名を呼ぶ声が聞こえた。

 異国の地で、誰だろう。不思議に思いながら振り返ると、そこにいたのは眼鏡をかけた文官の男性。薄茶色の髪は長く伸ばされ、背に流されている。


 その国独特の文様が織られた文官服を着るその人は──ヨハン・エーリッツさん。アンハイム王国で第二王子に仕える人だった。


「ヨハンさん!?」

「ああ、人違いじゃなくて安心しました。まさかこんなところでお会いできるとは、奇遇ですねぇ」


 にこにこと笑いながらこちらに近付いてくるヨハンさんは、以前会った時と何も変わっていないように見える。

 その手には何冊も本を積み重ねているところも、変わらない。


「ヨハンさんはどうしてここに?」

「うちの主の付き添いでして。そういうアリシアさん達は?」


 問い掛けに、わたしとノアは顔を見合わせていた。

 ジェイド王子の側近であるヨハンさんなら、マスターに会えるかもしれない。そんな事を考えると、わたしが口を開くより先にノアが頷いた。


「王弟殿下に用事があるんだが、会えないようで困っているところだ。王弟殿下は王籍を離れてからルガリザンドで店を開いている。俺とアリシアはその店の常連で、今回は王弟殿下の奥方に手紙を渡して欲しいと頼まれているんだ」


 ノアが事情を説明すると、本を片手に抱え直したヨハンさんが、逆の手を顎に添えて小さく唸り声を漏らした。眼鏡の奥の緑の瞳が煌めいているのが見える。


「なるほど。……その件、僕が預からせて貰ってもいいですか?」

「いいのか?」

「ええ。お二人にはご迷惑をお掛けしてしまった事ですしね。ジェイド様に相談させて下さい。僕が手紙を渡す事も出来ますが……直接渡すのが一番でしょう」

「ありがとうございます、ヨハンさん」

「助かる」


 直接渡す事が出来るのなら、それは有難い。

 エマさんの様子も説明できるし、マスターからお返事を貰う事だって出来るかもしれないもの。


 光明に安堵の息が漏れる。

 前進したのは間違いないのだから。


「いえいえ。僕からの連絡は……お二人の宿に送る形でいいでしょうか」

「ああ。宿は──」


 ノアが宿の住所を伝えている間、わたしは肩越しに振り返って王城を見上げた。

 薄曇りの空に尖塔が刺さっているようにも見えて、何だか刺々しい。出入りしている人が少ないのも、不穏な雰囲気を醸し出していた。

 思えば門を守る兵士も、纏う空気がひりついていたように感じた。何かあったのかもしれないし、それは……マスターが王城から出られない事とも関係があるような気がした。


「では、またご連絡します」


 ヨハンさんの明るい声に、はっとした。知らぬ間にぼんやりしてしまったみたいだ。

 そちらへと顔を戻すと、にこやかなヨハンさんが大きく手を振って王城の方へと帰っていくところだった。


 わたしも軽く手を振って、ヨハンさんを見送った。

 

「さて……今のところ、出来る事はねぇな」

「そうね。ジェイド殿下が協力してくれるといいんだけど」

「大丈夫だろ。どうしたもんかと思っていたが、運がいいな」


 まったくもってその通りだと思った。

 行き詰まっていた道が、急に拓けたような感覚がある。偶然に感謝しながら、わたしとノアは馬車停め場の方へと歩を進めた。


 ***


 ライネル侯爵家に馬車を返したわたし達は街へと戻ってきていた。

 ヨハンさんから連絡がくるのがいつになるかは分からない。でもヨハンさんはきっと、この件を後回しにはしないだろうと思っていた。

 わたし達に出来る事は、待つだけだ。


「さて……昼飯でも食うか」

「ええ、ほっとしたらお腹が空いちゃったわ。今日は朝からずっと緊張していたから。ノアは何が食べたい?」

「そうだな……お前が気になっていた店が、すぐそこにあるみたいだけど」

「えっ?」


 ノアの言葉に辺りを見回す。すると少し奥まったお店のショーウィンドウには赤く染まったプラリネが籠に山積みになっているのが見えた。看板に描かれた店名も、少女が両手に籠を抱えた絵も、間違いない。


「赤いプラリネのブリオッシュね!」

「行きたがっていた店で間違いないか?」

「ええ! 楽しみにしていたの」

「良かったな」


 繋いだままの手を揺らしながらノアと一緒にお店に近付く。

 いつの間にか空に掛かっていた薄い雲は流れて消えて、空は綺麗に晴れ渡っている。陽射しが強くなったせいか、足元の雪も溶けだしていて滑りそうだ。


 お店に近付くだけで甘い匂いが広がってくる。

 浮足立つ気持ちを表すように、わたしはノアの手を引っ張りながら歩いて行った。

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